立教学院諸聖徒礼拝堂聖別100周年記念礼拝説教

立教学院院長 広田 勝一

2020/05/21

キリスト教とチャペル

OVERVIEW

来る1月25日、当チャペルの聖別100年の記念の日を迎えるにあたり、本日、皆様にお集まりいただき、立教学院諸聖徒礼拝堂聖別100周年記念礼拝をおささげできる恵みに感謝を申し上げる次第です。

(左)設計段階のチャペル内観の透視図(1913年12月)/立教学院史資料センター所蔵、(右)チャペル内部計画/THE SPIRIT OF MISSIONS 1916年2月号

今から100年前の1920年1月25日に、当礼拝堂の聖別式が行われましたが、その4年程前、1916年5月29日には、「生命の源泉たるべき諸聖徒記念聖堂」(チャペル)の定礎式が盛大に挙行されました。これはチャペルの定礎式ではありましたが、レンガ校舎群全体を含む定礎式の意味を持ちました。定礎式で司式者監督マキム師が「主にある愛する者よ、我等此処に集まり健全なる学問と基督教教育の増進を図る目的の定礎石を据えんとす。」と祈り、また新旧約全書等12種25品を収めた鉄製小函がガーディナー氏によって首礎石内に蔵められました。

定礎式の元田作之進校長/THE SPIRIT OF MISSIONS 1916年8月号

レンガ校舎群全体を含む定礎式において、チャペルに定礎石が据えられている意味を、当時の元田作之進校長は式辞で「日本でキリスト教の原理を推し進めるための偉大な学府をこの池袋の地に築く」と述べております。その後、本館、図書館、寄宿舎(二号館、三号館)、食堂等と建築が進められ、1919年に落成、チャペルの内部工事と体育館は建設中でありましたが、1919年5月31日には、大隈重信等多くの来賓を迎えて落成式典が盛大に挙行されています。そしてその翌年の1月25日、使徒聖パウロ回心日に聖堂聖別式が行われました。2019年5月9日の創立145周年記念感謝礼拝の式辞で、100年前に行われた落成式の様子を紹介しましたが、この聖堂聖別式こそが、定礎式に始まった、築地から池袋への移転という一大プロジェクトが成し遂げられた時であったと言えるでしょう。
『基督教週報』1920年1月30日号には、「この大学の生命たる霊育の道場とも謂うべき礼拝堂」が落成したとして、「仰げば常陸産大理石聖壇上の真鍮十字架、御燈りの光を映じて炫き(かがやき)、法服礼装の聖職恭しく聖前に居並ぶ、神秘の気は其處に漂ひ、敬虔の気は室内に満ちた。規程の聖別式は、監督マキム師により厳に行われライフスナイダ長老聖別書を朗読し」と、式の様子が記されています。また、『スピリット・オブ・ミッションズ』の1920年9月号では、マキム主教を先頭にした行進がメーザー館から出発し、中庭を通り、礼拝堂の扉に到着、主教のノックで扉が開くと、行進は内陣へ行き聖別式が行われ、さらにマキム主教の司式による聖餐式が続いたと報告されています。なお本日の礼拝の聖歌は、100年前の式で歌われた曲が選曲されています。

さて校長である元田作之進長老が、聖堂聖別式当日に行った説教が『基督教週報』に残されています。その要旨は次のようなものでした。説教は、旧約聖書のハバクク書2章18~20節の朗読で始まります。

彫刻師の刻んだ彫像や鋳像/また、偽りを教える者が何の役に立つのか。口の利けない偶像を造り/造った者がそれに依り頼んでも/何の役に立つのか。災いだ、木に向かって「目を覚ませ」と言い/物言わぬ石に向かって「起きよ」と言う者は。それが託宣を下しうるのか。見よ、これは金と銀をかぶせたもので/その中に命の息は全くない。しかし、主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。(新共同訳聖書)
元田師は、人の手で作られた偶像を虚しく拝む人々の愚かさを指摘し、聖なる神殿においてこそ、全能である神がおられるという、預言者ハバククの預言を紹介し、今なお、偽りの偶像に寄り頼もうとする人々の多い時代にあって、真に全能の神をお入れするべき一大神殿がここに完成したことを宣言します。同時に、元田師には、旧約聖書列王記上8章に記された、エルサレム神殿が完成した際のソロモン王の祈り、「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません」の言葉が思い起こされていたことでしょう。

元田師は、天であってもお入れすることができない、偉大なる無限の神をお入れすることなど、如何に壮麗な聖堂であってもできるものではない。だが主は、二人または三人がみ名によって集まり、神を賛美し祈りを献げる時に、そこにおられることを約束して下さった。この聖別された礼拝堂は、主を拝み、み言葉を聴き、聖奠を行なう目的をもって人々が集まる場所であるがゆえに、栄光の王、万軍の主なる神はここにおられるのであると続けました。さらに、学術を研究する大学の校舎と、体躯を鍛錬する体育館と、精神を滋養し霊性を陶治する礼拝堂の三角の配置に言及し、知育の校舎と、体育の会館、そして霊育の場としての礼拝堂をもって、この三種の教育が青年たちの円満なる発達を為さしむることの重要性を述べます。しかしその中にあって霊性の教育こそが、真に人間の精神を革新し、其の人格を改造する力があることを明確に強調します。また、彼のキリスト教理解に基づいて、神と人間の関係を論じつつ、ここに集う若者たちが修養に努めることを願う言葉で説教は閉じられています。

竣工後間もないチャペルの内観/THE SPIRIT OF MISSIONS 1920年9月号

前述の『スピリット・オブ・ミッションズ』は、礼拝堂聖別の様子をさらに詳細に記しています。

「礼拝堂は大学の他の建物と調和を保ち、煉瓦で堅固に造られ、石材で仕上げられています。内部は長方形で、非常に簡素ですが、その簡素さの中に威厳を漂わせています。高い羽目板と会衆席は樫の木で作られています。聖歌隊席と内陣の家具も同じ木からなり、説教壇と聖書朗読台は美しい彫刻が施されています。祭壇と装飾壁は日本の純粋な白大理石で、赤い煉瓦壁および暗色仕上げの木材と強烈なコントラストをなしており、たちどころに目を引き寄せられます。素晴らしいエステイのオルガンがあり、礼拝に大きく寄与することでしょう。

聖公会建設基金からの500ドルの助成を除けば、この礼拝堂はニューヨークの女性伝道補助会の寄付金によって建てられました。内陣仕切りはシカゴ教区のR・B・グレゴリー氏を記念したものです。その他の家具もニューヨークの友人たちを記念して作られました。オルガンは故ジョン・マキム主教夫人を記念しています。ですから、礼拝堂はまさしく諸聖徒礼拝堂と名付けられているのです。」(All Saints’Memorial Chapel)

戦後の礼拝の様子(1947年5月26日)/米国国立公文書館所蔵

こうした喜びと希望に満ちた聖別式でした。しかし誰もが3年半後の関東大震災を想定しておりませんでした。築地にあった中学校校舎は全焼、池袋の大学校舎も被害甚大でした。「神への信仰のほかはすべて失われた」、このマキム監督の打電に揺り動かされた米国聖公会は、多大な復興支援を決意、チャペルは他よりも修復が遅れましたが、1925年11月7日、修復感謝礼拝が行われました。その礼拝で、大学チャプレン山懸雄杜三は、「立教の3兄弟」と題して、図書館、体育館、チャペルそれぞれが「智育」「体育」「徳育」を象徴すると語り、さらにチャペルは「立教の心臓である」との言葉を紹介しつつ、3兄弟の協力一致の麗しさで結んでいます。

また翌年5月5日に行われた中学校落成式の挨拶で、ライフスナイダー総理は、「本校の教育は元来三の要点に着目して居る。即ち、体育、智育、霊育である。健全なる精神は健全なる身体に宿る。されど本校教育の眼目点は霊育にある。即ち基督教主義によれる人格教育である」と述べています。こうした霊育としてのチャペルの捉え方は、先の元田校長の視点の展開とも言えます。その後のチャペルは、多くの学生の霊育の場となり今日に至ります。

まさにここにおいて立教精神が具現化してきたと言えます。

この間、礼拝堂は修復、改修工事も行われてきました。23年前には外壁のレンガの補修、外観修復工事、私にとり印象深いのは21年前の免振工事です。耐震のため床下の大きな支柱が建物を支えています。また6年前には新しいオルガンも設置され、礼拝がより豊かなものとされています。

この礼拝堂が果たすべき役割への期待は、100年を経た今も変わることがありません。あるいは、困難の多いこれからの時代を生き、新しい世界を創り担っていく学生たちにとって、このチャペルの果たすべき役割は、ますます重要なものとなっていると言えるのではないかと思わされます。

現在も日本聖公会各教会で活躍されている多くの方々、すでに天上にあって今日の日を共に感謝している多くの教友を覚えます。祈りと賛美が満ち溢れた空間であり、レンガの奥深くその息吹がしみ込んでいるでしょう。

戦時下の体験を含め、様々な困難を乗り切った歩みは、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を」生み出してきました。

立教の使命は、神の愛と真理に基づく共同体形成にあるといえます。この原動力としてチャペルが存在します。聖書は「イエス・キリストは、きのうも今日もまた永遠に変わることのない方です」(ヘブライ人への手紙)と語ります。その変わることのないお方が、共にいてくださるという確信を深め、喜びを持って人々に主イエスの福音、真理の道を伝えていきましょう。またそうした原動力としての場として、神の恵みに満たされた場として、今後も用いられていくことを願います。

「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです」(詩編84:11)。



※本記事は『CHAPEL NEWS』第610号(2020年1月号)をもとに再構成したものです。

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