2020/02/28 (FRI)
【資料紹介】「埼玉ベ平連」資料の概要と整理② 市民活動資料整理の醍醐味はこれだ!
立教大学共生社会研究センター ボランティアスタッフ 小野田美都江
「『埼玉ベ平連』資料の概要と整理 ①」では埼玉ベ平連の概要をみてきました。②では埼玉ベ平連資料群の整理について報告します。
埼玉ベ平連資料は所有者の東一邦さんから2回に分けて埼玉大学共生社会教育研究センターに寄贈されたものです。1997年~1998年頃に受け入れた資料は、埼玉大学によって運動体の活動内容別に整理が実施されました。次に2006年頃に受け入れた資料群があり、これらが整理を待つ状態でした。すなわち、埼玉ベ平連資料群は、「第1回受け入れ分(整理済み資料)」と「第2回受け入れ分(未整理資料)」の状態で、当センターに移管されました。
資料の形態と内容、そして、刊行年代は次のようなものです。
《形態》
■ファイル、ビラ類、ポスター、ミニコミ、記事スクラップ,歌詞カード等から構成される。
■わら半紙のガリ切りのビラが多く、劣化が激しい。
■チケット、領収書類等、細かい紙片が封入されている資料がある。
■新聞スクラップは切り取った状態で順不同、あるいは、新聞紙ごと保存で対象記事不明のものもある。
《内容》
■埼玉ベ平連や関連団体、友好団体の多岐にわたる活動(平和運動、朝霞自衛隊反対運動、ロックコンサート、保育所等)や選挙運動の記録。
《資料の年代》
資料の核となるのは、結成時(1967年頃)から1970年代。
では次に、どんな資料があるのかご紹介いたしましょう!
「『埼玉ベ平連』資料の概要と整理 ①」では埼玉ベ平連の概要をみてきました。②では埼玉ベ平連資料群の整理について報告します。
埼玉ベ平連資料は所有者の東一邦さんから2回に分けて埼玉大学共生社会教育研究センターに寄贈されたものです。1997年~1998年頃に受け入れた資料は、埼玉大学によって運動体の活動内容別に整理が実施されました。次に2006年頃に受け入れた資料群があり、これらが整理を待つ状態でした。すなわち、埼玉ベ平連資料群は、「第1回受け入れ分(整理済み資料)」と「第2回受け入れ分(未整理資料)」の状態で、当センターに移管されました。
資料の形態と内容、そして、刊行年代は次のようなものです。
《形態》
■ファイル、ビラ類、ポスター、ミニコミ、記事スクラップ,歌詞カード等から構成される。
■わら半紙のガリ切りのビラが多く、劣化が激しい。
■チケット、領収書類等、細かい紙片が封入されている資料がある。
■新聞スクラップは切り取った状態で順不同、あるいは、新聞紙ごと保存で対象記事不明のものもある。
《内容》
■埼玉ベ平連や関連団体、友好団体の多岐にわたる活動(平和運動、朝霞自衛隊反対運動、ロックコンサート、保育所等)や選挙運動の記録。
《資料の年代》
資料の核となるのは、結成時(1967年頃)から1970年代。
では次に、どんな資料があるのかご紹介いたしましょう!
1968年 機関紙『埼玉ベ平連ニュース』

1969年 ロックイベント「黒く塗れ!」のビラ

ロックコンサートの開催から、1970年のウラワ・ロックンロール・センター(URC)結成につながります。
1971年 『浦和市民新聞』0号 市民の手による市民の新聞を創る

先に書きましたが、1975年から埼玉ベ平連は浦和市民連合と名称を変更します。朝霞自衛隊観閲式反対デモはその後も1995年まで継続されますが、80年代以降になるとビラのような形式の資料は少なくなります。
今回整理した埼玉ベ平連の活動資料の特徴は大きく2つにまとめることができます。第1には、その活動が多岐にわたっていることもあり、資料のテーマも多様な領域に広がっていることです。さらに、資料の並び方には規則性がなく、テーマと資料の発行年は混在して保存された状態でした。アーカイブズ整理の原則として「出所原則」「原秩序尊重の原則」がありますが、今回の資料整理では、特に、「原秩序尊重の原則」を維持することに難しさを感じました。この特徴を生かした上で、同時に、資料を使いたい人が、目的に沿って、できるだけ速やかに欲しい資料にたどり着けるようにすることも担保したいと思いました。
特徴の2つ目は、選挙運動および市議会・県議会活動の記録としての側面をもつことです。埼玉ベ平連は1971年の浦和市議会議員選挙に小沢遼子代表を擁立し、トップ当選を果たしました。以後、市会議員を3期、県会議員を1期務め、議会活動報告などを刊行していきます。小沢代表が2期目に当選した翌々日に埼玉ベ平連は浦和市民連合と改称し、より地域住民運動へのシフトが強まったこともあり、市民活動と選挙運動や議会活動報告関係については、可能なかぎり分けることにした方がよいと思いました。
以上を鑑み、アーキビストと相談しながら、独りよがりにならないように留意しつつ、できる限り保管状態に資料相互の関連性を見出してグループ(群,かたまり)で捉えるために、下記の整理方針を立てました。
1.資料間に相互の関連性がみえ、グループが把握できる状態の資料は、順番を崩さずにかたまりの状態を維持した上で抜き出す
2.抜き出した資料群は、先に整理されている「ファイル」の内容を参考にしながら並べていく
3.残った資料は「バラ資料群」として,フォルダーとファイルリスト上に明記する
4.「バラ資料群」は先に抜き出しておいた資料群(2で整理された資料群)の主題と近い位置に配列する
5.ファイルリストの内容を,できるだけ詳しく記述することで、どのような資料かをわかりやすくする
最終的には下記のような状態で埼玉ベ平連資料の整理が完了しました。共同保育所の設立や市民新聞を発行するに至るまでの議事録など、運動が始まる地点をみることができる資料も含まれています。年代順や活動団体別というはっきりとした境界で全体が整理されているわけではありませんが、活動を調査・研究する際のアプローチがみえやすくなったと利用される方に感じていただけたら嬉しいです。
今回整理した埼玉ベ平連の活動資料の特徴は大きく2つにまとめることができます。第1には、その活動が多岐にわたっていることもあり、資料のテーマも多様な領域に広がっていることです。さらに、資料の並び方には規則性がなく、テーマと資料の発行年は混在して保存された状態でした。アーカイブズ整理の原則として「出所原則」「原秩序尊重の原則」がありますが、今回の資料整理では、特に、「原秩序尊重の原則」を維持することに難しさを感じました。この特徴を生かした上で、同時に、資料を使いたい人が、目的に沿って、できるだけ速やかに欲しい資料にたどり着けるようにすることも担保したいと思いました。
特徴の2つ目は、選挙運動および市議会・県議会活動の記録としての側面をもつことです。埼玉ベ平連は1971年の浦和市議会議員選挙に小沢遼子代表を擁立し、トップ当選を果たしました。以後、市会議員を3期、県会議員を1期務め、議会活動報告などを刊行していきます。小沢代表が2期目に当選した翌々日に埼玉ベ平連は浦和市民連合と改称し、より地域住民運動へのシフトが強まったこともあり、市民活動と選挙運動や議会活動報告関係については、可能なかぎり分けることにした方がよいと思いました。
以上を鑑み、アーキビストと相談しながら、独りよがりにならないように留意しつつ、できる限り保管状態に資料相互の関連性を見出してグループ(群,かたまり)で捉えるために、下記の整理方針を立てました。
1.資料間に相互の関連性がみえ、グループが把握できる状態の資料は、順番を崩さずにかたまりの状態を維持した上で抜き出す
2.抜き出した資料群は、先に整理されている「ファイル」の内容を参考にしながら並べていく
3.残った資料は「バラ資料群」として,フォルダーとファイルリスト上に明記する
4.「バラ資料群」は先に抜き出しておいた資料群(2で整理された資料群)の主題と近い位置に配列する
5.ファイルリストの内容を,できるだけ詳しく記述することで、どのような資料かをわかりやすくする
最終的には下記のような状態で埼玉ベ平連資料の整理が完了しました。共同保育所の設立や市民新聞を発行するに至るまでの議事録など、運動が始まる地点をみることができる資料も含まれています。年代順や活動団体別というはっきりとした境界で全体が整理されているわけではありませんが、活動を調査・研究する際のアプローチがみえやすくなったと利用される方に感じていただけたら嬉しいです。

整理された埼玉ベ平連資料
埼玉ベ平連の活動は、世界的な反戦平和をスローガンとしてもつ運動であり、かつ、ある特定エリアの課題解決を図る市民運動でもありました。高校生や大学生が中心となった反戦平和運動体が、自治体の議会政治にも切り込んでいく勢いも感じられます。この活動はどのような運動課題を見出し、どのような社会との折り合いと未来への希望を包摂していたのでしょうか。さらに、ロックコンサートや焼失する結果になったスナック「シタデル」、共同保育所「子どもシタデル」などは、まちの中に庶民が自由に集まって議論を交わす場として定義される「サードプレイス」(オルデンバーグ 2013)を思い浮かべます。また、運動に参加した若者たちはその後、どのような道に散らばっていったのでしょうか。埼玉ベ平連が浦和市民連合と名を変えて以降、活動の継承を当時の社会的背景を鑑みつつ、掘り下げていくことに興味が尽きません。戦後から現在における日本の社会運動において、何がどう継承され、また、喪失していったのかを解明するための、貴重な資料だと言うことができます。
最後にとても残念なお知らせを記せねばなりません。貴重な資料を寄贈してくださった東一邦さんは、2019年12月7日に亡くなられました。埼玉べ平連の活動の中核を担った東さんには、ぜひお話を伺いたいと思っていました。資料を整理しつつ、埼玉ベ平連の全体像には迫り切れなかった思いが残ります。資料と共に語りの記録が加わることで、アーカイブズが重層的に伝わったはずだったと思うと、機会を逸してしまったことが悔やまれます。ご冥福をお祈り申し上げます。
参考文献:
ベ平連, 1974a『ベ平連ニュース縮刷版』ベ平連.
ベ平連, 1974b『資料・「ベ平連」運動 下巻』ベ平連.
オルデンバーグ, レイ, 2013『サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』みすず書房.
最後にとても残念なお知らせを記せねばなりません。貴重な資料を寄贈してくださった東一邦さんは、2019年12月7日に亡くなられました。埼玉べ平連の活動の中核を担った東さんには、ぜひお話を伺いたいと思っていました。資料を整理しつつ、埼玉ベ平連の全体像には迫り切れなかった思いが残ります。資料と共に語りの記録が加わることで、アーカイブズが重層的に伝わったはずだったと思うと、機会を逸してしまったことが悔やまれます。ご冥福をお祈り申し上げます。
参考文献:
ベ平連, 1974a『ベ平連ニュース縮刷版』ベ平連.
ベ平連, 1974b『資料・「ベ平連」運動 下巻』ベ平連.
オルデンバーグ, レイ, 2013『サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』みすず書房.
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