“常識知らず”のルソーが私たちに教えてくれること——現代への疑問や違和感を解く「ヒント」を、18世紀の思想家からつかみ取る

文学部文学科フランス文学専修 桑瀬 章二郎 教授

2016/11/30

研究活動と教授陣

OVERVIEW

ジャン=ジャック・ルソー。
多くの人が知るその名だが、「ルソーといえば?」と周りに質問してみると面白い。
ある人は歴史の授業で暗記した『社会契約論』を、ある人は物語の形で子どもの教育を論じた『エミール』を、ある人は「じぶん」についての詳細な歴史『告白』を……。
次々と飛び出すバリエーション豊かな回答に驚かされるだろう。
知っていたつもりでいたルソーの新しい顔に気付くとき、初めて学びの扉は開くのかもしれない……。

研究への目覚め

誰もが目的を持って、研究を始めるわけではない。「ただなんとなく」から出発するのも、一つの道だ。

桑瀬教授

“○○だけじゃない”多面的なルソーの世界

哲学者であり思想家、小説家であり音楽家。大ベストセラー作家としてもてはやされたかと思えば、危険な思想家として世間からバッシングの対象となる。18世紀のフランスを舞台に、分野を飛び越えて濃密な業績を残したルソーは、人によって異なる印象を与えるはずだ。その著述は政治哲学や社会論から、文学や音楽、科学、植物学といった領域にまで及び、とうてい一人の人物とは思えない多才さに舌を巻く。また、自伝作品で語られるその波乱万丈の人生は好奇心をかき立てられる。

人生の断片を拾っただけでも研究テーマに事欠かないルソーだが、日本を代表するルソー研究者、18世紀フランス研究者と紹介されることも多い桑瀬先生が、彼を研究対象とした理由は意外にも曖昧だ。
「ルソーや18世紀フランスにそれほど興味を持っていたというわけではありませんでした。1968年生まれ、アメリカ文化の影響を強く受けて育った世代なので、明らかに“フランスなんてかっこわるいなぁ”という時代的な空気もありました。それなのにルソーを選んだ理由ですか? そうですねぇ……本当にこれといった理由はないんですよ(笑)」と煙を巻くように語る言葉は果たして本音か、あるいは照れ隠しか。研究歴20年以上。“関心は低かった”と言いながらも、一貫してルソーと、彼の生きた18世紀を研究し続けることが桑瀬流の答えなのか。

これまで歩んできた道

「分からない」から逃げるか、踏みとどまるか——そこが大きな別れ道になる。

指導教官の著作

知の巨人によってこじ開けられた、研究への好奇心

大学時代は経済学を専攻。2年生の頃には“4年間ではおそらく卒業できない”と見通しがつくような学生だった。特に研究に関心があったわけではなかった。「時代はバブル全盛期。正直に言って、人文科学系の研究者には一度も魅力を感じたことはありませんでした」。それでも京都大学大学院文学研究科へと進み、本場で学ぶべく向かった留学先のパリでは人生を左右する出会いが待ち受けていた。18世紀のフランスを総合的に研究していた指導教官だ。

「質、量とも圧倒的な知識でした。それに、話し方は難解で、書くものも難しかったです。著作はほぼ全て、何度も何度も読みましたし、写経のように手で書き写したりもしましたが、それでも理解できませんでした。てっきり自分の語学力が乏しいせいだと思い、フランス人の同級生に尋ねてみたりもしましたが、“俺にも分からない”と言われ、それで少し安心しました(笑)」

研究者としての圧倒的な存在感から刺激を受け、彼の背中に自らの目指すべき人生のヒントを得た。ふわっと選んだ研究者の道にようやく光が差した気がした。もちろん彼を神格化しようとしたわけではない。「こんな道もアリかもしれない」と漠然と思えたのだ。中学、高校から学問の道を志す研究者も少なくない。しかし「自分は研究者として生きていこう」。そう覚悟を決めたのは、20代後半、30代になる直前だった。「早熟とは正反対の人間でした」。5年かけて執筆した博士論文の審査も無事通過し日本へ帰国。本格的に研究者として歩み始めることになる。

その研究の面白さ・魅力とは

「常識」に常に揺さぶりをかけるルソーの視線は、現代を生き抜くためのヒントとなるのではないだろうか。

ルソーが打破しようとした壁は、私たちが今ぶつかっている壁そのもの

「ルソーの魅力ですか? 簡単に答えるのは難しいのですが、とにかく考えさせられる点かもしれません。例えばルソーは“近代デモクラシー”の父と言われたりもしますね。ここ数年“立憲デモクラシー”が政治的に“正しい”言説として流布しています。ところが、ルソーをよく読むと、“立憲デモクラシー”の困難や危険について書いているのではないかと思わされるほど、これに対して慎重なのです。また彼は近代教育の父とも言われますが、『エミール』をよく読むと、現代で実践されている教育はほぼ全て、ルソーがその危険性を強調、あるいは予見したものでもあることも分かります」

通例だからと受け入れず、常に根源から問いかける。鋭い言葉で社会を批判する。本質を見抜いて、ぐさりと痛い所を突くルソーだからこそ、各分野において「逆説の思想家」と嫌われ、社会から強い反発を受けたこともあるのだ。

「重要な思想家や作家は常に誤読されてきました。誤読や曲解はその作品の重要性の証拠だとも言えるのではないでしょうか。モンテスキューもディドロも絶えず誤読されてきました。マルクスやフロイトもそうだと思います」


理解されなくても追究する

研究で大事なのは自分なりの視点や切り口。光の当て方を変えると、何度も読んだ著作にも、これまで気付かなかった新しい発見がある。過去のデータや知識(書物)から、自分なりの仮説を立て、新たな証拠を提示して、論文の形で自説を展開する。作業過程から考えると、文学の研究もどこか理系研究の体系に通じるのかもしれない。

「ただ、大きな違いもあると思います。もちろん最新の研究を押さえておくのは重要でしょうが、正直なところ、ここ数年、自分が何度も読み返しているのは、数十年前に発表された研究ばかりです。文学研究や思想研究では、最新の研究が必ずしも最も重要というわけではないと思います」

研究から学んだこととは

「思考停止」の誘惑から逃れることが、研究を、自分を、膨らませることになる。

ムダだと切り捨てたことが、自分の首を絞めないだろうか

「とりわけ“古典”と呼ばれる作品をより深く理解しようと思えば、当時の社会状況、政治状況といった歴史的背景の理解がどうしても必要になるわけですから、文学や思想の研究には時間がかかるのだと思います。そして、われわれ現代人は、とにかく時間がありません(笑)。これもまた、近年の研究が、あくまで個人的にですが、魅力を失っているように見える理由の一つかもしれません。ここ数年で、文学や思想の研究はますます細分化し、誰もが、知らないうちに、いかに効率的に論文を仕上げるかを考えていると思います」

研究範囲を広げたところで、物事の全てが理解できるとは限らない。しかし、視野を狭めてしまうことより、物事を単一の側面からしか見られなくなることは、ある種の恐怖ではないか。タテ・ヨコ・ナナメと柔軟に視点を移動できなければ、本質に近づくことなど不可能ではないだろうか。

博士論文執筆のために準備したノートの一部。これで全体の30分の1だという

文献の読解一つをとっても同様で、桑瀬先生が文献にあたるときは、可能な限り電子書籍ではなく本を開く。「確かに、電子書籍の検索機能を使えば知りたいことがすぐに見つかって圧倒的に効率的です。そうして集めた情報で論文を書くことだってできますし、私はそのような研究を否定する気はまったくありません。ただ、これは私の癖なのか、それとも単に愚鈍なのか、どうしても検索ワードが含まれている書物全体が気になるのです」。ピンポイントで情報を見つけられるようになった現代は便利だ。しかし、便利さは肝心な点を見逃す危険と背中合わせ。だからこそ、研究中はネット環境を完全に遮断して、利便性の誘惑を断ち切ることも多い。

そして、自らの手を使ってパソコンに膨大な量のメモを打ち込んでいく。そのほとんどは日の目を見ることはないが、知らぬうちに研究のヒントとなることもあるという。多くの資料がインターネット上で公開され、日本にいながら閲覧できる現代にあっても、フランスやその他の国々に赴いて原書にあたるなど、研究のための時間とコストをいとわない。

「面倒でたまらないときも正直ありますが(笑)、なかなか自分のスタイルは変えられそうにありません。愚鈍な私ならではの手法ですので、人に勧めるつもりはありませんが」
無知な自分を知るからこそ、学び続けられる

一つ知識を得ると、アメーバ状に新たな知識の獲得が必要とされるルソー研究、18世紀研究は果てしなく広がり続ける。

「“幅広い視野を持つことが研究ポリシーか?”いえ、ポリシーなんて大それたものは一切ありません。ただこのやり方しかできないだけです」と謙遜する桑瀬先生だが、言葉の裏には文学に限らない知的好奇心がみなぎる。例えば、経済学部生と世界に一大旋風を起こした経済学者ピケティについて語り合ったかと思えば、別の学生と企業ブランディングの現在を議論し、憲法学者についての際どい雑談で法学部生を挑発する……。最近、若手研究者支援のための領域横断的研究サイト「プレテクスト:ジャン=ジャック・ルソー」も立ち上げた。他学部の学生・研究者とも専門性のある会話を楽しむその姿に、興味、思考の広がるままに多ジャンルへと進出していったルソーがシンクロするのは偶然だろうか。

「いえいえ。自分がいかに無知か、いかに愚かであるかを思い知らされる日々です。自分を研究者だと思ったことも一度もありません。まだ出発点にも立てていないと思います。研究者を志すことは、大学に所属している限り義務だとは思っていますが、研究はやはり辛いですね」

プレテクスト:ジャン=ジャック・ルソー/Prétexte : Jean-Jacques Rousseau

プロフィール

PROFILE

桑瀬章二郎/KUWASE Shojiro

文学部文学科フランス文学専修 教授
文学研究科フランス文学専攻 教授

1968年生。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。パリ第7大学博士。専門は18世紀フランス文学・思想。
著書に『嘘の思想家ルソー』(岩波書店・2015)、『ルソーを学ぶ人のために』(編著、世界思想社・2010)、『書簡を読む』(編著、春風社・2009)、ラクロ『危険な関係』(共訳書、白水社・2014)、Les Confessions de Jean-Jacques Rousseau en France (1770-1794) : les aménagements et les censures, les usages, les appropriations de l'ouvrage (Honoré Champion, 2003. 渋沢・クローデル賞LVJ特別賞)、Les destinataires du moi : altérités de l’autobiographie (共編著、Éditions Universitaires de Dijon, 2012)などがあるほか共著・論文多数。

CATEGORY

このカテゴリの他の記事を見る

研究活動と教授陣

2024/03/11

人や社会を変えるアートの力

社会学部 小泉 元宏教授

お使いのブラウザ「Internet Explorer」は閲覧推奨環境ではありません。
ウェブサイトが正しく表示されない、動作しない等の現象が起こる場合がありますのであらかじめご了承ください。
ChromeまたはEdgeブラウザのご利用をおすすめいたします。