2020/04/30 (THU)
共生研センター メール・インタビュー(2)
立教大学共生社会研究センター・高木恒一センター長
はじめに
連休明けに緊急事態宣言が解除される見通しが、だんだんと薄くなってきたように思えます。先週から開始したこのメールインタビュー、じつは市民活動の当事者だけではなく、センターの利用者である研究者の方にもお願いしております。センターの運営委員も全員研究者で、考えてみると、ウェブサイトに運営委員の氏名・所属は掲載しているものの、運営委員一人一人がどんな研究をして、どんな思いでセンターやその所蔵資料と関わっているのか、ということをセンターとしてあまり発信して来なかったように思います。
というわけで、まずは高木恒一センター長(立教大学社会学部教授)にメールで質問を投げかけてみました!
以下に、そのお返事を全文掲載いたします。
というわけで、まずは高木恒一センター長(立教大学社会学部教授)にメールで質問を投げかけてみました!
以下に、そのお返事を全文掲載いたします。
メール・インタビュー 高木恒一・共生社会研究センター長 ー 小さな声に、新しい社会への希望を探す
- まず、先生の研究テーマについて教えてください。また、いまいちばん関心を持っていることは何ですか?
専門は都市社会学で、都市の社会-空間構造、住宅政策を中心とした都市政策、都市の市民活動などを研究しています。近年は、都市の政治過程のなかで作られた都市の社会-空間構造のなかで、市民がどのように活動し、問題状況に取り組んでいるのかに関心を持っています。
- 先生が「研究の道に入ろう」と決めたきっかけは何ですか?
学部卒業後、出版社に入社して月刊誌の編集をしていました。この際に会社員が自分に向いていないことが骨身に染みたというのがひとつ。もうひとつは取材のなかで郊外住宅地を回っていて、何か不思議なものを感じて、この感じがなんなのかを知りたいと思ったこと。どちらの理由が大きかったのかはご想像にお任せします。
- うーん。想像してしまいますね(笑)。「研究者になる」と決めてからの道のりはどうだったのでしょう?。
出版社を退職して、東京都立大学大学院に入りました。目黒区八雲のキャンパスの最後の経験者です。博士課程2年次のときに縁あって東京市政調査会(現・後藤安田記念東京都市研究所)研究員になりました。その後は札幌国際大学、愛国学園大学を経て2002年に立教大学に着任して、現在に至ります。
- 研究には様々な資料を使われると思いますが、いつもどんな資料や素材を用いて研究を組み立てておいででしょうか?
都市政策研究については自治体の行政資料を、また市民活動については当事者の発言や手記などを使うことが多いです。資料に書かれた「事実」を重視するのはもちろんですが、その背景にある事実認識の方向性に注意を払うようにしています。
- それでは、センターとの関わりについて、少しお話していただけますか?
私は埼玉大学教養学部出身です。センター資料は埼玉大学から立教大学に移管されたのですが、たまたまその話が出た時に立教の総長室のスタッフとなっていて、ちょうど良いということで担当になったのが最初です。その後センター設立時にセンター長となりました。3期6年センター長を務め、その後2018-19年は副センター長となり、2020年に再びセンター長を仰せつかっています。
- センター設立以来、ずっとセンター運営に関わってこられたと。では逆に、利用者としての関わりについてお伺いしたいのですが、センター所蔵資料、あるいは広く社会運動の記録との出会いや、そうした資料を用いたこれまでのお仕事などについて、教えていただけますか?
ここまでの話からもわかると思いますが、「センター長になったことで資料や記録と初めて向き合った」というのが正直なところです。ただ、一目惚れというか、ハマったというか、こんなに面白い世界が広がっているんだ、と思いました(いまでもこの思いは続いています)。センターの資料に出会う以前に触れていた一次資料はもっぱら行政文書だったので、まったく違う世界に飛び込んだ形です。
- センター所蔵資料に限らず、アーカイブズ資料を大学での教育に使ったご経験があれば、そのご経験について教えてください(使い方、学生さんの反応など)。また、「今後使ってみたい」というご希望があれば、どんな風に使おうとお考えか、お伺いしたいのですが。
2011年の東日本大震災の後2年ほど、震災・原発被害の資料をゼミで読むとともに当事者へのインタビューを実施しました。また、その後は練馬母親連絡会の資料を使ったこともあります。学生たちはそれなりの驚きをもって資料を読みヒアリングをするのですが、いかんせん現代史の基礎知識がなく、十分に理解がすすまなかったというのが反省点です。学生に、現代史を学びつつ、資料と学びとを結びつけながら、生きた歴史を学ぶことの意義を感じてもらえるような使い方ができればいいなと思っています。
- 現在、新型コロナウィルス感染拡大の影響で、様々な機関が所蔵する資料へのアクセスが制限されています。センターも閉館を余儀なくされていますが、そうした状況で、今後をどう考えていくべきか、まずはセンター長としてのお考えをお聞かせください。
アーカイブズ機関としては、利用者もスタッフもナマの資料に触れられないことがツラいと思っています。この状況がいつまで続くのかはわかりませんが、現時点では目録の整備など、できることを粛々と続け、開館できる日を待つしかありません。こうした状況を前提に、開館したらすぐ資料に出会えるよう、スタッフにはこの間もレファレンス対応はするようにお願いしています。
- 現在の社会状況、そしてコロナ以降の社会について、何かお考えがあれば教えてください。
地面が揺れたり、ビルが倒れたり、原発が暴発したわけではなく、風景は日常のままなのに、社会が大きく揺らいでいます。私はこうした状況を前に立ちすくみ、言葉を失っています。まずは感染者の増大を恐れ、アベノマスクに呆れ、医療崩壊を嘆き、市民が声をあげることで少しでも状況が良くなっていることに喜び……日々のこうしたみずからの感覚をまずは大切にしていきたいと思っています。
思い出すのは2011年東日本大震災・福島第一原発事故の後のことです。このときもまた、私は言葉を失っていました。そのなかでセンターに送られてくるミニコミがたくさんの小さな声を伝えてくれました。センターのニューズレター「PRISM」2号(2012年)で、私は次のように書きました。
いま、新型コロナ感染問題のなかで起きている困難に取り組む市民の活動があり、そのことを記録する言葉がセンターに集まってくるはずです。藤原辰史氏はこの状況のなかで「重心の低い知こそが、私たちの苦悶を言語化し、行動の理由を説明する手助けになる」と指摘しています(藤原辰史「人文知を軽んじた失政」『朝日新聞』2020.4.26朝刊)。重心を下げ、小さな声に耳を傾けることで、何が起きたのか、何が変わったのか、市民がそれにどのように向き合ったのかを理解し、そこから新しい社会の希望を探したいと思います。
(以上、メールへの回答(2020年4月28日)を一部編集して掲載)
専門は都市社会学で、都市の社会-空間構造、住宅政策を中心とした都市政策、都市の市民活動などを研究しています。近年は、都市の政治過程のなかで作られた都市の社会-空間構造のなかで、市民がどのように活動し、問題状況に取り組んでいるのかに関心を持っています。
- 先生が「研究の道に入ろう」と決めたきっかけは何ですか?
学部卒業後、出版社に入社して月刊誌の編集をしていました。この際に会社員が自分に向いていないことが骨身に染みたというのがひとつ。もうひとつは取材のなかで郊外住宅地を回っていて、何か不思議なものを感じて、この感じがなんなのかを知りたいと思ったこと。どちらの理由が大きかったのかはご想像にお任せします。
- うーん。想像してしまいますね(笑)。「研究者になる」と決めてからの道のりはどうだったのでしょう?。
出版社を退職して、東京都立大学大学院に入りました。目黒区八雲のキャンパスの最後の経験者です。博士課程2年次のときに縁あって東京市政調査会(現・後藤安田記念東京都市研究所)研究員になりました。その後は札幌国際大学、愛国学園大学を経て2002年に立教大学に着任して、現在に至ります。
- 研究には様々な資料を使われると思いますが、いつもどんな資料や素材を用いて研究を組み立てておいででしょうか?
都市政策研究については自治体の行政資料を、また市民活動については当事者の発言や手記などを使うことが多いです。資料に書かれた「事実」を重視するのはもちろんですが、その背景にある事実認識の方向性に注意を払うようにしています。
- それでは、センターとの関わりについて、少しお話していただけますか?
私は埼玉大学教養学部出身です。センター資料は埼玉大学から立教大学に移管されたのですが、たまたまその話が出た時に立教の総長室のスタッフとなっていて、ちょうど良いということで担当になったのが最初です。その後センター設立時にセンター長となりました。3期6年センター長を務め、その後2018-19年は副センター長となり、2020年に再びセンター長を仰せつかっています。
- センター設立以来、ずっとセンター運営に関わってこられたと。では逆に、利用者としての関わりについてお伺いしたいのですが、センター所蔵資料、あるいは広く社会運動の記録との出会いや、そうした資料を用いたこれまでのお仕事などについて、教えていただけますか?
ここまでの話からもわかると思いますが、「センター長になったことで資料や記録と初めて向き合った」というのが正直なところです。ただ、一目惚れというか、ハマったというか、こんなに面白い世界が広がっているんだ、と思いました(いまでもこの思いは続いています)。センターの資料に出会う以前に触れていた一次資料はもっぱら行政文書だったので、まったく違う世界に飛び込んだ形です。
- センター所蔵資料に限らず、アーカイブズ資料を大学での教育に使ったご経験があれば、そのご経験について教えてください(使い方、学生さんの反応など)。また、「今後使ってみたい」というご希望があれば、どんな風に使おうとお考えか、お伺いしたいのですが。
2011年の東日本大震災の後2年ほど、震災・原発被害の資料をゼミで読むとともに当事者へのインタビューを実施しました。また、その後は練馬母親連絡会の資料を使ったこともあります。学生たちはそれなりの驚きをもって資料を読みヒアリングをするのですが、いかんせん現代史の基礎知識がなく、十分に理解がすすまなかったというのが反省点です。学生に、現代史を学びつつ、資料と学びとを結びつけながら、生きた歴史を学ぶことの意義を感じてもらえるような使い方ができればいいなと思っています。
- 現在、新型コロナウィルス感染拡大の影響で、様々な機関が所蔵する資料へのアクセスが制限されています。センターも閉館を余儀なくされていますが、そうした状況で、今後をどう考えていくべきか、まずはセンター長としてのお考えをお聞かせください。
アーカイブズ機関としては、利用者もスタッフもナマの資料に触れられないことがツラいと思っています。この状況がいつまで続くのかはわかりませんが、現時点では目録の整備など、できることを粛々と続け、開館できる日を待つしかありません。こうした状況を前提に、開館したらすぐ資料に出会えるよう、スタッフにはこの間もレファレンス対応はするようにお願いしています。
- 現在の社会状況、そしてコロナ以降の社会について、何かお考えがあれば教えてください。
地面が揺れたり、ビルが倒れたり、原発が暴発したわけではなく、風景は日常のままなのに、社会が大きく揺らいでいます。私はこうした状況を前に立ちすくみ、言葉を失っています。まずは感染者の増大を恐れ、アベノマスクに呆れ、医療崩壊を嘆き、市民が声をあげることで少しでも状況が良くなっていることに喜び……日々のこうしたみずからの感覚をまずは大切にしていきたいと思っています。
思い出すのは2011年東日本大震災・福島第一原発事故の後のことです。このときもまた、私は言葉を失っていました。そのなかでセンターに送られてくるミニコミがたくさんの小さな声を伝えてくれました。センターのニューズレター「PRISM」2号(2012年)で、私は次のように書きました。
センターではご寄贈いただいているミニコミ誌のなかから震災・原発災害に関わる記事をピックアップし、 そのリストをホームページで公開しています。これらの記事を少しでも読めば、マスコミが、いかにわずかなことしか伝えてないかがよくわかります。「弱者」の視点からの問題提起、長年の取り組みに根ざした原発問題への発言、国内外からの支援と復興への提言など、さまざまな声がセンターに集まる資料から涌き出しています。
いま、新型コロナ感染問題のなかで起きている困難に取り組む市民の活動があり、そのことを記録する言葉がセンターに集まってくるはずです。藤原辰史氏はこの状況のなかで「重心の低い知こそが、私たちの苦悶を言語化し、行動の理由を説明する手助けになる」と指摘しています(藤原辰史「人文知を軽んじた失政」『朝日新聞』2020.4.26朝刊)。重心を下げ、小さな声に耳を傾けることで、何が起きたのか、何が変わったのか、市民がそれにどのように向き合ったのかを理解し、そこから新しい社会の希望を探したいと思います。
(以上、メールへの回答(2020年4月28日)を一部編集して掲載)
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