芝居の世界に乱歩をひらく。

【対談連載】波乃久里子さんと平井憲太郎さんが語る、十七代目中村勘三郎と乱歩の思い出 ③

2022/09/07

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OVERVIEW

学生時代から歌舞伎を好んだ乱歩は昭和初め、ひとりの役者の可憐な美しさに心を奪われた。三代目中村米吉——のちの十七代目中村勘三郎である。戦後になって念願の対面を果たし、乱歩は終生、勘三郎の芸と人柄を愛した。初めて顔を合わせた勘三郎の令嬢と江戸川乱歩の令孫が語る、稀代の歌舞伎役者と探偵小説作家の思い出。連載第3回(全3回)。

三島由紀夫脚色の『黒蜥蜴』と初代水谷八重子と美輪明宏

波乃久里子さん

———三島由紀夫脚色の『黒蜥蜴』(1962年3月)は、初代水谷八重子先生が黒蜥蜴役で初演されましたが、当時久里子さんは劇団新派に入られた頃ですか。

波乃 私は16歳で、八重子先生に弟子としてついていました。忘れられないのが、初日に、芥川(比呂志)さんがライター、八重子先生が煙管を持っていらして、一幕が終わるとき、二人とも手が震えて火がつかないんです。それをみて「こんな名優でも震えるんだ」ってびっくりしました。舞台に立つ怖さを知ってるということですよね。

平井 なるほど。

波乃 田宮二郎と大空真弓さんが出てらしたんですけど、ある日、田宮さんが2時間、部屋から出てらっしゃらなくて。心配してたら、泣きはらしたような顔で出てきたんです。八重子先生に死ぬほど怒られたらしくて。男の人にすごく厳しかった。田宮さんが立派になって、『白い巨塔』なんてすばらしいドラマに出演なさってるのに、「ああ、先生に泣かされてたな、この人」なんて思い出したりしてました(笑)。やっぱりすごい女優だったんです、先生は。

平井 僕も『黒蜥蜴』は何回か観ていますが、ここ40年くらいで、だいたい美輪(明宏)さんがなさってましたね。

波乃 私も拝見しました。美輪さんの黒蜥蜴はとにかくかっこよかったですね。心から緑川夫人になってしまう。技術とか技でみせるのではなく、素敵ですよね。作家に好かれそうなタイプ。三島先生なんて惚れたでしょ。乱歩先生はどうだったんでしょうか?

平井 惚れてたと思いますよ。

波乃 美輪さんがシャンソンを歌ってた銀座のお店に父が行って、この人はおもしろいと乱歩先生に紹介したそうですね。

平井 1951年頃ですから、祖父が勘三郎さんと知り合ってわりと早い時期ですね。美輪さんご本人がよくおっしゃってますが、初めて会ったとき、美輪さんが「明智さんってどんな人?」と尋ねたら、祖父は「腕を切ったら青い血が流れるような人だ」と。「君の腕を切ったらどんな色が出るんだ」って聞き返すと、「七色の血が出ますよ」と答えて。そんなやりとりがあって、美輪さんをかわいがったらしいですね。

波乃 ああ、私たちは、猿之助さんのことを「切ったら青い血が出てくる」って言ってました。特別な人に対する褒め言葉ですよね。

平井 普通じゃないって意味でね。

波乃 美輪さんは、八重子先生を慕ってらしたから、よく新派をご覧になって、楽屋に見えてたんです。新橋演舞場で私が『日本橋』の清葉をやったとき、「あなたちょっとさ、いくら清葉って貞操観念があっても、男知らなきゃおかしいじゃないの。あなた男知らないでしょ。ダメよ、そんなんじゃ。采女橋に行ってさ、あそこにいる人の誰とでもいいから寝てきなさいよ」なんて(笑)、おもしろいことおっしゃって。

平井 それは美輪さんがおっしゃるんですか。

波乃 はい、私に。だから「いっぱい知ってるのに」って言ったら、「ほんとの恋じゃないでしょ」ですって(笑)。

乱歩からひろがる世界、乱歩がひろげた世界

———勘三郎さんはもちろんですが、乱歩は芝居の周辺との交流が盛んでしたね。

平井 演劇関係の方を推理小説に引っ張り込もうとしてますしね。戸板康二さんに推理小説を書かせたり。

波乃 私、やらせていただきました。戸板先生の作品がテレビドラマになったとき。

平井 名探偵中村雅楽のシリーズですね。お父様が雅楽役で。

波乃 『車引殺人事件つづいて鷺娘殺人事件』(テレビ朝日、1979年)で、安川田鶴子って犯人役だったんです。それで、父は台本を読まない人なんですよ。書抜きで自分のとこしか読まない。もう大詰めってときに「ねえ、久里子……誰が犯人なんだよ」って(笑)。

平井 (笑)。

波乃 「え? この人、台本読まないんだ」って。だからわざと「わからない」って答えたんです(笑)。そうすると、そのほうがおもしろいんです。探偵として謎を解いていくには、わかってないほうが。だから、父は知ってて言ってたんじゃないかと思うんですけどね。

平井 いいお話ですねえ。

波乃 父は長谷川伸先生にもかわいがっていただいたんですけど、乱歩先生と共通点はあるんですか?

平井 大衆文芸という点では重なりますが、ジャンルが若干違いますよね。

土蔵の1階で乱歩の蔵書をみながら

———昭和の初め、作家の集まりで二人は一緒でした。長谷川伸が何度も乱歩に探偵劇を書くように勧めてるんですね。

波乃 ああ、そうだったんですか。

———結局乱歩は書かないんですが、相当期待していたようです。

平井 文士劇の『鈴ヶ森』に乱歩を推したのも長谷川伸ですからね。

波乃 久保田(万太郎)先生とはどういう感じだったんですか?

平井 久保田万太郎さんにも探偵小説を書くように頼んだけど、書かなかったんでしょうね。「書け」と言わなかった人はいないと思うんです。仲間を増やすのに一生懸命でしたから。

波乃 なるほど。政治家でいらっしゃったのね。

平井 そう。やっぱり徒党を組まないと強くなれない。それもあって、日本探偵作家クラブ(現・日本推理作家協会)をつくりましたし。自分が一生を賭けてやってることがバカにされて、下に見られてるのが悔しくてしょうがなかったらしくて。

波乃 そんなことないのに。今でも知らない人はいないんですもの、江戸川乱歩っていえば。
———図書館には相変わらず全集が並んでますし、ラジオやテレビ、映画、舞台、漫画、アニメなど二次創作が山ほどあって、そこから原作に戻ることも多いでしょうし。

平井 そうですね。二次創作に関しては非常に寛容でしたから。著作権を継承した父も、僕も同じようにやってます。少々のストーリーの改変くらいで乱歩自身は文句を言いませんでしたし。三島さんの『黒蜥蜴』もシチュエーションから全然変わってますが、本人は「自分のよりおもしろい」って言ってたらしいですね。

波乃 すばらしいことをおっしゃる。

平井 『黒蜥蜴』は、小説自体はさほど評判にならず、本人もそんなに自信があるわけでもなかったみたいです。やっぱり三島脚本のレトリックでよくなったんですよね。

波乃 あの方の、宝石を散りばめて転がしたような台詞ね。

平井 だから美輪さんは合ってたんでしょうね。

女優と女形の違い

———八重子先生の『黒蜥蜴』はどのような感じでしたか。

波乃 私は正直あまり好きではなかったんです。三島先生のものではやはり『鹿鳴館』ですね。劇団新派に入ってくださった(河合)雪之丞さんの『黒蜥蜴』(齋藤雅文脚色・演出、三越劇場、2017年)は素敵でしたね。あの『黒蜥蜴』は大好きだった。乱歩先生がいらしたら喜ばれたと思う。

———黒蜥蜴という役は、実際に女性である女優が演じるのではなく、女形が虚構としてつくるほうが合うということでしょうか。

波乃 ええ。ああいうものは、女形じゃなきゃ無理なのかも。長谷川伸先生に「どうして先生は女優さんに書かないんですか?」って聞いたら、「そりゃ女形のために書いてるからだよ」って簡単におっしゃったそうですよ。父は感動してましたね。女形しかできないものがあるし、女優しかできないものがある。たとえば、泉鏡花先生の『婦系図』なんかは写実だから女優のほうがいいんじゃないかと思います。『滝の白糸』は女形がいい。虚の部分は女形さんがいいと思います。

———鏡花物のなかでも分かれますよね。

波乃 分かれますね。『日本橋』だってお孝は女形さんがいいと思うし、清葉は女優さんのほうがいい。また、久保田先生の作品だと女優さん向きなのかなと。おもしろいですね。女優と女形って。父のことも米吉時代の女形が印象におありだったようですし、乱歩先生は女形がお好きですよね。

応接間に飾られた乱歩の肖像画(松野一夫画)の前で

平井 好きだったと思います。

波乃 女形さんのもののほうがいいんでしょう。嘘がつけますもんね。

平井 半分というか、ほぼ全部嘘ですからね。本人も現実感があることを書きたくないというのが頭にあったと思うので。どれも現実感から完全に逃避してますでしょう。

波乃 乱歩先生は華麗ですよね。首が飛んでも動いてみせる世界だから、歌舞伎に近い。

平井 外連味のある世界が好きなんですね。

波乃 先生が生きてらしたら、雪之丞さんを見せてあげたかった。三越劇場だけじゃなくて、日生劇場かどこかでまたやってほしいですね。一部の人からは「『黒蜥蜴』なんてやって……」とか言われたんです。でも、私はああいうのも新派だと思う。それは雪之丞さんが継いでいくべきだと思いますね。作家とのつながりで役者は生きてますから。乱歩先生のものは雪之丞さんが受け持つ、私が久保田先生の樋口一葉ものを受け持つ。そのほうがおもしろいんじゃないかしら。今の水谷八重子さんは北條秀司先生が合いますよね。みなさん、それぞれに合うものがある。そういうなかで、歌舞伎でも新派でも、乱歩先生の御作を手がけていけたらいいですね。

旧江戸川乱歩邸応接間/2022年6月30日(撮影:末永望夢)
聞き手・文:後藤隆基(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教)

波乃 久里子(なみの くりこ)
1945年神奈川県生まれ。劇団新派所属。父は十七代目中村勘三郎、母は六代目尾上菊五郎の長女久枝。弟は十八代目中村勘三郎。50年「十七世中村勘三郎襲名披露新春大歌舞伎」で初舞台。61年に『婦系図』の妙子役で劇団新派に参加し翌年入団。初代水谷八重子に師事。舞台のみならず映画、テレビといった幅広い活躍を続け、芸歴70年を超えても芝居に対する真摯な姿勢を持ち続けている。昨年主演した『太夫さん』で劇団新派が文化庁芸術祭賞大賞を受賞した。

平井 憲太郎(ひらい けんたろう)

1950年東京都豊島区生まれ。株式会社エリエイ代表取締役。日本鉄道模型の会理事長。としまユネスコ協会代表理事。公益財団法人としま未来文化財団評議員。幼時から鉄道、鉄道模型を趣味とし、立教高校在学中の『鉄道ジャーナル』編集アルバイトをきっかけに鉄道趣味書出版の世界に入り、68年友人と共に写真集『煙』を出版。立教大学卒業後、株式会社エリエイに鉄道出版部門を立ち上げ、74年より鉄道模型月刊誌『とれいん』を発刊。

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