立教大学社会福祉ニュース
第23号(WEB2号), 2003年3月31日発行

【文献紹介】

安永浩.2002.『精神科医のものの考え方 ―私の臨床経験から』.金剛出版.

所員・立教大学名誉教授
サラソタ対人コミュニケーション研究所 佐藤悦子

 友人のダンナとして知り合い,その後,御自宅での勉強会に出席させて貰ったり,職場の東大分院を訪ねたり,学会で講演を聞いたりして,私は著者の安永氏と親しさを増して行ったのであるが,そうして,精神科医としての臨床姿勢,理論的シャープさ,温厚な人となりにひかれていったのだが,氏の著作を(特に全集を)きちんと読むことだけはしていなかった。此度,この本を手にして初めて,彼の世界の全貌に触れることができたのであった。そうして感動した。
 安永氏は,1950年代に「統合失調症」(旧精神分裂病)についての独創的な理論を紹介した。学生時代に親しんだウォーコップ(O.S. Waucope)の"パターン"(自己-他,全体-部分,生命-物質,質-量など,ある種の対概念のこと。これらの対概念は,片方〔前項〕が根源的な出発点であり,他方〔後項〕は,前項無しには成立しないこと。)を踏まえて,彼等の世界を"パターン逆転"として説明したのである。例えばよく知られている,離人体験(何を見ても,何に触れても,自分が主体的に何かを経験しているとの感覚が無い)は,前項と後項の順序が逆転した状態であると。この論によって,統合失調症者理解に,"説明仮説を使いながら了解をすすめる"という"方法論的権利"が与えられたのである。
 氏はその後,この"パターン逆転"に生理学的原理をつけ加えて,"ファントム(幻視)空間仮説"(錯覚によって,身体の実感空間に一種のパターン逆転が起きること)を発表している。この仮説によれば,幻覚・妄想状態は"外界の圧力と自分の意味づけとの力関係が逆転する"と説明できるだろう。本書ではウォーコップ理論から"パターン逆転"を経て,"ファントム空間仮説"までの展開が,氏の精神科医としての臨床経験,生育史の文脈の中で,分かり易く語られている。
 本書は18章から成立している。1990年出版の全集(安永浩著作集Ⅰ-Ⅳ,金剛出版)から洩れていた,又はその後書かれた文章を含め,扱われているトピックは巾広く,家族,季節-自然,社会現象,回顧,精神医学の理論と臨床に亘っている。形式はエッセイ,講演,対話と多様である。しかし,いずれのトピックにも彼の端正な目が優しく注がれており,共感を以って読むことができる。以下,心理-社会臨床に携わっている人々に関心のあると思われる章名をあげておく。
第1章 精神療法総論の諸問題
第4章 精神療法と哲学
第5章 解釈と言語
第6章 分裂病について,患者と家族にどう話すか
第7章 精神療法の本質 ―五つのテーマに触発されて―
第9章 カルテ開示の時代における精神科医
第14章 「暗黙知」(M.ポラニー)をめぐって
第16章 対話「因果論と合理主義 ―パターン逆転とは何か―」
 本書が魅力的なのは,メンタルヘルス業界従事者の臨床実践にとっての必要・充分条件が,安永氏によって,重層建築物として提示されていることだ。すなわち,人間実存の尊厳への優先的配慮(存在論),その上での確固とした説明原理への依拠(認識論),実践上の道案内(技術論)の総合がそれである。精神科医,精神病理学者としての氏の人間理解への正面突破的姿勢が,専門的レベルでの記述に傾くのは当然であるが,本人も言われる通り,本書が「・・・人生の認識それ自体を整頓し,明るくし,・・・心の健康を保ちつづけるのに役立つ・・・」ことを疑わない。拾い読みの大いに可能な本書の一読をおすすめする。
ニュース目次
to TopPage

立教大学社会福祉研究所 〒171-8501
東京都豊島区西池袋3-34-1  地図
E-mail : r-fukushi@grp.rikkyo.ne.jp

立教大学