立ち往生
チャプレンのことば
2025/10/24
キリスト教とチャペル
OVERVIEW
チャプレンからのメッセージです。
チャプレン 中川 英樹
立ち往生
わたしたちが求めたり、想い描くことができるものとは、この「わたし」という存在が、想像し得たもの、つまり、その認識の枠内で想いつく限りのものに過ぎないと言われます。学びの堆積が、そうした範囲の枠には、まだその先が在るということ、また別の枠組みや価値が在るということを教えてくれます。「若い」ときは、その認識の枠の、その先の拡がりに気づけていないから、結局、求めるものも小さくならざるを得ない……。しばしば、認識の外に在るものに遭遇すると「立ち往生」してしまうのはそのためです。最近は学びでも仕事でもAI(人工知能)を使うことが増えました。しかしAIは、その「立ち往生」についての解を与えてくれません。なぜならAIは、その人がこの先発見するであろう「立ち往生」の意味データを持ち得ていないからです。人は自らで「立ち往生」することによって、退き、再び戻り、歩き出すことの尊い意味を学びます。自分には未だ見ぬ先が確かに在ること、自分でも知らない自分が居ること……それにワクワクしたり、ドキドキしたり、「立ち往生」の解はデータの中にではなく、神と人びととの「間」係を渡り往く、自らの真理探求の旅の中にしかないということを立教に身を置くわたしたちは信頼して、学び続けていきたいと願います。
※本記事は季刊「立教」273号(2025年7月発行)をもとに再構成したものです。バックナンバーの購入や定期購読のお申し込みはこちら
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