第5章
立教学院の拡大(1955~1967)

3学部体制でスタートした新制大学は、その後、大学院を設置するとともに、文学部の社会学科を母体とする社会学部(1958年)と、法学部(1959年)を相次いで設置し、その後長らく続く5学部体制を確立しました。こうした組織的な拡大は、高度経済成長に伴い高等教育が普及する中で、学生数の増加という量的な拡大をもたらし、60年代の半ばには1万人を超えるまでになりました。

一方、大学の拡大にともない、これまで大学総長とともに院長が兼務していた小学校・中学校・高等学校の校長は、1958(昭和33)年から各校専任の校長になりました。これにより、各校独自の取り組みも積極的になされていくようになり、1960(昭和35)年には、埼玉県新座市に取得した新たな校地に、高等学校が移転をしました。

(写真5_01)

(写真5_01)東京裁判で東条元首相の弁護人を務めた清瀬一郎と写る松下正寿学院院長・大学総長
東京裁判で東条元首相の補佐弁護人を務めたこともある松下正寿は、佐々木順三の後任として立教学院院長・大学総長・各校校長に就任した。社会学部・法学部などの新設や5号館・6号館の建設、原子力研究所の開設など、大学の拡大に尽力した。写真は、1957(昭和32)年1月29日に帝国ホテルで開かれた立教大学新年祝賀パーティーの時のもの。左から2人目が松下、その右が清瀬一郎。

(写真5_02)

(写真5_02)原子炉の炉心部
米国聖公会から寄贈を受けた立教大学原子力研究所(神奈川県横須賀市)の原子炉は、日本で4番目に設置されたものであった。同研究所は、所期の目的は十分に達成されたとの判断に基づき、2001年に原子炉の稼働を停止し、2003年には廃止届けを提出した。2017年現在、廃止措置中にある。

(写真5_03)

(写真5_03)大学校舎5号館(池袋)の落成(1959年4月)
松下正寿総長のもと、法学部の設置にあたって新設された5号館。

(写真5_04)

(写真5_05)

(写真5_04、05)六大学野球4連覇
1953(昭和28)年に20年ぶりに優勝した立教大学野球部だが、57(昭和32)年の春からは4連覇という快挙をなしとげた。(写真5_04)は、優勝を祝う提灯行列。(写真5_05)は、1957年春季リーグ戦優勝時の長嶋茂雄、本屋敷錦吾、杉浦忠、浅井精の各選手(右から)。

(写真5_06)

(写真5_06)箱根駅伝
立教スポーツが大きく花開いた1950年代。なかでも1957(昭和32)年1月には箱根駅伝で3位(写真)と健闘、翌58(昭和33)年には箱根駅伝7位、バスケットボール部の全日本学生選手権優勝、六大学野球での4連覇と好結果が続いた。

(写真5_07)

(写真5_07)有賀千代吉小学校校長
厳しい財政状況のなかで小学校創設に尽力した。1948(昭和23)年の開校時には教頭、1949(昭和24)年からは主事、専任校長制へ移行した58(昭和33)年からは校長と、小学校草創期の要職を歴任した。

(写真5_08)

(写真5_08)高橋昊中学校校長
専任校長制へ移行した翌年の1959(昭和34)年から72年まで校長を勤めた。立教中学校を「一流校」とすべく、「学力の向上」や「設備の充実」に取り組んだ。

(写真5_09)

(写真5_09)縣康高等学校校長
1953(昭和28)年から主事となり、専任校長制となった58(昭和33)年から71(昭和46)年まで校長を勤めた。1960(昭和35)年には、狭隘な池袋校地から新座への移転を実現した。

(写真5_10)

(写真5_10)中学校「収穫感謝祭」の様子
毎秋おこなわれる「収穫感謝祭(礼拝)」を写した1枚。有志により果物や缶詰が持ち寄られている。 (『〔立教中学校卒業アルバム〕』1962年3月より)

(写真5_11)

(写真5_11)落成当時の新座チャペル
写真は1963年落成当時の新座チャペル。建築家のアントニン・レーモンドの設計による。定礎式が1月25日の聖パウロ回心日におこなわれ、「立教学院聖パウロ礼拝堂」と命名された。

(写真5_12)

(写真5_12)新座チャペルとベルタワー
チャペルの建設後、1967(昭和42)年に付設施設である、チャペル会館やベルタワーなどが完成した。

(写真5_13)

(写真5_13)新座チャペルの内部

(写真5_14)

(写真5_14)新座の立教高校新校舎落成
高等学校の移転に伴い1960(昭和35)年に建設された高等学校校舎。本館は、鉄筋コンクリート造三階建てで、30教室を用意した。

(写真5_15)

(写真5_15) 立教高校宿舎(東寮)

(写真5_16)

(写真5_16) 立教高校宿舎(西寮)
(写真5_15、16)立教高校宿舎(東寮)・(西寮)
全国から生徒を集めらるよう、1960(昭和35)年4月に開寮した(写真5_15)。1963(昭和38)年には西寮(写真5_16)、1965(昭和40)年には和寮が完成した。