2005.12.05
自校教育——それは大学のアイデンティティを学生諸君と共有する作業である」。このことを再認識させられ、多くのことを学ばされたシンポジウムだった。
これほど焦点のはっきりした、そして落ち着いた感じのシンポジウムは滅多にないというのが、終わったときの実感である。参加者の出された感想文にも開催の意義を高く評価される意見が多く、反面、「時間が足りない、質疑の時間がもっとほしかった」という注文も少なくなかった。その点は反省させられたが、全体として大いに成功した企画だったといえるのではないか。PRの趣意文には「この種のシンポジウムはおそらく日本初の企画であると思われます」と書かれている。まさにそれが実現したのである。
忙しい12月上旬の月曜日の開催だったにもかかわらず、参加者は総計約140名に上った。ポスターとウエブを通じての広報が効いたのかも知れないが、立教大学・立教学院内からはもちろんのこと、かなり遠くの大学から参加された方が目立った。東京および近県では青山学院、桜美林、北里、慶応義塾、中央、東京農業、東京女子、東洋学園、日本、日本女子、フェリス女学院、法政、横浜市立、麗澤の各大学のほか、国立教育政策研究所、日本私立大学協会がある。西からは、福岡大学、大谷大学、仏教大学、岐阜聖徳大学、皇學館大學、中部大学、日本福祉大学その他があり、大学院生の姿も目立った。主宰者側に立つものの一人としてまことに感謝に堪えない。
基調講演、事例報告、そしてある意味で最も難しい指定討論の役を務めて下さったお二人の先生に、心からの感謝を捧げさせていただきたい。
さて筆者が「自校教育はアイデンティティ共有作業だ」ということを認識したのは、今回が初めてではない。
私事にわたるが、シンポジウムの前年、2004年10月に私立大学協会に招かれ、千葉県幕張の大きなホテルで開かれた加盟大学教務部課長宿泊研修大会で「自校教育という新しい実践」と題して、講師の一人を勤めた。450人ほどの参加者を前に、体験と動向、意義と方式などを話した。わずか1時間の話だったが、終わったときの反響の大きさには驚いた。廊下で待ちかまえた人たちがたくさんいた。口々にいろいろな感想を語りかけ「うちでもやってみたい」「科目を創るように先生方に言ってみます」と話し込まれる。長い講師体験のなかでも、あんなことは滅多になかった。このときの聴衆のなかに京都・仏教大学の教職員の方たちがおられたのが縁になって、今年(2005)の秋、あらためて同大学に招かれた。自校教育というテーマだけを掲げて、全教員・幹部職員の方たちにお話したのだった。そのときの職員のお一人に、このシンポジウム会場でもお会いした。上京して参加されたのである。
思えば、幕張のときも教員の方は50人ほどで、あと400人ほどはすべて管理職あるいはそれより若い職員の方たちだった。すなわち、「自校教育」というテーマは、カリキュラム編成の第一次責任者である教員にとって身近なものであるだけでなく、職員の方にとっても他人事ではないテーマなのである。
「カリキュラム経営」という言葉がもしあるとすれば、自校教育をカリキュラムのなかに盛り込むか否か、盛り込むとすればどう企画するかといったことは、さしづめカリキュラム経営の「戦略的目標」の一つになるものと思われる。ただし、幕張のホテルの廊下で筆者を呼び止めた人たちの熱気は、そんなあざとく冷たい動機から出たものではなかったように思う。「せっかく入学してきた学生達に自分たちの大学のことを分かってほしいと思っていました。でもどうすればいいのかが分かりませんでした。答えの一つが見えました」と言われる職員の方が多かった
第二に興味深かったのは、「自校教育の授業の評価をどう行っているか」という質問であった。
自分のいる大学を知るというこの科目の場合、果たしてミニマム・エッセンシャルズ(最低必要事項)を憶えたか、理解したかといった通常のテストの尺度で評価することは妥当か。この疑問が、質問の前提にあったと思われる。大学沿革史の基礎知識を試すようなかたちで成績評価はしていない、というのが共通の答えであった。今後深められるべき論点だと思うが、現状を知って安心させられるものがあった。
第三にこの点に関連して気づいたのは、どの先生の口からも「建学の精神」とか「愛校心」とかいった言葉が吐かれなかったことである。
自校教育ということを謳う場合、常識的にはその授業を通じて「建学の精神を理解させる」「愛校心を涵養する」といった目標が掲げられることが少なくないはずであるが、そのような「精神的」な目標に言及された方はなかった。立命館小学校の新設計画についての問題点を話すこともあると語られた小関先生の話にはもちろんのこと、「人間陶冶の村」が消え、「キャンパスライフの無機質化」が進んでいる大学の状況を克服することを自校史教育の趣意の一つとして語られ、さらに人物論を介して今後の科目発展を図りたいと明治大学の例を報告された渡辺先生の話のなかにも、上記の言葉を聞くことはなかった。
これもやはり歴史学専攻者が多かったことによるかも知れない。歴史と実証の立場からすれば、例えば建学の精神を先験的・超歴史的に唱えたり説いたりすることは全くなじまない作業であり、筆者自身も立教大学について学生たちに話した際、そのように説いたことはなかった。経験から言えば、大学が行ってきた聡い選択や一時期取った誤った針路を、いずれも正直・正確に伝えることこそ歴史教育としては当然のことであり、加えてアイデンティティ共有の最良の手段でもあると思う。
九州大学がかつて取った植民地経営への参与をどう教えているかという上田信先生(立教大学文学部)の質問に対して、その史実はもちろんのこと、医学部の生体解剖事件のような出来事もきちんと教えている、と答えられた折田先生の答弁や、戦争と立教学院の関係を全カリ総合Bの科目として立てて伝えている、と示された老川先生の話など、印象もさわやかに残るものであった。
「自分だけは『先生』ではない」と断られながらも、社会人としての自身の学習の現在の体験を踏まえながら自校教育を教養教育の新しいかたちと位置づけられ、「自分に何によって立つのかを知る」機会として評価された千葉望先生のコメントには、共感するという感想が数人から寄せられた。
「自校教育」がいわゆる「導入教育」や「初年次教育」の一部になる可能性は大いにある。アメリカの多くの大学が初年次教育や導入教育に力を入れる目的の一つには、せっかく入学した学生達を卒業まで自校に止まらせること、2,3年次における在籍大学への復帰(retention)と「卒業率」(graduation rate)とを高める狙いがあるという。だが日本でこの目標は成り立つだろうか。
アメリカのように、2年次や3年次で見切りをつけてさっさと他大学に移るという行動を、日本の多数の学生が取るとは思えない。「入った大学を出る」というパターンがおそらく今後も大多数であろう。3年次編入制度も(文科省型大学改革の奨励事項ではあっても)学生多数の行動を支えるシステムにはならないだろう。
産業界では終身雇用制が崩れつつあるという。しかし社会意識の上では、なお「生涯一社主義」ともいうべきものが根強く生き残っているのではあるまいか。学生たちもその意識に似たものをもっており、大学教育システムのいろいろな部分もそれを前提にしたものが多々ある。そして教職員の側は「いったんうちの大学にはいったら、建学の理念や特質を理解してほしい、その上で、ここで勉強を続けてほしい」と思う。この気持ちは、教員よりは特に卒業生・校友の多い職員の人たちに強いと思われる。善し悪しは別として、日本社会では自然なことである。
「自校教育」という試みを、多くの教職員の方たちはおそらくこのような心理や意識のもとに受け止められ、イェールを送られるのではあるまいか。そうした関心に答え、理解を深めるためにも、今回のシンポジウムは確かな意義をもつものだったと思われるのである。
それぞれの講師が語られた内容をここで要約する必要はないと思う。記録で分かるように、実にコンパクトに、かつ具体的に語られているからである。コメントや質問・応答のなかで浮かんだ二つの論点についてだけ記しておこう。
第一には、「自校教育」の性格と機能に関する問題である。端的には、それは教養教育か歴史教育か。指定討論者の西山先生は、折田先生の基調講演に触れつつこの問題を提起された。
すなわち「自校教育」の授業を歴史に関わらせて講じる場合には上記の両様の機能・性格をもつとは思うが、しかし自分は、「歴史」を語ることを通じて学生たちがものの見方、考え方を身につけることができるように心がけている。この目的を果たすためには大学の沿革通史のすべてを語る必要はなく、学生たちの興味関心に即しながら、歴史的トピックを選択的に取り上げることも必要ではないか。
第二は、学生達の意識の変化をどう見るかという課題が今後に残されているのではないか。それは一面では保守化の傾向をまぬがれない。しかし、教養教育としての自校教育の基盤になるのではないか。すなわち現代の学生たちはある意味で「成熟」しており、自校に関する知識をその「成熟」の上に受け止め、先学や先輩の生き方、考え方を理解することができるように思う。
このコメントに折田先生その他の方々がどのように応えられたかは、記録を参照されたい。筆者には特に第一の論点が興味あるものに思われた。
筆者は、まさに西山先生が言われるとおりの意味で、自校教育は教養教育の意義と機能をもつと考える。さらに言えば、「居場所」の確認という作業を通じて「自分自身を作り上げる」という「教養」の基盤を提供する(第1層)。と同時に、「ものの見方の手がかりを先人の生き方に求める」ことを「歴史」の学習を通じて深めることができる(第2層)。その2層の教育を通じて、自校教育特に自校史教育は、「歴史学習を通じての教養教育」という性格をもつと考えるのである。
関連して気づいたのは、このシンポジウムに参加して下さった方々の専攻分野や学内的役割の、ある共通性である。
折田・小関・渡辺・老川・西山の5先生が日本史専攻(うち4名は近・現代史)であり、山内先生と小関先生を除く3先生は文書館(アーカイブズ)のスタッフである。教育社会学専攻は山内先生1人であり、専門外として加わっておられるのが千葉先生である。全体として歴史に重点がおかれ、従ってこのシンポジウム全体の流れが自校「史」教育の色彩の強い論調になったことは否めない。
もちろん理由はあった。先ず企画の相談にあずかった筆者の専攻が大学史研究だということから「偏り」が生まれたのかも知れない。しかし本質的には、その大学のことについて教授する場合、大学の歩み抜きにしては特質も個性も絶対に語れないということがあるからである。折田先生の行き届いた基調講演では、そのことが詳述されている。
またアーカイブズ(資料館・文書館)の存在が自校教育にとっていかに本質的な支えであるかも、シンポジウム全体を貫いて理解できたことであった。各学部長が講義を分担した神戸大学の例でも、山内先生が指摘されたように、自校教育が意義あるものになるためには、単なる信念の吐露の場所に終わるのではなく、歴史的視野を含めた確たる講義がなされる必要がある。
今回のシンポジウムが地味ではあるが堅実な情報交流の場になることができたのも、多数の先生が歴史の専攻者だったということに負っているのではないかと思われる。これは決して大学史専攻者の我田引水ではないはずである。
このシンポジウムの基盤になったのは、特色GPに「立教科目」が採択されたからである。「立教大学の歴史」や「立教学院と戦争」は、実は科目群としての立教科目の一部であり、名和センター総合部会長の挨拶にもあるように、全カリ運営センターは、今後も他の領域や科目の内容・実践について、シンポジウムやワークショップを重ねていくことになろう。その第一歩として、充実した交流の機会をもつことができたのは、大きな幸せであった。
押見総長も挨拶で述べられているように、「個性あるカリキュラム」が創造できるか否かは、立教だけでなく全国の大学に課せられた課題である。本シンポジウムがその一つの礎石になることを願わずにはいられない。
全参加者への感謝の言葉を繰り返して、感想を終わりたい。
てらさき まさお(大学教育開発・支援センター顧問、立教学院本部・大学総長室調査役)
| 開催日時 | 2005年12月5日(月) 17:00−20:00 |
| 場所 | 立教大学 池袋キャンパス 8号館8202教室 |
| 基調講演 | 折田 悦郎 氏 (九州大学 大学文書館教授) |
| 事例報告 | 1. 立命館大学 小関 素明 氏(立命館大学 文学部教授) 2. 神戸大学 山内 乾史 氏 (神戸大学 大学教育推進機構、大学院国際協力研究科助教授) 3. 明治大学 渡邊 隆喜 氏(明治大学 史料センター所長、文学部教授) 4. 立教大学 老川 慶喜 (立教大学 立教学院史資料センター長、経済学部教授) |
| 指定討論者 | 西山 伸 氏(京都大学 大学文書館助教授) 千葉 望 氏(ノンフィクションライター) |
| 司会 | 寺崎 昌男 (立教大学 大学教育開発・支援センター顧問、立教学院本部調査役) |
| 主催 | 立教大学全学共通カリキュラム運営センター |
| 共催 | 立教大学大学教育開発・支援センター |