総長スピーチ集総長紹介

総長のスピーチやメッセージをご紹介します。

2024年度

新入生の皆さんへ(2024年度入学式(春季))
2024年4月3日、4日
立教大学総長 西原 廉太

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。立教大学は、みなさんと共に迎える春を心待ちにしておりました。あらためて、みなさんのご入学を心より祝福したいと思います。

立教大学は、1874年にアメリカの聖公会からの宣教師であったチャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が東京・築地に「立教学校」(St.Paul’s School)を創設してから、今年で150年を迎えました。みなさんは、立教学院創立150周年の記念の年に入学された特別な学年であることを、ぜひ覚えておいてください。

ウィリアムズ主教は、当時の「実利主義」や、知識、技術を物質的な繁栄と立身出世の道具とする日本の風潮とは明確な一線を画して、立教を「キリスト教に基づく真の人間教育を行う場」と位置づけました。それ以来、立教大学は、徹底して本物のリベラルアーツを大切にしてまいりました。その本質とは、人間が生きていく上で本当に必要な「智」、他者の痛みに共感し、共苦できる「感性」、世界史的、人類史的な「世界観」と「歴史認識」、多文化世界に生きることのできる「国際性」を身につけることにあります。

立教大学がこれからの4年間、全学をあげてみなさんに伝えていくのは、この本物のリベラルアーツです。リベラルアーツは単なる「教養」ではありません。最近は「ファスト教養」という言葉も聞かれるようになりました。「10分で分かる何々」といった、コスパ良く教養を得ようとするニーズは確かに高いようです。みなさんも何かを知りたいと思った時に、すぐにインターネットで検索されることがあると思います。決してそのことが悪いわけではありませんし、いわゆるChatGPTなどに代表される生成系AIなどをしっかりと使いこなす術もぜひ身につけていただきたいと思います。

しかしながら、言うまでもありませんが、インターネット上にはフェイク情報が溢れています。ChatGPTは自信満々に嘘をつくことがあります。私が、立教大学の学生となられたみなさんに求めたいことは、手っ取り早く知識を得ようとしたり、鵜呑みにしたりすることなく、自らオリジナルの資料、すなわち第一次資料や原書、原文にあたり、読み、確かめて欲しいということです。そのためには、必要な言語を修得し、異なる文化を理解する必要があります。日本にないものであれば、実際に海外にまで出かけていき、自分の目で確かめなければなりません。

立教大学には池袋キャンパスにも、新座キャンパスにも日本の大学の中でも有数の図書館があります。早朝から夜遅くまで開館しています。みなさんには、ぜひ立教大学の図書館をフルに活用していただきたいと願います。実際に本を手に取ることはもちろんですが、人類の知の集積である本に囲まれながら、さまざまなことを思い巡らすということもお勧めします。それはまさしく学生時代にしかできない贅沢な時間です。

みなさんはこの立教大学で本物のリベラルアーツを修得し、論理的思考力、課題発見力、未来社会の構想力を身につけてください。それは、みなさんが生涯にわたって学び続けるための土台作りでもあり、言い換えれば、みなさんが一生の間、持ち続ける人間としての芯を形作る学びであり、社会の大きな見取り図、羅針盤を自分の中に持つことです。いわゆる「常識」「定説」を疑い、「権威」を問い、相対化させること。「なぜ」と問いかける批判的精神を形成することでもあります。批判すること、批判されることを恐れず、真理とは何かにこだわり続けること。自己の存在を知り、他者の存在に気づき、人間を学び、世界を読み解くことです。

予測不可能と言われる今の時代、社会が最も求めるのは、まさしくこのような力と感性を持っている者たちであることは間違いありません。社会の複雑化とグローバル化による社会変化とは、実は価値を測る「物差し」が増えるということでもあります。固定化された一つの「物差し」では、もはや生きていくことはできない時代に、みなさんは突入しています。異なる価値観や考え方を理解するために、立教大学で、ぜひ、自分の中の「物差し」を増やしていってください。

さて、みなさんが今お持ちの式次第をご覧ください。そこには立教大学のシンボルマーク、校章が描かれています。真ん中に置かれている本は、聖書です。そして聖書の上に何か文字が書かれていますね。それはこういう言葉です。“Pro Deo et Patria”。これこそが立教大学の「建学の精神」を表す言葉です。“Pro Deo et Patria”とはラテン語で、Proは「~のため」、Deoは神、etは英語の“and”、Patriaは祖国や国という意味ですので、“Pro Deo et Patria”を直訳すると、「神と国のために」ということになります。しかしながらDeoには「普遍的な真理」、Patriaには、「隣人や社会、世界」という内容が含まれています。したがって、“Pro Deo et Patria”が示す本来的な内容とは、普遍的なる真理を探求し、この世界、社会、隣人のために働くこと、となるわけです。普遍的真理を探求し、この世界、社会のために働く者を育てることが、立教大学のまさに「ミッション」(使命)であることを、この建学の標語、“Pro Deo et Patria”は常に私たちに思い起こさせてくれるのです。この“Pro Deo et Patria“という言葉は、みなさんに与えられる「立教大学の学生証」にも刻まれています。

“Pro Deo”、普遍的なる真理を探求することとは、さきほど述べました「本物のリベラルアーツ」を究めることです。そして、“Pro Patria”、隣人、社会、世界に具体的に奉仕する者となるというのは、一人ひとりの「人間の尊厳」を大切にし、他者の痛みに敏感に共感できる者となることです。
この規範の本質について、みなさんにより知っていただくために、NPO法人日本語検定委員会主催で毎年行われる『日本語大賞』で、2014年に文部科学大臣賞・小学生の部を受賞した森田悠生君の作品「ぼくがいるよ」をご紹介したいと思います。


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「ぼくがいるよ」(千葉県富津市立富津小学校4年・森田悠生君)

お母さんが帰ってくる!一ヶ月近く入院生活を送っていたお母さんが戻ってくる。お母さんが退院する日、ぼくは友だちと遊ぶ約束もせず、寄り道もしないでいちもくさんに帰宅した。久しぶりに会うお母さんとたくさん話がしたかった。話したいことはたくさんあるんだ。帰宅すると、台所から香ばしいにおいがしてきた。ぼくの大好きなホットケーキのはちみつがけだ。台所にはお母さんが立っていた。少しやせたようだけど、思っていたよりも元気そうでぼくはとりあえず安心した。「おかえり」。いつものお母さんの声がその日だけは特別に聞こえた。そして、はちみつがたっぷりかかったホットケーキがとてもおいしかった。お母さんが入院する前と同じ日常がぼくの家庭にもどってきた。

お母さんの様子が以前とちがうことに気が付いたのはそれから数日経ってからのことだ。みそ汁の味が急にこくなったり、そうではなかったりしたのでぼくは何気なく「なんだか最近、みそ汁の味がヘン」と言ってしまった。すると、お母さんはとても困った顔をした。「実はね、手術をしてから味と匂いが全くないの。だから、料理の味付けがてきとうになっちゃって・・・」。お母さんは深いため息をついた。そう言われてみると最近のお母さんはあまり食事をしなくなった。作るおかずも特別な味付けが必要ないものばかりだ。

しだいにお母さんの手作りの料理が姿を消していった。かわりに近くのスーパーのお惣菜が食卓に並ぶようになった。そんな状況を見てぼくは一つの提案を思いついた。ぼくは料理が出来ないけれどお母さんの味は覚えている。だから、料理はお母さんがして味付けはぼくがする。共同で料理を作ることを思いついた。

「ぼくが味付けをするから、一緒に料理を作ろうよ」。ぼくからの提案にお母さんは少しおどろいていたけど、すぐに賛成してくれた。「では、ぶりの照り焼きに挑戦してみようか」。お母さんが言った。ぶりの照り焼きは家族の好物だ。フライパンで皮がパリッとするまでぶりを焼く。その後、レシピ通りに作ったタレを混ぜる。そこまではお母さんの仕事。タレを煮詰めて家族が好きな味に仕上げるのがぼくの仕事。だいぶ照りが出てきたところでタレの味を確かめる。「いつもの味だ」。ぼくがそう言うと久しぶりにお母さんに笑顔が戻った。その日からお母さんとぼくの共同作業が始まった。お父さんも時々加わった。ぼくは朝、一時間早起きをして一緒に食事を作るようになった。

お母さんは家族をあまり頼りにしないで一人でなんでもやってしまう。でもね、お母さん、ぼくがいるよ。ぼくはお母さんが思っているよりもずっとしっかりしている。だから、ぼくにもっと頼ってもいいよ。ぼくがいるよ。いつか、お母さんの病気が治ることを祈りながら心の中でそうくり返した。

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私たちが、当時小学4年生の森田悠生くんから学ぶことは、「ぼくがいるよ」ということの大切さです。“Pro Patria”、隣人、社会、世界に具体的に奉仕する者となること、一人ひとりの「人間の尊厳」を大切にすることの原点とは、生き辛さや、痛み、悲しみをかかえている人、居場所を見失った人に、私はあなたと共にいると告げることに他なりません。

立教大学の全教員、全職員は、みなさんの一人ひとりを、かけがえのない存在として、大切にいたします。そして、みなさんもまた、このような愛をもって、他者のために、他者と共に生き、その尊厳を限りなく尊ぶ者となっていただきたいと思います。

これからのみなさんの立教大学での学びと生活が豊かに恵まれたものとなりますよう、お祈りしつつ、訓示とさせていただきます。

2023年度

卒業生の皆さんへ(2023年度学位授与式(春季))
2024年3月23日、25日
立教大学総長 西原 廉太

学位を取得された皆さん、誠におめでとうございます。ご家族のみなさまにも、心からのお祝いを申し上げます。私は、今年の卒業式を特別な思いで迎えています。4年前、ちょうどみなさんが入学される直前に、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起こり、突然としてみなさんの日常は一変してしまいました。それからは、みなさんの生活と学びにも大変な負荷がかかり、言葉にもできないような苦労を、それぞれになさったと思います。思い描いておられていたキャンパスでの学びや生活も予定通りには進まず、見通しのない日々に涙なさったこともあったと思います。何よりも、みなさんには入学式も実施してあげることができず、急遽、授業もすべてオンラインとなりました。

1年後の4月に、入学式をできなかったみなさんのための「新2年生のための入学式」を、このタッカーホールで特別に挙行したことを、覚えておられるでしょうか。入学から1年経っていることもあり、それほど多くの参加者はいないのではないかとの声もありましたが、蓋を開けてみると、みなさん、おそらく1年前に着るために準備されていた黒のスーツで身を整えて、実に2年生の約9割、約3,600人のみなさんが、4回に分けた「新2年生のための入学式」に出席してくれたのです。

私は総長として訓示をさせていただきました。「2年次生となられたみなさんは、昨年春、大学での新生活が不自由で、先の見えない日々から幕開けました。みなさんそれぞれに、苦しく、辛い思いをされたと思います」と語ったところで、最前列に座っていた学生が、目を真っ赤にして涙を一生懸命拭っている姿が目に入り、私も思わず絶句してしまったことを、昨日のことのように記憶しています。

そして、今日、みなさんは卒業の日を迎えられました。言語に絶する困難の中にあっても、みなさんが立教生としての誇りを失うことなく、この立教大学で、学びと生活を全力でまっとうされたことを、私は、総長として心からの敬意を表するものです。みなさん、本当に良くがんばりました。同時に、この世界史的な出来事が起こったという時代の中で、みなさんがそれぞれの学位を授与されたことの、特別な意味をぜひとも思い巡らせていただければと願います。みなさんは、失ったものは大きかったけれども、しかしながら、与えられたものも限りないと信じています。

私がこの間に学んだことは、私たちは誰しもが、<災害と災害との間>、すなわち「災間」を生きる存在なのだ、ということです。私たちの歴史を振り返っても、震災や戦争、疫病といった災害は絶え間なく起こり続けています。地震や台風といった人間の力では防ぐことが叶わない自然災害、天災と、戦争などの、本来、絶対に起してはならない人災の間には、その質に決定的な違いがあるものの、一人ひとりの貴い命や尊厳が奪われ、傷つけられるという点では同じです。

新型コロナウイルス感染症の世界的パンデミックが起こり、ウクライナの地では2年を経た今も多くの人々の命が砲弾によって失われ続けています。さらには、昨年秋にはパレスチナでの戦闘状況が起こり、先日のユニセフ事務局長の発表では、ガザ地区でこれまでに死亡した子どもの数が1万3千人を超え、多くの子どもが深刻な栄養失調状態にあり、「泣く力もない」と報告されています。一日も早く、ウクライナ、パレスチナにおける軍事力の行使が中止され、これ以上、命の蹂躙がなされないことを祈り求めます。

そして、今年の1月1日には能登半島が大地震と津波に襲われました。本日、卒業されるみなさんの中にも、ご実家が大きな被害を受けられた方々がおられます。今、この地震の被害を受け、生きることの困難さに直面している方々が力づけられ、必要な支えが届けられますように祈ります。

確かに、私たちは、災害と災害、災禍・災難の間、狭間を生きている存在なのだ、いやその<災間>を生きざるを得ない存在なのだと思います。疫病や戦争といった大きな災難だけではなく、私たちの人生においては、必ず何かしらの苦難に行き当たるものです。まったく何の災いにも遭遇しないということは、私たちが生きている以上、あり得ないと言わざるを得ません。大切なことは、私たちはその<災間>を生きる者として、災いに遭ってもいかにそこから再び立ち上がることができるのか、なのだろうと思います。その意味では、いわゆる「レジリエンス力」は、みなさんが、確かにこれからの時代を生きて行くために、ますます必要とされていく力なのかもしれません。

「レジリエンス力」とは、「困難で脅威を与える状況に陥ったとしても、そこから回復する力」を意味します。しかしながら、「レジリエンス」の本来の意味は、ただ単に「元に戻ること」ではありません。災いや困難に遭遇し、一度は傷つき、倒れても、立ち往生してしまっても、そこから再び、しなやかに回復していくこと、そして、さらには新たに生まれ変わっていくことこそが、「レジリエンス」なのです。

今月は、東日本大震災から13年を迎えました。東日本大震災が発生した時、私は副総長として立教大学の復興支援活動の責任を担い、立教大学がこれまでも深い繋がりのあった陸前高田市に何度も足を運びました。震災、津波直後の、無数の人々の命も、町も生活も日常も、そして人々の涙さえもが押し流されてしまった陸前高田の状況を前にして、語るべき言葉を失い、茫然と立ち尽くしたことを覚えています。立教大学の学生たち、教職員たちは、大震災が起ったその年の夏から、復興支援ボランティアとして、陸前高田市に受け入れていただき、さまざまな経験をさせてもらいました。この時の出会いと経験は、同時に、学生たち、教職員に計り知れない気づきを与えてくれたのです。

当時、陸前高田市長であられた戸羽太市長さんは、多忙な中、学生たちが書いたレポートすべてに目を通していただき、立教の学生たちのために、このような手書きのお手紙をくださったのですが、私は今も、時折、読み返しながら、その意味を思い巡らしています。それは、このようなお手紙でした。

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ボランティアに参加して頂いたみなさまへ

立教大学2011年度夏季陸前高田支援ボランティアに参加して下さいましたみなさまに市民を代表し、心から感謝を申し上げます。立教大学と本市は長年にわたり御縁を頂いておりますが、今回東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田市に沢山の学生諸君がボランティアに来て下さった事は、言葉にできない程嬉しく思っています。みなさんのレポートを全て読ませて頂き思った事は、人間て優しいなという事でした。

「絶望」という言葉があります。

私自身、46年間生きてきて、生まれて初めて「絶望」というものを感じました。妻を亡くし、二人の子供をどうやって育てていくか。市長として陸前高田市を再生できるのか。普段は強気な性格である私が、まさに身動きひとつとれない「絶望」の中にいました。

しかし、そんな私を絶望の淵から救ってくれたのは人々の優しさでした。失ったものは本当に沢山あり過ぎますが、一方で得たものも沢山ありました。人は一人では生きていけないなどと歌の歌詞だけの世界と思っていましたが、日本中から、世界中から頂いた励まし、優しさにより今日も何とか頑張れているのだと思っています。

みなさんがボランティアで経験された事、感じた事はみなさんの今後の人生に必ず生かして下さい。多くの犠牲の上にみなさんの経験があったという事を忘れないで下さい。

私たちは必ず陸前高田市を世界に誇れる美しい町として復興させます。復興には長い長い時間がかかります。私たちが復興を遂げた時、どうかご家族で陸前高田市にいらして下さい。そしてお子さまにボランティアに来た時の話をしてあげて下さい。

みなさま、本当にありがとうございました。

2011年11月22日 陸前高田市長 戸羽 太

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この戸羽市長の言葉は、聴いた学生たちのこれからの人生の中で、さまざまな意味を持っていると確信しています。戸羽市長は、若い人々に未来へのヴィジョンを託されたのだと思います。被災地の大変な状況の中にありながら、若い者たちに、ていねいな言葉と励ましを与えてくださる、その姿に、私たちも学びたいのです。

みなさんはこれからこの学び舎を旅立たれます。社会の中で、仕事をする中で、思い通りにはならず、辛い状況や人間関係に躓き、言い知れない孤独や不安に陥ることも、きっとあると思います。しかし、そんな時に、みなさんは、この困難な時代を生き抜き、立教大学での学びと生活をまっとうされたことを思い起こしてください。その証が、本日、ただいま、みなさんに授与された学位記にほかなりません。

立教大学がみなさんに、徹底して伝えたのは、「本物のリベラルアーツ」の大切さです。それは、<世界を読み解く力>であり、<世界を変えて行く力>であると同時に、どれほどの困難に直面しても、たとえ一度は倒れても、もう一度、新たなヴィジョンに向かって立ち上がっていくための<レジリエンスの力>です。

みなさんが今手にされている学位記は、みなさんがその学位に値するだけの十分な学びと研鑽を行ない、学位にふさわしい者となられたということを、立教大学が公式に認定したことを示すものであるとともに、みなさんには、これからの時代を生き抜くための<レジリエンスの力>がすでに備わっていることの証でもあるのです。

卒業生のみなさんお一人おひとりが、この証に誇りを持ちながら、新しい世界を構想し、豊かな、いのち溢れる未来を創造していってくださることをお祈りして、私の式辞とさせていただきます。
卒業生の皆さんへ(2023年度学位授与式(秋季))
2023年9月19日
立教大学総長 西原 廉太


この秋、立教大学は3名に博士、40名に修士、175名に学士の称号を授与することができました。学位を取得された皆さん、誠におめでとうございます。とりわけ、みなさんが入学されてからの約2年間は、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって、授業もオンラインにせざるを得ず、大変な負荷をかけてしまいました。それでも挫けることなく、本日、この日を迎えられた、みなさんの努力に、私は立教大学総長として、心からの敬意を表するものです。

みなさんは、本当によくがんばられました。ほかの世代の人たちには決して分からない困難の中、その一つひとつを乗り越えて、今、みなさんは、こうして立派に大学生活をまっとうして、この場におられるのです。みなさんのその経験は、間違いなく、みなさんお一人おひとりにとっての一生の宝物になります。これからのみなさんの人生という旅路においては、多かれ少なかれ、苦しいことや辛いことに直面することもあると思います。社会の中で、仕事をする中で、思い通りにはならず、困難な状況や人間関係に躓き、孤独や不安に陥ることも、きっとあると思います。しかし、そんな時に、みなさんは、この困難な時代を生き抜き、立教大学での学びと生活をまっとうされたことを思い起こしてください。

同時に、みなさんには、今日、戦争が起きている最中に、大学を卒業されるということの意味を、ぜひとも深いところで思い巡らせていただきと思います。もしかすると、ウクライナでの戦争は遠い世界での出来事と感じておられるかもしれません。しかしながら、80年前、まさしく、みなさんの先輩の立教生たちが、戦争によって学びの機会を奪われ、銃火によって、多くの未来ある若い命を落としたことを、私たちは、今この時に思い起したいのです。私は先月、鹿児島の知覧特攻平和会館を訪問したのですが、そこには2名の命を失った立教大学の学生の名前に直面しました。お一人は、塩島清一(せいいち)さん。経済学部の学生でしたが、99式襲撃機で沖縄周辺洋上に出撃し、1945年4月3日に戦死されました。23歳でした。もうお一人は、内海京一郎さん。やはり経済学部の現役学生でしたが、戦闘機「飛燕」で沖縄周辺洋上に出撃し、1945年5月25日に戦死されました。23歳でした。

また、今から13年前、2010年5月のことです。アメリカから突然、一通のメールが私のもとに届きました。それは、ウィスコンシン州に住むスティーヴン・カーという牧師さんからでした。まったく面識のない方からでしたので、戸惑いつつ読んだそのメールから知り得たのはこのようなことでした。

カー牧師の隣りの家に住むアール・ツヴィッキーという方がその前年の2009年、癌のため85歳で天に召された。ツヴィッキーは若い頃、太平洋戦争に従軍し、フィリピンで日本軍との戦闘となった。対峙した日本兵は死に、倒れた日本兵の胸ポケットにあった、寄せ書きの書かれた一枚の旗を持ち帰り、亡くなるまで大切に持ち続けた。彼が亡くなる直前、その旗にはいったい何が書かれているのを知りたいと言うようになった。

カー牧師は、その旗を、ウィスコンシン大学に持参し、そこで働く日本人の教授に解読を依頼した。そして判明したのは、この旗を持っていた日本兵が、実は、立教大学の現役学生であった、という事実であった。旗に記された寄せ書きから、この学生の名字は、間違いなく「ワタナベ」であることが分かった。

ツヴィッキーが亡くなるほんの数日前、癌で死に行こうとする病院のベッドに横たわる彼は、終戦以来、決して語ろうとはしなかった、その日の出来事について、この立教の学生がいかにして命を落としたかについて、カー牧師に打ち明けた。ツヴィッキーは、語り終えると、しばらくの間、沈黙していた。そして、彼は、カー牧師を見上げて、こう尋ねた。「この旗には、名前が書かれていたのか」と。カー牧師は、旗には、その兵士の家族や友人たちからのたくさんの激励の言葉と共に、実は、その日本兵の名が記されていることを告げた。

カー牧師からのメールは、このように続けられていました。


「アール・ツヴィッキーもワタナベも、若い青年であり、戦争によって、敵対し合う場へと連れ行かれたのです。戦争で、両国民が経験した互いの痛みと苦難は、歴史に十分記されています。しかし歴史書に書かれず、後代の者たちが知り得ていなかったのは、この一人の若い立教大学の学生であった日本兵についての物語であり、彼が戦いの中でいかに死んでいったのか、という事実なのです。無名の人々との戦争を抽象的に語ることは容易いことです。しかし、自分の『敵』が、家族に愛された若い青年であって、自らの希望と夢に溢れた青年であったことを知った時、戦争というものを語るのは、そう簡単なことではなくなるのです。ツヴィッキーは、その生涯のほとんどを、戦争の最中の、あの日の記憶と共に生きてきました。私は、アール・ツヴィッキーが、戦った相手について何かしらを知ったことで、彼が生涯負い続けてきた痛みの記憶を、ついに閉じることができたのだ、と信じているのです」


メールを受け取った後、すぐに私はカー牧師と連絡を取り、「旗」の写真を送ってもらい、立教大学もこの「ワタナベ」という学生の記録を必死に辿りました。ほとんど手がかりがない中、しかしながら驚くような偶然が重なり、すべてが判明しました。この学生は「渡邊太平」といい、学徒動員で戦地に赴き、1945年4月にフィリピン、セブ島で戦死した経済学部の学生でした。また、渡邊太平さんの姪御さんとも繋がることができたのです。

2010年10月27日、立教大学は「平和を祈る夕べ」をチャペルで開催し、その中で、日本に招いたカー牧師が携えた渡邊太平さんの「旗」は、ご遺族に返還されました。一人の大切な立教生の「証し」が、実に65年の歳月を経て、奇跡的に立教大学のキャンパスに戻ってきたのでした。

渡邊太平さんの「旗」はその後、ご遺族から立教大学に寄贈され、他の貴重な手紙や資料と共に、池袋キャンパスの立教学院展示館で公開されていますので、みなさんもぜひ、確かめていただければと思います。

カー牧師が言うように、「戦争」とは、決して抽象的なものではありません。日本軍と米軍が戦った、と歴史には記されるのみですが、「渡邊太平」と「アール・ツヴィッキー」という名前を持った青年たちが、意図せず向かい合わざるを得なかった、というきわめて具体的な事柄なのです。そして、私たち立教大学も、時代状況ということはあれ、渡邊太平さん、塩島清一さん、内海京一郎さんをはじめとする、自分たちの大切な学生たちを、戦地に送り出してしまった、という責任を決して免れることはできません。私は、カー牧師からもらったこのメールを、ゼミの学生たちに紹介しました。学生たちはみんな、目を真っ赤にして聞いていました。私も、一人ひとりの学生の顔を見ながら、絶句してしまったことを忘れることはできません。

ウクライナの今に直面して分かるように、これは決して昔話ではないのです。大学を卒業して、社会人としての歩みを始めるということは、決して当たり前のことではありません。みなさんには、これからの時代への責任があります。そのために学問が必要なのです。今日の日まで、みなさんと共に在った学生証には、立教大学のシンボルマーク、校章が透かしで入っていました。校章の真ん中に置かれている本は、聖書ですが、その上には “Pro Deo et Patria(プロ・デオ・エ・パトリア)”というラテン語が刻まれています。Proは「~のため」、Deoは神、etは英語の“and”、Patriaは祖国や国という意味ですので、“Pro Deo et Patria”を直訳すると、「神と国のために」ということになります。しかしながらDeoには「普遍的な真理」、Patriaには、「隣人や社会、世界」という内容が含まれています。したがって、“Pro Deo et Patria”が示す本来的な内容とは、普遍的なる真理を探究し(Pro Deo)、この世界、社会、隣人のために働くこと(Pro Patria)となるわけです。普遍的真理を探究し、この世界、社会のために働く者を育てることが、立教大学のまさに「ミッション」(使命)であることを、この建学の標語、“Pro Deo et Patria”は常に私たちに思い起こさせてくれるのです。

普遍的なる真理を探究すること(Pro Deo)とは、同時に、専門家という権威のもとに語られるものが常に絶対に正しいことはなく、時に、誤り得るのだという事実に徹底して謙虚になることでもあります。そのことに自覚的であり続けながら、“Pro Patria”、隣人、社会、世界に具体的に奉仕することが、学問を修めた者の責任なのであり、そのような者たちを生み育てることこそが、立教大学の「建学の精神」なのであります。

みなさんが今手にされている学位記は、みなさんがその学位に値するだけの十分な学びと研鑽を行ない、学位にふさわしい者となられたということを、立教大学が公式に認定したことを示すものであります。学位を取得されたことに誇りを持ちながら、これからの人生の旅路を、自信をもって歩んでいただければと願います。学位の取得、そしてご卒業、誠におめでとうございます。
President's Address on 2023 Fall Matriculation Ceremony
The Right Reverend Dr Renta Nishihara, President
September 19,2023

Congratulations, new students, on joining this university. Rikkyo University has been waiting for you. I want to give you all a heartfelt blessing as you join us.

The history of Rikkyo University dates back to 1874, when Bishop Channing Moore Williams, a missionary from the American Episcopal Church, founded Rikkyo School in Tsukiji. So Rikkyo University will celebrate 150 years anniversary in next year. Not many people know this, but Rikkyo University is one of the oldest modern universities in Japan.

The Episcopal Church which founded the University originated in the Church of England, the Anglican Church, and it has around 85 million members in 165 countries. The Anglican Communion is the largest of the Protestant churches and, like the Roman Catholic Church, it is an official United Nations NGO. There are Anglican universities, research centers, hospitals, and social welfare facilities around the world, and Oxford University and Cambridge University have historical connections with the Anglican tradition. There are no other universities in Japan with this kind of global network.

The history of the Anglican Church dates back to the year 597. The simplest expression of the characteristic approach of the Anglican Church is that it does not adhere to papal absolutism, or to the scriptural fundamentalism seen in some Protestant churches. In short, it rejects absolutism and fundamentalism of all kinds. Given that approach, it’s not so strange that the Anglican Church has produced many of the scholars of literature and natural science, such as Shakespeare, Isaac Newton, and Robert Boyle, who formed humanity’s knowledge. Rikkyo University was also born from that history. You are all travelers in a constant search for truth, carrying humanity’s heritage of knowledge with you. Your never-ending journey in search of truth, beyond time and space, begins right here, today.

Please take a look at your ceremony program. It is marked here with the symbol of Rikkyo University. The book there in the center is the Scripture. And there’s something written above the Scripture. Here’s what it says: “Pro Deo et Patria”. These words express with spirit with which Rikkyo University was founded. “Pro Deo et Patria” is Latin. Pro means “for”, Deo is “God”, et is “and”, and Patria means “nation or mother country”. So, a direct English translation of “Pro Deo et Patria” would be “For God and country”. However, Deo also includes the sense of “universal truth”, while Patria includes “our neighbor, society, and world”. Therefore, the inherent meaning of “Pro Deo et Patria” is to search for universal truth (Pro Deo) and to work for this world, for society, and for one’s neighbor (Pro Patria). The nurturing of people who will search for universal truth and work for our world and society is the true mission of Rikkyo University, and our founding motto, “Pro Deo et Patria” always reminds us of that.

“Pro Patria”, means becoming a person who will give compassionate service to their neighbor, to society, and to the world; one who can value the human dignity of every individual and sensitively empathize with the pain of others. This university must also contribute to attaining the UN Sustainable Development Goals (SDGs), which set the realization of a world where we "Leave No One Behind" as one of the targets, and to movements to value human dignity in a society under the spreading of novel coronavirus infection. The word "dignity" is derived from "Dignitas" in Latin, which has the original meaning of "having value in its existence". The existence of all living things has value, and that value must never be harmed. That has been the principle for Rikkyo University since its foundation.

I’d like to introduce you to an essay which will give you all an idea of the essential nature of that principle. This essay was printed in the “Henshu Techo” (Editor’s Notebook)” column of the Yomiuri Shimbun newspaper, dated October 29th, 2000.

“Tsuyoshi Saito started refusing to go to school when he was in the first year of junior high school. He was serious, and criticized himself harshly for any little slip. He tried to take his own life in the spring when he was 20 years old. He poured gasoline over himself. His father, who had been watching over his behavior on the advice of a psychiatrist, embraced his son at that moment. Covered in gasoline himself, he cried out. “Tsuyoshi, light the fire”. Embracing, the two cried out and continued weeping. “For my father, am I so irreplaceable that he would die together with me? At that moment, for the first time in his life, Tsuyoshi truly felt that his life had value. Tsuyoshi later told the story to this psychiatrist, Hajime Morishita”.

That was the essay. In addition to running a medical clinic in Himeji, Morishita also got actively involved with school-refusing children. He made a free-school and a boarding high school for them, and was awarded the Yoshikawa Eiji Prize for Literature. This is what we can learn from Morishita. “Tsuyoshi saw his father who loves him more than his life. At that moment, Tsuyoshi knew that he was loved, and at the same time, he learned to love others with all his souls”.

All the faculty and staff of Rikkyo University will value each and every one of you as an irreplaceable being. In turn, we want all of you to become people who will connect with others, with the same kind of love, and respect their dignity unconditionally. These words “Pro Deo et Patria” are also inscribed on the Rikkyo University student’s identification card that will be given to all of you. While you are studying at this University, I want you all to value these words as your proof, your mission and your pride of being a student of Rikkyo University.

At the inauguration of President Biden in 2021, the 22-years old Black female poet Amanda Gorman read her poem which included these words:

“For there is always light, if only we’re brave enough to see it. If only we’re brave enough to be it”.

Gorman had a speech impediment. But she says she never saw that as a weakness. She kept on practicing for that day. On the great stage on the Capitol Hill, speaking with rich expression and freely in control down to the tips of her fingers, she sparkled majestically.

Even in front of you, for sure there is always light. You too are called to have the bravery to be the light. Here at Rikkyo University, please find that light which is yours alone. And then, become the light, and shine. Together, let us enjoy the infinite journey in search of truth.

I congratulate you, and I pray that your studies and your lives here at Rikkyo University will be blessed. Thank you very much.
新入生の皆さんへ(2023年度入学式(春季))
2023年4月5日、8日
立教大学総長 西原 廉太

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。立教大学は、みなさんと共に迎える春を心待ちにしておりました。あらためて、みなさんのご入学を心より祝福したいと思います。

この場におられる多くのみなさんはこの3年間、ずっとコロナ禍の中、それぞれに言葉に尽くしがたいご苦労があったことと思います。けれども、立教大学でもこの春からは基本的にはほぼコロナ以前の状態の対応に戻します。引き続き、各自で感染対策には気をつけていただきながらも、どうぞ思う存分に、池袋・新座、それぞれのキャンパスで自由に学び、豊かなキャンパスライフを送ってください。私たち教職員は、全力でみなさんの学びと生活を支援いたします。

さて、立教大学は、聖公会という教会が創立した大学です。聖公会というのは英国の国教会が世界に広がった教会のことです。アメリカの聖公会からの宣教師であったチャニング・ムーア・ウィリアムズ主教は、1874年、東京・築地に「立教学校」(St. Paul’s School)を創設しました。来年、2024年は立教大学・立教学院は創立150周年を迎えます。ウィリアムズ主教は、当時の「実利主義」や、知識、技術を物質的な繁栄と立身出世の道具とする日本の風潮とは明確な一線を画して、立教を「キリスト教に基づく真の人間教育を行う場」と位置づけました。それ以来、立教大学は、徹底して本物のリベラルアーツを大切にしてまいりました。その本質とは、人間が生きていく上で本当に必要な「智」、他者の痛みに共感し、共苦できる「感性」、世界史的、人類史的な「世界観」と「歴史認識」、多文化世界に生きることのできる「国際性」を身につけることにあります。その学びを通じて、学ぶ者が世界を読み解く力を、そして、世界を変えて行く力を自らのものとすることにあります。

この立教大学が大切にしているリベラルアーツの意味をより理解していただくために、聖公会とつながりのある、ある一人の若きアイヌの女性の物語をご紹介したいと思います。1877年に、ジョン・バチェラーという英国の聖公会からの宣教師が北海道にたどり着きました。バチェラー宣教師は、当時、明治政府がとっていたいわゆる同化政策によって、人間としての尊厳や言葉などの文化などを奪われていたアイヌの人々に寄り添い、診療所やアイヌの子どもたちのための学校などを創り、アイヌ語の辞書なども編纂しました。

さらには、そのバチェラーと関係の深かったアイヌの人々の中から、その後、アイヌ民族の精神や文化の豊かさに気づき、アイヌ民族解放のメッセージをアイヌの同胞たちに送り続けた人が数多く生まれたのです。そうした人たちの中には、数多くの素晴らしい短歌を残したバチェラー八重子や、アイヌ民族解放運動をリードした向井山雄などがいます。バチェラー八重子は、バチェラーの養女となって以来、1962年に旅行先の京都で急逝するまで、聖公会の伝道師としても働いたのですが、八重子が所有していたアイヌの貴重な民芸品などが立教小学校に寄贈され、今も大切にされています。向井山雄は、バチェラーの援助により立教を卒業、1926年にアイヌ民族で最初の聖公会の司祭となっています。

そして、今日、みなさんにご紹介したいのは、知里幸恵というアイヌの女性です。聖公会の伝道師で、ユーカラの伝承者としても名高かった叔母の金成マツの養女として知里幸恵は育ちました。「ユーカラ」というのは「神謡」とも言いますが、アイヌの人々の間で世代を超えて伝承されてきた物語で、熊の神やきつねの神などの神々が第一人称で歌う謡のことです。文字を持たなかったアイヌの人々の中で、伝承者によって口伝で伝えられてきました。金成マツは旭川にあった聖公会の教会で働いていましたが、幸恵は、その叔母のマツのもとで、聖公会のクリスチャンとしての信仰を育むと同時に、マツから子守唄のようにしてユーカラを聴かされながら育ちました。マツの伝道所の日曜学校に集まってくる子どもたちは、幸恵に日本人の子どもたちにいじめられる話しをし、そのたびに幸恵は胸が裂かれる思いになったと言います

幸恵は、学校で日本語だけではなくローマ字も学び、いつしか、これまで決して文字で書かれることがなかったユーカラのアイヌ語をローマ字で記し、その訳を日本語で書くことができるようになっていました。幸恵が18歳の時、国語学者で、アイヌ語研究でも著名であった金田一京助が旭川に金成マツを訪問した際に、その幸恵が書き記した、筆録したユーカラのノートを金田一は目の当たりにし、大いに驚きます。そして、金田一から、東京でユーカラを書き残さないかと勧められ、金田一のもとで、『アイヌ神謡集』の筆録を始めます。しかし、幸恵は心臓病を患い、1922年9月18日、『アイヌ神謡集』の校正を終えた後に、19才の若さで亡くなってしまいました。昨年はちょうど、知里幸恵の没後100年の年でもありました。

幸恵が筆録した『アイヌ神謡集』の中で、彼女自身が、最も大切なものとして選んだユーカラが、「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」で始まる梟の神が歌った謡でありました。このようなユーカラです。


「『銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに』という歌を歌いながら子供等の上を通りますと、子供等は私の下を走りながら云うことには、『美しい鳥!神様の鳥!さあ、矢を射てあの鳥、神様の鳥を射当てたものは、一ばんさきに取った者はほんとうの勇者、ほんとうの強者だぞ』。云いながら、昔貧乏人で今お金持ちになってる者の子供等は、金の小弓に金の小矢を番えて私を射ますと、金の小矢を私は下を通したり上を通したりしました。その中に、子供等の中に一人の子供がただの小弓にただの小矢を持って仲間にはいっています。私はそれを見ると貧乏人の子らしく、着物でもそれがわかります。(中略)自分もただの小弓にただの小矢を番えて私をねらいますと、昔貧乏人で今お金持ちの子供等は大笑いをして云うには、『あらおかしや貧乏の子、あの鳥、神様の鳥は私たちの金の小矢でもお取りにならないものを、お前の様な貧乏な子のただの矢腐れ木の矢をあの鳥、神様の鳥がよくよく取るだろうよ』と云って貧しい子を足蹴にしたり、たたいたりします。けれども貧乏な子は、ちっとも構わず私をねらっています。私はそのさまを見ると、大層不憫に思いました。『銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに』という歌を歌いながらゆっくりと大空に、私は輪をえがいていました。貧乏な子は、片足を遠く立て片足を近くたてて下唇をグッと噛みしめて、ねらっていて、ひょうと射放しました。小さい矢は美しく飛んで、私の方へ来ました。それで私は手を差しのべてその小さい矢を取りました。クルクルまわりながら私は、風をきって舞い下りました」


金持ちの子が射放つ金の矢には当たらなかった梟の神が、ぼろぼろの着物をまとって、他の子どもたちからばかにされて、足蹴にされる貧しい子を憐れに思います。そして、その子が放った木の矢を「私は手を差しのべて取り」というのは、みなさんはどういう意味だと思われますでしょうか。梟の神は、その貧しい子が放った矢に自ら当たりにいったということなのです。「クルクルまわりながら私は、風をきって舞い下りました」というのは、どういう意味でしょうか。それは、自ら矢に当たった梟の神は、その子のために自ら命を絶ちながら地面に落ちていく、絶命していくということなのです。

これほどまでに美しく、しかし哀しいユーカラを、なぜ、幸恵は一番大事なユーカラとして選んだのでしょうか。私は、幸恵の中では、この梟の神と、虐げられる人々のために生き、そして十字架の上で絶命したイエスが見事に重ね合わされていたからだと確信しています。

知里幸恵の『アイヌ神謡集』は、岩波文庫から復刊されていますので、みなさんもぜひ読んでみてください。

こうした知里幸恵に代表されるアイヌの人々の思いを深いところで理解するためには、まさしくリベラルアーツが必要となるのです。学問が必要なのです。歴史、文学、言語、宗教、文化、人間の尊厳、価値観、歴史観、自然観を縦横に駆使してはじめて、幸恵の真の思いを知ることができるのです。

ぜひ、みなさんはこの立教大学で本物のリベラルアーツを修得し、論理的思考力、課題発見力、未来社会の構想力を身につけ、さらには、すべての人間の尊厳を徹底して大切にできる者となってください。予測不可能と言われる今の時代、社会が最も求めるのは、まさしくこのような力と感性を持っている者たちであることは間違いありません。社会の複雑化とグローバル化による社会変化とは、実は価値を測る「物差し」が増えるということでもあります。固定化された一つの「物差し」では、もはや生きていくことはできない時代に、みなさんは突入しています。異なる価値観や考え方を理解するために、ぜひ立教大学で、自分の中の「物差し」を増やしていってください。

これからのみなさんの立教大学での学びと生活が豊かに恵まれたものとなりますよう、お祈りしつつ、訓示とさせていただきます。

2022年度

卒業生の皆さんへ(2022年度学位授与式(春季))
2023年3月23日、24日
立教大学総長 西原 廉太

学位を取得されたみなさん、誠におめでとうございます。保護者のみなさまにも、心よりお慶び申し上げます。

みなさんが入学された時に、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起こることなど想定されていた方は誰一人おられないと思います。しかしながら、本日、このようにして、みなさんと顔と顔を合わせながら、本年度の学位授与式を実施できますことを、私もうれしく思います。コロナ禍の最中、それでも挫けることなく、本日、この日を迎えられた、みなさんの努力に、私は立教大学総長として、心からの敬意を表するものです。同時に、コロナの世界的パンデミックに加えて、昨年の今頃に始まったウクライナへの軍事進攻が今もまだ終わっていないという、この世界史的な出来事が起こったという時代の中で、みなさんがそれぞれの学位を授与されたことの、特別な意味をぜひとも思い巡らせていただければと願います。

3年前、突然としてみなさんの日常は一変し、みなさんの生活と学びにも言葉にならないほどの負荷がかかり、それぞれに言い知れない苦労をなさったと思います。思い描いておられていたキャンパスでの学びや生活も予定通りには進まず、見通しのない日々に涙なさったこともあったことでしょう。本当に辛かったことでしょう。

けれども、私は、もう今日からは、みなさんは可哀想な世代であったとは言わないようにしたいのです。みなさんは本当によくがんばりました。ほかの世代の人たちには決して分からない困難の中、その一つひとつを乗り越えて、今、みなさんは、こうして立派に大学生活をまっとうして、この場におられるのです。みなさんのその経験は、間違いなく、みなさんお一人おひとりにとっての一生の宝物になります。これからのみなさんの人生という旅路においては、多かれ少なかれ、苦しいことや辛いことに直面することもあると思います。社会の中で、仕事をする中で、思い通りにはならず、困難な状況や人間関係に躓き、孤独や不安に陥ることも、きっとあると思います。しかし、そんな時に、みなさんは、この困難な時代を生き抜き、立教大学での学びと生活をまっとうされたことを思い起こしてください。

ご存知の通り、みなさんの立教大学は、今から約150年前、1874年に、アメリカ聖公会からの宣教師であった、チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が、東京築地に、キリスト教に基づく「立教学校」を創立したことに始まります。ウィリアムズ主教が教育の根底に据えたそのキリスト教が大切にする最も重要なメッセージの一つは、「絶望が、決して絶望で終わることはなく、希望がその前を歩いている」ということです。聖書の時間軸は、朝に始まって、夜で終わるものではありません。キリスト教の教える時間とは、夕べがあり、朝がある、夜から始まり、そして朝を迎えるというものです。また、十字架があり、そして復活がある。必ず、絶望から希望へと向かいます。これこそが、立教大学がこの150年もの間、学生たちに語り続けてきた核心であることを忘れないでいただきたいのです。


以前、ある北海道大学の海洋生物の研究者にこんな話を伺ったことがあります。
「真冬の北海道・知床半島沖の海は流氷に完全に覆い尽くされ、人間が入ることのできない世界がどこまでも広がります。一見して、決してその分厚い氷の下には一切の生命は存在し得ないように見えます。しかしながら、実はその氷の下には、<奇跡>としか言えないほどの、<いのち>の恵みが満ち溢れているのです。流氷の海は、生き物たちの<いのち>の源を生み、一番底からすべての生き物を支えている大切な場所なのです。そして、春が来て、氷が解けて、輝くばかりの太陽の光に包まれるその瞬間を、ひたすらに待っているのです」

みなさんも、この時代だからこそ、奇跡のような<いのち>の恵みを与えられたのです。そして、ようやく温かい春がやってきました。もう氷は解け始めています。どうか、この春からは、眩しい日差しの中で、思いっきり、空を見上げて、羽ばたいてください。

立教大学がみなさんに、徹底して伝えたのは、「本物のリベラルアーツ」の大切さです。それは、<世界を読み解く力>であり、<世界を変えて行く力>であると同時に、どれほどの困難に直面しても、新たなヴィジョンに向かって立ち上がっていくための力です。みなさんが今手にされている学位記は、みなさんがその学位に値するだけの十分な学びと研鑽を行ない、学位にふさわしい者となられたということを、立教大学が公式に認定したことを示すものであるとともに、みなさんには、これからの時代を生き抜くための<力>がすでに備わっていることの証でもあるのです。

すべての学部卒業生のみなさんお一人おひとりが、この証に誇りを持ちながら、新しい世界を構想し、豊かな<いのち>溢れる未来を生きていってくださることを、心から願っています。


さて、ご承知のように、立教大学体育会陸上競技部男子駅伝チームは、今年の第99回箱根駅伝本選に見事出場を果たしてくれました。立教大学としては実に55年ぶりの出場となりました。今回の箱根駅伝では、結果、18位に終わりましたが、往路復路全10区間、この襷は見事に繋がり、ゴールを果たすことができました。実はこの襷には、10名の選手たちだけではなく、部員全63名がサインをした名前が記されていました。箱根路を走った選手たちは、部員全員の思いと、私たちすべての祈りを繋いでくれたのでした。

駅伝は、それぞれの区間は一人で走るという意味では、限りなく個人競技であると同時に、襷を繋いで、チームとしてゴールを目指すという点で、完全な団体競技です。そういう意味では、私たちの立教大学も、150年前の5名から8名と言われるわずか数名の立教生からの襷が途絶えることなく繋がれて、みなさんに委ねられ、そして、それがさらに未来へと継承されて成立する共同体であると言えるでしょう。

先日放映されたテレビ番組をご覧になった方もおられると思いますが、去年の11月、その番組宛てにあるモノクロの写真が届きました。それは、今から66年前の1957年、箱根駅伝第33回大会で、立教大学の箱根駅伝史上最高順位となる3位でゴールした立教大学のアンカーの雄姿でした。その選手とは、当時、キャプテンを務めていた立教のエース、本間久喜(ほんまひさよし)さんで、写真を投稿されたのは本間さんの娘さんたちでした。「取材に来てもらえたら、父も少しは元気になるんじゃないのかなと思って送らせてもらいました」。そう語る娘さんによると、お父さんの本間久喜さんは、88歳。立教大学卒業後、インクメーカーに就職。26歳の時に妻となる須恵美さんと立教大学のチャペルで結婚。三人の子どもを育てあげ、孫やひ孫たちに囲まれ幸せな日々を過ごしておられましたが、およそ1年前、体調に異変を感じ病院に行くと、悪性リンパ腫との診断でした。医師から積極的な治療は望めないと伝えられたのですが、去年の8月から抗がん剤治療を開始。それでも悪化していくばかりでした。

ところが、昨年の10月15日。久喜さんに生きる力が湧いてくる出来事が起こりました。母校の立教大学が55年ぶりに箱根駅伝出場の夢を叶えたのです。その後、池袋のキャンパスを訪れた娘さんたちが、偶然手に取った箱根駅伝出場を伝える新聞、『立教スポーツ』の号外には、お父さんの走る姿がありました。久喜さんは、ベッドで読みながら、「これか、これか」と自分を指さしてたおられたそうです。そして、娘さんたちは病気になった父から託されたある物を思い出されました。それは、箱に大切にしまわれた立教大学の「R」のマークが入ったユニフォームでした。またその上には、お父さんの手書きのメッセージが置かれていました。

「じじより。大学での競技用ユニフォーム。あの世に行く時、着せてください。尚、箱根駅伝ゴールでの写真を胸にのせて」

「R」のユニフォームを着て旅立ちたい。あの世に行く時に、これを着せてください。それが、父が家族に託した最後の夢でした。娘さんたちは、正直、入院している時はあまり状態が良くなく、これを着る日が迫っているのかなとも思われたそうです。それでも、「お正月は家族で立教を応援しようね!それまで頑張ろうね!お父さん!」と励まされ続けました。


2022年12月13日。本間久喜さん、永眠。88年のご生涯でした。箱根駅伝まで、およそ3週間。本選には間に合いませんでした。けれども、棺の中には、誇り高き「R」の文字のユニフォームを着た久喜さんと、その胸の上には、3位でゴールを切ったモノクロの写真が置かれました。箱根駅伝のエース。お父さんのラストランでした。

そして、今年の1月。第99回箱根駅伝。久喜さんのご家族はテレビの前で、久喜さんの遺影を掲げなら立教大学を応援してくださいました。「いいぞ立教!じいちゃん、立教ゴールするよ!立教頑張れ!」「じいちゃん見て!後輩たちが頑張ってるよ!」。涙ぐみながら応援されるご家族の姿に、私も思わず涙が溢れました。

来週の27日、月曜日に、久喜さんの娘さんたちが、久喜さんの遺影と共に、大学の総長室を訪ねてくださることになっています。
こんな風に、「R」に思いをかけた、みなさんの先輩方がたくさんおられるのです。みなさんも、「R」のマークを誇り高く胸に抱いて、どうか自信をもって、新しい世界へと踏み出してください。

卒業生のみなさんのこれからの歩みの一つひとつが守られ、励まされることを、お祈りしつつ、式辞とさせていただきます。本日は、誠におめでとうございます。
トルコ・シリアで発生した大地震により被災された皆様へ(2023年2月14日)
卒業生の皆さんへ(2022年度学位授与式(秋季))
2022年9月16日
立教大学総長 西原 廉太


この秋、立教大学は4名に博士、26名に修士、163名に学士の称号を授与することができました。学位を取得された皆さん、誠におめでとうございます。とりわけ、この間の新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって、みなさんの日常は一変し、みなさんの生活と学びにも言葉にならないほどの負荷がかかり、大変な苦労をなさったと思います。キャンパスでの授業や研究も予定通りには進まず、見通しのない日々に涙なさったこともあったことでしょう。状況は未だ落ち着きませんが、しかしながら、本日、このようにして、本年度の学位授与式を実施し、みなさんと顔と顔を合わせながら、直接、学位記をお渡しできますことを、私もうれしく思います。コロナ禍の最中、それでも挫けることなく、本日、この日を迎えられた、みなさんの努力に、私は立教大学総長として、心からの敬意を表するものです。同時に、この世界史的な新型コロナウイルス感染症パンデミックの時代に、また、ウクライナでは現実に戦争が起き、未だ多くの人々が命の危険を脅かされているという時代の中で、みなさんがそれぞれの学位を授与されたことの、特別な意味をぜひとも思い巡らせていただければと願います。

さて、個人的な話で恐縮ですが、私は大学での専門は、工学、とりわけ超電導や太陽電池の素材などに用いられるアモルファス金属の研究でした。それが、その後、キリスト教神学研究へと大きく方向を転回させたのは、さまざまな痛みや苦しみの現場で生きざるを得ない人々との出会いでありました。その一つが京都の東九条という地域での在日韓国朝鮮人の方々との出会いであり、もう一つは、沖縄にあります国立ハンセン病療養所、愛楽園での元ハンセン病の方々との出会いです。ハンセン病は、結核と同じ抗酸菌の仲間の「らい菌」によって引き起こされる感染症ですが、治療法も確立し、一般の医療施設で診察治療できるごく普通の疾患です。 しかしながら、全国にあるハンセン病療養所には、過去の偏見差別等から社会に復帰できずに今でも多くの方が生活の場として暮らしておられます。

2001年5月、ハンセン病国家賠償請求訴訟の原告と当時の小泉首相が面会した、という出来事がありました。その際に、原告のお一人、鹿児島県の国立ハンセン病療養所星塚敬愛園にお住まいであった日野弘毅(こうき)さんは、このような証言をされました。

「昭和24年、16歳で入所して以来、ずっと療養所の中におります。私にも愛する家族がありました。昭和22年の夏、突然保健所のジープがやって来ました。私を収容にきたのです。母はきっぱりと断ってくれました。ところが、ジープは繰り返しやってきました。昭和24年の春先、今度は白い予防着の医師がやってきて私を上半身裸にして診察したのです。

その日から私の家はすさまじい村八分にあいました。18歳だった姉は婚約が破談となり、家を出なければならなくなりました。小学生の弟は、声をかけてくれる友達さえいなくなりました。弟がある日、母の背中をたたきながら、「ぼく病気でないよねぇ」と泣き叫んだ姿を、忘れることはできません。このまま家にいればみんながだめになると思い、自分から市役所に申し出て、入所しました。それなのに家族の苦難はやみませんでした。

それから20年あまり、母が苦労の果てに亡くなったときも、見舞いに行くことも、葬儀に参列して骨を拾うこともかないませんでした。18歳の時、家を飛び出した姉は、生涯独身のまま、平成8年、らい予防法が廃止になった年の秋に自殺しました。姉の自殺は母の死以上に、私を打ちのめしました。

姉の思い。母の思い。いまだに配偶者に私のことを隠している弟、妹の思い。そのために、私は訴訟に立ちました。

判決の日、私は詩をつくりました。

「太陽は輝いた/90年、長い暗闇の中/ひとすじの光が走った/鮮烈となって/硬い巌(いわお)を砕き/光が走った/私はうつむかないでいい/市民のみなさんと光の中を/胸を張って歩ける/もう私はうつむかないでいい/太陽が輝いた」

このような証言でありました。

日野さんは、2017年10月19日、老衰のため83歳で召されました。みなさんはこの日野さんの証言をどのように聴かれたでしょうか。みなさんは、立教大学で、人文学、社会科学、自然科学と言われる学問を学ばれました。しかし、日野さんの人生において言い知れない痛みと重荷を彼に背負わせた責任が、国家のみならず、「学問」にもあることを、どうか大切に受け止めていただきたいと思います。

当時の医学の専門家は、ハンセン病に対する偏見に囚われて、絶対隔離政策を推進するために、この病気が猛毒の菌による強烈で不治の伝染性疾患であるとの誤った情報を社会に浸透させ、病者と家族に重大な損害を与えました。戦後の1947年から、日本の療養所でもアメリカから輸入した特効薬のプロミン治療でハンセン病は完全に治る病気になったにもかかわらず、日本国憲法下においても、「らい予防法」を廃止せず、強制隔離政策や「無らい県運動」を継続したため、ハンセン病患者と回復者への偏見・差別による人権侵害が助長されることになりました。これはこうした法制度を残し、また、人権意識の醸成にも貢献できなかった社会科学や人文学に明確な責任があります。

今日の日まで、みなさんと共に在った学生証には、立教大学のシンボルマーク、校章が透かしで入っていました。校章の真ん中に置かれている本は、聖書ですが、その上には “Pro Deo et Patria(プロ・デオ・エ・パトリア)”というラテン語が刻まれています。Proは「~のため」、Deoは神、etは英語の“and”、Patriaは祖国や国という意味ですので、“Pro Deo et Patria”を直訳すると、「神と国のために」ということになります。しかしながらDeoには「普遍的な真理」、Patriaには、「隣人や社会、世界」という内容が含まれています。したがって、“Pro Deo et Patria”が示す本来的な内容とは、普遍的なる真理を探究し(Pro Deo)、この世界、社会、隣人のために働くこと(Pro Patria)となるわけです。普遍的真理を探究し、この世界、社会のために働く者を育てることが、立教大学のまさに「ミッション」(使命)であることを、この建学の標語、“Pro Deo et Patria”は常に私たちに思い起こさせてくれるのです。

普遍的なる真理を探究すること(Pro Deo)とは、同時に、専門家という権威のもとに語られるものが常に絶対に正しいことはなく、時に、誤り得るのだという事実に徹底して謙虚になることでもあります。そのことに自覚的であり続けながら、“Pro Patria”、隣人、社会、世界に具体的に奉仕することが、学問を修めた者の責任なのであり、そのような者たちを生み育てることこそが、立教大学の「建学の精神」なのであります。

日野さんは、さきほどの証言の中で、このように語られました。「もう私はうつむかないでいい」「光の中を/胸を張って歩ける」。この言葉は、まさに、失われていた人間としての尊厳、存在の回復宣言です。私たちが求められているのは、私たち一人ひとりが、誰ひとりこぼれ落ちることなく、「もう私はうつむかないでいい」「光の中を/胸を張って歩ける」と宣言することのできる社会、世界の実現です。立教大学の学位記に込められた思いとは、みなさんが、一人ひとりの「人間の尊厳」を大切にし、他者の痛みに敏感に共感できる者であり続けていただくことです。「尊厳」を英語では「ディグニティ」(dignity)と言いますが、その語源はラテン語のDignitasであり、本来の意味は「その存在に価値があること」です。すべての<いのちあるもの>の存在には価値があり、それは決して損なわれてはならない。これこそが、立教大学が創立以来、大切にしてきた規範にほかなりません。みなさんには、ぜひとも、苦しむ人々、疎外された人々の痛みに寄り添い、癒やす者となっていただきたいと願っています。それは、コロナの時代に巣立つみなさんに課せられた大切なミッション、使命でもあります。

みなさんはこれからこの学び舎を旅立たれます。みなさんの人生という旅の小舟が、時には嵐にもまれて溺れそうになったり、座礁してしまうようなことも起こります。予想もしない困難な状況や人間関係につまづいたり、言い知れない孤独感に陥ることも、きっとあると思います。しかし、そんな時に、みなさんもまた、「あなたは、うつむかないでいい」「光の中を/胸を張って歩け」と励まされ、導かれている存在であることを思い起こしてください。そんな時には、ぜひ、またこのキャンパスを訪ねてきてください。私たちはいつでも、みなさんを待っています。

みなさんが今手にされている学位記は、みなさんがその学位に値するだけの十分な学びと研鑽を行ない、学位にふさわしい者となられたということを、立教大学が公式に認定したことを示すものであります。学位を取得されたことに誇りを持ちながら、これからの人生の旅路を、自信をもって歩んでいただければと願います。学位の取得、そしてご卒業、誠におめでとうございます。
President's Address on 2022 Fall Matriculation Ceremony
Renta Nishihara, President
September 16,2022


Congratulations, new students, on joining this university. Rikkyo University has been waiting for you. I want to give you all a heartfelt blessing as you join us.

Over the past two and a half years, we’ve all been in an extraordinary situation the like of which we’ve never experienced before. The global pandemic of novel coronavirus infection has restricted contact and interaction between people. That has had the effect of reaffirming to us the importance of connection between people. I believe this has been a time for all of us to look closely and think deeply about just how irreplaceable is the work of being together with others and reflecting on one’s own way forward.

In this context, Rikkyo University has been building a new campus life through a process of trial and error, as we search for ways to avoid interrupting our students’ studies. As we assign the highest priority to health, in its physical, emotional, and social aspects, we have been investigating new possibilities for online learning, even as we reaffirm the significance of face-to-face classes. We will also support all our students as they pursue diverse forms of study in line with their ambitions, and elevate their own bright and outstanding strengths as far as they wish to. As we face this terrible pandemic, I want all of you, who are bravely joining Rikkyo University today, to start your lives here with this University as a new center for value creation.

The history of Rikkyo University dates back to 1874, when Bishop Channing Moore Williams, a missionary from the American Episcopal Church, founded Rikkyo School in Tsukiji. So Rikkyo University has 148 years of history. Not many people know this, but Rikkyo University is one of the oldest modern universities in Japan.

The Episcopal Church which founded the University originated in the Church of England, the Anglican Church, and it has around 85 million members in 165 countries. The Anglican Communion is the largest of the Protestant churches and, like the Roman Catholic Church, it is an official United Nations NGO. There are Anglican universities, research centers, hospitals, and social welfare facilities around the world, and Oxford University and Cambridge University have historical connections with the Anglican tradition. There are no other universities in Japan with this kind of global network.

The history of the Anglican Church dates back to the year 597. The simplest expression of the characteristic approach of the Anglican Church is that it does not adhere to papal absolutism, or to the scriptural fundamentalism seen in some Protestant churches. In short, it rejects absolutism and fundamentalism of all kinds. Given that approach, it’s not so strange that the Anglican Church has produced many of the scholars of literature and natural science, such as Shakespeare, Isaac Newton, and Robert Boyle, who formed humanity’s knowledge. Rikkyo University was also born from that history. You are all travelers in a constant search for truth, carrying humanity’s heritage of knowledge with you. Your never-ending journey in search of truth, beyond time and space, begins right here, today.

Please take a look at your ceremony program. It is marked here with the symbol of Rikkyo University. The book there in the center is the Scripture. And there’s something written above the Scripture. Here’s what it says: “Pro Deo et Patria”. These words express with spirit with which Rikkyo University was founded. “Pro Deo et Patria” is Latin. Pro means “for”, Deo is “God”, et is “and”, and Patria means “nation or mother country”. So, a direct English translation of “Pro Deo et Patria” would be “For God and country”. However, Deo also includes the sense of “universal truth”, while Patria includes “our neighbor, society, and world”. Therefore, the inherent meaning of “Pro Deo et Patria” is to search for universal truth (Pro Deo) and to work for this world, for society, and for one’s neighbor (Pro Patria). The nurturing of people who will search for universal truth and work for our world and society is the true mission of Rikkyo University, and our founding motto, “Pro Deo et Patria” always reminds us of that.

“Pro Patria”, means becoming a person who will give compassionate service to their neighbor, to society, and to the world; one who can value the human dignity of every individual and sensitively empathize with the pain of others. This university must also contribute to attaining the UN Sustainable Development Goals (SDGs), which set the realization of a world where we "Leave No One Behind" as one of the targets, and to movements to value human dignity in a society under the spreading of novel coronavirus infection. The word "dignity" is derived from "Dignitas" in Latin, which has the original meaning of "having value in its existence". The existence of all living things has value, and that value must never be harmed. That has been the principle for Rikkyo University since its foundation.

I’d like to introduce you to an essay which will give you all an idea of the essential nature of that principle. This essay was printed in the “Henshu Techo” (Editor’s Notebook)” column of the Yomiuri Shimbun newspaper, dated October 29th, 2000.

“Tsuyoshi Saito started refusing to go to school when he was in the first year of junior high school. He was serious, and criticized himself harshly for any little slip. He tried to take his own life in the spring when he was 20 years old. He poured gasoline over himself. His father, who had been watching over his behavior on the advice of a psychiatrist, embraced his son at that moment. Covered in gasoline himself, he cried out. “Tsuyoshi, light the fire”. Embracing, the two cried out and continued weeping. “For my father, am I so irreplaceable that he would die together with me? At that moment, for the first time in his life, Tsuyoshi truly felt that his life had value. Tsuyoshi later told the story to this psychiatrist, Hajime Morishita”.

That was the essay. In addition to running a medical clinic in Himeji, Morishita also got actively involved with school-refusing children. He made a free-school and a boarding high school for them, and was awarded the Yoshikawa Eiji Prize for Literature. This is what we can learn from Morishita. “Tsuyoshi saw his father who loves him more than his life. At that moment, Tsuyoshi knew that he was loved, and at the same time, he learned to love others with all his souls”.

All the faculty and staff of Rikkyo University will value each and every one of you as an irreplaceable being. In turn, we want all of you to become people who will connect with others, with the same kind of love, and respect their dignity unconditionally. These words “Pro Deo et Patria” are also inscribed on the Rikkyo University student’s identification card that will be given to all of you. While you are studying at this University, I want you all to value these words as your proof, your mission and your pride of being a student of Rikkyo University.

At the inauguration of President Biden in January last year,2021, the 22-years old Black female poet Amanda Gorman read her poem which included these words:

“For there is always light, if only we’re brave enough to see it. If only we’re brave enough to be it”.

Gorman had a speech impediment. But she says she never saw that as a weakness. She kept on practicing for that day. On the great stage on the Capitol Hill, speaking with rich expression and freely in control down to the tips of her fingers, she sparkled majestically.

Even in front of you, for sure there is always light. You too are called to have the bravery to be the light. Here at Rikkyo University, please find that light which is yours alone. And then, become the light, and shine. Together, let us enjoy the infinite journey in search of truth.

I congratulate you, and I pray that your studies and your lives here at Rikkyo University will be blessed. Thank you very much.
新入生の皆さんへ(2022年度入学式(春季))
2022年4月2日、6日、7日
立教大学総長 西原 廉太

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。立教大学は、みなさんと共に迎える春を心待ちにしておりました。あらためて、みなさんのご入学を心より祝福したいと思います。

この2年はコロナ禍の中、みなさんも、それぞれに言葉に尽くしがたいご苦労があったことと思います。未だ状況は完全に落ち着きを見せませんが、この4月からは、可能な限り対面による授業を実施し、みなさんが池袋・新座、それぞれのキャンパスで自由に学び、豊かなキャンパスライフを送れるように、私たち教職員は、万全の対策を講じ全力でみなさんの学びと生活を支援いたします。

1874年、東京・築地にチャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が立教学校を創設した時に、ウィリアムズ主教は、当時の「実利主義」や知識、技術を物質的な繁栄と立身出世の道具とする日本の風潮とは明確な一線を画して、立教を「キリスト教に基づく真の人間教育を行う場」と位置づけました。それ以来、立教大学は、一貫して、一人ひとりの「人間の尊厳」を大切にし、他者の痛みに敏感に共感できる者たちを生み育てることを、「建学の精神」の根幹としてきました。「尊厳」を英語では「ディグニティ」(dignity)と言いますが、その語源はラテン語の「ディニタース」(dignitas)であり、本来の意味は「その存在に価値があること」です。すべての<いのちあるもの>の存在には価値があり、それは決して損なわれてはならない。立教大学は、この建学以来の理念を再確認しながら、昨年4月に「立教大学ヒューマン・ディグニティ宣言」を公表し、立教大学を構成するすべての学生・教員・職員が協働して具体的に取り組むことを、本学における最も重要な課題としています。

さて、今、この時も、ウクライナの地では、子どもたちも含めて、無数の市民たちの恐怖の中での涙や叫びが響いています。大切な<いのち>が奪われ続けています。戦争や武力の行使というのは、人間の究極の尊厳、ディグニティを蹂躙する最大の暴力に他なりません。ただちにあらゆる戦闘行為が中止され、一日も早くウクライナの人々の安全と、平和な社会が回復されること祈り、願い求めます。

みなさんには、今日、戦争が起きている最中に、大学生となられたということの意味を、ぜひとも深いところで思い巡らせていただきと思います。もしかすると、ウクライナでの戦争は遠い世界での出来事と感じておられるかもしれません。しかしながら、今からおよそ80年前には、まさしく、みなさんの先輩の立教生たちが、戦争によって学びの機会を奪われ、銃火によって、多くの未来ある若い命を落としたことを、私たちは、今この時に思い起したいのです。

今から12年前、2010年5月のことです。アメリカから突然、一通のメールが私のもとに届きました。それは、ウィスコンシン州に住むスティーヴン・カーという牧師さんからでした。まったく面識のない方からでしたので、戸惑いつつ読んだそのメールから知り得たのはこのようなことでした。

カー牧師の隣りの家に住むアール・ツヴィッキーという方がその前年の2009年、癌のため85歳で天に召された。ツヴィッキーは若い頃、太平洋戦争に従軍し、フィリピンで日本軍との戦闘となった。対峙した日本兵は死に、倒れた日本兵の胸ポケットにあった、寄せ書きの書かれた一枚の旗を持ち帰り、亡くなるまで大切に持ち続けた。彼が亡くなる直前、その旗にはいったい何が書かれているのを知りたいと言うようになった。
カー牧師は、その旗を、ウィスコンシン大学に持参し、そこで働く日本人の教授に解読を依頼した。そして判明したのは、この旗を持っていた日本兵が、実は、立教大学の現役学生であった、という事実であった。旗に記された寄せ書きから、この学生の名字は、間違いなく「ワタナベ」であることが分かった。

ツヴィッキーが亡くなるほんの数日前、癌で死に行こうとする病院のベッドに横たわる彼は、終戦以来、決して語ろうとはしなかった、その日の出来事について、この立教の学生がいかにして命を落としたかについて、カー牧師に打ち明けた。ツヴィッキーは、語り終えると、しばらくの間、沈黙していた。そして、彼は、カー牧師を見上げて、こう尋ねた。「この旗には、名前が書かれていたのか」と。カー牧師は、旗には、その兵士の家族や友人たちからのたくさんの激励の言葉と共に、実は、その日本兵の名が記されていることを告げた。

カー牧師からのメールは、このように続けられていました。

「アール・ツヴィッキーもワタナベも、若い青年であり、戦争によって、敵対し合う場へと連れ行かれたのです。戦争で、両国民が経験した互いの痛みと苦難は、歴史に十分記されています。しかし歴史書に書かれず、後代の者たちが知り得ていなかったのは、この一人の若い立教大学の学生であった日本兵についての物語であり、彼が戦いの中でいかに死んでいったのか、という事実なのです。無名の人々との戦争を抽象的に語ることは容易いことです。しかし、自分の『敵』が、家族に愛された若い青年であって、自らの希望と夢に溢れた青年であったことを知った時、戦争というものを語るのは、そう簡単なことではなくなるのです。ツヴィッキーは、その生涯のほとんどを、戦争の最中の、あの日の記憶と共に生きてきました。私は、アール・ツヴィッキーが、戦った相手について何かしらを知ったことで、彼が生涯負い続けてきた痛みの記憶を、ついに閉じることができたのだ、と信じているのです」

メールを受け取った後、すぐに私はカー牧師と連絡を取り、「旗」の写真を送ってもらい、立教大学もこの「ワタナベ」という学生の記録を必死に辿りました。ほとんど手がかりがない中、しかしながら驚くような偶然が重なり、すべてが判明しました。この学生は「渡邊太平」といい、学徒動員で戦地に赴き、1945年4月にフィリピン、セブ島で戦死した経済学部の学生でした。また、渡邊太平さんの姪御さんとも繋がることができたのです。

2010年10月27日、立教大学は「平和を祈る夕べ」をチャペルで開催し、その中で、日本に招いたカー牧師が携えた渡邊太平さんの「旗」は、ご遺族に返還されました。一人の大切な立教生の「証し」が、実に65年の歳月を経て、奇跡的に立教大学のキャンパスに戻ってきたのでした。

渡邊太平さんの「旗」はその後、ご遺族から立教大学に寄贈され、他の貴重な手紙や資料と共に、池袋キャンパスの立教学院展示館で公開されていますので、みなさんもぜひ確かめていただければと思います。

カー牧師が言うように、「戦争」とは、決して抽象的なものではありません。日本軍と米軍が戦った、と歴史には記されるのみですが、「渡邊太平」と「アール・ツヴィッキー」という名前を持った青年たちが、意図せず向かい合わざるを得なかった、というきわめて具体的な事柄なのです。そして、私たち立教大学も、時代状況ということはあれ、自分たちの大切な学生たちを、戦地に送り出してしまった、という責任を決して免れることはできません。私は、カー牧師からもらったこのメールを、ゼミの学生たちに紹介しました。学生たちはみんな、目を真っ赤にして聞いていました。私も、一人ひとりの学生の顔を見ながら、絶句してしまったことを忘れることはできません。

ウクライナの今に直面して分かるように、これは決して昔話ではないのです。何の不安もなく大学生としての学びと生活を送ることは、決して当たり前のことではありません。みなさんには、これからの時代への責任があります。そのために学問が必要なのです。徹底して真理と自由を探究しなければなりません。みなさんは、この立教大学で、人類が築きあげてきた「知」の体系に対する深い造詣と、それを現実の世界、社会の中で適応していく力を身につけてください。立教大学が大切にする本物のリベラルアーツ、すなわち、古典から現代、現代から未来へと至る有機的な「知」の礎と連鎖を了解して、確かな世界観、人間観、歴史観、価値観を形成していってください。ぜひ、たくさんの本をじっくりと読み込んでください。海外にも積極的に飛び出して、世界と出会ってください。立教大学がみなさんに提供するあらゆるものを、フルに使い尽くしていただければと願います。

これからのみなさんの立教大学での学びと生活が豊かに恵まれたものとなりますよう、お祈りしつつ、訓示とさせていただきます。
立教大学学生及び保証人の皆さま(2022年4月1日)

2021年度

卒業生の皆さんへ(2021年度学位授与式)
2022年3月24日、25日
立教大学総長 西原 廉太

学位を取得された皆さん、誠におめでとうございます。みなさんが入学された時に、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起こることなど想定されていた方は誰一人おられないと思います。2年前、突然としてみなさんの日常は一変し、みなさんの生活と学びにも言葉にならないほどの負荷がかかり、言葉にもできないような苦労を、それぞれになさったと思います。思い描いておられていたキャンパスでの学びや生活も予定通りには進まず、見通しのない日々に涙なさったこともあったことでしょう。

状況は未だ落ち着きませんが、しかしながら、本日、このようにして、みなさんと顔と顔を合わせながら、本年度の学位授与式を実施できますことを、私もうれしく思います。コロナ禍の最中、それでも挫けることなく、本日、この日を迎えられた、みなさんの努力に、私は立教大学総長として、心からの敬意を表するものです。同時に、この世界史的な出来事が起こったという時代の中で、みなさんがそれぞれの学位を授与されたことの、特別な意味をぜひとも思い巡らせていただければと願います。みなさんは、失ったものは大きかったけれども、しかしながら、与えられたものも限りないと信じています。

私がこの間に学んだことは、私たちは誰しもが、<災害と災害との間>、すなわち「災間」を生きる存在なのだ、ということです。私たちの歴史を振り返っても、震災や戦争、疫病といった災害は絶え間なく起こり続けています。地震や台風といった人間の力では防ぐことが叶わない自然災害、天災と、戦争などの、本来、絶対に起してはならない人災の間には、その質に決定的な違いがあるものの、一人ひとりの貴い命や尊厳が奪われ、傷つけられるという点では同じです。この間、新型コロナウイルス感染症によって、亡くなられた方々、一人でも多くの命を救おうと奮闘されている医療従事者のみなさんら、すべて関係者の方々を覚えたいと思います。さらには、今、この時も、ウクライナの地では、子どもたちをはじめとして、多くの人々の命が砲弾によって失われ続けています。一日も早く、ウクライナにおける軍事力の行使が中止され、これ以上、命の蹂躙がなされないことを祈り求めます。

確かに、私たちは、災害と災害、災禍・災難の間、狭間を生きている存在なのだ、いやその<災間>を生きざるを得ない存在なのだと思います。疫病や戦争といった大きな災難だけではなく、私たちの人生においては、必ず何かしらの苦難に行き当たるものです。まったく何の災いにも遭遇しないということは、私たちが生きている以上、あり得ないと言わざるを得ません。大切なことは、私たちはその<災間>を生きる者として、災いに遭ってもいかにそこから再び立ち上がることができるのか、なのだろうと思います。その意味では、いわゆる「レジリエンス力」は、確かにこれからの時代を生きて行くために、ますます必要とされていく力なのかもしれません。

「レジリエンス力」とは、「困難で脅威を与える状況にもかかわらず、うまく、しなやかに適応して生き延びる力」「困難な状況の下で、仮に一時的に不適応的な状態に陥ったとしても、そこからうまく回復する力」を意味します。しかしながら、私たちが気をつけておきたいのは、「レジリエンス」の本来の意味は、ただ単に「元に戻ること」なのでない、ということです。ただ、元通りになることを求めるのではなく、災いや困難に遭遇し、一度は傷つき、倒れても、立ち往生してしまっても、そこから再び、しなやかに回復していくこと、そして、さらには新たに生まれ変わっていくことこそが、「レジリエンス」なのです。

みなさんは星野富弘さんという方をご存知でしょうか。私が心から敬愛してやまない日本を代表する詩人であり、画家の方です。星野富弘さんは、大学を卒業された後は中学校の体育教師として働き始められ、クラブ活動の指導にも力を入れておられました。星野さんの生活が一変したのは、体育教師になってまだ間もない頃でした。マットの上で宙返りをした際に、着地に失敗して頭から落下してしまったのです。体がまったく動かせず、すぐに病院へ運ばれたのですが、頸髄を損傷してしまいました。その後何度も大きな手術を受けましたが、状況はまったく改善せず、一時は呼吸すら自力でできない状況に陥りました。2年が過ぎた頃、何とか自力で呼吸ができるようにはなりました。しかしながら、手足の自由が回復することはありませんでした。

ある日、「文字が書きたい」と願っておられた星野さんは、口にペンをくわえて文字を書くことに挑戦し始められます。それまでの星野さんは、手足が動かせなくなったことで「もう自分には何もできない」と絶望の内にありました。しかし、わずか1文字や1本の線が書けただけでも大きな喜びとなり、新たに生きる楽しみを見出されたのでした。聖書の言葉に相応しい花を思い浮かべながら花の絵も描くようになられました。そのようにして、花の絵に短い詩を書き添えるという、今や世界的に知られることになった、星野富弘さんの作風が完成していったのです。

星野富弘さんの第1作、『四季抄/風の旅』の中に「渡良瀬川」と題して書かれた一文があります。星野さんが小学生の頃、家の近くを流れる渡良瀬川で溺れかけた時のことをこのように記されています。


元いた岸の所に戻ろうとしたが流れはますます急になるばかり、一緒に来た友達の姿はどんどん遠ざかり、私は必死になって手足をバタつかせ、元の所へ戻ろうと暴れた。しかし川は恐ろしい速さで私を引き込み、助けを呼ぼうとして何杯も水を飲んだ。水に流されて死んだ子供の話が、頭の中をかすめた。しかし同時に頭の中にひらめいたものがあったのである。それはいつも眺めていた渡良瀬川の流れる姿だった。深い所は青青と水をたたえているが、それはほんの一部で、あとは白い泡を立てて流れる、人の膝くらいの浅い所の多い川の姿だった。たしかに今、私がおぼれかけ、流されている所は、私の背よりも深いが、この流れのままに流されていけば、必ず浅い所に行くはずなのだ。浅い所は、私が泳いで遊んでいたあの岸のそばばかりではないと気づいたのである。

「そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」

私はからだの向きを百八十度変え、今度は下流に向かって泳ぎはじめた。するとあんなに速かった流れも、私をのみこむ程高かった波も静まり、毎日眺めている渡良瀬川に戻ってしまったのである。下流に向かってしばらく流され、見はからって足で川底を探ってみると、なんのことはない、もうすでにそこは私の股ほどもない深さの所だった。私は流された恐ろしさもあったが、それよりも、あの恐ろしかった流れから、脱出できたことの喜びに浸った。

怪我をして全く動けないままに、将来のこと、過ぎた日のことを思い、悩んでいた時、ふと、激流に流されながら、元いた岸に泳ぎつこうともがいている自分の姿を見たような気がした。そして思った。

「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか。流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」

その頃から、私を支配していた闘病という意識が少しずつうすれていったように思っている。歩けない足と動かない手と向き合って、歯をくいしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かない<からだ>から、教えられながら生活しようという気持ちになったのである。


星野さんはこのように証言されておられます。確かに、聖書においても、「治る」「癒される」こととは、病いや不自由さの原因を取り除き、ただ元の姿に戻ることではなく、失われていた尊厳や存在を回復し、さらには、新しい<かたち>、新たな<いのち>となり、生まれ変わることを意味します。「そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」。星野富弘さんは、こうして、本物の「レジリエンス」を生きられているのだと思います。

みなさんはこれからこの学び舎を旅立たれますが、私たちは<災間>を生きざるを得ない存在であることを、常に忘れないようにしてください。みなさんがこれから漕ぎ出される人生という旅の小舟が、この数年がまさにそうであったように、時には思いもかけなかった嵐にもまれて溺れそうになり、座礁してしまうようなことも起こります。社会の中で、仕事をする中で、思い通りにはならず、困難な状況や人間関係に躓き、言い知れない孤独や不安に陥ることも、きっとあると思います。しかし、そんな時に、みなさんは、この困難な時代を生き抜き、立教大学での学びと生活をまっとうされたことを思い起こしてください。その証が、本日、ただいま、みなさんに授与された学位記にほかなりません。

立教大学がみなさんに、徹底して伝えたのは、「本物のリベラルアーツ」の大切さです。それは、<世界を読み解く力>であり、<世界を変えて行く力>であると同時に、どれほどの困難に直面しても、たとえ一度は倒れても、もう一度、新たなヴィジョンに向かって立ち上がっていくための<レジリエンスの力>です。

みなさんが今手にされている学位記は、みなさんがその学位に値するだけの十分な学びと研鑽を行ない、学位にふさわしい者となられたということを、立教大学が公式に認定したことを示すものであるとともに、みなさんには、これからの時代を生き抜くための<レジリエンスの力>がすでに備わっていることの証でもあるのです。

すべての学部卒業生ならびに大学院修了生のみなさんお一人おひとりが、この証に誇りを持ちながら、新しい世界を構想し、豊かな、いのち溢れる未来を生きていってくださることをお祈りして、私の式辞とさせていただきます。
2011年3月11日を胸に刻み続けること(2022年3月11日)
ウクライナの地に平和を(2022年3月2日)
立教大学で学ぶ留学生の皆様へ(2022年2月17日)
2021年度学年末試験実施における本学の対応について(2022年1月24日)
10月18日(月)からの対面授業再開にあたって(2021年10月8日)
学生の皆さんへ ー緊急事態宣言解除に向けてー(2021年9月27日)
卒業生の皆さんへ(2021年度大学院学位授与式・特別卒業式[9月])
2021年9月17日
立教大学総長 西原 廉太

この秋、立教大学は8名に博士、31名に修士、198名に学士の称号を授与することができました。学位を取得された皆さん、誠におめでとうございます。とりわけ、昨年初頭に突然として発生した新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって、みなさんの日常は一変し、みなさんの生活と学びにも言葉にならないほどの負荷がかかり、大変な苦労をなさったと思います。キャンパスでの授業や研究も予定通りには進まず、見通しのない日々に涙なさったこともあったことでしょう。状況は未だ落ち着きませんが、しかしながら、本日、このようにして、本年度の学位授与式を実施し、みなさんと顔と顔を合わせながら、直接、学位記をお渡しできますことを、私もうれしく思います。コロナ禍の最中、それでも挫けることなく、本日、この日を迎えられた、みなさんの努力に、私は立教大学総長として、心からの敬意を表するものです。同時に、この世界史的な新型コロナウイルス感染症パンデミックの時代に、みなさんがそれぞれの学位を授与されたことの、特別な意味をぜひとも思い巡らせていただければと願います。

さて、個人的な話で恐縮ですが、私は大学での専門は、工学、とりわけ超電導や太陽電池の素材などに用いられるアモルファス金属の研究でした。それが、その後、キリスト教神学研究へと大きく方向を転回させたのは、さまざまな痛みや苦しみの現場で生きざるを得ない人々との出会いでありました。その一つが京都の東九条という地域での在日韓国朝鮮人の方々との出会いであり、もう一つは、沖縄にあります国立ハンセン病療養所、愛楽園での元ハンセン病の方々との出会いです。ハンセン病は、結核と同じ抗酸菌の仲間の「らい菌」によって引き起こされる感染症ですが、治療法も確立し、一般の医療施設で診察治療できるごく普通の疾患です。しかしながら、全国にあるハンセン病療養所には、過去の偏見差別等から社会に復帰できずに今でも多くの方が生活の場として暮らしておられます。

2001年5月、ハンセン病国家賠償請求訴訟の原告と当時の小泉首相が面会した、という出来事がありました。その際に、原告のお一人、鹿児島県の国立ハンセン病療養所星塚敬愛園にお住まいであった日野弘毅(こうき)さんは、このような証言をされました。


「昭和24年、16歳で入所して以来、ずっと療養所の中におります。私にも愛する家族がありました。昭和22年の夏、突然保健所のジープがやって来ました。私を収容にきたのです。母はきっぱりと断ってくれました。ところが、ジープは繰り返しやってきました。昭和24年の春先、今度は白い予防着の医師がやってきて私を上半身裸にして診察したのです。
その日から私の家はすさまじい村八分にあいました。18歳だった姉は婚約が破談となり、家を出なければならなくなりました。小学生の弟は、声をかけてくれる友達さえいなくなりました。弟がある日、母の背中をたたきながら、「ぼく病気でないよねぇ」と泣き叫んだ姿を、忘れることはできません。このまま家にいればみんながだめになると思い、自分から市役所に申し出て、入所しました。それなのに家族の苦難はやみませんでした。
それから20年あまり、母が苦労の果てに亡くなったときも、見舞いに行くことも、葬儀に参列して骨を拾うこともかないませんでした。18歳の時、家を飛び出した姉は、生涯独身のまま、平成8年、らい予防法が廃止になった年の秋に自殺しました。姉の自殺は母の死以上に、私を打ちのめしました。
姉の思い。母の思い。いまだに配偶者に私のことを隠している弟、妹の思い。そのために、私は訴訟に立ちました。
判決の日、私は詩をつくりました。
太陽は輝いた/90年、長い暗闇の中/ひとすじの光が走った/鮮烈となって/硬い巌(いわお)を砕き/光が走った/私はうつむかないでいい/市民のみなさんと光の中を/胸を張って歩ける/もう私はうつむかないでいい/太陽が輝いた」


このような証言でありました。
日野さんは、2017年10月19日、老衰のため83歳で召されました。みなさんはこの日野さんの証言をどのように聴かれたでしょうか。みなさんは、立教大学で、人文学、社会科学、自然科学と言われる学問を学ばれました。しかし、日野さんの人生において言い知れない痛みと重荷を彼に背負わせた責任が、国家のみならず、「学問」にもあることを、どうか大切に受け止めていただきたいと思います。

当時の医学の専門家は、ハンセン病に対する偏見に囚われて、絶対隔離政策を推進するために、この病気が猛毒の菌による強烈で不治の伝染性疾患であるとの誤った情報を社会に浸透させ、病者と家族に重大な損害を与えました。戦後の1947年から、日本の療養所でもアメリカから輸入した特効薬のプロミン治療でハンセン病は完全に治る病気になったにもかかわらず、日本国憲法下においても、「らい予防法」を廃止せず、強制隔離政策や「無らい県運動」を継続したため、ハンセン病患者と回復者への偏見・差別による人権侵害が助長されることになりました。これはこうした法制度を残し、また、人権意識の醸成にも貢献できなかった社会科学や人文学に明確な責任があります。

今日の日まで、みなさんと共に在った学生証には、立教大学のシンボルマーク、校章が透かしで入っていました。校章の真ん中に置かれている本は、聖書ですが、その上には“Pro Deo et Patria(プロ・デオ・エ・パトリア)”というラテン語が刻まれています。Proは「~のため」、Deoは神、etは英語の“and”、Patriaは祖国や国という意味ですので、“Pro Deo et Patria”を直訳すると、「神と国のために」ということになります。しかしながらDeoには「普遍的な真理」、Patriaには、「隣人や社会、世界」という内容が含まれています。したがって、“Pro Deo et Patria”が示す本来的な内容とは、普遍的なる真理を探究し(Pro Deo)、この世界、社会、隣人のために働くこと(Pro Patria)となるわけです。普遍的真理を探究し、この世界、社会のために働く者を育てることが、立教大学のまさに「ミッション」(使命)であることを、この建学の標語、“Pro Deo et Patria”は常に私たちに思い起こさせてくれるのです。

普遍的なる真理を探究すること(Pro Deo)とは、同時に、専門家という権威のもとに語られるものが常に絶対に正しいことはなく、時に、誤り得るのだという事実に徹底して謙虚になることでもあります。そのことに自覚的であり続けながら、“Pro Patria”、隣人、社会、世界に具体的に奉仕することが、学問を修めた者の責任なのであり、そのような者たちを生み育てることこそが、立教大学の「建学の精神」なのであります。

日野さんは、さきほどの証言の中で、このように語られました。「もう私はうつむかないでいい」「光の中を/胸を張って歩ける」。この言葉は、まさに、失われていた人間としての尊厳、存在の回復宣言です。私たちが求められているのは、私たち一人ひとりが、誰ひとりこぼれ落ちることなく、「もう私はうつむかないでいい」「光の中を/胸を張って歩ける」と宣言することのできる社会、世界の実現です。立教大学の学位記に込められた思いとは、みなさんが、一人ひとりの「人間の尊厳」を大切にし、他者の痛みに敏感に共感できる者であり続けていただくことです。「尊厳」を英語では「ディグニティ」(dignity)と言いますが、その語源はラテン語のDignitasであり、本来の意味は「その存在に価値があること」です。すべての<いのちあるもの>の存在には価値があり、それは決して損なわれてはならない。これこそが、立教大学が創立以来、大切にしてきた規範にほかなりません。みなさんには、ぜひとも、苦しむ人々、疎外された人々の痛みに寄り添い、癒やす者となっていただきたいと願っています。それは、コロナの時代に巣立つみなさんに課せられた大切なミッション、使命でもあります。

みなさんはこれからこの学び舎を旅立たれます。みなさんの人生という旅の小舟が、時には嵐にもまれて溺れそうになったり、座礁してしまうようなことも起こります。予想もしない困難な状況や人間関係につまづいたり、言い知れない孤独感に陥ることも、きっとあると思います。しかし、そんな時に、みなさんもまた、「あなたは、うつむかないでいい」「光の中を/胸を張って歩け」と励まされ、導かれている存在であることを思い起こしてください。そんな時には、ぜひ、またこのキャンパスを訪ねてきてください。私たちはいつでも、みなさんを待っています。

みなさんが今手にされている学位記は、みなさんがその学位に値するだけの十分な学びと研鑽を行ない、学位にふさわしい者となられたということを、立教大学が公式に認定したことを示すものであります。学位を取得されたことに誇りを持ちながら、これからの人生の旅路を、自信をもって歩んでいただければと願います。学位の取得、そしてご卒業、誠におめでとうございます。
President's Address on 2021 Fall Entrance Ceremony
Renta Nishihara, President
September 17,2021

Congratulations, new students, on joining this university. Rikkyo University has been waiting for you. I want to give you all a heartfelt blessing as you join us.

Over the last year and a half, we’ve all been in an extraordinary situation the like of which we’ve never experienced before. The global pandemic of novel coronavirus infection has restricted contact and interaction between people. That has had the effect of reaffirming to us the importance of connection between people. I believe this has been a time for all of us to look closely and think deeply about just how irreplaceable is the work of being together with others and reflecting on one’s own way forward.

In this context, Rikkyo University has been building a new campus life through a process of trial and error, as we search for ways to avoid interrupting our students’ studies. As we assign the highest priority to health, in its physical, emotional, and social aspects, we have been investigating new possibilities for online learning, even as we reaffirm the significance of face-to-face classes. We will also support all our students as they pursue diverse forms of study in line with their ambitions, and elevate their own bright and outstanding strengths as far as they wish to. As we face this terrible pandemic, I want all of you, who are bravely joining Rikkyo University today, to start your lives here with this University as a new center for value creation.

The history of Rikkyo University dates back to 1874, when Bishop Channing Moore Williams, a missionary from the American Episcopal Church, founded Rikkyo School in Tsukiji. So Rikkyo University has 147 years of history. Not many people know this, but Rikkyo University is one of the oldest modern universities in Japan.

The Episcopal Church which founded the University originated in the Church of England, the Anglican Church, and it has around 85 million members in 165 countries. The Anglican Communion is the largest of the Protestant churches and, like the Roman Catholic Church, it is an official United Nations NGO. There are Anglican universities, research centers, hospitals, and social welfare facilities around the world, and Oxford University and Cambridge University have historical connections with the Anglican tradition. There are no other universities in Japan with this kind of global network.

The history of the Anglican Church dates back to the year 597. The simplest expression of the characteristic approach of the Anglican Church is that it does not adhere to papal absolutism, or to the scriptural fundamentalism seen in some Protestant churches. In short, it rejects absolutism and fundamentalism of all kinds. Given that approach, it’s not so strange that the Anglican Church has produced many of the scholars of literature and natural science, such as Shakespeare, Isaac Newton, and Robert Boyle, who formed humanity’s knowledge. Rikkyo University was also born from that history. You are all travelers in a constant search for truth, carrying humanity’s heritage of knowledge with you. Your never-ending journey in search of truth, beyond time and space, begins right here, today.

Please take a look at your ceremony program. It is marked here with the symbol of Rikkyo University. The book there in the center is the Scripture. And there’s something written above the Scripture. Here’s what it says: “Pro Deo et Patria”. These words express with spirit with which Rikkyo University was founded. “Pro Deo et Patria” is Latin. Pro means “for”, Deo is “God”, et is “and”, and Patria means “nation or mother country”. So, a direct English translation of “Pro Deo et Patria” would be “For God and country”. However, Deo also includes the sense of “universal truth”, while Patria includes “our neighbor, society, and world”. Therefore, the inherent meaning of “Pro Deo et Patria” is to search for universal truth (Pro Deo) and to work for this world, for society, and for one’s neighbor (Pro Patria). The nurturing of people who will search for universal truth and work for our world and society is the true mission of Rikkyo University, and our founding motto, “Pro Deo et Patria” always reminds us of that.

“Pro Patria”, means becoming a person who will give compassionate service to their neighbor, to society, and to the world; one who can value the human dignity of every individual and sensitively empathize with the pain of others. This university must also contribute to attaining the UN Sustainable Development Goals (SDGs), which set the realization of a world where we "Leave No One Behind" as one of the targets, and to movements to value human dignity in a society under the spreading of novel coronavirus infection. The word "dignity" is derived from "Dignitas" in Latin, which has the original meaning of "having value in its existence". The existence of all living things has value, and that value must never be harmed. That has been the principle for Rikkyo University since its foundation.

I’d like to introduce you to an essay which will give you all an idea of the essential nature of that principle. This essay was printed in the “Henshu Techo” (Editor’s Notebook)” column of the Yomiuri Shimbun newspaper, dated October 29th, 2000.

“Tsuyoshi Saito started refusing to go to school when he was in the first year of junior high school. He was serious, and criticized himself harshly for any little slip. He tried to take his own life in the spring when he was 20 years old. He poured gasoline over himself. His father, who had been watching over his behavior on the advice of a psychiatrist, embraced his son at that moment. Covered in gasoline himself, he cried out. “Tsuyoshi, light the fire”. Embracing, the two cried out and continued weeping. “For my father, am I so irreplaceable that he would die together with me? At that moment, for the first time in his life, Tsuyoshi truly felt that his life had value. Tsuyoshi later told the story to this psychiatrist, Hajime Morishita”.

That was the essay. In addition to running a medical clinic in Himeji, Morishita also got actively involved with school-refusing children. He made a free-school and a boarding high school for them, and was awarded the Yoshikawa Eiji Prize for Literature. This is what we can learn from Morishita. “Tsuyoshi saw his father who loves him more than his life. At that moment, Tsuyoshi knew that he was loved, and at the same time, he learned to love others with all his souls”.

All the faculty and staff of Rikkyo University will value each and every one of you as an irreplaceable being. In turn, we want all of you to become people who will connect with others, with the same kind of love, and respect their dignity unconditionally. These words “Pro Deo et Patria” are also inscribed on the Rikkyo University student’s identification card that will be given to all of you. While you are studying at this University, I want you all to value these words as your proof, your mission and your pride of being a student of Rikkyo University.

At the inauguration of President Biden in January this year, the 22-years old Black female poet Amanda Gorman read her poem which included these words:

“For there is always light, if only we’re brave enough to see it. If only we’re brave enough to be it”.

Gorman had a speech impediment. But she says she never saw that as a weakness. She kept on practicing for that day. On the great stage on the Capitol Hill, speaking with rich expression and freely in control down to the tips of her fingers, she sparkled majestically.

Even in front of you, for sure there is always light. You too are called to have the bravery to be the light. Here at Rikkyo University, please find that light which is yours alone. And then, become the light, and shine. Together, let us enjoy the infinite journey in search of truth.

I congratulate you, and I pray that your studies and your lives here at Rikkyo University will be blessed. Thank you very much.
2021年度春学期授業実施方法の一時変更について(2021年4月27日)
新2年次生の皆さんへ(2020年度4月入学者対象入学式)
2021年4月24日
立教大学総長 西原 廉太

この春に2年次生となられた、学部生、研究科院生のみなさんに、立教大学総長として、ご挨拶させていただきます。1年遅れではありますが、皆さんの入学式をこのようにして執り行うことができますことを、心から喜んでおります。あらためて、ご入学おめでとうございます。

2年次生となられたみなさんは、昨年春、大学での新生活が不自由で、先の見えない日々から幕開けました。みなさんそれぞれに、苦しく、辛い思いをされたと思います。先輩たちも、ゼミや正課外の活動において、みなさんと親交を深めようと考えていた矢先に、その多くを断念せざるを得なくなりました。

昨年の3月時点での、私たちの最重要課題は主要には2つでした。第一には、まず何よりも、みなさん、学生と教職員の命と健康を守ることです。そして、第二には、決して学びを止めないことでした。その結果、すべての授業をオンラインで実施することとなりました。みなさんにも相当な負荷をかけてしまいましたが、みなさんの誠実な協力によって、一年次を終えることができました。まずそのことに、私は総長として、新2年次生のみなさんに心からの感謝を申し上げたいと思います。私は、そのような困難の中にあっても、みなさんが立教生としての誇りを失うことなく、この一年を大切に過ごされたであろうと信じています。

明日から再び東京都に緊急事態宣言が発令されることになり、それに伴って、授業方針も一時的に変更せざるを得ませんが、2年次生のみなさんには、この一年の経験を大いに役立て、新しいキャンパスライフの中でさらなる高みを目指してくださることを願っています。

私たちは、新型コロナウイルス感染症の世界的なパンデミックという「危機」に直面しています。大学でも、キャンパスを舞台とした活動が制限されて、これまで当たり前とされていた日常が失われてしまいました。けれども立教大学は、衆知を集め、誰一人取り残さない本学らしい在り方を模索し続け、みなさんを、あらためてキャンパスに迎える準備を鋭意進めてきました。安心・安全を確保しながら、各学部・学科、大学院・研究科でも、それぞれ工夫をこらして、学びを高めるための実践を、みなさんと創り上げてまいります。それは、オンラインの良さも生かしながら、対面の授業を効果的に展開する授業の形にも反映されると思います。そして、みなさんには、新たな価値創造の主体として、この立教大学をさらに発展させる担い手になってほしいと願っています。

さて、立教大学を開設したのは「聖公会」、聖書の「聖」、公共性の「公」、教会の「会」で「聖公会」と言い表すキリスト教会ですが、聖公会の歴史は西暦597年まで遡ります。聖公会の考え方の特徴を一言で言いますと、ローマ教皇絶対主義も、プロテスタント教会に見られる聖書絶対主義も取らないこと、つまり、あらゆる「絶対主義」や「原理主義」を否定するところにあります。真理を求めて「道」のただ中を歩み続けることを大切にしてきたのです。このような流れの中で、シェイクスピアやアイザック・ニュートン、ロバート・ボイルらに代表される人類の知を形成した、聖公会につながる文学者、自然科学者が多数輩出されてきたことは決して不思議なことではありません。立教大学もこの歴史の中で生み出されたのです。みなさんも、人類の知の遺産を継承し、真理を絶えず探究し続ける旅人です。みなさんがすでに昨年春から始められているこの旅は、与えられた解答の中からマークシートを塗りつぶす作業などではありません。それは、真理を目指した終わることのない、時間と空間を超えた「旅」にほかならないのです。

立教大学の「建学の精神」は、“Pro Deo et Patria”という標語に示されています。その本来の意味は、普遍的真理を探究し、この世界、社会のために働く者を育てることこそが、立教大学のまさに「ミッション」(使命)であるということです。「普遍的なる真理を探究し、この世界、社会、隣人のために働く者となれ」。この“Pro Deo et Patria“という言葉は、みなさんがすでに毎日持ち歩いておられる「立教大学の学生証」にも刻まれています。みなさんは、立教大学で学ぶ間、常にみなさんの学生証と共に、“Pro Deo et Patria”をその身に担うことになるのです。立教大学の学生であることの証しとして、使命として、また誇りとして、ぜひこの“Pro Deo et Patria”という言葉を大切にしていただきたいと願います。

私たちはコロナ禍という状況の中にあるからこそ、究極の「他者への愛と優しさ」を大切にしたいのです。「ステイホーム」が安全と言われても、最も被害を受けるのは、もともと「ホーム」のない人をはじめ、社会的な弱者、生活困窮者であることを。手洗いが大切と言っても、自宅に水とせっけんで手を洗う環境がない人々がこの世界にいることを。立教大学で学ばれるみなさんには、こうしたことに思いを至らせてほしいのです。それはキリスト教に基づく、立教大学の「建学の精神」の根幹でもあります。

コロナウイルスの蔓延を防ぐために、未だほとんどすべての国境を越える往来は不自由なままです。しかし、だからこそ、みなさんには、今、大きな困難の中にある世界を顧みて欲しい。この先にある未来に思いを馳せてもらいたい。みなさんの立教大学での学びと生活を通して、新たな社会、世界を構想できる者となってください。

今年1月にアメリカで行われたバイデン大統領就任式で、22歳の黒人・女性の若き詩人、アマンダ・ゴーマンさんが旧約聖書のミカ書4章4節を引用しながら詠った詩には、このような言葉がありました。

「光はいつもそこにあるのです。私たちにそれを見つめるだけの勇気さえあるならば。私たちが、光になるという勇気さえあるならば」

ゴーマンさんには発話しょうがいがありました。しかし彼女は、それを弱みだと思ったことはない、と言います。この日のために練習を重ねました。アメリカ国会議事堂、キャピトルヒルの大舞台で、両手指の先まで自在に操りながら、豊かな表情で、「沈黙が必ずしも平和ではない」と語りかける彼女は堂々と輝いていました。

みなさんの前にも、きっと光はいつもそこにあります。みなさんも、光となる勇気を抱くようにと招かれています。ぜひ、この立教大学で、あなただけの光を見つけてください。そして、みなさんご自身が、光となって輝いてください。ご一緒に、真理を探究する無限の旅を楽しんでまいりましょう。

これからのみなさんの立教大学での学びと生活が豊かに恵まれたものとなりますよう、お祈りしつつ、新2年次生のみなさんに送る言葉とさせていただきます。
立教大学ヒューマン・ディグニティ宣言
新入生の皆さんへ(2021年度入学式 [学部・大学院])
2021年4月6日、7日
立教大学総長 西原 廉太

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。立教大学は、皆さんと共に迎える春を心待ちにしておりました。あらためて、皆さんのご入学を心より祝福したいと思います。

今日に至るまでの1年間は、私たちがこれまで経験したことのない非日常の連続でした。新型コロナウイルス感染症の世界的なパンデミックは、人々の接触や交流そのものを制限しました。このことは、私たちに人と人との絆の重要性を再認識させる結果となりました。他者と共に在り、自己の歩む途を照らすという作業がどんなにかけがえがないことなのかを見つめ、深く考えさせる1年間であったと思います。

そのような中、立教大学は学生の学びを止めないために試行錯誤し、新しいキャンパスライフを創造しつつあります。心身および社会的健康を最優先に考えながら、対面による授業の意義を改めて確認しつつ、オンラインの新しい可能性も探究してきました。そして、すべての学生がその志向に応じた多彩な学びを進め、自らの優れて明るい「強み」を存分に高めることを支援します。新入生の皆さんには、新たな価値創造の拠点として、立教大学での生活をスタートしていただきたいと思います。

立教大学の歴史は、1874年、アメリカ聖公会の宣教師、チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が築地に「立教学校」(St. Paul’s School)を創立したのが始まりです。立教大学としては147年もの歴史を有しているわけです。あまり一般には知られていませんが、立教大学は日本における最古の近代大学のひとつでもあるのです。

立教大学を開設したのは「聖公会」、聖書の「聖」、公共性の「公」、教会の「会」で「聖公会」と言い表すキリスト教会ですが、聖公会は英国国教会、イングランド国教会が源流の、世界約165カ国(8,500万人)に広がる教会です。これはプロテスタント教会では最大の規模であり、ローマ・カトリック教会と共に国連の正式NGOで、世界中に聖公会の大学、研究所や病院、社会福祉施設があり、英国のオックスフォード大学、ケンブリッジ大学も聖公会と歴史的につながる大学です。このように、世界的なネットワークにつながっている大学は、日本では他に類を見ることができません。

聖公会の歴史は西暦597年まで遡ります。聖公会の考え方の特徴を一言で言いますと、ローマ教皇絶対主義も、プロテスタント教会に見られる聖書絶対主義も取らないこと、つまり、あらゆる「絶対主義」や「原理主義」を否定するところにあります。真理を求めて「道」のただ中を歩み続けることを大切にしてきたのです。このような流れの中で、シェイクスピアやアイザック・ニュートン、ロバート・ボイルらに代表される人類の知を形成した、聖公会につながる文学者、自然科学者が多数輩出されてきたことは決して不思議なことではありません。立教大学もこの歴史の中で生み出されたのです。皆さんも、人類の知の遺産を継承し、真理を絶えず探究し続ける旅人です。これからの皆さんの旅は、もはや与えられた解答の中からマークシートを塗りつぶす作業ではありません。今日、この日、この場所から、皆さんの真理を目指した終わることのない、時間と空間を超えた「旅」が始まるのです。

さて、皆さんが今お持ちの式次第をご覧ください。そこには立教大学のシンボルマーク、校章が描かれています。真ん中に置かれている本は、聖書です。そして聖書の上に何か文字が書かれていますね。それはこういう言葉です。“Pro Deo et Patria(プロ・デオ・エ・パトリア)”。これこそが立教大学の建学の精神を表す言葉です。“Pro Deo et Patria”とはラテン語で、Proは「~のため」、Deoは神、etは英語の“and”、Patriaは祖国や国という意味ですので、“Pro Deo et Patria”を直訳すると、「神と国のために」ということになります。しかしながらDeoには「普遍的な真理」、Patriaには、「隣人や社会、世界」という内容が含まれています。したがって、“Pro Deo et Patria”が示す本来的な内容とは、普遍的なる真理を探究し(Pro Deo)、この世界、社会、隣人のために働くこと(Pro Patria)となるわけです。普遍的真理を探究し、この世界、社会のために働く者を育てることが、立教大学のまさに「ミッション」(使命)であることを、この建学の標語、“Pro Deo et Patria”は常に私たちに思い起こさせてくれるのです。

“Pro Patria”、隣人、社会、世界に具体的に奉仕する者となるというのは、一人ひとりの「人間の尊厳」を大切にし、他者の痛みに敏感に共感できる者となることです。「誰一人取り残さない」世界の実現を目標として掲げる国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成と、さらには、新型コロナウイルス感染症蔓延下の社会において「人間の尊厳」を大切にする働きに、本学も貢献しなければなりません。「尊厳」を英語では「ディグニティ」(dignity)と言いますが、その語源はラテン語の「ディニタース」(dignitas)であり、本来の意味は「その存在に価値があること」です。すべての<いのちあるもの>の存在には価値があり、それは決して損なわれてはならない。これこそが、立教大学が創立以来、大切にしてきた規範にほかなりません。

この規範の本質について皆さんに知っていただくために、一つの記事をご紹介したいと思います。読売新聞の『編集手帳』というコラムにこのような記事が掲載されていました(2000年10月29日付)。

「斎藤強君は中学1年の時から不登校になる。まじめで、ちょっとしたつまずきでも自分を厳しく責めた。自ら命を絶とうとしたのは、20歳の春の時だった。ガソリンをかぶった。精神科医の忠告で彼の行動を見守っていた父親は、その瞬間、息子を抱きしめた。自らもガソリンにまみれて叫ぶ。『強、火をつけろ』。抱き合い、二人は声をあげて泣き続けた。一緒に死んでくれるほど、父親にとって自分はかけがえのない存在なのか。あの時、生まれてはじめて、自分は生きる価値があるのだと実感できた。強君は、後にこの精神科医、森下一さんにそう告白する。」このような記事でした。

森下さんは、姫路市に診療所を開設する傍ら、不登校の子どもたちに積極的に取り組まれています。彼らのためにフリースクールと全寮制の高校も作り、吉川英治文化賞も受賞されていますが、森下さんから教えられるのは、こういうことです。「命がけで自分を愛してくれる父親と出会う。この時、強君は愛されていることを知り、同時に人を命がけで愛することを知ったのだ」と。

立教大学の全教員、全職員は、皆さんの一人ひとりを、かけがえのない存在として、大切にいたします。そして、皆さんもまた、このような愛をもって、他者とつながり、その尊厳を限りなく尊ぶ者となっていただきたいと思います。「普遍的なる真理を探究し、この世界、社会、隣人のために働く者となれ」、この“Pro Deo et Patria“という言葉は、皆さんに与えられる「立教大学の学生証」にも刻まれています。皆さんは、立教大学で学ぶこれからの4年間、常に皆さんの学生証と共に、“Pro Deo et Patria”をその身に担うことになるのです。立教大学の学生であることの証しとして、使命として、また誇りとして、ぜひこの“Pro Deo et Patria”という言葉を大切にしていただきたいと願います。

今年1月にアメリカで行われたバイデン大統領就任式で、22歳の黒人・女性の若き詩人、アマンダ・ゴーマンさんが旧約聖書のミカ書第4章4節を引用しながら詠った詩には、このような言葉がありました。

「光はいつもそこにあるのです。私たちにそれを見つめるだけの勇気さえあるならば。私たちが、光になるという勇気さえあるならば」

ゴーマンさんには発話しょうがいがありました。しかし彼女は、それを弱みだと思ったことはない、と言います。この日のために練習を重ねました。アメリカ国会議事堂、キャピトルヒルの大舞台で、両手指の先まで自在に操りながら、豊かな表情で、「沈黙が必ずしも平和ではない」と語りかける彼女は堂々と輝いていました。

皆さんの前にも、きっと光はいつもそこにあります。皆さんも、光となる勇気を抱くようにと招かれています。ぜひ、この立教大学で、あなただけの光を見つけてください。そして、皆さんご自身が、光となって輝いてください。ご一緒に、真理を探究する無限の旅を楽しんでまいりましょう。

これからの皆さんの立教大学での学びと生活が豊かに恵まれたものとなりますよう、お祈りしつつ、お祝いの言葉とさせていただきます。

新入生・新2年次生の皆さんへ(2021年4月1日)
総長就任にあたって(2021年4月1日 第22代総長就任宣誓式)
本日、ただいまの宣誓式をもって、立教大学第22代総長に就任いたしました、西原廉太です。
私に与えられました任期は4年ですが、その最終年度の2024年には、いよいよ、立教大学・立教学院創立150周年を迎えます。立教にとって非常に大きな節目となる150周年を備える総長として、今、あらためて、その責任の大きさをひしひしと感じているところです。
立教大学を創設した「聖公会」は、「教育」というものを、宣教・伝道のためのツールとしてではなく、教会としての「ミッション」(使命)の具体的な表現、実践として、伝統的に理解してきた教会です。その原理とは、神の「呼びかけ」(calling/召命)に応えて、自ら学び舎を作り、教壇に立つという、余人を以って代え難い務めを担うことに他なりません。
私たち、立教大学につらなる者たちの「ミッション」とは、この「呼びかけ」に対する「応答」を、その時代々々の中で、再現し続けることです。今から147年前の1874年に、創立者、チャニング・ムーア・ウィリアムズが米国聖公会の支援のもと、築地の外国人居留地に、「立教学校」(St. Paul’s School)を開学した時に、ウィリアムズが受けとめたその「呼びかけ」の声を、可能な限り雑音を排除して、鮮明に、かつ深いところで、聴き取ることのできる「場所」を捜し求めること。その時々の時代的状況の中にあって、いかにすれば、その「場所」に至ることができるかを、全身全霊で思いめぐらし、苦闘すること。これこそが、私たち、立教大学に、また、とりわけ、創立150周年を迎える、第22代総長に課せられた「ミッション」であると確信しています。
私が、総長として最初に行う仕事は、本日付けで、立教大学の全学生、全教職員に対して、『立教大学ヒューマン・ディグニティ宣言』を発信することです。ウィリアムズは、当時の「実利主義」や知識、技術を物質的な繁栄と立身出世の道具とする日本の風潮とは明確な一線を画して、立教を「キリスト教に基づく真の人間教育を行う場」と位置づけました。それ以来、立教大学は、一貫して、一人ひとりの「人間の尊厳」を大切にし、他者の痛みに敏感に共感できる者たちを生み育てることを、「建学の精神」の根幹としてきました。そのことを、私はまずもって、立教大学の全構成員と共に確認したいのです。
「尊厳」を英語では「ディグニティ」(dignity)と言いますが、その語源はラテン語の「ディニタース」(dignitas)であり、本来の意味は「その存在に価値があること」です。神によって創造されたすべての<いのちあるもの>の存在には価値があり、それは決して損なわれてはならない。これこそが、立教大学が創立以来、規範としてきたキリスト教の中心的教理であり、本学の教育、研究、社会貢献のすべての基礎的原理でなければならないと考えています。
「立教的価値」、「立教モデル」を、世代を超えてつなぎながら、<All立教>で、力をあわせて、立教の未来を創造していきたい。来る、2024年、立教大学創立150周年に向かって、立教大学の「建学の精神」を再確認しつつ、私たちの立教大学を、教える者と学ぶ者、そしてそれを助ける者が、真に「誇れる大学」に、そして、「選ばれる大学」へと、ご一緒に変革していきたい。そのために、私は総長として、全力で、また、誠実に、私に与えられたミッションを果たしてまいります。どうか、お支えくださいますよう、心よりお願い申し上げます。
最後に、米国の神学者、ラインホルド・ニーバーの祈りに聴きながら、私の総長就任の挨拶とさせていただきます。


神よ、変えるべきものを変える勇気と
変えてはならないものを受け入れる冷静さと
そしてその両者を見分ける知恵を、私たちに与えてください

アーメン

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