2003年度立教大学アメリカ研究所主催 公開シンポジウム

アメリカの報道写真

キャパ・ヴェトナム・9.11

立教大学アメリカ研究所は、本年12月20日に、写真家の石川文洋氏、共立女子大学の生井英考教授、立教大学の服部孝章教授をお迎えして、「アメリカの報道写真~キャパ・ヴェトナム・9.11~」と題した公開シンポジウムを開催します。20世紀のアメリカ社会を様々な側面から切り取り世界に伝えたロバート・キャパを始めとする写真家集団マグナムや、アメリカ社会がメディアを通して戦場を体験したヴェトナム戦争、さらには記憶に新しい2001年9月11日に発生した同時多発テロ事件やそれ以降のアメリカにおける戦争報道写真。これらを題材として取り上げるこのシンポジウムでは、従軍記者としてヴェトナム戦争を経験し、現在はフォト・ジャーナリストとして活躍する写真家の石川文洋氏と、ヴェトナム戦争の文化表象をめぐる著作をもち、主に映像史とアメリカ研究を専門とされている生井英考氏、そして放送制度やマスメディア法、さらには人権と報道をめぐる諸問題の研究をされている服部孝章氏のそれぞれによる講演と、三氏による議論を展開していただきます。講演後には質疑応答もおこないます。どうぞふるってご参加ください。

参加費は無料、予約も不要です。

  

      
日時: 2003年12月20日(土)15:00-18:00
場所: 立教大学池袋キャンパス8号館8202教室
パネリスト: 石川 文洋(写真家)
生井 英考(共立女子大学教授)
服部 孝章(立教大学教授)
司会: 三浦 雅弘(立教大学教授、アメリカ研究所所長)

主催:

立教大学アメリカ研究所

お問い合せ:

phone 03-3985-2633
e-mail ramins@rikkyo.ac.jp

報告

 カメラマンの石川文洋氏は、ヴェトナム戦争に従軍した体験を基に、さまざまなエピソードや戦争観を紹介した。例えばヴェトナム報道と他の戦争報道の大きな違いとして、ジャーナリストが最前線まで行き、さらに長期滞在していたことを挙げ、またそこで出会った様々な戦場カメラマンの報道に対する取り組み方や、「ヴェトナム戦争はアメリカの侵略である」というヴェトナム戦争観を披露した。そして現在と当時のフォト・ジャーナリズムを比較することで、昨今の写真週刊誌が抱えている問題点を指摘し、今も健在である写真の「記録性」という機能に価値を見出した。        石川文洋氏
 生井英考氏は、9月11日事件後のWTCを撮影した美術写真家ジョエル・マイェロウィッツ(Joel Meyerowitz)の写真を紹介していく中で、美術写真プロジェクトがプロパガンダの一翼を担うという形を示しただけでなく、それらの写真が「美的」なるものとして観者を現実から遠ざけると言う作用にも言及した。また、今の記憶を歴史として後生の世代に残していかなければならず、その時の非常に強力な装置・道具として写真が使われていると指摘した。そして最後に9.11後の大衆文化の動きにも触れ、その動きが様々な形で出ていきながらその歴史と記憶を織りなし、写真のような映像が組み込まれて特定の意味を構成すると論じた。         生井英考氏
 服部孝章氏は、報道写真・映像の歴史的変遷を論じる過程で、現在はジャーナリズムが戦争と切っても切れない関係になっており、戦争が始まるともうメディアはその中に組み込まれていると指摘した。また、90年代にビル・ゲイツが6500万枚の写真を買い取り、文化遺産を独り占めしたという商業主義の影を紹介し、報道写真と著作権という問題に対し、正面から向き合う必要性を訴え、今後写真をどう残していくのかという問題を提起した。        服部孝章氏
   広河隆一氏 会場には、フォト・ジャーナリストの広河隆一氏も駆けつけてくださいました。2004年3月20日にフォト・ジャーナリズム雑誌『DAYS JAPAN』を創刊する予定であり、その責任編集を務めている広河氏は、「戦争」という言葉はまやかしであり、実際は爆弾を落とす側とその下にいる民衆の側という構図がほとんどで、二つの軍隊が対等にぶつかり合うような戦争には出会ったことがない、と過去の「戦争」の例から振り返られました。しかしメディアが取り上げるのは戦争を仕掛ける側にとって快い写真であり、その民衆=被害者の写真、映像はほとんど外に出ないという問題を指摘して下さいました。
討論・質疑応答 三氏による講演後は、アメリカ研究所所長の三浦雅弘が司会を務め、討論と質疑応答が行われました。そこで石川氏は、いくら多くの写真家が戦場などで写真を撮っても、それを載せるメディアがなければその効果は発揮されないとし、フォト・ジャーナリストにとってのメディアの重要性を強調されました。また質疑応答では、現在のイラク戦争に対する考えや、写真を撮る側と撮られる側の関係などについて、活発な議論が行われました。

当日は、学内外からの学生を中心に教員、研究者など約230名の参加者を得て、会場は熱気に包まれました。この場を借りて、講演者および参加者の皆様方に感謝の意をお伝え申し上げます。

奥村理央

立教大学アメリカ研究所

参加者の声

 石川さんのお話を聞いて、報道写真の歴史におけるヴェトナム戦争の存在・位置というものが見えた気がします。戦地におもむく写真家はどういう心境なんだろう、ということはよく考えることであるし、石川さんのお話を聞いても完全に納得できない部分はありますが、戦地での写真を見るとやはりインパクトがあり、訴えかけるものを感じます。写真家という仕事は、戦場の様子を伝えるという大きな意味がありますが、個人的には写った人を写真を見た人にとってその戦争の主役にするという印象を受けています。その写真に写った人とその回りの状況を想い、戦争の重要なワンシーンを思い浮かべるきっかけをくれるのが戦争写真だと思います。 

立教大学社会学部現代文化学科

 「知る」ことの大切さを踏まえた上で、「知る」ための一つの手段としての、今、メディアに支配されている報道写真を保護する必要性を今日のシンポジウムを通じて感じました。何回も何回も繰り返しに報道される写真ほど怪しいというように、メディアが人々の考えを操るためにあらかじめに作ってある枠をとっぱらって、報道カメラマンたちの人生や考え方が込められている写真を通じて、人々は、もっと自分たちで自由に感じ、独自の考え方をもつべきだと思いました。

立教大学法学部

 戦争に関するメディアについて興味を持っていますので、本日のお話は大変興味深く伺いました。ジャーナリストと主観の問題、テクノロジーの進歩やデジタル化にともなって、そこに表れてくる記憶やnarrativeの問題など、幅広い話題をカバーしておられ、とても参考になりました。今日でも、ほぼ毎日のように戦争のニュースが流れますが、受け手側の責任として、写真を「読む」という行為をしていきたいと思います。

筑波大学大学院人文社会科学研究科

 石川さんの実際にベトナム戦争を経験した上でのお話を聞くことができ良かったです(かねてから戦場に向かうカメラマンの心境、あえて自分の命を危険にさらすということ、に関心があったため)。「人生を模索する」中で撮られた写真だからこそ、見る人の心に伝える力があるのではないか、と思いました。生井先生の話にもあった報道写真と美術写真の境界の曖昧さと、そこに入り込んでくる政治的意図とのバランスは、本当に難しいと思いました。そして、それらの写真を見て、私たち一人一人、とくに現場から遠く離れている人々がどうそれらの写真を読み解くことができるのか・・・まだまだこれからも考えていきたいと思います。

立教大学法学研究科政治学専攻2年

 石川文洋さんのお話の中にあった「最近は戦争現地写真をメディアが買って掲載してくれない」ということや、服部孝章さんの「ビル・ゲイツの写真保存問題」については、写真が人々に訴える力の流動性と何を誰に伝えるべきなのかということについて深く考えさせられました。また、生井英考さんの講義を通して、映像技術の発展とその発展した技術を使って何をするのか(カメラで何を撮り伝えるのか、「美」と「解釈」の問題など)をエノラゲイ展示問題と合わせて考えさせられました。

日本女子大学大学院 アメリカ研究

 時間の経過と共に変化していく記憶を留める為の“写真”ですら記憶の変化と同じく時代に合わせて違った別の見方で見られているのではないか。“真実”を後世に伝えることは可能なのだろうかと考えずにはいられませんでした。

立教大学法学部

アンケートへのご協力、ありがとうございました。



 運営:立教大学アメリカ研究所