一途に、一心に突き進む——「辞めない」ことで見えてくる景色

日本テレビ 編成局アナウンス部専任部次長 アナウンサー 豊田 順子さん

2022/01/24

立教卒業生のWork & Life

OVERVIEW

日本テレビで30年以上アナウンサーを務め、数々の番組に出演してきた豊田順子さん。最近は新人アナウンサーを指導する「鬼教官」としてバラエティ番組で紹介され、後進の育成にいそしむ姿も注目されている。

撮影場所となった立教学院展示館は、豊田さんが通い詰めた旧図書館の趣が残る

育ちは埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)。東京の大学、そしてツタの絡まる校舎への憧れから立教の門を叩く。「英語を話せるようになりたい」「たくさんの文学に触れたい」という思いで、文学部英米文学科に入学。英語漬けの毎日で、海外留学も2回経験した。

「大学では、時間さえあれば図書館で英語のペーパーバックを読んでいました。シェイクスピアなど歴史的な文学も辞書を引きながら必死に読みました」

図書館(現・立教学院展示館)の静謐せいひつな空気が好きで、とても落ち着く場所だったという。

当時からアナウンサーを目指していたわけではなく、マスコミ全般を志望していた。そのきっかけは、ミス立教、そして地元の「ミス岩槻」に選出された流れで、地方局の情報番組でレポーターを務めたこと。全国ネットの番組に出演する機会もあった。そこでテレビ局の仕事に魅力を感じ、タイムキーパーや番組のリサーチャーのアルバイトにも取り組んだ。

「自分は何も知らない。だから、いろいろなことを知りたい。学業もテレビ局でのアルバイトも、そんな知的好奇心が原動力でした」

4年次の就職活動で、アナウンサーは「記念受験」のような感覚で受けたというが、運良く最終選考まで進んだ。

「日本テレビに入社を決めた理由の一つに、当時、同局でアナウンサーを務め、立教の先輩でもある徳光和夫さん(1963年社会学部卒業)の存在があります。実は内定をいただけそうなテレビ局が他にもあったのですが、徳光さんに熱心に誘っていただき入社を決めました。徳光さんとは、大学時代にテレビ出演した際、ご一緒したことがあったんです。そのような『縁』で私の人生は成り立っています」

大学時代、ミス・コンテストの応募写真

所属していたテニスサークルの仲間と

「局アナ」を続けたから得られた多様な経験

新人アナウンサーが初めて番組に出演し原稿を読むことは「初鳴き」と呼ばれるが、豊田さんのそれは異例のものだった。入社式の前日に初鳴きを果たしたのである。これは後にも先にも日本テレビ内で豊田さんだけだという。

「デビューの舞台も、徳光さんが司会を務めるスポーツ番組でした。入社前に1週間程度の研修を受けたものの、本番は緊張でガチガチ。しかも生放送で、とにかく無我夢中でした。どういう運命なのか、そのデビューから32年間、常に生放送のレギュラー番組を担当しているんです。撮り直しの利かない環境で多くの経験を積んだことで、集中力や危機管理能力、言葉の反射神経などが鍛えられました」

若手時代は主にスポーツ番組を担当した。

「読売ジャイアンツの取材では、立教の先輩であり、当時監督を務められていた長嶋茂雄さん(58年経済学部卒業)にマイクを向けることも。初取材の時は『立教の後輩です!』と猛アピールしました(笑)」

転機となったのは入社9年目。本格的な報道番組で、ニュース発生を受け現地から中継リポートを行う「フィールドキャスター」を担当した時のことだった。

「スポーツ番組ではルールを覚える必要はありましたが、求められるのは明るく元気な姿。対して報道番組はニュースの正確性が何よりも重要視されるため、刑事事件や法律、政治、経済などに関する用語を正しく使えなくてはなりません」

それらを一から勉強し、番組で話す経験を通して、「ひとつ大人になった感覚があった」と語る。

以降、報道や情報、バラエティなどの番組を担当しつつ、2004年頃から新人研修・人材育成業務に本腰を入れる。

「後進の育成こそ私がやるべき仕事だと感じました。日本テレビという老舗局に長年、身を置き、多様なジャンルの番組を経験してきた私だから、アナウンサーとしてのスキルやあるべき姿をバランス良く伝えられると思ったのです」

意見してくれる仲間がいるから新たな目標が見つかる

フリーランスに転身するアナウンサーが増加する中、「会社を辞めずに『局アナ』として働き続けているからこそ得られるものも大きい」と話す。

「例えば、忌憚きたんのない意見を言ってくれる仲間がいるから、常に自分を見つめ直すことができる。そこから、また新しい目標が生まれるんです」

女性として同じ組織で働き続けてきたから見えた景色もある。

「ジェンダーを取り巻く環境は本当に変わりました。いまでこそ職場でのジェンダーギャップはだいぶ解消されていますが、『女性だから』という理由で悔しい思いもたくさんしてきました。いまある環境は、同じ場所で変化を見続けてきた身として感慨深いものがあります」

立教人と出会うと「自由な空気」が動き出す

現在担当している『NNNストレイトニュース』の様子

立教人の特長は「軽やかさ」や「柔軟性」だと話す豊田さん。「権威や肩書などに左右されず、誰とでも自由に意見を交わせる空気があった」と大学時代を振り返る。

「仕事柄、本当に多くの方と関わってきました。どんな人とも柔軟に接することができているのは、立教の自由な学風の下で学んだからだと思っています」

仕事の中で立教人と会うことも多いが、「立教の卒業生だと分かった瞬間に、『自由な空気』が動き出す」という。

「知り合った校友の方がイベントの司会を依頼してくれたり、そのイベントで出会った校友の方が、また別の場を用意してくれたり。さまざまな世代の立教人と交流する機会があり、そこでまた立教のパワーを実感しています」

現在担当している『NNNストレイトニュース』の様子

最後に後輩たちへのアドバイスをお願いすると、こう語ってくれた。

「画像や映像だけを見て知ったつもりになるのではなく、実体験や人との交流を通して喜怒哀楽をたくさん感じてほしい。そういう経験が多い人ほど、言葉に力を持つと思うんです。

いまはコロナ禍で難しい部分もあると思いますが、うまくバランスをとりながら、感性を磨く体験をしてほしいですね。学生時代に感じたことや出会った人は、後々、必ず何かとつながり、良い縁になって新たな展開が生まれるはずです」

『辞めない選択—専門職だからできる組織の生き抜き方・人の育て方』、『マスコミ用語担当者がつくった使える!用字用語辞典』

(左)『辞めない選択—専門職だからできる組織の生き抜き方・人の育て方』
著者:豊田順子
TAC出版/2021年4月
1,650円(税込)

(右)『マスコミ用語担当者がつくった使える!用字用語辞典』
編著:前田安正/関根健一/時田昌/小林肇/豊田順子
三省堂/2020年8月
2,530円(税込)

プロフィール

PROFILE

豊田 順子

日本テレビ放送網株式会社 編成局アナウンス部専任部次長 アナウンサー
1990年 立教大学文学部英米文学科卒業

1966年長野県生まれ。埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)育ち。1990年、日本テレビ入社。アナウンス部に配属され、『スポーツジョッキー中畑クンと徳光クン』でアナウンサーとしてデビュー。以後、『スポーツうるぐす』『NNNきょうの出来事』など、主にスポーツ、報道分野の番組を担当。現在は『NNNストレイトニュース』などを担当しながら、若手アナウンサーの研修・人材育成も行う。

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