立教で育まれた決断力と行動力を発揮。市民目線のまちづくりを

埼玉県所沢市長 小野塚 勝俊さん

2024/10/09

立教卒業生のWork & Life

OVERVIEW

埼玉西武ライオンズの本拠地があり、『となりのトトロ』の舞台のモデルとされる狭山丘陵が広がる埼玉県所沢市。「緑が多く、都心からの交通の便もいい。まさに自慢のまちです」とほほ笑むのは、2023年10月の市長選で初当選した小野塚勝俊さん。就任記者会見の場で子育て支援に関する公約を実現させるなど、スピード感と有言実行の姿勢が全国から注目される存在だ。

目標に向けて突き進むバイタリティーは、父の勧めで進学した立教中学校時代から変わらない。中高は水泳部に所属し、より速く、より強くなるために、時間を惜しんで練習に励んだ。

「団体では、キャプテンを務めていた中学の時に東京都の大会で2位。個人では、高校時代に埼玉県の大会でバタフライ3位になりました」

立教中学校入学式当日

中学から多種多様な選択科目を興味の赴くままに履修し、学びの「幅広さ」と「奥深さ」を知った。特に好きだったのは社会や歴史の授業で、「中学1年で立教の歴史を学んだことも思い出深い」と懐かしむ。

「私の誕生日は5月5日なのですが、立教学院の創立記念日と一緒だと知り、親近感が湧いたのを覚えています。今でもじっくり語れるほど、母校の歴史は詳しいですよ」

スポーツと学業に打ち込み、充実した6年間を過ごした小野塚さん。高校の進学説明会をきっかけに、大学では法学部国際・比較法学科を選択する。

「日本政治外交史を専門とする北岡伸一※1法学部教授(当時)のお話を聞き、何が何でもこの先生に学びたいと思ったのです。さらに、当時は天安門事件や東欧革命、ベルリンの壁崩壊などが次々と起こり、国際情勢が大きく変化していた時期。そうした世界の動きを法の側面から捉えたいと思い、国際・比較法学科を選びました」

入学後は、中高での鍛錬を生かして体育会水泳部に入部。そして念願通り、北岡教授の担当する授業を片っ端から受講した。

「水泳部では4年間寮生活で、朝昼夕の練習に加え、夜に自主練もあり多忙でした。そんな水泳漬けの毎日の中でも、北岡先生の授業は本当に面白くて。理念や理想で政治史を語るのではなく、リアルを重んじる方なので、鋭い切り口の分析が新鮮でしたね」

3年次からは北岡ゼミに進み、水泳部の主将と寮長も務めた。卒業後は、ゼミ論文を執筆する中で芽生えた使命感から、日本銀行に入行する。

「論じたのは、総理大臣のほか大蔵大臣や日銀総裁も務めた高橋是清について。膨らむ軍事費を抑制しようとした高橋は、軍部と対立して命を落とし、その後日本は太平洋戦争に突入しました。そして戦後、巨額の軍事費を捻出した反省から、ストッパーの役割を担ったのが日本銀行なのです。ここで働けば、高橋の志を継ぎ、平和に貢献できると考えました」

※1 北岡伸一:名誉教授、元・法学部教授。国連の特命全権大使や国際協力機構(JICA)理事長などを歴任。

「苦しい境遇にある人々の力に」日銀から一転、政治の道へ

1995年に日銀に入行した小野塚さんは、花形と言われる営業局(現 金融市場局・金融機構局)に配属。以降も本店と支店を行き来しながら、順調にキャリアを重ねたが、「葛藤もあった」と振り返る。

「当時はバブル崩壊の影響で金融機関が破綻し始めた頃で、営業局や大阪支店では破綻処理を任されました。苦しい状況にある企業や金融機関、そこで働く人々の姿を目の当たりにしたのです」

そうした経験があったからこそ、30歳を過ぎて国会議員と直接交渉する役割に就いた時、「困っている人たちの力になれる」と感じたという。

雪の日も休まず行った「駅立ち」

「でも、その立場でできることは思いのほか少なくて。『だったら自分がやろうじゃないか』と一念発起し、国会議員への転身を決めました」

決意を実行に移し、2009年に国会議員となった小野塚さん。しかし、その後は落選が続き、11年もの“浪人生活”に突入することに。試練の時期だったが、この経験があったからこそ、得られたものもあった。

「それまでは、ありがたいことに周りから見ると恵まれた道を歩ませてもらってきました。苦境に立って初めて、自分にそんなつもりはなくても、無意識のうちに目線が高かったことに気付いたのです」

その言葉を証明するかのように、11年間、「駅立ち」は一日たりとも欠かさなかった。そうした小野塚さんの姿に、次第に「所沢を変えてほしい」という声が届き始める。

「特にコロナ禍で一気に増えました。それだけ厳しい境遇に置かれている人が多いことを実感し、私自身も困難な状況にある方々を救えるのは最も身近な市政だと確信して。市長選への出馬を決意したのです」

市長の仕事は「決める」こと、その結果に対して「責任を持つ」こと

目指すのは市民の可能性を広げるまち

現在、市長として掲げるのは「スピード感ある市政」。初登庁の日の就任記者会見で、多くの権限が県から委譲される「中核市」への移行に向けたプロジェクトチームの発足を宣言。さらに、子育て世代から不評だった保育園の「育休退園制度※2」をその場で廃止した。

「以降も、『就任した年度の3月までにやります』と言っていた公約は全て実現しました。『18歳までの医療費無償化』『小・中学校の給食費無償化』『市長給与の3割カット』などですね」

まさに有言実行だが、小野塚さんは「私だけの力ではありません」と力を込める。

所沢市イメージマスコット「トコろん」と共に

「市の職員の皆さんが本当に一生懸命動いてくれましたし、市議会議員の方々が思い切った政策も認めてくださった。だからこそ、これだけスピーディーに進められたのです」

日銀から国会議員へ、そして市民目線の改革を力強く推進する市長へ。時に大胆に、新たな世界に身を投じてきた小野塚さんには、常にその人生の進路を照らし続けた言葉がある。

「立教中学の礼拝で教わった、マタイによる福音書5章9節の『平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる』という一節です。これが人生の指針となり、人々の幸せと平和のために働く道を模索し続けてきました」

さらに立教について、「今でこそ『自由』をうたう学校は多いですが、大正時代につくられた校歌に『自由の学府』という言葉が入っているのはすごいこと」と目を輝かせ、こう続ける。

「そんな『自由の学府』で過ごしたからこそ、自分で考え、責任を持って判断する力が身に付きました。立教の10年間がなければ、日銀の安定したキャリアを捨てる判断ができたかどうか。さらに現在の市長としての仕事は、方針やプランを『決定』し、結果に対して『責任をとる』ことです。その決断力や行動力にも、確実に生きていると自負しています」

今、小野塚さんが見据えるのは、「所沢を日本一のまちにする」こと。

「教育や住みやすさなど何かの日本一ではなく、『可能性』が日本一あるまちにしたいんです。市民の皆さまに『所沢に住んでいると可能性が広がっていく』と感じてほしい。その具体化に向けて、力を尽くしていきたいと思います」

※2 育休退園制度:育児休業を取得すると、在園中の子ども(上の子)が保育園を退園になる制度。

プロフィール

PROFILE

小野塚 勝俊

埼玉県所沢市長
1988年 立教中学校卒業
1991年 立教高等学校卒業
1995年 法学部国際・比較法学科(当時)卒業

東京都出身。大学卒業後の1995年に日本銀行に入行、営業局、政策委員会室、国際局などで12年勤務。2009年、第45回衆議院議員総選挙で初当選。15年、東京大学EMP(エグゼクティブ・マネジメント・プログラム)修了。16年、早稲田大学大学院政治学研究科修了。23年10月、埼玉県所沢市長選挙に無所属で出馬し、初当選を果たす。

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