チャプレン長メッセージチャペル
建学の精神(2025年4月入学式奨励より)

チャプレン長 広田 勝一
これから立教大学で学ぼうとする皆さん、入学おめでとうございます。皆さんの入学は自分ひとりの力だけでなく、家族を含めた多くの方々の支えがあってのことだと思います。謙虚な気持ちと感謝の気持ちはいつまでも大切にしたいものです。
私たちの立教は、今から166年前に、聖書の教えに従って、真理と愛の道を伝えるために、アメリカから日本に来られた一人の宣教師によって創立されました。この宣教師の名は、C. M. ウィリアムズと言います。米国聖公会の聖職で、後に主教となりましたので、私たちはウィリアムズ主教と呼んでおります。そのウィリアムズ主教によって、151年前、築地居留地の一角に「立教学校」が誕生したのです。
151年前、当初の生徒は5名とも8名とも言われ、聖書と英語を教える小さな私塾でありました。しかし生徒は徐々に増えていくことになります。この小さな学校が「立教学校」と呼ばれました。また創立者ウィリアムズ主教は、学校のみならず日本聖公会というキリスト教会の礎を築いた人であり、出会った人々はその謙虚さと高潔な人格に感銘を受けてきました。
日本在住50年、熱意ある開拓精神、業績を誇らない謙虚さ、何よりも自分ではなく神に栄光を帰する歩み、帰国する際にはごく限られた人だけに伝え、船上から神の祝福を祈りつつ日本を離れました。このようなウィリアムズ主教の生涯は、まさに「道を伝えて己を伝えず」この言葉に集約されます。
また立教学校の英語名は、セント・ポールズ・スクールと呼ばれるようになります。つまり聖パウロ学校です。この聖パウロは、キリスト教を世界に広めた伝道師で、聖書にも多くの書簡を残しています。入学式の式次第にある「聖書」の言葉(コリントの信徒への手紙一第12章31節~13章8節)も、聖パウロによるものです。この箇所では、愛こそが最高の価値あるものであると語ります。後半で「愛は忍耐強い」とあります。そして愛は「真理を共に喜」び、さらに愛は「すべてに耐えます」と。ここには神というお方は、すべてをゆるし、私たちの可能性と善意を信じ、それが必ず育っていくと希望し、耐えながら待っておられるお方であることが示されます。
さて皆さんにとり立教の建学の精神は、まずこの入学式において感じられるかもしれません。このタッカーホールに入れば正面には十字架が掲げられており、十字架と校旗を先頭にプロセッションがありました。壇上の校旗をみれば、紫に白地で十字が描かれています。まさにこの十字はイエス・キリストを指し示す十字架です。イエスが歩まれた道、それは苦しみ、困難の中に生きる人と共に歩む愛の道であります。さらにイエスは、当時の権力者との対立によって、十字架にかかります。しかし最後まで神への信頼を貫き通す正義の道を示されたお方です。
こうした愛と正義の道を歩み続け、私たちに本当の自由の道を開こうとされたお方が、イエスであります。私たちの校旗は、私たちに様々な困難、苦しみにぶつかっても、しっかりとそこに踏みとどまりつつ、愛と正義の道を歩むように求められています。
私たちの立教の創立者であるウィリアムズ主教は、こうした「道」を伝えることを使命としていたのであります。今、愛と正義の道と云いましたが、私たちの校歌に注目したいのです。
この式の最後に校歌を歌います。校歌「栄光の立教」は、本学が東京六大学野球連盟に加入したのをきっかけにつくられ、約百年前、1926年の卒業式で初めて公に歌われました。1節の歌詞を言い直すと「富士山が遠くに見え、ムラサキの花が咲き乱れている武蔵野台地に、自由の学府である立教大学の校舎が堂々とそびえたっている」となります。ぜひ覚えていただければと願います。特に2節の「愛の魂、正義の心」、この言葉に心を留めていただきたい、先ほどの「愛と正義の道」と重なってきます。
立教の教育目標は、キリスト教に基づく人格教育、人間形成にあります。このキリスト教に基づくという点でありますが、この具体化がチャペルの存在に象徴的に現されています。立教大学には2つのキャンパスがありますが、新座キャンパスに入ると、まずチャペル(聖パウロ礼拝堂)が皆さんを迎えています。そしてこの池袋キャンパスにあるチャペル(諸聖徒礼拝堂)は、キャンパスの中でも本館、そして旧図書館(現在、展示館)に次いで建てられています。竣工105年となりました。このように両キャンパスに入れば、まずチャペルがあります。そこでは日々、世界の正義と平和のため、そして立教学院のため、そして皆さんのために祈りが捧げられています。これが立教です。
またこの入学式では、祈り、聖書の朗読がありました。祈りの最後に唱えるアーメンとは、その通り、真実を意味します。まさに祈りが共有されるのです。どうぞチャペルでの昼の祈り、夕の祈りに参加し、立教の心を感じ取っていただければと願います。
最後になりますが、入学された皆さんは人生の目的をどこにおくのでありましょうか。どうぞこの数年間の学びの中で、それが神を知ること、つまり普遍的真理探究にあるということを学び取ってもらいたい。イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われました。この道、真理、命を知る。ここに私たちの目的を見出したいのであります。創立者ウィリアムズ主教の心(思い)もここにあります。どうぞ真理探究の場、時として、与えられた学びの時を過ごしてください。
「真理があなたがたを自由にします。」
入学された皆様の上に、神の豊かな祝福と今後の導きをお祈り申し上げます。
私たちの立教は、今から166年前に、聖書の教えに従って、真理と愛の道を伝えるために、アメリカから日本に来られた一人の宣教師によって創立されました。この宣教師の名は、C. M. ウィリアムズと言います。米国聖公会の聖職で、後に主教となりましたので、私たちはウィリアムズ主教と呼んでおります。そのウィリアムズ主教によって、151年前、築地居留地の一角に「立教学校」が誕生したのです。
151年前、当初の生徒は5名とも8名とも言われ、聖書と英語を教える小さな私塾でありました。しかし生徒は徐々に増えていくことになります。この小さな学校が「立教学校」と呼ばれました。また創立者ウィリアムズ主教は、学校のみならず日本聖公会というキリスト教会の礎を築いた人であり、出会った人々はその謙虚さと高潔な人格に感銘を受けてきました。
日本在住50年、熱意ある開拓精神、業績を誇らない謙虚さ、何よりも自分ではなく神に栄光を帰する歩み、帰国する際にはごく限られた人だけに伝え、船上から神の祝福を祈りつつ日本を離れました。このようなウィリアムズ主教の生涯は、まさに「道を伝えて己を伝えず」この言葉に集約されます。
また立教学校の英語名は、セント・ポールズ・スクールと呼ばれるようになります。つまり聖パウロ学校です。この聖パウロは、キリスト教を世界に広めた伝道師で、聖書にも多くの書簡を残しています。入学式の式次第にある「聖書」の言葉(コリントの信徒への手紙一第12章31節~13章8節)も、聖パウロによるものです。この箇所では、愛こそが最高の価値あるものであると語ります。後半で「愛は忍耐強い」とあります。そして愛は「真理を共に喜」び、さらに愛は「すべてに耐えます」と。ここには神というお方は、すべてをゆるし、私たちの可能性と善意を信じ、それが必ず育っていくと希望し、耐えながら待っておられるお方であることが示されます。
さて皆さんにとり立教の建学の精神は、まずこの入学式において感じられるかもしれません。このタッカーホールに入れば正面には十字架が掲げられており、十字架と校旗を先頭にプロセッションがありました。壇上の校旗をみれば、紫に白地で十字が描かれています。まさにこの十字はイエス・キリストを指し示す十字架です。イエスが歩まれた道、それは苦しみ、困難の中に生きる人と共に歩む愛の道であります。さらにイエスは、当時の権力者との対立によって、十字架にかかります。しかし最後まで神への信頼を貫き通す正義の道を示されたお方です。
こうした愛と正義の道を歩み続け、私たちに本当の自由の道を開こうとされたお方が、イエスであります。私たちの校旗は、私たちに様々な困難、苦しみにぶつかっても、しっかりとそこに踏みとどまりつつ、愛と正義の道を歩むように求められています。
私たちの立教の創立者であるウィリアムズ主教は、こうした「道」を伝えることを使命としていたのであります。今、愛と正義の道と云いましたが、私たちの校歌に注目したいのです。
この式の最後に校歌を歌います。校歌「栄光の立教」は、本学が東京六大学野球連盟に加入したのをきっかけにつくられ、約百年前、1926年の卒業式で初めて公に歌われました。1節の歌詞を言い直すと「富士山が遠くに見え、ムラサキの花が咲き乱れている武蔵野台地に、自由の学府である立教大学の校舎が堂々とそびえたっている」となります。ぜひ覚えていただければと願います。特に2節の「愛の魂、正義の心」、この言葉に心を留めていただきたい、先ほどの「愛と正義の道」と重なってきます。
立教の教育目標は、キリスト教に基づく人格教育、人間形成にあります。このキリスト教に基づくという点でありますが、この具体化がチャペルの存在に象徴的に現されています。立教大学には2つのキャンパスがありますが、新座キャンパスに入ると、まずチャペル(聖パウロ礼拝堂)が皆さんを迎えています。そしてこの池袋キャンパスにあるチャペル(諸聖徒礼拝堂)は、キャンパスの中でも本館、そして旧図書館(現在、展示館)に次いで建てられています。竣工105年となりました。このように両キャンパスに入れば、まずチャペルがあります。そこでは日々、世界の正義と平和のため、そして立教学院のため、そして皆さんのために祈りが捧げられています。これが立教です。
またこの入学式では、祈り、聖書の朗読がありました。祈りの最後に唱えるアーメンとは、その通り、真実を意味します。まさに祈りが共有されるのです。どうぞチャペルでの昼の祈り、夕の祈りに参加し、立教の心を感じ取っていただければと願います。
最後になりますが、入学された皆さんは人生の目的をどこにおくのでありましょうか。どうぞこの数年間の学びの中で、それが神を知ること、つまり普遍的真理探究にあるということを学び取ってもらいたい。イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われました。この道、真理、命を知る。ここに私たちの目的を見出したいのであります。創立者ウィリアムズ主教の心(思い)もここにあります。どうぞ真理探究の場、時として、与えられた学びの時を過ごしてください。
「真理があなたがたを自由にします。」
入学された皆様の上に、神の豊かな祝福と今後の導きをお祈り申し上げます。