立教テニスコート変遷記2 戦後から現在

写真で見る立教いま・むかし

2020/02/14

トピックス

OVERVIEW

前号に引き続き、大きく3期に分かれて変遷してきた立教大学のテニスコートの歴史を紹介します。第1期は築地から池袋への移転時からアジア・太平洋戦争の敗戦後まで(前号)。第2期は1950年代から1990年代まで。第3期は1990年代以降です。

タッカーホールや4号館増設前の池袋キャンパス[1950年頃](赤枠がテニスコート)

第2期:1949年の新制立教大学成立以降、入学者数の拡大を受け、1956年に東京都より土地を借り受けて総合グラウンド「セントポール・グリーン・ハイツ」(上板橋)を建設。野球場や馬場のほか、テニスコートが設けられました(1970年まで使用)。屋外コートとしては、1969年、埼玉県に富士見総合グラウンドが設けられ現在に至ります。新座キャンパスには1990年の開校当時よりテニスコートが設けられました。

第3期:1997年に立教学院は教学改善と施設の充実をはかるため「立教学院総合発展計画」を策定し、池袋校地の再開発を進め、2001年より現在の18号館(ロイドホール)の場所に「立教学院池袋グランドB」を設け、コートを設置しました。さらにコートの移転は続き、2013年3月にポール・ラッシュ・アスレティックセンター内にコートを設置し現在に至ります。
(完)

ナイター設備がある富士見総合グラウンドのテニスコート[2011年10月撮影]

新座キャンパスのテニスコート[2019年9月撮影]

池袋キャンパスのテニスコートは、ポール・ラッシュ・アスレティックセンター屋上(5階)[2013年4月撮影]

立教学院展示館

立教学院の歴史と伝統、教育と研究の取り組みを貴重な資料や写真、映像で紹介しています。

※開館スケジュール等は、Webサイトの開館カレンダーをご確認ください。

立教学院展示館事務室 TEL 03-3985-4841
【Web】https://www.rikkyo.ac.jp/research/institute/hfr/

CATEGORY

このカテゴリの他の記事を見る

トピックス

2024/03/27

速水奨が読む乱歩短篇の世界

速水 奨(声優、俳優)

お使いのブラウザ「Internet Explorer」は閲覧推奨環境ではありません。
ウェブサイトが正しく表示されない、動作しない等の現象が起こる場合がありますのであらかじめご了承ください。
ChromeまたはEdgeブラウザのご利用をおすすめいたします。