「赤頭巾ちゃん気をつけて」との出会いから

社会学部社会学科教授 長 有紀枝

2016/03/30

研究活動と教授陣

OVERVIEW

社会学部社会学科の長 有紀枝 教授による研究紹介です。

国文学から政治学へ

広い意味での社会科学を学ぼうと思ったのは、高校時代に出会った一冊の本がきっかけです。

「(これだけは笑わないで聞いて欲しいのだが)たとえば知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか」「同時にぼくがしみじみと感じたのは、知性というものは、ただ自分だけではなく他の人たちをも自由にのびやかに豊かにするものだというようなことだった」(庄司薫、『赤頭巾ちゃん気をつけて』、中公文庫)。

 『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、東大法学部を目指していた主人公・薫くんが、折からの学園紛争で東大入試が流れ、浪人することになっ日々をつづった作品です。彼はある日、法学部で学ぶ兄に要するに何を勉強しているか、と尋ねます。すると兄は「なんでもそうだが、要するにみんなを幸福にするにはどうしたらいいのかを考えているんだよ。全員がとは言わないが」と言って法哲学の本と思想史の講義プリントを貸してくれるのです。それらを夢中で読んでいたある日、兄と外出した先で偶然この思想史の先生に出会います。庄司薫さんの恩師・丸山真男先生がモデルと言われていますが、二人の会話を聞きつつ、薫くんが感じ考えたのが、この一節です。

 まさに、笑わずにお読みいただきたいのですが、それまで古典、特に和歌が好きで国文学を学ぼうと考えていた私はこの本に出会い、大きく方向転換をしました。影響を受けていた亡き父は読書家で好事家の趣味人でしたが、自営業を営む実家は、政治や学問とは無縁でした。あまりに異質な薫くんの世界に、好きなことは大学で勉強しなくてもきっとずっと勉強する、でもこの分野は大学で学ばなければ、一生縁がないまま終わってしまう。そこには学ばなければいけない何かがある。そんな気がしたのです。

留学時代の差別体験が原点に

2015年9月、シリア難民の子どもたちと。 AARが運営するコミュニティセンターの開所式で

とはいえ、高校時代は陸上部の練習に明け暮れ受験に失敗。一浪して入った大学で、政治学や政治思想史を学びます。「政治経済考究会」という歴史と伝統ある、かなり固いサークルに入り、背伸びして、先輩たちに混じって原典を読んだりしていました。マスコミを志望する学生の多い学部で、漠然と自分も新聞記者になるのだと思っていましたが、学部の2年から3年にかけてのアメリカへの交換留学を経て、民族問題に関わる仕事がしたいと思うようになります。留学先で、今思い出しても切なくなるような人種差別を受けたのがきっかけでした。

 帰国後は、国際関係が専門の鴨武彦先生のゼミで核抑止や相互依存論を学びました。卒業論文では中国とアメリカの相互依存を扱ったものの、留学中に出会ったアメリカ先住民の姿が忘れられず、いつかマイノリティ研究を、と考えるようになっていました。

 一年間働いて多少の学費を稼いで戻った修士時代には、「デモクラシーとからめれば自分の研究室でも可能」とおっしゃってくださった内田満先生の下で、世界の先住民を学ぶ前にまずは日本のことを知ろうと、軽い気持ちで始めたアイヌ研究にのめり込みました。

 人口比で見たら圧倒的少数者のアイヌ民族も、北海道にはアイヌ系人口が全人口の3割近くを占める自治体が存在します。該当する町村議会には、人口比に近いだけのアイヌ系議員がいるに違いないと聞き取り調査を始めますが、当時これらの町村全て合わせてもアイヌ系の議員は一人だけ。その方も、自身がアイヌであることを訴え当選したわけではなく、建設業を営む町の有力者でした。これだけのアイヌ人口を抱えながら、なぜ一人しかいないのか、その理由が知りたいと、学期中のアルバイトでためたお金で、休みの度に北海道に通います。そこで目の当たりにしたのは、机上の白黒つけた議論では語り尽くせない、少数者をめぐるあまりに複雑な現実でした。

 この時の、「現実は複雑なのだ」という認識は、修士課程修了後、職員となった国際協力NGO・難民を助ける会(AAR)の活動で滞在したさまざまな紛争地の現状─被害者と加害者が国境や村、一本の川を隔てて目まぐるしく入れ替わる現状─を前にした際に、本当に役立ちました。

 また学期中は、他研究科ではありましたが文化人類学者・西江雅之先生の授業や研究室に通い詰め、大きな影響を受けました。日本初のスワヒリ語辞典の編纂者でもある先生の「国際理解とは、諦めの境地である」という教えは後の実務の原点です。

 AARでは13年の勤務の間、ボスニア・ヘルツェゴビナをはじめとする旧ユーゴスラビア諸国やアフガニスタン、チェチェン難民などへの緊急人道支援、カンボジアやモザンビークの地雷対策や被害者支援に関わります。また、1000を超える世界のNGOの連合体「地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)」の一員として、特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)改正の取り組みから、オタワプロセスという前代未聞の条約策定交渉を経て、国際人道法と軍縮条約のハイブリッドとも言われる対人地雷禁止条約の成立過程に関わります。ICBLの一員として、1997年のノーベル平和賞受賞式に参列できたことは晴れがましい思い出です。

人間の安全保障とジェノサイド研究

社会学部社会学科 長 有紀枝 教授

その後一度NGOを退職して博士後期課程に進み、「人間の安全保障」という概念に出会います。現在、あなたの専門、研究領域は何ですか? と問われると、いつも答えに窮します。学部時代、基礎教育を受けてきたのは間違いなく政治学です。アメリカ留学中に学んだことは、今思い返せば社会学が中心であったと思います。博士学位論文のテーマに選んだのは、私の滞在中にボスニアのスレブレニツァで発生した集団殺害事件で、ジェノサイド研究・地域研究に分類されつつも国際法に軸足を置いていました。

 こうした教育・研究領域を振り返ると、散漫すぎるとご批判やお叱りを受けるかもしれません。しかし、あえて申し上げるなら、こうした学問領域全てを内包しているのが「人間の安全保障」という概念ではないかと思います。

そして現在、こうした実務経験や研究を基に学部と大学院の講義を行っています。秋学期、社会学部で展開している「紛争と和解・共生」は350名を超える大教室での授業ですが、武力紛争や衝突はどうして起きるのか、どう終結するのかということを国際社会の成り立ちや紛争の歴史的変遷、紛争違法化の歴史を振り返りながら、私たちの日々の生活の中の衝突や対立、もめ事の解決にも何らかの示唆を与えられる授業となることを心掛けています。また、凄惨な虐殺やジェノサイドをめぐる講義も多く、時に「私は一体何を教えているのだろう」といたたまれない気持ちになることもあります。しかし私が扱っているのは、空想や作り話ではなく、全て現実に起こった出来事です。こうしたことを学ぶのは今、生きているものの使命でもあると思い、教壇に立っています。

立教大学に着任して7年、キャンパスの四季の美しさに魅了され続けています。また、大学という学びの場に、チャペルという祈りの場があることも、これまでの大学生活にはなかったことで新鮮です。着任早々チャペルで行われた大学院の入学式での「立教大学での学びや研究が社会のためになりますように」というチャプレンの祈りの言葉にとても感動したことを、今でも覚えています。

あらためて、私もそうした教育と研究のできる教員でありたいと思います。

プロフィール

PROFILE

長 有紀枝

社会学部社会学科教授

【略歴】
1984~85年 早稲田大学派遣交換留学生として米国インディアナ州のDePauw大学留学
1987年3月 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
1990年3月 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了
1991~2003年 難民を助ける会(AAR)勤務。緊急人道支援や地雷対策に携わる
2007年3月 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(「人間の安全保障」プログラム)博士課程単位取得退学、同年6月博士号取得(学術)
2009年4月 立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任教授
2010年4月 立教大学社会学部教授、同大学院21世紀社会デザイン研究科教授

【所属学会】
日本国際政治学会、国際法学会、日本平和学会、社会デザイン学会、人間の安全保障学会、日本軍縮学会

【主要研究テーマ】
ジェノサイドの予防、国際人道法のジュネーブ法とハーグ法の重なる領域の相克、国際刑事裁判と移行期の正義

【著書・論文】
・単著
『入門 人間の安全保障—恐怖と欠乏からの自由を求めて』(中央公論新社、2012年)
『スレブレニツァ—あるジェノサイドをめぐる考察』(東信堂、2009年)
『地雷問題ハンドブック』(自由国民社、1997年)ほか

【共著・論文】
・「 災害と人間の安全保障─東日本大震災の経験から」
『地域研究Vol.15 グローバル・アジアにみる市民社会と国家の間』2015年
・ "The Growing Role of NGOs in Disaster Relief and Humanitarian Assistance in East Asia", in R. Sukma and J. Gannon (eds.), A Growing Force: Civil Society's Role in Asian Regional Security. 2013
・「 平時の平和を再定義する─人道支援と「人間の安全保障」の視点から」、日本平和学会編『平和研究第39号 平和を再定義する』2012年
・ "Evolving Japanese humanitarianism", M. Hirono and J. O'Hagan (eds.), Cultures of humanitarianism:Perspectives from the Asia-Pacific. 2012
・「 国際法とNGO」、美根慶樹編『グローバル化・変革主体・NGO 世界におけるNGOの行動と理論』2011年
・「スレブレニツァで何が起きたか」、石田勇治・武内進一編『ジェノサイドと現代世界』2011年 ほか

※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合がありますのでご注意ください。

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