乱歩と戦争、東京へのノスタルジー

佐野 史郎(俳優、アーティスト)

2023/10/11

トピックス

OVERVIEW

幼少期に乱歩作品に出会い、物の見方や思考の仕方に大きな影響を受けたという佐野史郎さん。乱歩の生涯や作品を、時代背景としての「戦争」をキーワードに読み解くとき、どんな世界がみえるのか。そして、乱歩作品に描かれた東京の風景への郷愁。朗読や映像作品を通して乱歩を表現し、模索しつづけている佐野さんにとって「江戸川乱歩」とは何か。

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乱歩と戦争、東京へのノスタルジー/佐野史郎(俳優、アーティスト)

戦争とともにあった乱歩の人生

—— 乱歩邸には、これまでに何度もお越しいただいていますね。

佐野史郎(以下略) ええ。1990年代に番組のロケで来たのが最初ですから、30年くらい経ちますね。当時は乱歩のご子息の(平井)隆太郎さんもお住まいだったので、乱歩邸にはまだ以前からの気配が残っていました。それからも何度かお邪魔する機会があって、蔵の中にも入れていただきました。

—— 2019年に立教大学で「乱歩と戦争」と題してご講演いただきましたが、今年3月には「防空壕」(『文芸』1955年7月)の朗読と、平井憲太郎さんとの対談が池袋でおこなわれました。

「防空壕」を朗読したのは初めてでしたね。乱歩作品をずっと読み続けていると、直接であれ間接であれ、常に背景に「戦争」というものが感じられるんです。たとえば、乱歩の「芋虫」(『新青年』1929年1月)は、戦前は左翼系の人たちに反戦小説として支持されたそうですが、本人はそんなつもりじゃなかったと。とはいえ、平和でなければ作品も書けないでしょうし、「反戦」といった大げさな運動やメッセージでなくても、「戦争にならないように」という気持ちは生涯を通してずっとお持ちだったのではないかと感じたので、なぜそうなったかを細かく紐付けしていけたらと思ったんです。

—— 近年の佐野さんにとって、乱歩を語るうえで「戦争」が重要なキーワード。

戦争のことが気になったきっかけは、作品の背景を知るためでした。乱歩が生まれたのは1894(明治27)年、日清戦争の年でしょう。それで日露戦争が10年後の1904(明治38)年。乱歩は子どもの頃から何度も戦時下を生きていて、いつも戦争が人生のターニングポイントだった。引っ越したり、古本屋さんをやったり。無自覚だと思うんだけど。そして東京オリンピックという国家的事業のあとに亡くなったわけです。

—— 明治期以来、戦争とともにあった乱歩の人生。

ええ。乱歩本人は、意識してそのことを作品などに書いたつもりはなかったかもしれない。でも、結果的に、この国がどうなって、市井の人たちがどのように暮らしていたか、何を美しいと思い、何が正しくて何が間違っているのかを問い続けた人生であり、作品群だったと思うんです。その「問い続けること」が大切だと、僕は乱歩から教わった。それはさらに次の世代に必ず伝わっていくと思います。

朗読することでわかること

—— 乱歩の文体は、語りかけてくるような調子も独特です。その背景には、乱歩が幼少期に黒岩涙香の小説などを母親から読み聞かせられていた体験も大きかったのかと。

それは大きいでしょうね。

—— 佐野さんは、乱歩の作品を朗読されてきました。1997年には新潮社のカセットブックで「人間椅子」と「押絵と旅する男」を収録されています。最近、ドワンゴのオーディオブックで「鏡地獄」と「芋虫」が配信されました。朗読という観点から、乱歩はどのように見えるのでしょうか。

いつも反省するんですが、やっぱり江戸川乱歩ってある種の権威だし、いわば「立派な作家」じゃないですか(笑)。そういう認識の上で、どうしても乱歩作品を読んでしまう。その呪縛から逃れるのは難しいですよね。

—— 「立派な作家」という呪縛。

僕ね、乱歩を朗読すると「ちゃんとしちゃう」んです(笑)。皆さんがちゃんとしたものを聞きたがっているのもわかるし。出鱈目な話だからといって「これは出鱈目ですよ」って読んでもダメだし。だから、皆さんと一緒に「さて、どうなんでしょう?」って問いかけながら、ずっと話の筋を追っていけばいいんですけどね。ましてや「語り聞かせてあげる」みたいな心根がちょっとでもあったらダメ……というか、そんな芸はないんだけど(笑)。

—— その意味では「防空壕」という一般的にあまり知られていない小説を読むことは、佐野さんのおっしゃる権威化された乱歩でなく、ニュートラルに入っていけるきっかけにもなるのでしょうか。

そうですね。それに、乱歩作品はやっぱり短編がいいじゃないですか(笑)。「人でなしの恋」とか、朗読するにはちょうどいいですし。

—— 時を経て朗読する場合、以前からの変化などはおありですか。

それは乱歩作品だからというより、朗読するときの心根ですね。「このお話と共に一緒にひとときを過ごしましょう」と。ただ、それは自分と受け手との間に信頼関係がないと難しいんですよ。自分で自分を演出するのって本当に難しくて。

—— その難しさというのは、どういったところでしょうか。

誤解を恐れずに言えば、「観客は信じない」というところから始めて、観客に話の内容を信じさせる技術。僕はそういうものを持ち合わせてないし、不器用だし(笑)。なので、書いてあることを音にして、観客の皆さんと一緒に話に向きあうしかないわけです。もちろん半分は自分に語り聞かせているんだけど……その自分だって当てにならないからね。くり返しになりますが、乱歩はずっと戦争というものに翻弄され、共に生きざるを得なかった。そして、我々は相も変わらずにそうやって生きている。そう思いながら乱歩作品を読むと、少年のときのような受けとめ方とはまた違って、老境にさしかかりつつある今、なおさら共感や切実さが増すんです。

映像化される乱歩

—— 乱歩は、小説が読み継がれているだけでなく、二次創作的な派生作品がとくに多い作家だと思うんです。

そうですね。新しい「少年探偵団」シリーズが出たときは嬉しかったもんな。「あ、携帯出てきた!」とか(笑)。それはそれで楽しいですよ。

—— 佐野さんご自身、乱歩原作の映像作品に数多く出演されています。

そうですね。俳優の中では、多いほうかもしれません。

—— 映像化される乱歩ということについて伺えますか。

それは監督次第ですからねえ。映像作品では、田中登監督の『江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者』(1976年)が一番好きかもしれないな。いどあきおさんの脚本で、石橋蓮司さんが主演された。

—— ご自身の出演作ではいかがですか。

手前味噌ですけど、1994(平成7)年に自分がやったオムニバスドラマの『乱歩—妖しき女たち—』(TBS)もなかなかいいんじゃないかな(笑)。たとえば、デビューしたばかりの常盤貴子さんと共演した「接吻」(『映画と探偵』1925年12月)という小品は、あまり知られていないかもしれませんが、乱歩らしい鏡を使ったトリックで映像向きだし、どうしてもやってみたいと思ったら通ったので嬉しかったですね。あの頃は、僕もわがまま放題だったので、乱歩がいち早く紹介したラヴクラフトの『ギミア・ぶれいく インスマスを覆う影』(TBS、1993年)なんかもやってしまって(笑)。

—— 『ずっとあなたが好きだった』(TBS、1992年)で、佐野さんがマザコン男を演じて「冬彦さん現象」を巻き起こしたて、続編の『誰にも言えない』(TBS、1993年)もつくられました。そのあとに乱歩の企画が実現した。

ええ。『ずっとあなたが好きだった』と『誰にも言えない』の視聴率が幸いよかったから企画が通ったんでしょうね(笑)。声をかけてくださったプロデューサーの貴島誠一郎さんも乱歩好きだったし、演出の吉田秋生さんも幻想怪奇文学が大好きな方で。あの頃のTBSは変な人がたくさんいたんですよ(笑)。だから、バンドじゃないけど、そういうメンバーが集まっていたからこそできた。それぞれに乱歩やホラー、ミステリーに対する熱い思いを持ってた人たちが、たまたまドラマの現場に携わっていた。それだけなんです。

—— 偶然の出会いが作品になっていった。

そうですね。マザコン男のドラマがヒットしたのも、そんなメンバーだったからできたことでね。仮に橋田壽賀子さんの脚本だったら、たぶんそうはならないわけで。それはそれでおもしろいですけど(笑)。でも、ストーリーは変わらないのかな? ホームドラマとしては。家族のいざこざは一緒ですからね。

—— 不条理の表れ方が違うだけかもしれません。

そういうことですよね。だから、乱歩作品をどう映像化するかは、つまり原作の中の何を見ているかで変わるのでしょう。物語を解釈する上で何が正しくて何が間違ってるということはないと思います。もちろん、僕の中での、個人的な線引きはありますけどね。

乱歩に惹かれている理由

—— そんな佐野さんが、あえて一番好きな乱歩作品を選ぶとしたら……。

いろいろな作品に携わってきましたけど……やっぱり「押絵と旅する男」(『新青年』1929年6月)かな。こんな言い方をすると本当に僭越だし、失礼かもしれないけど、作品としての完成度といい、描写といい、遠近法の逆転の感覚が身体にズシンと入ってくる。あれはすばらしいですよね。2021年に神奈川近代文学館のイベントで朗読したんですが、ひさしぶりに朗読したら、新たな構造に気がついたんです。つまり、押絵の中の兄と一緒に旅をしていると言いながら、あの弟はお兄さんを殺したなって思ったんですよ。

—— なるほど。読みながら発見があった。

本番前に何度も読んでるうちに気がついたことでしたけど。なので、新潮カセットブックで読んだときと、今は解釈がかなり変わってますね。

—— 時期の問題もあるかもしれませんが、黙読と朗読とで乱歩作品の受けとめ方は変わるものですか。

黙読の場合は自分が文字の中に入っていくけど、音読は文字が自分の身体の中に入ってくるので、逆の行為ですね。どっちがどうってわけじゃなくて、それぞれの楽しみがある。ようは、文字を読む喜び。中上健次や石川淳の小説を読んでるときもワクワクするんです。権威ある文学者たちですが、単純に文字が身体に入ってくる。文学っておもしろいなと心底思います。

—— 文字に没入する喜びはありますね。

そう。この語り口がたまらない、とかね。人によっては読みにくいだろうけど。ラヴクラフトにハマったのも、原文が難解だから誰が訳しても読みにくいのかもしれないけど、その読みにくさがいいじゃないですか。それで言うと、乱歩は非常に読みやすいし、引っ掛かりは少ないかもしれない。だけど、引き込まれる。若い子たちに読み親しまれているラノベの元祖の一面もあるのかな? 「押絵と旅する男」が一番好きだけど、乱歩世界の集大成としては、やはり「孤島の鬼」(『朝日』1929年1月~30年2月)でしょうね。

—— 「孤島の鬼」は今、BLの文脈で非常に人気を博しています。

腐女子の大好物。そこは乱歩も意識的に書いてるだろうしね。悪いやつだな(笑)。

—— (笑)。改めて、佐野さんが乱歩に惹かれてきた理由を伺えますか。

子どものときに「少年探偵団」シリーズを読んだのが、乱歩との最初の出会いでしたが、なぜそんなに夢中になったのか、いま改めて考えるんですが、愚かさや切なさ、生きる喜びは、世の中の善悪や常識、法律が定める正しいこと、間違ってることに左右されるのではなく、人が生きるうえで何が大切なのかを考えさせてくれたからなのかなと。僕はそれを、学校や家庭ではなく、乱歩の言葉の中に嗅ぎとった。もちろん当時は意識はしていなかったけど。「これでいいんだ」と。そして「二十面相、がんばれ!」と思うわけです(笑)。
—— 明智側、つまり正義とされる側ではないほうを応援したくなる。

乱歩に限らず、ウルトラマンよりも怪獣やマッドサイエンティストに感情移入するし、マカロニ・ウエスタンなんてクリント・イーストウッドよりリー・ヴァン・クリーフのほうに感情移入してた。そういう個人的な「おまえ、ちょっと変だよ」って言われるところは受け入れるとして(笑)。でも、間違ってるといわれるもののほうが正しいんじゃないかという物の見方と、本当はどうなってるのかを考える思考の仕方を、乱歩作品と出会ったことで、学んだんじゃないかな。そんなふうに、今になって振り返っています。

旧江戸川乱歩邸応接間/2023年6月19日
動画撮影・編集:吉田雄一郎(立教大学メディアセンター)
写真撮影:末永望夢(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター)
聞き手・文:後藤隆基(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教)



※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。

プロフィール

PROFILE

佐野史郎(さの・しろう)

1955年山梨県で生まれる。生後まもなく東京へ引っ越し、6歳の時に島根県松江市へ。高校卒業後、上京。75年に劇団「シェイクスピア・シアター」の創設メンバーとして参加。80年に唐十郎主宰「状況劇場」に移り、84年まで在籍。86年に林海象監督のデビュー作『夢みるように眠りたい』に映画初主演。92年、TBS金曜ドラマ『ずっとあなたが好きだった』で桂田冬彦を演じて脚光を浴びる。ドラマ、演劇、映画、ドキュメンタリー番組、ナレーション、朗読など数多くの作品に出演するほか、写真、音楽活動もおこなっている。

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