平和・コミュニティ研究機構Rikkyo Institute for Peace and Community Studies

さまざまな角度から平和構築にかかわる研究活動を行うとともに、大学院科目も提供しています。また、研究書の刊行、継続的な講演会の開催など、学内外に向けた研究と教育への貢献をめざしています。

研究機構からのお知らせ

2025.07.25 「山田昭次先生をしのぶ会」へのメッセージ
以下の皆様より、会へのメッセージをお寄せいただきました。主催者として、心からお礼申し上げます。

  • 山田先生には日韓会談文書公開運動で共同代表になっていただきました。先生のおかげもあり、外務省が管理する大量の文書を公開させました。このほかにも関東大震災時の朝鮮人虐殺朝鮮人、ハンセン病患者、女性史など、さまざまなテーマで研究者の主体性を問う姿勢に多く学びました。
    とてもお世話になりました。心から感謝申し上げるとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

    吉澤 文寿


  • 都立高校で『君が代』伴奏をせず処分され、前任校の卒業式での一言の祝辞が不適切だと調査され『校長指導』の措置を受けて裁判をした時から、ご支援いただき、裁判に対して適切なご意見もいただきました。ご意見を充分に生かした訴訟展開にならなかったことは、振り返ると残念な面がありますが、改めてご意見をいただけたことはありがたかったと思います。裁判支援のコンサートにもお忙しい中度々ご来場頂きました。心から感謝申し上げます。
    昨日の山田先生をしのぶ会で、先生の業績の全体像に多少とも触れることができ、稀有な研究者であり市民活動家でもいらしたことに改めて感銘を受けました。とくに留場瑞乃さんのご発言に共感して、記念に『金子文子』のご著者を購入して読み始めております。
    心からご冥福をお祈りいたします。

    池田 幹子


  • 1985年の4月に山田先生の一般教育ゼミを履修したことが、その後の私の人生を大きく規定したことは疑いようがありません。先生の人生そのものが、ある一人の戦時体験者がなし得た、道なき道を歩む倫理的な戦後史であり、これから歴史を学ぶ者の大きな指針となるものだと思います。
    これからも先生は、私の二人といない人生の師であり続けることでしょう。
    本当にありがとうございました。

    山口 泰生


  • 土曜研究会で勉強させていただきましたが、どこまで先生の理念、想いを理解できたか、という気がしてなりません。
    韓国国家記録院などへの先生の書物等を整理するお手伝いのため、ことし3月に先生のお宅を訪ねた際、数日前に亡くなり遺影があったのを覚えています。体調が芳しくないのは存じていたものの、まだ御存命では、と遺影の笑顔を見て感じたのを覚えています。
    本当に先生の想いに応えるのであれば、どう行動するかが問われているんだぞ、という声が聞こえてきそうです。だからこそ、ありがとうございました、の過去形ではなく、前に進んでいきます、という言葉こそ相応しいのでは、と思っています。

    高橋 渉


  • 山田先生!先生のおかげで、たくさんの思い出が今の私に生きています。

    高校時代の私は、受験戦争に疲れて図書館に引きこもり、偶然読んだのが本多勝一『子供たちの復讐』(1986年)。本多勝一の諸著作に続いて家永三郎『戦争責任』(1985年)を読みました。1987年4月5日に立教大学に入学し、山田先生の「歴史1」のシラバスの参考文献に同書を見つけた時、雷に打たれたように驚きました。運命的な出会いでした。入部した堀の内セツルメントのI部長に「レキイチ山田はアブナイから取るな」などと言われても、まったく動じませんでした。先生はまだワープロを使っておられず、「歴史1」の配布資料は手書きでした。

    1987年12月2日、山小屋2階の科学研究会のノンセクト系を中心に、民青同盟系、中核派系、革マル派系が大同団結して「立教大学の日の丸掲揚に抗議し考える会」を立ち上げました。学内を支配するセクトがなかったのが幸いでした。先生は結成集会で講演し、私は弁論部から同期のDくんと参加しました。運動が実って、1988年3月25日の卒業式から日の丸は掲揚されなくなりました。

    1988年9月19日に昭和天皇が吐血し、「自粛ムード」が始まりました。これに抗して、弁論部は連続講演会「15年戦争と現代」全5回を開きました。先生は1988年11月22日第1回の講師として、「天皇制と朝鮮とわれわれ」というテーマで講演し、山田ゼミの多くの先輩たちが参加してくださいました。さらに先生は、「日本人の視点だけでは」と、1988年11月30日第3回の講師として東京女子大学の池明観(チ・ミョングァン)先生を御紹介くださいました。

    1989年4月、Dくんと私は山田ゼミに入りました。先生は私たちを活動家と見ておられたのか、「僕は、中核派だろうが革マル派だろうが、誰とでも付き合うし、言うべきことは言うよ」と笑っておられました。中核派系の雑誌「破防法研究」に執筆されたのを拝見したのも、その頃でした。

    ゼミでは、R・H・ミッチェル『在日朝鮮人の歴史』(1981年)と、『生き抜いた証に:ハンセン病療養所多磨全生園朝鮮人・韓国人の記録』(1989年)を分担して読みました。前者は「批判的に読む」ことを学び、後者は山田ゼミの先輩たちの熱意を追体験することができました。驚いたのは、社会人ゼミ生である斉藤七子さんが「私は(全生園の医師について)山田先生と考えが違います」とハッキリおっしゃった時です。先生は腕を組んで笑っておられました。「先生」が絶対的な権威でない、市民に開かれた自由闊達なゼミ。先生は「全共闘(1969年立大闘争)の学生たちに教えられた」とおっしゃっていました。

    1989年度の山田ゼミでは、合宿で私たち学生よりも速く先を歩いていった、先生の健脚ぶりが印象に残りました。のちに「憂慮する会」でお会いした時に「ボクみたいな弱っぴいが一番長生きして、同級生はみんな死んじゃったよ」と笑っておられました。

    1990年1月7日に、池袋西口センタービル3階にあった東明大飯店で、山田先生の「還暦記念パーティー」を開きました。山田ゼミ1年目のDと私が最年少でした。先生が自ら作った、詳細な論文一覧に驚きました。

    1990年度の山田ゼミは、山田先生が研究休暇を取られたため、石坂浩一さんが代行しました。1990年4月21日第1回の参加者は、50音順で赤野、石坂、小久保、徐、留場、西成、松尾、安田、D、私の10人でした。学部生、院生、市民が一緒に学ぶ、開かれたゼミでした。

    1991年度の山田ゼミは、山田先生が研究休暇を終えて、「関東大震災と朝鮮人虐殺」をテーマにいろいろな文献を読みました。土曜日に開かれたので、私も民間企業で働きながら参加できました。1991年12月21日のゼミで山田先生が「単純な批判に終わらせないように、歴史を捉えてごらんなさい」とおっしゃったことが、印象に残っています。

    1991年9月30日に「太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会」会長の金景錫(キム・ギョンソク)さんが、日本鋼管を提訴しました。金景錫さんは1942年~1944年に日本鋼管川崎製鉄所に強制徴用された方でした。山田先生から「『金景錫さんの日本鋼管訴訟を支える会』を作ることになったので、来てほしい」と頼まれ、渋谷区立の区民集会所の和室に行きました。大きな市民集会かと思ったら、山田先生、古庄正先生(駒澤大学教授。2012年6月18日逝去)、谷川透(アジア太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ心に刻む会)さん、私の4人だけの準備会でびっくりしました。「支える会」の最年少の事務局員となり、1991年12月5日に川崎市教育文化会館で「支える会」の結成集会を開きました。これが縁となって、1993年5月1日に川崎市へ転職しました。

    1992年9月6日に、私の結婚式の二次会を東明大飯店で開きました。山田先生のスピーチは、「ボクはどうせ、先にあの世へ行きますから。君たちの世代が頑張ってください」と、笑いを取りつつ釘をさすものでした。プレゼントとして、関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会編『風よ鳳仙花の歌をはこべ:関東大震災・朝鮮人虐殺から70年』(教育史料出版会、1992年)にサインしてくださいました。

    この頃、山田ゼミ同期のDが留年し続けていたため、山田先生から「中退しないよう、なんとか説得してほしい」と頼まれました。1993年2月13日付けで「過日はD君に連絡を取って下さって有難うございました。(略)おそらく卒業はできるでしょう。(略)とにかくよく心配させる男で、こちらもくたびれました。まずは感謝の意を表します」というはがきをいただきました。本当に学生想いの先生でした。

    1995年1月14日に、立教大学池袋キャンパス5号館1階で、山田先生の最終講義「朝鮮に対する戦後責任:思想史的考察」を開きました。Dと私はもちろん、ゼミ生でない卒業生たちも集まり、教室がいっぱいになりました。

    1995年10月5日に、武蔵小杉の川崎市中小企業・婦人会館で、川崎市職員労働組合女性部・青年部が主催して「ハルモニと共に:10.5軍隊『慰安婦』問題を考える集会」を開きました。私はこの集会をきっかけに朝鮮語を学ぶことを決意して、現代語学塾の入門クラスに入りました。山田ゼミの先輩である高柳俊男さんが現代語学塾で講師を務め、山田研究室にいつもチラシを置いてくださっていたおかげです。27歳だったので「語学を始めるには遅いかも」と迷いましたが、山田先生が「ボクは朝鮮語を40歳で始めた」とおっしゃっていたことに励まされました。

    2002年4月1日に、石坂浩一さんが編者となって『日韓「異文化交流」ウォッチング』(社会評論社)が出版されました。石坂さんに声をかけていただき、私は初めてISBNコードがある本に寄稿させていただきました。これも山田ゼミの縁のおかげでした。

    2003年6月23日~30日に、韓国の市民団体「地球村同胞青年連帯KIN(Korean International Network)」の「第2次在日体験団」が来日しました。6日目の2003年6月28日に、山田先生は「関東大震災当時の朝鮮人虐殺事件について」をテーマに講演されました。私が通訳を担当したため、朝鮮語版と日本語版の配布資料6ページ分を作って、事前に私へ郵送してくださいました。御講演を私が通訳するのが初めてだったので、配慮してくださったのでしょう。また、前日2003年6月27日に、朝鮮語版と日本語版の配布資料それぞれの訂正箇所をファクスで送ってくださいました。一つひとつの講演を大切にする、本当に丁寧な先生でした。

    山田先生から、2005年10月10日付けでお手紙をいただきました。「山田ゼミ出身の教員が、卒業式・入学式で君が代斉唱を強制されて、処分されるのが心配」とのことでした。山田ゼミ出身者たちの安否をいつまでも気にかける、本当に学生想いの先生でした。

    さらに「事態が緊迫してきましたので、今後の具体的対策を考えたい」とのお手紙をいただき、2005年12月29日に池袋駅西口の第一西池ビル地下2階にあった喫茶フラミンゴ(2022年8月31日閉店)で、山田ゼミ出身者が何人か集まりました。私に声をかけてくださったのは、18年前、1987年12月2日の「立教大学の日の丸掲揚に抗議し考える会」を覚えておられたからでしょう。

    そして2006年1月15日に署名運動を始め、2006年6月10日に早稲田奉仕園で「学校に対する君が代斉唱・日の丸掲揚の強制を憂慮する会」の発足集会を開きました。山田先生は「君が代斉唱・日の丸掲揚を強制する『教育』で子どもたちはどうなる?」をテーマに講演されました。山田先生から市民団体の事務局を頼まれたのは、1991年12月5日の「金景錫さんの日本鋼管訴訟を支える会」以来、2回目でした。「憂慮する会」は、定期的に学習会を開き、会報「たみがよ通信」を発行しました。通信の発送作業は、山田先生の同僚である粟屋憲太郎先生(2019年9月11日逝去)も御一緒しました。発送作業が終わると、山田先生は自ら緑茶を入れてお茶菓子を配り、談笑するのを楽しんでおられました。本当にマメな先生でした。

    2008年6月25日に川崎市議会である議員が「朝鮮人への徴用はあっても、強制連行が行われた事実はなかった」と発言しました。これに対して川崎の労働組合や市民団体が2009年6月1日に川崎市いさご会館で学習会を開き、山田先生は「朝鮮人戦時労働動員(いわゆる強制連行)を語る」をテーマに講演されました。17年前、金景錫さんの日本鋼管訴訟を川崎の労働組合や市民団体が支援して以来、川崎の運動を気にかけて、すぐ駆けつけてくださいました。

    2011年10月16日~18日に、「憂慮する会」が主催して、「金子文子の足跡を訪ねるスタディツアー」として韓国を訪問しました。2日目の2011年10月17日に、金子文子の墓所を訪ねました。きちんと整備されている様子を見て、山田先生は心から喜んでおられました。その満面の笑顔の写真は、2025年6月14日の「山田昭次先生をしのぶ会」の案内や会場で皆さんにご覧いただきました。墓所の後、「朴烈(パク・ヨル)義士記念館」を開館前にも関わらず、特別に見学させていただきました。

    その夜、夕食の席で山田先生は、記念館で金子文子や朴烈についての展示を見て感激したと話した後、「日本にいる我々は何をしているのか」と厳しい口調で語り始めました。私は韓国の方たちへ逐次通訳していましたが、通訳する間を取れないほど、激しく、長く話し続けました。これほど怒っている山田先生を見たのは、この時が最初で最後でした。

    3日目の2011年10月18日に、金子文子が暮らした芙蓉面(プヨンミョン)で、山田先生が「金子文子が遺した思想的遺産」をテーマに講演されました。2003年6月28日に韓国の市民団体「地球村同胞青年連帯KIN」へ講演された時と違い、当日の通訳だけでなく、事前の資料翻訳も私に任せてくださったのが、嬉しかったです。

    2012年9月29日に、私は初めて山田先生の御自宅を訪問しました。2012年10月9日の「朴烈義士記念館」開館記念式へのビデオメッセージを撮影するためでした。1階の和室に通されましたが、私一人のために山田先生が自らお茶を淹れてくださり驚きました。一息つくと2階の書斎に案内されました。書斎はもちろん、階段の踊り場も廊下も本だらけで、また驚きました。書斎の机には、パソコン(ダイナブック)とプリンター、ファクス。これまでいただいた膨大な資料やお手紙は、ここから生まれたのかと感慨深かったです。ついさっきまで普段着姿だった先生が、パリッとしたワイシャツ・ネクタイ・スーツで書斎に突然現れて、さらに驚きました。朝鮮語と日本語で祝辞を準備しておられ、ビデオメッセージの撮影は無事終わりました。朝鮮語の祝辞は先生の手書きでしたが、私が打ち直して韓国へメールで送りました。ひと文字、ひと文字、手書きの味のある原文は、大切に保管しています。

    その後も山田先生とは、「憂慮する会」の事務局会議→学習会→発送作業→事務局会議……というサイクルで、定期的にお会いしていました。2017年6月3日に、大久保の第2韓国広場ビル8階にある「文化センター・アリラン」の右奥の小さな会議室で事務局会議を開きましたが、山田先生は「私の死後に私の娘に連絡を取る必要がある場合を考えて、娘の氏名、住所、電話番号をお知らせしておきます」という、はがき大のメモを配られました。何か異変をお感じになっていたのでしょう。娘の民子さんからも2018年6月27日付けで直筆のお手紙をいただき、2018年9月14日の事務局会議から先生の御自宅で開くようにしました。

    2019年4月20日に御自宅で、1987年11月3日に金子文子の墓所を訪ねた時の写真などを、嬉しそうに見せていただきました。その後はコロナ禍もあり、直接お会いできませんでした。しかし、山田ゼミの先輩である黒田貴史さんから2022年5月31日付けで「民子さんからうかがった話から(略)先生が認識できたのは黒田と小田切さんだけだったそうです。(略)最後に先生の理解が、『小田切君が借りたいならいいが、大事に扱ってくれ』だったということ」とのメールをいただきました。山田先生が、闘病中でも私を憶えていてくださったことが本当に嬉しかったです。

    山田先生の蔵書のうち、日本軍「慰安婦」関連日本語図書刊行物118件は、ソウルの正義記憶連帯に寄贈されました。2024年5月25日に、私はソウルの正義記憶連帯を訪問し、民子さんからお預かりした「記録物寄贈協約書」を李娜栄(イ・ナヨン)理事長にお渡ししました。このような役目を任せていただき、感謝しています。

    これからも、先生に恥じない生き方をしていきたいと思います。
    山田先生、長い間、ありがとうございました。

    おだぎり(1987年入学、山田ゼミOB)

2025.07.24 公開行事「山田昭次先生をしのぶ会」開催報告
去る6月14日午後3時から、立教大学池袋キャンパスのマキムホールMB01教室において、立教大学名誉教授の山田昭次先生をしのぶ会を130人ほどの皆様のご参加を得て無事行なうことができました。
黙祷の後、主催者からのあいさつを立教大学平和・コミュニティ研究機構の石坂浩一より行ない、続いて韓国からの弔辞として蔵書の一部を寄贈した聖公会大学のハン・ホング(韓洪九)先生からの弔辞が読み上げられました。いきちがいで順番が少し後になりましたが、山田先生のいろいろな資料を寄贈した大韓民国国家記録院のイ・ヨンチョル(李庸哲)院長からも弔辞が寄せられました。

続いて山田昭次先生のお仕事と思い出として、以下のような発言が行なわれました。

①山田昭次先生のあゆみ 高柳俊男
②朝鮮人戦時労働動員に関する研究 長澤秀
③金子文子に関する研究 留場瑞乃
④関東大震災における朝鮮人虐殺についての研究と活動 矢野恭子
⑤山田先生の著作 黒田貴史
⑥在日朝鮮人史研究会での活動 樋口雄一
⑦在日韓国人政治犯徐勝・俊植支援運動との関わり 大槻小百合
⑧立教大学の歴史の再検討 宮本正明
⑨粟屋ゼミのメンバーからの思い出 伊香俊哉

山田先生のお仕事は、ここに出ている報告のタイトルからおおよそ網羅されていると思われますが、広範な活動をされたので、他にも記録すべきことはあるだろうと思います。複数の発言者から多磨全生園で山田ゼミの合宿をしたこと、在日朝鮮人元患者の皆さんの聞き書きをして、立教大学史学科山田ゼミナール編『生きぬいた証にーハンセン病療養所多磨全生園朝鮮人・韓国人の記録』(1989年、緑陰書房)を出版したことなどが言及されました。全生園との関わりはもとはといえば、1982年9月に関東大震災で虐殺された朝鮮人の遺骨を見つけ出そうと荒川河川敷で発掘作業をした際に、全生園の在日朝鮮人の皆さんが現場を見に来てくださったのが始まりでした。その発掘作業の代表者が山田先生でした。

朝鮮人強制連行の研究に取り組んだ日本人歴史学者としては先駆けとなった山田先生は、筑豊や常磐の炭鉱の調査など現場を歩いたのをはじめ、関東大震災に際しての朝鮮人虐殺に関連した石碑の碑文なども詳しく調べて歩き、その思想的な位置づけも検討されました。よく歩き、深く考えた研究者でした。

しのぶ会は最後に参加者が献花をして締めくくりました。この会でのご発言については、2026年に発行される本研究機構の紀要に掲載する予定です。また、会に際して寄せられたメッセージも合わせてホームページ上でご紹介いたします。ご参集、ご協力くださった皆様にあらためて感謝いたします。

平和・コミュニティ研究機構運営委員
石坂浩一

2025.5.15 尹東柱著『空と風と星と詩:日韓対訳選詩集』書評掲載
尹東柱著、伊吹郷訳『空と風と星と詩:日韓対訳選詩集』(2025年、書肆侃侃房)の書評が「研究・研究者紹介/書評」にて公開されました。評者は詩人の青山晴江さんです。
2025.2.23 公開講演会「詩人尹東柱とともに・2025」にご参加くださりありがとうございました
去る2月23日、立教大学池袋キャンパスにおいて尹東柱を記念する立教の会主催、立教大学平和・コミュニティ研究機構共催の公開講演会「詩人尹東柱とともに・2025」が開催され、350名の皆様がご参加くださいました。とりわけ今年2025年は、ユン・ドンジュが1945年2月16日に福岡刑務所で亡くなってから80周年にあたり、立教大学総長の西原廉太先生が講演をしてくださって意義深い会となりました。
23日午後2時からチャペルで行なわれた第1部の礼拝は聖歌「いつくしみ深き」の合唱で始まりました。中川英樹チャプレンが司式を行ない、ヨハネによる福音書11章25節から26節の言葉から説教を始められて、ユン・ドンジュを通じて私たち参加者の交わりが豊かなものとされたことを説かれました。礼拝後、ユン・ドンジュの詩「たやすく書かれた詩」、「春」「空想」「貝殻」「谿間(たにあい)」が日本語と韓国語で朗読され、最後に「序詩」が一同で群読されました。「貝殻」を朗読した際には、故ムン・イッカン(文益煥)牧師の詩「トンジュよ」が続けて朗読されました。ムン・イッカン牧師はユン・ドンジュ詩人の同郷の幼友達であり、韓国民主化運動において多大な貢献をされた方で、韓国側朗読者はムン牧師の次男のムン・ソングンさんでした。

すでに第1部からチャペルが満席となり、一部の皆さんには8101教室に入場していただき、礼拝や朗読の様子を中継にてご覧いただきましたが、第2部の講演はこの8101教室で行なわれました。西原先生は京都のご出身でもともとは京都大学工学部で学ばれたのですが、キリスト者の青年として活動する八幡明彦さん(故人)と出会い、京都の東九条にいる在日朝鮮人の存在に気づかされ、セツルメント活動などを通じ日本と朝鮮半島との関わりを考えるようになったということでした。そのことは、1996年の日本聖公会定期総会で「日本聖公会の戦争責任に関する宣言」を決議する活動に西原先生が関わることにつながっていき、韓国との関わりも、ユン・ドンジュとの縁も、先生の生涯のテーマになったのでした。西原先生は立教で学ぶすべての学生たちに、ユン・ドンジュという人が在学していたことの意味を知ってほしいとお話をまとめられました。体験に基づいた大変よいお話だったと思います。

立教大学を含む聖公会の戦争責任について立教の構成員が自覚し、知っていくことが、日本と朝鮮半島の歴史を考えていく上で大切なことですし、そのためにもユン・ドンジュの存在は私たちに大切な導きとなってくれるのではないかと感じました。この間、立教でのユン・ドンジュ追悼の行事をともになってこられたユ・シギョン(柳時京)チャプレンも、EYC(韓国キリスト教青年協議会)で西原先生と同時代に活動されていたという話を聞き、縁の深さをあらためて知らされました。

また、今回の行事ではユン・ドンジュに関わる展示をささやかながら8101教室の前のロビーで開催しました。ユン・ドンジュ詩人の写真をはじめ立教で学んだ当時に関わりがあったと思われる先生方の写真や学内の風景、そしてこれまでの行事の様子のほか、ヨンセ(延世)大学から寄贈された、立教の便せんに書かれている詩の原稿のレプリカのパネルなどを展示しました。

当日は韓国からムン・イッカン記念事業会関係者約20名の皆様も参加されました。感謝申し上げます。また展示について多大なご支援をいただいた立教学院展示館、行事の中継や録画について昨年に引き続き準備してくださったメディアセンターの皆様、そして中川英樹チャプレンをはじめチャプレン室の皆様、図書館利用支援課の皆様、ありがとうございました。

この行事は韓国の韓国日報、中央日報、聯合ニュースなど、韓国のメディアで広く報道されました。中央日報では行事後の西原総長のインタビューも報じました。日本語で読めるものとしては、聯合ニュース日本語電子版の写真ニュースに写真が紹介されております。

ユン・ドンジュが福岡刑務所でその短い命を終えた時、ユン・ドンジュ自身は、80年後に至るまで日本の地でこのように彼の名を記憶し、祈る人々がいると想像できたでしょうか。彼の生を記憶していくことが、彼を無念の死からよみがえらせ、その存在を生かすとともに、私たちが生きるための道しるべにもなるのではないかと思っております。ご協力くださった皆様、ご参加くださった皆様、ありがとうございました。

平和・コミュニティ研究機構 運営委員
石坂浩一

2024.1.17 公開講演会「パレスチナは今、そして未来への希望は」開催報告
2023.11.16 公開講演会「韓国と日本をつなぐ仕事7 立教大学における朝鮮語教育の模索」開催報告
2023.5.11 公開講演会「在日韓国人スパイ捏造事件の傷跡 韓国内関連者の苦難を記憶する」開催報告

当研究機構について

ご挨拶

教育・研究両面での平和学展開を目指して

立教大学異文化コミュニケーション学部
立教大学平和・コミュニティ研究機構代表
石坂浩一
                                                                     
立教大学平和・コミュニティ研究機構(平コミ)は2004年3月に学部・研究科横断的な研究・教育組織として発足しました。平和という課題が今日ほど必要とされる時代はないでしょう。その平和を、社会に根付いたしっかりしたものとして共有、確立させていくために、国際関係はもちろんのこと、地域のあり方、メディアなどの社会のあり方、市民の活動の多様性まで含めて研究して行くことをめざすのが、平コミの役割です。グローバル化、あるいは国際化が語られる中、研究は多様化しているように見えますが、日本社会ではヘイトスピーチなどの排外主義や憎悪感情が高められていることを見逃すことができません。今日的課題に対応することを、研究者も大学も、そして地域も迫られていると思います。そうした対応のためにも、広く国内外の研究者と意見を交わし、その成果を公表していきたいと考えます。また、そうした活動を広く共有していくため、さまざまな公開講演会、映画上映会、研究会、ニュース・レターや紀要の発行などを行なっています。
同時に、その成果を教育において生かしていくため、大学院および学士課程の全学共通総合科目に科目を提供してきています。大学院では、平和学という世界的に認められている分野が、日本で十分に成立していないことを踏まえ、平コミ提供科目を履修することで平和学に触れる機会を提供しています。また、学士課程においては、平和構築のための基本的認識を身に着ける授業とともに、ロシアやパレスチナ、アフリカなど日本で十分に知られていない国際的課題や事情についても、科目を提供しています。
2016年度には、世界的な人の移動のあり方の意義を解明しようとする共同研究の「流動する移民社会」の公開シンポジウム、教室があふれるほどの方がたが来てくださった公開講演会「韓国と日本をつなぐ仕事2-言葉からつながる」など、活発な活動を行なってきました。東北アジアと日本社会の現実を直視しつつ、平コミは一層の活動に邁進していく所存です。
趣旨
<平和>とはつねに人類の希求してやまない課題ですが、半世紀にわたる冷戦の終焉がいわれる現在も、世界は平和への新たな挑戦に直面しており、その認識と対応が緊急の課題となっています。こうしたなか立教大学平和・コミュニティ研究機構は、平和の実現の条件を根本的に捉え、独自の視点から研究すべく、2004年3月開設されました。
私たちは身近な地域レベルから地球的レベルにいたるまで多層的に形成された<コミュニティ>において活動し生活しています。これらのコミュニティには伝統的・閉鎖的なものありますが、市民社会を支える共生的、開放的な諸コミュニティも存在し、それらは相互に影響を及ぼし合い、そのダイナミズムがしばしば世界を動かしています。その重要性を踏まえ、より平等、公正、かつ開かれた多層コミュニティを形成していくことが、持続的な真の平和の構築につながるのではないでしょうか。
これら多層的コミュニティは、政治、安全保障、経済、社会、福祉、歴史、文化などの諸レベルを有し、それらの充足の実現と相互的作用が、平和の条件をなしていると私たちは考えます。コミュニティのそのような構造とダイナミズムを分析、理解し、平和の条件を探求するために、本研究機構は立教大学の全学的な協力の下、また学外、海外の研究者との連係の下、学際的な共同研究を展開します。そして平和実現のための政策を探り、提言することをめざすものです。研究課題の重点としては、世界を見据えつつ、これまで立教大学として実績のあるアジア社会の研究の基づきながら、「アジアにおけるトランスナショナル・コミュニティの形成と平和の構築」を当面追究しています。
また研究とともに、大学院教育をも担い、平和・コミュニティ研究における若手研究者の育成、支援にもあたります。立教大学の建学の理念である「平和の叡智」を磨き、その成果を生み出すためにも、本機構はこの研究・教育に全力をあげて取り組んでいきます。
2025年度メンバー

代表

木村 自(本学社会学研究科)

運営委員

佐々木 正徳(外国語教育研究センター・全カリサポーター)
林 みどり(本学文学研究科)
市川 誠(本学文学研究科)
郭 洋春(本学経済学研究科)
田島 夏与(本学経済学研究科)
水上 徹男(本学社会学研究科)
野呂 芳明(本学社会学研究科)
黄 盛彬(本学社会学研究科)
西山 志保(本学社会学研究科)
小川 有美(本学法学研究科)
竹中 千春(元本学法学研究科)
石坂 浩一(元異文化コミュニケーション学部)
カプリオ・マーク(本学名誉教授)
李 香鎮(本学異文化コミュニケーション学部)
大橋 健一(本学観光学研究科)
杜 国慶(本学観光学研究科)
小長井 賀與(元本学コミュニティ福祉学研究科)
萩原 なつ子(本学名誉教授)
五十嵐 暁郎(本学名誉教授)
庄司 洋子(本学名誉教授)
栗田 和明(本学名誉教授)
勝俣 誠(明治学院大学名誉教授)

所員

松本 康(元社会学研究科)
伊藤 道雄(元21世紀社会デザイン研究科)
李 鍾元(早稲田大学名誉教授)
佐久間 孝正(東京女子大学名誉教授)
佐々木 寛(新潟国際情報大学)
高原 明生(東京大学名誉教授)
田中 治彦(上智大学名誉教授)
林 倬史(立教大学名誉教授)
藤林 泰(大阪経済法科大学、アジア太平洋研究センター)
浪岡 新太郎(明治学院大学)

外部評価委員

上村 英明(恵泉女学園大学名誉教授)
吉原 和男(元慶應義塾大学)

特別任用研究員

段 躍中(日本僑報社)
金 兌恩(立教大学)
加藤 恵美(帝京大学外国語学部)
近藤 秀将(KIS総合研究所)
三浦 優子(一般社団法人 日本ライフストーリー研究所)
権 赫泰(聖公会大学名誉教授)
李 昤京(聖公会大学)
Dirk Hebecker(立教大学)
尹 在彦(東洋大学社会学部)
金子 由佳(立教大学)

研究員

中村 翔(慶應義塾大学大学院社会学研究科後期博士課程)

研究成果

出版物

『SOCIAL INCLUSION FOR POVERTY ERADICATION: THE ROLE OF LAW AND LEGAL INSTITUTIONS IN KENYA A Case for the Street Children』

RIPCS Working Paper Series No.4 Geoffrey OWUOR
(2019年)

『東アジア安全保障の新展開』

平和・コミュニティ叢書 第1巻

五十嵐暁郎・佐々木寛・高原明生編著
(明石書店、 2005年)
ISBN:9784750321028
2,500円+税

『平和とコミュニティ-平和研究のフロンティア』

平和・コミュニティ叢書 第2巻

宮島喬・五十嵐暁郎編著
(明石書店、 2007年)
ISBN:9784750326115
2,500円+税

『移動するアジア-経済・開発・文化・ジェンダー』

平和・コミュニティ叢書 第3巻

佐久間孝正・林倬史・郭洋春編著
(明石書店、 2007年)
ISBN:9784750326276
2,800円+税

『地方自治体の安全保障』

平和・コミュニティ叢書 第4巻

五十嵐暁郎・佐々木寛・福山清蔵編著
(明石書店、 2010年)
ISBN:9784750332529
2,400円+税

『平和の再構築は可能なのか?』

平和・コミュニティ研究 No.1

(唯学書房、2005年)
ISBN:9784902225174
2,500円+税

『新たなコミュニティ形成に向けて—アジアとヨーロッパの事例に学ぶ』

平和・コミュニティ研究 No.2

(明石書店、 2007年)
ISBN:9784750326115
2,500円+税

『共生社会への課題——人の移動と参加型開発』

平和・コミュニティ研究 No.3

(唯学書房、2007年)
ISBN:9784902225365
2,300円+税

「村神を巡る信仰実践から見る民衆ヒンドゥー教の実相-北インド、U.P.州ワーラーナシー県の事例より」

RIPCS Working Paper Series No.1

小松原秀信
(2009年)
100円

「観光事業と地域開発の展開と諸問題-復帰後沖縄の振興開発と海洋博に関する政策史的吟味」

RIPCS Working Paper Series No.2

上間創一郎
(2009年)
100円

「現代中国における都市開発と住民運動-2007年アモイ市の住民運動を事例に」

RIPCS Working Paper Series No.3

武玉江
(2010年)
100円

『日本政治論(岩波テキストブックス)』

関連書籍

五十嵐暁郎著
(岩波書店、2010年)
ISBN: 978-4000289054
2,800円+税

『アジアで出会ったアフリカ人-タンザニア人交易人の移動とコミュニティ』

関連書籍

栗田和明著
(昭和堂、2011年)
ISBN: 978-4812210680
2,400円+税

『ドイツは脱原発を選んだ (岩波ブックレット)』

関連書籍

ミランダ・A・シュラーズ著
(岩波書店、2011年)
ISBN: 978-4002708188
500円+税

『女性が政治を変えるとき——議員・市長・知事の経験』

関連書籍

五十嵐 暁郎 (著), ミランダ・A・シュラーズ (著)
(岩波書店、2012/7/24)
ISBN: 978-4000258388
3,675円+税
ニュースレター

平和・コミュニティ研究機構提供科目

2025年度 大学院提供科目一覧
2025年度 学部提供科目一覧

学部提供科目

イベント・講演会

2025.6.14 公開行事「山田昭次先生をしのぶ会」
日時:2025年6月14日(土)15時〜17時30分
場所:池袋キャンパス マキムホール(15号館)地下1階 MB01教室
(池袋キャンパスの中の一番高い建物です。正門を入り本館をくぐって右斜めにお進みください。11号館の後ろ側です。会場は地下1階です。エレベーターもありますが、入り口すぐにある階段で降りられます)
内容:去る3月15日に立教大学名誉教授の山田昭次先生は誤嚥性肺炎のため95歳で逝去されました。立教大学一般教育部に所属しながら史学科における教育・研究に従事された山田昭次先生は1995年に定年退職されるまで、日本近代史の研究において朝鮮半島に関わる従来掘り下げられなかった課題に取り組むとともに、立教大学における教育にも熱心に従事されてきました。まだ日本の研究者の中で朝鮮半島からの戦時労働動員、関東大震災における朝鮮人虐殺などほとんど関心がもたれていなかったことがらについて、現場に出て各地の市民とも協力しつつ、掘り起こし検証されるとともに、それを研究で実証し、課題を明確にしてこられました。また、ハンセン病元患者の朝鮮人の人権問題などの研究を進めるとともに、在日韓国人政治犯の支援運動にも取り組んでこられました。

山田先生の業績について振り返り、跡付けて、日本における教育・研究に生かしていくことをめざして、山田先生の教えを受けた者たちを中心に集い、研究と教育の意味を考えるとともに、ささやかながら山田先生への感謝をあらわすため、しのぶ会をおこないたいと思います。山田先生がかかわりを持たれた方々は多方面にわたると思います。会への参加申請や参加費は不要です。どうぞ、お別れの場にお集まりください。
主催:立教大学平和・コミュニティ研究機構
協力:本学文学部史学科
申込:事前申し込み不要、参加費無料
お問い合わせ:平和・コミュニティ研究機構事務局 石坂浩一(mikehagonabi@rikkyo.ac.jp
2025.2.23 公開講演会「詩人尹東柱とともに・2025」
日時:2025年2月23日(日)14時00分~16時30分
場所:池袋キャンパス 立教学院諸聖徒礼拝堂(池袋チャペル)、8号館1階 8101教室
内容:植民地の朝鮮から本学に留学し、短い期間でありながら学生生活を過ごした詩人尹東柱は、韓国で国民的詩人としてよく知られている。本学では2008年2月以降、卒業生からなる「詩人尹東柱を記念する立教の会」が中心となって2020年まで公開講演会を実施してきたが、2021年と2022年は新型コロナウイルス感染拡大のために中断していた。その後、2023年にオンラインで、2024年には対面での行事として再開した。逝去80周年の節目に当たる2025年2月の講演会では、西原廉太総長に、「尹東柱80周忌に想う」と題する講演をお願いしていただく。
講師:西原廉太(本学総長、文学部キリスト教学科教授)
主催:詩人尹東柱を記念する立教の会
共催:立教大学平和・コミュニティ研究機構
協力:立教大学チャプレン室
   福岡 尹東柱の詩を読む会
   京都 同志社コリア同窓会 尹東柱を偲ぶ会
   東京 尹東柱の故郷をたずねる会
申込:事前申し込み不要、参加費無料
お問い合わせ:平和・コミュニティ研究機構事務局(peace@grp.rikkyo.ne.jp

研究・研究者紹介/書評

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池袋キャンパスへのアクセス

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