文化人類学から考える日本特有の「呪い」とは

文学部 橋本 栄莉教授

2025/06/12

研究活動と教授陣

OVERVIEW

アフリカ・南スーダン共和国の紛争地域に暮らす民族に関する研究が評価され、「日本学術振興会賞」を受賞した文学部史学科の橋本栄莉教授。南スーダンでは今も「呪い」の文化が機能していますが、日本社会にもある種の「呪い」が存在すると橋本教授は言います。アフリカの人々の考え方なども交えて、お話を伺いました。

ヌエル族の意思決定から得た気付き

牧畜民であるヌエル族にとって、牛の所有が幸せの基準の一つとなっている

文化人類学では、対象とする地域の住民たちと寝食を共にしながら、考え方や生き方を学ぶことを基本的な研究手法としています。私自身、南スーダン共和国に暮らすヌエル族の集落に滞在してフィールドワークを行いました。ヌエル族の文化は日本社会と異なる点が多々あります。中でも特に興味深かったのが、人々の意思決定のあり方です。彼らは何かを行う時に、自分の意志ではなく、神や精霊にさせられていると考えるのです。例えば、誰かが怒っていると「彼はなぜ怒っているんだ?」ではなく、「何が彼を怒らせているんだ?」と考える。最初は驚きましたが、次第に私も、さほど変わらないのではないかと思うようになりました。日本の人々は自分の意志で行動しているようで、実は「世間体」や「他人の評価」に動かされている側面があるからです。

現代の日本人を取り巻く「呪い」

南スーダンのアザンデ族という民族の間では、「呪い」の文化が機能してきました。「呪われないように」と考えて行動したり、良くないことが起きた時には「呪いだから仕方がない」と受け入れたりします。不安定な社会において、「呪い」が一種の制御装置として働いているのです。

一方、日本では特にコロナ禍以降、「こうあるべき」という考え方が強くなったように感じます。そこから外れるとSNSで炎上したり、「自分はダメなんだ」と自己嫌悪に陥ったり。そうして強迫観念にとらわれ、他人の目を気にして自分を「盛って」見せてしまうのはよくあること。これは一種の日本特有の「呪い」ではないでしょうか。そこに生きづらさを感じるなら、「私は今、呪われているだけだ」と自覚し、客観的に捉えることで、少し生きやすくなるのではないかと考えています。

思考のツールを多く持つアフリカの人々

フィールドワークのひとコマ

研究を通して感銘を受けたのが、アフリカの人々の「考える力」。彼らは、「この生き方でいいのか?」と常に自問自答しながら、人脈など持てるものを総動員して戦略的に生きていこうとします。また、近代教育を受けながらも、古くから伝わる神話や予言にも真剣に耳を傾けます。そうして科学以外の思考のツールをたくさん持つことが、不合理な出来事すら受け入れる力になっているのです。

文化人類学は未開民族の研究からスタートしたといわれていますが、マイノリティの文化を知ることで、現代のメジャーな価値観を「それが全てではない」と批判的に考えられるところが研究の醍醐味だいごみだと感じます。海外に限らず、フィールドワークを通して知らない社会や文化に触れると、それまでの自分の価値観が崩されます。そこからどう折り合いをつけていくかを考えるプロセスに学びがあるのです。近年、「変化」を避ける人が増えているように感じますが、むしろ価値観が崩されるような体験を積極的にして成長につなげてほしいと思います。

橋本教授の3つの視点

  1. ヌエル族と日本人の意思決定の方法は異なるようで似ている
  2. 現代の日本人にかけられた「呪い」は客観視することが大切
  3. 知らない文化に触れて価値観が崩れるような経験が学びにつながる

プロフィール

PROFILE

橋本 栄莉

文学部史学科超域文化学専修 教授

東京学芸大学教育学部卒業後、2008年より南スーダン共和国でフィールドワークを開始。2015年、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。2019年立教大学着任、2025年4月より現職。2024年、第21回日本学術振興会賞受賞。著書に『タマリンドの木に集う難民たち—南スーダン紛争後社会の民族誌』(九州大学出版会)など。

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