2025/10/16 (THU)

詩人 尹東柱の記念碑除幕式を挙行
〜没後80年の節目に池袋キャンパスに設置~

キーワード:その他

OBJECTIVE.

10月11日、立教大学は、韓国の国民的詩人である尹東柱(ユン・ドンジュ、1917〜1945年)の記念碑を池袋キャンパス内に設置し、除幕式を挙行しました。当日は、ご遺族代表である尹仁石(ユン・インソク)様をはじめ、ゆかりの深い延世大学校の尹東燮(ユン・ドンソプ)総長、同志社大学の小原克博学長、そして駐日韓国大使の李赫(イ・ヒョク)閣下など、韓日両国から多くの関係者約40人が出席し、詩人がかつて学んだキャンパスでの記念碑完成を祝いました。

前列左から李赫駐日韓国大使、尹仁石様、尹東燮延世大学校総長、小原克博同志社大学学長、西原廉太立教大学総長。後列左から田知珉さん、金英美様(尹仁石様夫人)、工藤志乃さん、福田裕昭立教学院理事長

尹東柱は、1945年に逝去した後、韓国において抒情詩人、民族詩人、抵抗詩人として広く知られ、その人生観や世界観は日本を含む世界各国で高く評価されています。本学は、没後80年という節目の2025年に、尹東柱の精神を後世に語り継ぐための記念碑を池袋キャンパスに設置しました。
尹東柱は、1942年4月から同年10月まで本学に在籍していました。在学期間は短期間ではありましたが、代表作の一つである『たやすく書かれた詩』を含む5篇の詩を、ユリの紋章が入った立教大学の便箋に書き残しています。
記念碑設置の目的は、本学とゆかりの深い尹東柱の存在を介して国境を超えた大学間のつながりを実感すること、そして、全ての学生たちが、尹東柱の詩と生き様に触れ、歴史を学び、これからの時代を開いてくれることを強く願うものです。

西原廉太立教大学総長

尹仁石様

除幕式では、西原廉太立教大学総長が、尹東柱が没後80年を経てキャンパスに帰還したことへの深い感慨を述べ、「尹東柱の平和、生命に対する教えを継続して伝えていく」という決意を表明しました。さらに、この記念碑が教育の場として活用されることの重要性を強調し、「日韓の学生が、名前と名前を呼び合い、顔と顔を合わせる友好の橋を作ることができるように願う」と力を込めました。

ご遺族代表の尹仁石様(尹東柱の甥)は、この記念碑に託す未来への思いとして、「この碑に刻まれた詩を読む全ての方が、伯父の志と記念碑を建てた方々の願いを共に感じてほしい」と、若い世代へ平和の精神を継承することへの希望を語りました。

尹東燮延世大学校総長

李赫駐日韓国大使

小原克博同志社大学学長

また、尹東柱が学んだ三大学(延世大学校、立教大学、同志社大学)の連携も強調され、韓国の延世大学校の尹東燮総長は、純粋さ、自由、平和を愛する尹東柱の精神を、三大学が共同で継承し、将来の世代に伝えていくことの誓いを述べました。駐日韓国大使の李赫閣下は、この記念碑が尹東柱の文学と生涯を記念する存在を超え、日韓両国の理解、協力、そして文化・人的交流の架け橋となることへの希望を表明しました。さらに、同志社大学の小原克博学長は、今回の立教大学での記念碑設置が、尹東柱が学んだ大学間の連帯を強める意義について言及しました。

詩を朗読する田知珉さんと工藤志乃さん

一連の挨拶に続き、立教大学異文化コミュニケーション学部4年次生の工藤志乃さんと田知珉(チョン・ジミン)さんの2人が、記念碑にも刻まれた代表作『たやすく書かれた詩』を日韓二つの言語で交互に朗読しました。この朗読は、尹東柱が残した遺志が若い世代に強く伝わることを願う、象徴的な機会となりました。

設置された尹東柱記念碑

本記念碑は、立教大学池袋キャンパス内の太刀川記念館とライフスナイダー館をつなぐ通路沿いに設置されています。本体の形状・サイズは、横100cm × 高さ50cm × 奥行25cmほどで、材質は御影石(本体)とステンレス(銘板)で構成され、銘板には、尹東柱の写真、自署署名、立教大学との関係の説明、そして代表作である『たやすく書かれた詩』のハングル原文と日本語訳が刻まれています。

これまで尹東柱の詩碑や記念碑は、立教大学の後に学んだ同志社大学のある京都や、逝去した地である福岡に設置されてきましたが、東京に記念碑が設置されたのは今回が初めてです。
立教大学は、この記念碑を建学の精神に基づく教育を展開していく上での思想的土台の一つとして活用し、今後も尹東柱が詩を通して希求した自由、平和、そして人間の尊厳を守るための精神を、未来に向けて継承していくことに尽力してまいります。

尹東柱の生涯

1917年に当時の中華民国の北間島で生まれた尹東柱は、韓国にある延世大学校の前身である延禧専門学校に通っていましたが、1942年に日本に渡り、立教大学および同志社大学で学びました。同志社大在学中に治安維持法違反の疑いで逮捕され、1944年に懲役2年の刑が確定。1945年2月16日に福岡刑務所で獄死しました。

「立教大学と尹東柱」

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