記者の「頂」に向かい 
一歩一歩を登りつめた学生時代

朝日新聞 記者 金子元希さん

2017/10/12

立教卒業生のWork & Life

OVERVIEW

法学部を卒業し、朝日新聞の記者として活躍されている金子 元希さんからのメッセージです。

朝日新聞大阪本社が入る「フェスティバルシティ」の前にて。撮影は2011年経済学部卒で大阪本社映像報道部に所属する加藤諒さん

高校時代、金子元希さんは一冊の本に出会った。この読書体験が、彼が新聞記者という現在の職業を目指すきっかけとなる。

その本は高校山岳部の遭難事故を取り上げた新聞記者の著作。関係者の証言を集めて、事実を積み上げていくルポルタージュだった。当時、高校の山岳部に所属していた金子さんは、その本に心を揺さぶられた。

「かつて山の遭難は『死者にむち打つな』という雰囲気でした。でも、その本は『結果には原因がある』『人為的なミスが起こしている』と伝えていました。私も記者として事実を追い、事件や事故の再発防止につながる記事を書きたいと思いました」

立教大学法学部政治学科への進学は、こうしたジャーナリストへのあこがれが背景にあった。

2000年2月、大学のスキーサークルの北海道合宿にて(右側の先頭が本人)

入学してからの金子さんは、夏も冬も山に足を運んだ。

「学内ではモーグルスキーのサークルに所属し、部長でした。冬はスキー場の宿やスクールで働きながら滑っていました」。

同時に、地元・埼玉の登山クラブにも所属し、インドのヒマラヤなどの氷河峰への登頂も果たした。

「学生時代に国内外の山や自然に触れた経験は、今の仕事にもつながっています。今も山は生きがいです。子どもを連れて親子で国内の山々へ出掛けています」

ただ、山だけに時間を費やしていたわけではなかった。行政学のゼミに所属し、政治や社会の課題に向き合った。こうした経験を通じて、高校時代に抱いた新聞記者という夢が、現実の目標に変わっていった。

「中でも大きかったのが、法学部の制度にある『自主講座』を開いたことです。自由に講師を呼び、単位になる仕組みでした。戦争や平和をテーマに、徹底的に仲間と議論しました。この経験がなければ、記者にならなかったでしょう。一生の財産です」

法学部で過ごす日々が記者としての礎となっていった。

2001年8月、ペルー・アンデスのピスコ峰(標高5752m)に登頂

2002年に朝日新聞社に入社。熊本・山口・福岡・東京での勤務を経て、2017年春からは、大阪本社の社会部で小中学校や大学など教育の話題を担当する記者を務めている。

「記事を書くときは、読む人の目線を意識します。いかに読みやすく、分かりやすく、そして面白く」

良い記事を書くには、多くの情報を集めることが大事だと金子さんは言う。かつて読んだルポのように、読者の生活に役立つ仕事をしたい。そう思い、今日も取材に走っている。

「大学の4年間は人生の大きな岐路にある時期とも言えます。目標は大きく、高く持ってください。高みを目指す意識があれば、夢がいつか必ず現実となる日が訪れます」

どんなに険しく立ちはだかる山も、準備を整え一歩一歩登っていけば、いつか頂点へたどり着くことができる。金子さん自身がそれを証明しているだろう。

プロフィール

PROFILE

金子 元希 さん(Motoki Kaneko)

朝日新聞大阪本社社会部
2002年 法学部政治学科卒業

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