過去のニュース共生社会研究センター

2018.11.28 ミニ・ワークショップ「ビラを歌おう!」開催報告
2018-11-30 
平野 泉(共生社会研究センター アーキビスト)

2018年11月28日(水)午後2時から、共生社会研究センター閲覧室で、おそらく本邦初のミニ・ワークショップ、「ビラで歌おう!」を開催しました。開催したといっても参加者は開催側を含めて5名。とにかく社会運動のビラを1人1人真剣に読んで、そこからわきあがった思いを共有して、それを詩にしてみんなで歌おう!という企画です。

実施を可能としたのは、立教大学兼任講師である佐藤壮広さん(宗教人類学)の存在です。研究者であり表現者でもある佐藤さんは、大学の授業でも学生の思いを詩にし、歌に紡ぐ実践をされています(佐藤 壮広, 河東 仁, 坂無 淳(2016)大学教育におけるファシリテーション(3)アウトプット(作品化)の事例を中心に. コミュニティ福祉学部紀要 18:75-91, http://doi.org/10.14992/00011976)。

というわけで、当日は参加者にゆるゆると自己紹介していただいたあと、事前にセレクトした大分・臼杵の大阪セメント工場建設反対運動(1970年)と1980年代後半の反原発運動のビラ8点をまず眺めてもらいました。その中から、「ぐっときた」「引っかかった」「なぜか気になる」ものを1点選んでじっくり読んで、心に浮かんだことを思うままに紙に書いてもらいました。それを手がかりに、読後感を語り合い、そこから感じたことを詩にしていきます。

たった一枚のビラを読むことから、これほどいろいろな感情が自分の中にわいてくるのか!と思うほどいろいろ感じてしまいましたので、歌うために少ない文字数に言葉を圧縮していくのは、予想外に難しい。それでもなんとか佐藤さんの絶妙なサポートで、「ふるさと」(うーさーぎーおーいし♪、というあれです)をテンプレートとして、言葉をリズムとメロディーに乗せていきました。
最後はそれを全員で合唱しましたが、写真を撮るのを忘れるくらい盛り上がったので、写真がありません….。

というわけで、不思議なことにビラをじっくり読んでギターに合わせて歌うと、自分が街頭でビラを配っている人になったような気持ちになるのがわかりました。ただ読んで、内容を理解するというのではなく、書かれたものにこめられている感情が、自分の中に入ってくるような印象です。

「ただ読むだけでなく、歌にすることで、ビラを通して「伝える」ということ—誰に、何を伝えたいのか、どうすれば伝えられるのか—ということをより深く感じ、考えるようになるのでは」と佐藤さん。今回は小さな集まりでしたが、ぜひもう一度、工夫を加えて(でも工夫し過ぎずに)やってみたいと考えています。

ワークショップ前半、ビラを読んでいるところ。まだこのころは冷静でした。

2018.07.19 公開講演会『青空のもとで生きる権利—千葉川鉄公害訴訟一審判決から30年』を開催しました!
平野 泉(共生社会研究センター・アーキビスト)

春学期も終わりに近づいた7月14日の土曜日、センターは、開設60周年を記念する社会学部と共同で公開講演会『青空のもとで生きる権利—千葉川鉄公害訴訟一審判決から30年』を開催しました。

1975年、川崎製鉄千葉製鉄所の排煙に苦しむ人々が起こした裁判。その裁判で原告側弁護団の事務局長を務め、センターに裁判資料一式をご寄贈下さった弁護士の高橋勲先生をお招きし、「生きる権利」を求めてたたかった人々の「人間ドラマ」を語っていただきました。公害訴訟の難しさや患者さんたちの苦悩。医師・弁護士・教員・研究者・ジャーナリストなどざまざまな立場で裁判を支えた人たち。高橋先生のお話からは、患者さん一人一人の苦しみへの共感と、ともにたたかった仲間への連帯の気持ちがあふれ出してくるようで、力強い声で語られる言葉がずしんと胸に響きました。

四日市公害訴訟の勝訴(1972年)を背景に立ち上がった千葉の人たちのあとに、西淀川、川崎、倉敷・水島、尼崎、名古屋南部の人たちが続々と訴訟を起します。トップを切る以上は負けられない。その千葉の訴訟を、苦しみを共にする全国の仲間が「我がことのように支えてくれた」のであり、訴訟に参加した誰もが「人生をかけて、人生を織り込んでたたかった」のだと先生は話してくださいました。

その西淀川で公害経験の継承や地域再生に取り組む公益財団法人公害地域再生センター(あおぞら財団)の林美帆さんのお話は、「公害裁判資料が伝えたいこと」がテーマ。千葉川鉄訴訟が「公害冬の時代」を突破して勝訴・和解したことが、他の訴訟にとって大きな励みになったこと、そして被害者・支援者が地域を超えて連帯したことの意義を語ってくださいました。これらの裁判の資料は、被害者側だけではなく加害者側の主張が含まれており、公害という現象の体系的理解を助け、市民の様々な活動の証拠となる重要な資料です。そうした「公害裁判の記録と思いを授業にどういかせるのかの模索」についてお話ししてくださったのが、明治大学等で非常勤講師をされている岩松真紀さんです。「環境問題と社会教育」「生涯学習概論」などの授業の中で、主として東京大気汚染公害訴訟の映像資料などを使い、公害を「終わったものとして暗記する」のではなく、「今に続くことがら」として考えられるようになることを目指されています。しかし週1回90分の授業の枠で、公害裁判の資料をナマのまま活用することは難しい。岩松さんもその効果を実感されたという、 あおぞら財団が作成したアクティブラーニング教材のように、使いやすく学びやすい教材をみんなで考えていく必要がありそうです。

講演後のディスカッションでは、千葉や倉敷で公害裁判をたたかった当事者のみなさんのご発言が印象に残りました。「裁判が終わっても公害はなくなったわけではない」「環境基準があればまだしも、基準のない粉じんなどについては、ずっと残っている」「環境基準があれば被害が出ないなら、訴訟はいらない」—やはり公害は、終わっていないのです。そのことをもっと多くの人に伝えるためにも、あおぞら財団やセンターが所蔵する裁判資料にはもっと活躍してもらわなければなりません。また、そうした過去の運動の記憶を伝えることは「今、たたかっている人にも励ましになる」(高橋先生)し、運動側も「社会を変えた成功事例」としてもっとアピールしてもいい(林美帆さん)!というお話で、なんだかとてもセンタースタッフとしては元気が出たのでした。

高橋先生、林さん、岩松さん、ほんとうにありがとうございました。
ところで、講演会から4日たった7月18日(水)、ダムと水・環境の問題にずっと取り組んでいる女性たちがセンターに来てくださいました。もちろん裁判をやっていて、どこも同じような話です。相手が国(国土交通省)だとなかなか勝訴は難しいそうなのですが、裁判で原告側の専門家が主張したことが、最近の大規模な水害などで実証される事態になっている—というような話を伺っていて、「そうだ!」と思い、あおぞら財団のみなさんが独立行政法人環境再生保全機構の事業で作成・運営している 「記録で見る大気汚染と裁判」 をご紹介したところ、「これいいね!」「ダムでもこういうのできないかしら?」と大いに関心を持ってくださった模様。
2016.12.14 鶴見良行文庫デジタルアーカイブを更新しました
アジアを歩き、人びとと出会い、バナナやナマコの語らぬ声に耳をかたむけた鶴見良行さん。立教大学共生社会研究センターでは、鶴見さんの蔵書と写真、そしてフィールドノートやカードを含む個人文書の一部を「鶴見良行文庫」として所蔵・公開しています。 このたび、蔵書の書誌データ、写真のデジタル画像とメタデータ、そして『鶴見良行著作集』(全12巻、みすず書房、1998~2004年)各巻末に掲載された索引データを横断検索できるシステム、「鶴見良行文庫デジタルアーカイブ」を全面的に更新・公開しました。
今回の更新でもっとも大きく変わった点は、デジタル化がすんだ写真のうち、ウェブ上で公開可能な画像およそ35,000枚が閲覧可能となったことです。現時点では検索用のキーワードが付与されていない画像もあり、キーワード検索機能にはご満足いただけないかもしれません。しかし、撮影地・撮影時期・アルバムごとにブラウズする機能などをご活用いただければ、旅のアルバムに貼られた写真を一枚一枚眺めるように、写真を閲覧することもできます。ぜひお試しください。また、キーワードについても、修正・充実のための作業を続けていく予定です。 ぜひ、アジアを知るために、鶴見さんの歩みをたどるために、その他さまざまな調査・研究のために、このデータベースをお役立てください。また検索でヒットした蔵書や写真を実際にご利用になりたい場合は、共生社会研究センター(電話:03-3985-4457、E-mail:kyousei@rikkyo.ac.jp)までご連絡ください。 今回の更新作業にあたっては、鶴見良行文庫委員会、そして鶴見さんの旅仲間・研究仲間の方からの寛大なご寄付・ご支援をいただきました。ありがとうございました。また、さくさく検索できるデータベース、そしてユーザーフレンドリーなインターフェイスをデザインして下さった、システムエンジニアの小山田力さん(NCC株式会社)、ウェブサイト制作者の山本和美さん(フリーハンド)にも、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
2016.06.01 立教大学共生社会研究センター公開講演会のお知らせ(2016年7月9日)
「母親」たちはなぜ動いたのか?— 学生と語る 1970-90年代の練馬母親連絡会

母親運動は戦後日本における社会運動の一つとして、特に1950年代に始まる原水爆禁止運動との関連で注目されてきました。共生社会研究センターでは「母親」たちの運動に関する資料である「練馬母親連絡会資料」を所蔵していますが、練馬母親連絡会による運動の特徴の一つは、単に1950年代だけでなく、1990年代に至るまで、平和運動とともに、教育・福祉・環境・消費などの幅広い分野で活動が続けられており、主に区政や都政に対して影響を与えようとした点にあります。
この講演会では、練馬母親連絡会に関してこれまで関係者とともに研究をされてきた 山嵜雅子氏、そして母親連絡会の方たちの、女性・市民としての活動の姿を学ぶことによって、自治体職員・社会教育専門職員として女性たちの自立へ向けた学習(社会教育)のあり方を考え続けてきた野々村恵子氏のお二人にお話を伺います。また、歴史史料として「練馬母親連絡会資料」を読んでいる文学部史学科の学生も学びの成果を報告し、講師のお二人には、学生たちの疑問点・論点にこたえる形で、「母親」たちの運動から見た地域社会や区、都、政府の政策について、美濃部都政が続いた1970年代から、保守政治と消費社会化が進む1980・90年代を中心に語っていただきます。

参加予約等は不要です。ふるってご参加ください。

日時
2016年7月9日(土)15:00~18:00(14:30開場)

場所
立教大学池袋キャンパス 14号館 D 301教室
*キャンパスマップでご確認ください。

講師
山嵜雅子さん (練馬女性史を拓く会・立教大学兼任講師)
野々村恵子さん (練馬女性史を拓く会)

テーマ
「母親」たちはなぜ動いたのか?—学生と語る 1970-90年代の練馬母親連絡会

参加申し込み
申し込みは不要、どなたでもご自由にご参加いただけます。

問い合わせ先
立教大学共生社会研究センター
電話:03-3985-4457 FAX:03-3985-4458
E-mail:kyousei@rikkyo.ac.jp
2016.05.31 センター広報誌『PRISM』No.8をDSpaceにアップしました
共生社会研究センター広報誌『PRISM』No.8(2016年5月10日発行)の発送もぶじ終了。ようやくPDF版をDSpaceにアップしました。

http://hdl.handle.net/11008/1343

今号は「ミニコミ」や「ZINE」をめぐる記事でゆるくまとめてみました。お楽しみください。
2016.04.22 浜岡原子力発電所関連資料を公開しました
平野泉(アーキビスト、立教大学共生社会研究センター)

センターではこのたび、浜岡原子力発電所に関する資料群を公開することになりました。

この資料群は、ある個人の寄贈者(お名前は非公開)から2009年以降断続的に寄贈を受けたもので、これまで寄贈者との話合いにより、資料の作成日から30-40年程度を基準として順次公開する方針となっていました。ところが2015年3月にセンターが現在の場所に移転するまでは、資料を配架するスペースがなかったことから、移転後の4月以降、ようやく内容のチェックと公開に向けた取り組みに着手することができました。

ただ、福島原発の事故以来、原発をめぐる状況は流動的であり、どこまで何を公開するかは難しい問題でした。しかし資料群全体の量からして、請求に応じて個々の資料を精査し、その一部を黒塗りしたりするのも、センターの人員配置を考えると現実的なやり方とは思えませんでした。そこで、寄贈者の方とセンターとで協議を重ねた末、利用を希望する方には特別な手続きを用意し、その手続きを経れば、条件付きながら最大限の資料をご利用いただけるという仕組みで、公開に踏み切ることにしました。まずはこの場を借りて、お名前は出せませんが、貴重な資料をファイルし、残してくださった資料群の作成者、そして公開のためにご尽力いただいた寄贈者の方に、心から御礼を申し上げます。

利用のための手続き

この資料群を利用するための手続きは、共生社会研究センター資料公開方針に基づくものです。
ご利用を希望される方は、まず下記2種類の書類にご記入いただき、センターにご提出ください。
書類提出先は以下の通りです。

郵送先:171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1 立教大学共生社会研究センター
お急ぎの場合は、記入・印刷後自筆でご署名いただいたものをPDFにし、kyousei@rikkyo.ac.jpあてに送信してください。その後、原本を上記住所宛てご郵送ください。
また、この件に関するお問い合わせはE-mail:kyousei@rikkyo.ac.jp、またはお電話(月~金、9:00~17:00)センター事務室 03-3985-4457 または 閲覧室 03-3985-4034までお願いいたします。

資料群の概要

本資料群の概要は、以下の通りです。
資料作成年月日
全体:1961~2014年 主要:1967~1999年
記述レベル
フォンド(資料群全体)
数量
約16m(ファイル単位で約723点)
出所・作成
寄贈者名非公開
範囲と内容
この資料群に含まれるのは、ファイル、封筒詰め資料、カセットテープ、写真、書簡、新聞・雑誌の切り抜きなどが中心で、その他に書籍や雑誌がある。内容としては、浜岡原子力発電所佐倉地区対策協議会(以下、佐対協)、佐倉サービスセンターなど佐倉地区や浜岡原発と関連のあった組織、あるいは原子力発電や議会といった主題に関わって作成、受領または収集された文書が多い。中でも、佐対協関連文書はこの資料群の柱の一つである。佐対協とは、中部電力(以下、中電)の要望により、浜岡町(現、御前崎市)が佐倉地区に原子力発電所の建設を承認したのをうけ、1968(昭和43)年8月17日に成立した組織である。発足してまもなく、原子力発電所の建設に協力する地元住民のために、佐倉地区の開発等を計画し遂行するよう浜岡町に要望書を出し、それが中電にも伝えられ、それを前提に建設が始められた。組織としては、財産区管理委員、町議会議員、地主などから選ばれた代表から構成されていた。以後、中電は、電力確保などを理由として、2号機から5号機まで原発を増設するに至るが、その都度、佐対協は、中電、浜岡町、佐倉地区の住民の間で交渉や要求など色々な役割を果たした。佐対協は現在もなお存続している。
シリーズ分類
シリーズ1 ファイル(テーマ別分類)1967~2007(主要:1967~99) 
シリーズ2 封筒(テーマ別分類) 1961~2014(主要:1974~93) 
シリーズ3 【完全非公開】日記・手帳類 1967~1991 
シリーズ4 【完全非公開】音声資料 1981~1986, 1999 
シリーズ5 写真 1968~1991 
シリーズ6 その他 1967~1994, 2010~2012 
シリーズ7 刊行物(書籍、雑誌など) 1967~2012 
利用条件
本資料群はすべて要審査資料であり、閲覧には所定の手続きが必要になる。詳しくは、ウェブサイトをご覧になるかまたはスタッフに問い合わせていただきたい。その中でもいくつかの資料については、完全非公開である。完全非公開に該当するのは、「シリーズ1:ファイル」内の資料番号11-068~075、11-195、11-285~298;「シリーズ2:封筒」内の資料番号21-051、21-052、21-072;「シリーズ3:日記・手帳類」全て;「シリーズ4:音声資料」全て;「シリーズ6:その他」内の資料番号61-002~004である。

現在、資料の保存箱への入れ換え作業を実施中であり、作業が済んでいない資料については、Box番号の項目に「作業中」と記されているが、これらも完全非公開でない限りは請求できる。
複写条件
複写は許可しない。
備考
記述日:2016/3/16
記述者:橋本陽
記述の状態:完了
記述規則:アーカイブズの記述に関する国際基準、ISAD(G)第2版
参考資料:
・御前崎市編『浜岡町史 通史編』御前崎市、2011年
・竹内康人『浜岡・反原発の民衆史』社会評論社、2014年
・浜岡町史編さん委員会『浜岡町史資料編別冊四 証言集町民が語る近現代の歩み』御前崎市、2005年