OBJECTIVE.
2011年3月11日の東日本大震災と、それに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故災害から5年が経過しました。復興庁の調べでは今年2月の時点でなお17万4千人の人々が避難生活を送っているとのことですが、被災地では復興のための懸命の努力が続けられており、今年1月に訪れた陸前高田市では、かさ上げ工事のために使われたベルトコンベアもほぼ撤去されていました。
陸前高田市を訪問したのは、市と岩手大学と立教大学の三者間で、「地域創生・人材育成等の推進に関する相互協力及び連携協定」を締結するためでした。
立教大学は2003年から陸前高田市の矢作町生出地区で課外教育プログラム「林業体験」を展開しており、学生・教職員と地元の人々との交流がなされていました。交流を始めて9年目を迎える年に東日本大震災が起こり、それ以来陸前高田市に重点的な支援を続けてきました。2012年には連携・交流協定を締結しています。
この間、私たちは具体的な支援活動に参加することが、いかに生きた想像力を養い、他者の目で自分と世界の有り様を見る力を育てるかを実感してきました。昨年発表した「「RIKKYO VISION 2024」」に、「陸前高田サテライトキャンパス」の開設を掲げたのは、陸前高田の人々とのこのような交流の経験を踏まえてのことです。陸前高田市や岩手大学等との協力関係のもと、今後も、海外からの留学生も含め、持続的な交流を続けていきます。
一方で、5年という時間は、福島第一原子力発電所という「中心点」が見えにくくなっていく過程でもありました。現場の人々の必死の努力によって一定の安定状態が続いているようですが、なお地下水の汚染は続き、廃炉への道は困難を極めています。
大学は問いを発する存在です。一時期はすべて停止していた他の原子力発電所が徐々に稼働を始めるなかにあって、私たちは端的に、「3.11とは何であったのか、何であり続けているのか」と問い続けなければなりません。
私たちは2011年3月11日の出来事を忘れることはない。それは、私たちが3.11によって剥き出しになった世界に生きており、その現実を抜きにして、自分が何者であるかを問うことができないからです。被災した人々は忘れたくても忘れることのできない苦しみや悲しみを背負いながら歩みを進めています。私たちは、現実を忘れないことによってのみ、彼らと共に、今この時間を生きることができるのです。
立教大学は持続的な支援活動を通じて、未来に続く道を拓いていきます。
立教大学は2003年から陸前高田市の矢作町生出地区で課外教育プログラム「林業体験」を展開しており、学生・教職員と地元の人々との交流がなされていました。交流を始めて9年目を迎える年に東日本大震災が起こり、それ以来陸前高田市に重点的な支援を続けてきました。2012年には連携・交流協定を締結しています。
この間、私たちは具体的な支援活動に参加することが、いかに生きた想像力を養い、他者の目で自分と世界の有り様を見る力を育てるかを実感してきました。昨年発表した「「RIKKYO VISION 2024」」に、「陸前高田サテライトキャンパス」の開設を掲げたのは、陸前高田の人々とのこのような交流の経験を踏まえてのことです。陸前高田市や岩手大学等との協力関係のもと、今後も、海外からの留学生も含め、持続的な交流を続けていきます。
一方で、5年という時間は、福島第一原子力発電所という「中心点」が見えにくくなっていく過程でもありました。現場の人々の必死の努力によって一定の安定状態が続いているようですが、なお地下水の汚染は続き、廃炉への道は困難を極めています。
大学は問いを発する存在です。一時期はすべて停止していた他の原子力発電所が徐々に稼働を始めるなかにあって、私たちは端的に、「3.11とは何であったのか、何であり続けているのか」と問い続けなければなりません。
私たちは2011年3月11日の出来事を忘れることはない。それは、私たちが3.11によって剥き出しになった世界に生きており、その現実を抜きにして、自分が何者であるかを問うことができないからです。被災した人々は忘れたくても忘れることのできない苦しみや悲しみを背負いながら歩みを進めています。私たちは、現実を忘れないことによってのみ、彼らと共に、今この時間を生きることができるのです。
立教大学は持続的な支援活動を通じて、未来に続く道を拓いていきます。
2016年3月11日
立教大学総長 吉岡知哉
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