2017/07/06 (THU)

81年前の立教大学ヒマラヤ遠征隊の偉業、ナンダ・コート登頂に再び挑戦

キーワード:その他

OBJECTIVE.

81年前、立教大学山岳部が日本初のヒマラヤ遠征でインドの高峰ナンダ・コート(6,867メートル)に初登頂した偉業を後世に伝えるため、立教大学OBを含む登山隊が、再登頂に挑みます。

記者会見で立教大学校旗を持つ登山隊メンバー。左から 山田祐士氏、大蔵喜福氏、堀達憲氏、鈴木拓馬氏。

記者会見で立教大学校旗を持つ登山隊メンバー。左から 山田祐士氏、大蔵喜福氏、堀達憲氏、鈴木拓馬氏。

1936(昭和11)年10月5日、ヨーロッパなどの登山隊がヒマラヤの山を次々に登頂する中、立教大学山岳部(堀田弥一隊長、隊員計5人)は日本の登山隊としては初めてヒマラヤに遠征し、未踏峰だったインドの名峰ナンダ・コートの初登頂に成功しました。
80周年を記念した「ナンダ・コート初登頂80周年記念事業」では、立教大学OB2人を含む少数精鋭5人の登山隊を編成。2017年10月に再びナンダ・コートの頂きを目指します。
初登頂の際、その証として山頂に埋められた立教大学校旗、毎日新聞社旗、日章旗の3本の旗を探し出し持ち帰ることも、今回のミッションの一つです。
7月4日(火)立教大学池袋キャンパスでは、関係者による記者会見および映画上映会、激励講演会が行われました。

記者会見で、登山隊の隊長を務める大蔵喜福氏は「当時の立教大学山岳部は日本人未開の地であったヒマラヤで、装備もルートもまったくの手探りの中、ナンダコート世界初登頂という偉業を達成した。81年前に埋められた旗を見つけ出すことで、彼らのロマンと挑戦を美しく蘇らせたい」と意気込みを語りました。

映画上映会では、昨年発見された1936年の登頂の瞬間を記録したドキュメンタリービデオ『ヒマラヤの聖峰 ナンダ・コット征服』を上映し、登頂時のアタックテントも展示されました。
アルピニスト野口健氏の激励講演会

アルピニスト野口健氏の激励講演会

上映会後には、世界的にも著名なアルピニストである野口健氏による激励講演会が行われました。野口氏は自身の経験を語り、「ナンダ・コート再登頂という今回の挑戦が、若い人たちへの刺激になれば」と思いを述べました。

再登頂に挑戦する登山隊は9月中旬に日本を発ち、インド・デリーを中継して現地に向かいベースキャンプを設営予定。81年前と同日の10月5日の登頂を目指します。
81年前に撮影された写真の展示

81年前に撮影された写真の展示

初登頂時に使用されたアタックテント

初登頂時に使用されたアタックテント

ナンダ・コート登山隊メンバー

・大蔵喜福 (おおくら よしとみ)
1951年2月生まれ。⻑野県出身。エベレスト、マナスルなど8,000メートル峰を7回登頂。マッキンリーにおける「風の研究」で第3回秩父宮記念登山賞を受賞。

・堀 達憲 (ほり たつのり)
1953年8月生まれ。静岡県出身。立教大学山岳部OB。静岡市で江戶時代から続く家業を継ぐ一方、ガッシャブルムIIなどに遠征経験を積む。

・鈴木拓馬 (すずき たくま)
1992年11月生まれ。埼玉県出身。立教大学山岳部OB。障害者福祉施設で働き、立教新座高等学校山岳部の非常勤副顧問を務める。

・山田祐士 (やまだ ゆうじ)
1978年7月生まれ。東京都出身。北海道で育ち、超難度の岩山を登るクライマーで、社団法人日本アルパインガイド協会所属のアスピラントガイド。

・門谷 優 (かどたに まさる)
1982年9月生まれ。兵庫県出身。足掛け4年ほどネパールに在住した経験を生かし、山岳カメラマンとして多くの映像作品を手掛けている。
ナンダ・コートとは

「女神の守る砦」を意味する山

インド北部のウッタル・プラデシュ州北部、ガルワール・ヒマラヤ山脈に ある名峰。「ナンダ・コット」とも呼ばれていました。北⻄11キロメートルにある雄峰ナンダ・デビ(7,816メートル)の外郭を囲む山群の一峰で、ナンダ・デビから延びる尾根上にそびえています。ナンダ・コートとは「女神ナンダを守護する砦」を意味するそうです。1905年にイギリスの登山家ロングスタッフが北東稜から6,540メートルまで試登。1925年にはヒュー・ラトレッジが登頂を試みたが失敗し、立大遠征隊が山頂に立つまでは未踏峰の山でした。

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