2018/03/11 (SUN)

問いはいまも突き付けられている —— 7年目の3.11に ——

キーワード:社会・地域連携

OBJECTIVE.

東日本大震災から7年が経ちました。復興庁発行の『東日本大震災からの復興の状況と取組』(2018年1月)に記された、死者19,533名(災害関連死を含む)、行方不明者2,585名、住家被害(全壊)121,768戸(2017年3月8日現在)という数字を見ると、想像を絶する被害にいまも呆然となります。改めて犠牲となられた方々への哀悼の意を表するとともに、ご遺族の方々に心からお悔やみを申し上げます。

この7年間に、避難者数は発災直後の約47万人から約8万人まで減少したとのことです。困難な復興作業にあたられている皆さまの努力に敬意を表するとともに、なお避難生活を余儀なくされている8万人の方々が、1日も早く平穏な日常に戻られることをお祈りいたします。

震災の記憶の風化ということがしばしば言われます。しかし、2011年3月11日の大地震と津波、そしてそれに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故は、いまでも私たちの心に深く刻み込まれています。あの日、いつもの日常の中で突然起こった地震で東京の交通機関は麻痺し、立教大学の池袋キャンパスは、水と食糧、そして暖と休息を求める人々で溢れました。テレビに映し出された巨大津波、原子力発電所の爆発の映像は見た時の感情と共に目に焼き付いています。繰り返される余震、通信の不全や正確な情報の入手困難、目に見えない放射性物質。私たちはそれぞれの場所で、それぞれの3.11とそれに続く日々を経験しました。

それら私たち一人一人の経験は、被災地の惨状と被災された方々の避難生活の苦難へと思いを至らせる想像力の要でもあるのです。

東日本大震災と原発事故は、文字通り私たちの日常生活の基盤そのものをつき崩しました。 近代文明は自然を人間のコントロールの下に置き、そこから多くの便益を引き出す技術を発達させてきました。しかしそれが果たして私たちを幸福な未来へと導くのか。人間は自然にどこまで手を付けてよいのか。3.11はその根本的疑問と不安を露わにしました。

記憶の風化と呼ばれるものは、記憶そのものが薄れることであるよりも、自らの記憶・経験に向き合う意志の弱体化を示してるように思われます。あの出来事は一体なんだったのか。この問いに答える知性の力を私たちは鍛え続けなければなりません。立教大学が岩手大学と陸前高田市と共に設置した「陸前高田グローバルキャンパス」は、まさにそのためにつくられたのです。

この3月に大学を卒業していく学生たちの多くは7年前の春、中学校の卒業式や高校の入学式に中止や延期等の影響があった学年に属します。15の春に震災を経験し、いま晴れて社会に出て行く青年たちを心から祝福いたします。

2018年3月11日
立教大学総長  吉岡知哉