2022/09/05 (MON)プレスリリース

世紀の謎「カーリングはなぜ曲がるか」を精密観測で解明

キーワード:研究活動

OBJECTIVE.

立教大学(東京都豊島区、総長:西原廉太)の村田次郎理学部教授は、カーリング競技で用いられるカーリング石が「反時計回りに回転させると、進行方向に向かって左側に曲がっていくのはなぜか」という、98年間にわたって科学者の間で真っ向から対立する仮説に基づく議論が繰り広げられてきた「世紀の謎」を、精密な画像解析によって実験的に解決することに初めて成功しました。

私たちの4次元時空を超える5次元以上の「余剰次元」の探索実験の為に開発した画像処理型変位計測技術を応用する事で、ミクロン精度でカーリング石の運動を精密観測した結果、中心からずれた点での摩擦支点を中心に石の重心が振られる、旋廻現象によって偏向が起きる事、そして速さが遅いほど摩擦が強まるという、通常は一定と考える動摩擦係数が実際には速度依存性を持つ性質により、氷に対する速さが異なる左側と右側とで、非対称な頻度で旋廻が生じると考える事が偏向の原因として最も合理的である事をデータに基づいて明らかにしました。

この研究成果はSpringer-Nature社のScientific Reports誌に9月3日付で掲載されました。

論文情報


研究概要

図1:カーリング石の軌道の例。反時計回り回転で、進行方向に対して左曲がりする。前後非対称説は、後ろ側での摩擦が前より強い事が原因とする考え方。

冬季オリンピックのカーリング競技を見ていて、曲がる方向に違和感をもつ人が少なくないのではないでしょうか。これは、氷と石が一番擦れる部分が進行方向の前側だと思うと、反時計回り回転の石は反作用としての摩擦力を受けて右側に曲がっていくはずだと直観的には予想する事からくる違和感です(図1)。この謎は早くも1924年には学術誌で問題提起され、以来、様々な仮説を巡ってNature誌上等で激しい議論が交わされてきた世紀の謎なのです。最初に提案されたのが「左右非対称説」で、速さの異なる右側と左側とでは摩擦力が違うせいだというものです(図2)。速い方が摩擦熱で氷が溶けて摩擦が弱まるからです。これに対し、実際のカーリング石は下面に作られた細いリング状の接触面で氷と接しますが、摩擦は実は前面ではなく何らかの理由により後ろ側の方が強いせいだという「前後非対称説」、そして石の下面の突起が氷面に引っかかって振られる「旋廻説」(図3)など、お互いに正面から矛盾する様々な仮説が乱立してきました。物理学の観察対象としては極めて単純であり、用いられる学術的知識も高校から大学1年生で学ぶ初歩的な力学だけであるにも拘らず、これほど解明が難航してきた理由は仮説を判定するに足る十分に精密な実験データが技術的に得られなかった為であると考えられます。

本研究では村田教授が立教大学で進めている、4次元以上の高次元空間を探す目的のもとミクロンスケールで万有引力の法則を検証する実験の為に開発した、画像処理型変位計という特許技術を応用してカーリング石の振る舞いを世界で初めてミクロン単位で計測しました。データに基づく議論を行う為です。観測は1998年の長野オリンピックが行われた軽井沢風越公園の、軽井沢アイスパークで行いました。用いた機器はコンパクトデジカメと三脚のみというシンプルな計測ながら、村田教授が一人で投げて観測した122回のショット全ての運動の精密データを得る事に成功しました。その結果カーリング石の下面が、氷と歯車の様に嚙み合って旋廻する現象等が観測され、また、速さが遅くなるほど動摩擦係数が大きくなるという性質を精密に実測する事が出来、これが旋廻を引き起こす摩擦支点の形成される確率が左右で異なる原因となる事を明らかにしました。これらの発見により、動摩擦係数の速度依存性により、左右非対称に旋廻の中心が形成される事がこの謎の答えと考える事が最も合理的である事が実験的に判明しました。また、旋廻中心の位置の分布を調べる事により、前後非対称説が主張するのとは逆に、摩擦は直観通りに後ろよりも前の方が強いという事も確認できました。単に動きを観察しただけでなく、進行方向の動きと自転のエネルギー、角運動量が保存している事も確認し、正しく物理現象を観測したという信憑性が高い事も確認出来ました。

図2:本研究で行ったカーリング石の軌跡解析。軌跡と共に回転の様子も捉える事が出来た。左右非対称説は、氷に対する速度の違いから左右で摩擦力が異なる事が偏向の原因とする考え方。

図1はカーリング石の動きを示しています。直観に反して後ろ側の摩擦が強いはずであると主張する前後非対称説が提唱されたのは、図2に示す様に左右非対称説では摩擦力は左右の点で真後ろ方向にしかはたらかない為に、石の軌道を横方向に曲げる事が出来ないという考えからです。本研究では図2の様に石の運動をビデオ撮影して画像解析を行い、位置と角度を精密に観測しました。その結果、左側に形成された摩擦支点を中心とした旋廻の様子を克明に捉える事が出来ました。本研究の結論は図3に示されています。公開された論文で石の運動をSupplementary Videoとして動画で紹介しています。

図3:中心から離れた点での摩擦支点による旋廻が原因とする旋廻説。本研究の結論は左右非対称説と旋廻説を組み合わせたもの。

旋廻説は仮説というよりも力学の結果であり、偏向効果への貢献度は不明ながら、定性的にはそれ自身の正しさは議論の余地はありません。均質な表面同士の間の連続的な摩擦力を出発点に据えずに離散的な摩擦を考えるこの立場に、当初から唱えられてきた左右非対称性を付け加える事でカーリング石の偏向は自然に理解できるようになります。左右非対称説では軌道を横に曲げる事は出来ない、という主張が長年強い発言力をもってきましたが、これは高校の教科書通りの連続的な摩擦力に関する法則を議論の出発点に据えたためと考えられます。摩擦力は本来、多数回のミクロの衝突を平均化して問題を単純化し扱いやすくする処方箋であって、気体の温度や圧力等と同様に、意図的に情報量を削減したマクロで統計的な概念です。ミクロでは、運動する石は中心からずれた場所にあるわずかな突起などの一点が氷面に食い込んで制動、即ち摩擦支点の形成を行うと、それを中心に重心が旋廻を起こします。走っている人が左側の支柱を左手でつかめば、左に振られて曲がるのと同じ現象で、これはエネルギー保存則や角運動量保存則で理解する事が出来ます。摩擦現象をマクロに捉える場合には多数回のミクロな衝突は通常、左右対称な頻度で起きるため、それらの平均値としての摩擦力は左右方向の成分が相殺されて結果的に速度の逆向き成分だけが残ると考えます。但し、これはあくまで理想的な場合だけ有効であると考えるべきです。実際、カーリング石はガタガタという大きな騒音を引き起こしながら上下左右に振動を伴って運動しますが、これは摩擦が離散的に生じている事を象徴的に示しています。

本研究では、摩擦力は本来基礎的な概念ではなく、粗視化された二次的な統計量であると意識する事でこの問題の理解を進めることが出来ました。非保存力として知られる摩擦力の関与する現象では、力学的エネルギーが保存しない事になってしまう事もその様な一例です。この考え方はカーリングに留まらず、本来は便宜的に導入した概念をいつの間にか原理に格上げしてしまって混乱を引き起こす事になるという、科学でしばしば見られる過ちへの教訓となります。フレミングの左手の法則がパリティ対称性を破ってしまうという悩みも同根と言えます。カーリングが世紀の謎となって解決が異常に遅れた原因の多くは、ここにあると村田教授は考えています。

マクロな法則では出現しないはずの不可思議な現象が、ミクロな基礎を思い出す事で理解できるという考えは、希薄気体力学の分野で知られる「幽霊効果」という、流体力学の基礎方程式であるはずのナビエ・ストークス方程式に従わない現象がヒントになりました。村田教授はスポーツ科学ではなく素粒子・原子核と重力の物理学が専門ですが動摩擦係数の速度依存性は、放射線治療にも応用されるブラッグカーブと呼ばれる、放射線の物質中での振る舞いと酷似しています。また、旋廻に伴い角運動量の移行する現象は加速器を用いた原子核衝突実験における核スピン偏極現象が着想のきっかけになりました。この核スピン偏極を利用して村田教授がカナダのTRIUMF国立研究所で近年研究してきた時間反転対称性は、素粒子反応などのミクロの物理法則では基本的にほぼ成り立つ一方で、マクロでは有名なエントロピーの法則によって過去から未来へ向けての「時間の矢」が出現すると一般的には考えられていますが、万人が納得しているとは言い難いのが現状です。しかし、エントロピーはあくまでマクロな統計量であり、カーリングで得た普遍的な教訓がここでも考えを整理するのに今後役立つのではないかと村田教授は期待しています。

本研究では、連続的ではなく離散的に形成された摩擦支点の回りの旋廻が、左右非対称な頻度で生じる事からカーリング石の偏向は定性的に説明しうる事をデータに基づいて示しました。大学初年次までの物理学と高校数学の知識があれば全ての内容を理解出来る本論文がオープンアクセスであるだけでなく、摩擦のしくみや、カーリング運動のシミュレーションを試みたい研究者や学生には、今回、初めて精密に計測された運動のデータの提供が可能です。また、ブラシを使う事によって曲がり具合を制御しうる根拠や、点数を左右しうる、停止直前の偶発的な大きな旋廻のしくみなど、カーリングの競技者にも新たな視点を提供できるものと期待できます。

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