『人間豹』と乱歩歌舞伎に焦がれた15年

市川 染五郎(歌舞伎俳優)

2023/06/28

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3歳のときに観た、祖父(現・二代目松本白鸚)と父(現・十代目松本幸四郎)による乱歩歌舞伎『江戸宵闇妖鉤爪』(原作『人間豹』)が記憶に残っているという市川染五郎さん。以来15年間、『人間豹』に焦がれ、いつか自分でも上演したいと願ってきた。染五郎さんが思い描く乱歩歌舞伎とは——。「乱歩を読むのが趣味だった」と語る染五郎さんの好きな乱歩作品やその魅力についてもお話を伺った。

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『人間豹』と乱歩歌舞伎に焦がれた15年/市川染五郎(歌舞伎俳優)

3歳の記憶に刻まれた乱歩歌舞伎

—— 乱歩がお好きだと伺っていましたが、実際に乱歩が住んでいた旧邸や土蔵をご覧いただいた印象はいかがですか。

染五郎(以下略) 純粋に、蔵の中は自分が好きな感じの雰囲気で、お金を払うので1か月くらい住まわせていただきたいくらい(笑)。自分は演じるだけではなく、つくる側にも興味があるので、ああいう本に囲まれた狭い空間で、お芝居の脚本を書いたり、作品をつくったりしたいと、ずっと思っていたんですが、まさにそういう感じの、落ち着くすてきな空間でした。

—— おお、そうでしたか。家賃のご心配はなさらず、ぜひいつでもいらしてください。

ありがとうございます(笑)。

—— やっぱり本がお好きなんですね。

小学校のときから読書が趣味で、今よりも読んでいましたね。でも、よく考えてみると、本当に乱歩しか読んでなかった。読書というよりも、乱歩を読むのが趣味。そんな感じでした。

—— 乱歩にはどんなきっかけで出会ったのでしょうか。

 祖父(二代目松本白鸚)と父(十代目松本幸四郎)が『人間豹』を歌舞伎にしたもの(『江戸宵闇妖鉤爪—明智小五郎と人間豹—』国立劇場、2008年11月)を観たんです。初演のときは3歳くらいでしたが、それが乱歩に出会った初めての経験で。そこからまず『人間豹』を読んで、学校の図書室にある少年探偵団シリーズを片っ端から読んでいました。

—— 最初に『人間豹』を読まれたのは、舞台をご覧になったあと、それなりに時間が経ってからですよね。

ええ。小学校に入ってからですね。

—— しかし、3歳で『江戸宵闇妖鉤爪』をご覧になった記憶があるのはすごいです。その頃、他にご覧になった舞台も覚えていらっしゃいますか。

いえ。生で観た舞台では、いちばん古い記憶だと思います。3、4歳の頃のことはほぼ覚えていないんですが、乱歩歌舞伎は強烈に印象に残っていて。父が演じた人間豹——恩田(乱学)が最後に宙乗りで飛んでいくんですけど、それを2階席で見ていた記憶がうっすらあるんです。あと、父が新たに考えた人間豹のメイクを真似して描いたり、役になりきったりして、家で遊んでいました。

15年待ち続けている『人間豹』への思い

—— 翌年上演された続編の『京乱噂鉤爪—人間豹の最期—』(国立劇場、2009年10月)もご覧になっていますか。

はい。ただ、正直なところ、二作目よりも一作目のほうが記憶に残っていて、二作目は覚えてないんです(笑)。少し大人になってからも、乱歩の『人間豹』はたまに読みたくなって繰り返し読んでいるんですが、歌舞伎を観たときの記憶と重ね合わせながら読んでる感じはします。

—— 乱歩の小説と歌舞伎版を比べて、気がつかれたことなどはありましたか。

原作より先に歌舞伎に触れたので、逆に原作を読んで「この場面をカットしたんだな」とか、「カットしてるけど、その場面を匂わせるようにせりふやお芝居でお客さまにわかるようにしているんだな」とか、そもそものお芝居のつくり方がすごく勉強になって、深く捉えられた感じはしました。もちろん、歌舞伎化されて、舞台が幕末の江戸に変わっているので、原作どおりにいかない場合もありますが、それもうまくその時代に合うように変わっていたのも感じましたし。

—— とくに大きな違いを感じたところは。

歌舞伎化された『人間豹』の場合、恩田は反社会というか、悪にも悪なりの正義があるという人物に祖父がつくりあげたみたいですが、原作では何のために人を殺すのかわからないし、どうやって生まれた人なのかもわからない。で、最後は気球に乗って飛んで行ってしまって、どこに消えたかわからない……。そういう終わり方ですよね。最初から最後まで正体不明の人物として描かれているので、自分がいつか『人間豹』をやらせていただけるときがもし来たら、その原作のテーマというか、恩田の人物像を生かしてつくり直してみたらどうなるんだろうとも思ってはいますね。

—— ただの再演ではなく、染五郎さん自身の新しい『人間豹』をつくられる。

そうですね。

—— そのときは染五郎さんが人間豹を演じられるイメージでしょうか。

そうだと思います。

—— すると、お父さまが明智役に。

どうでしょうか(笑)。父がやったらまた違う感じになるだろうと思いますが。でも、今年が乱歩の作家デビュー100年、来年が生誕130年という節目なので、そういうタイミングに合わせてできたらいいなと個人的には思っていて。

—— なんと! それは期待してしまいます。

とはいえ、自分も待つしかないので、どうなるかわかりませんけれど(笑)。

—— 2025年は没後60年ですので、今年から3年間は(笑)。

3年間、何かしら引っ掛けられる(笑)。

—— ええ。染五郎さんの恩田は拝見したいですね。幸四郎さんが明智をなさっても、あるいは演出に回られて、染五郎さんと同世代の方が明智というパターンもおもしろい。いろいろな可能性があって、新しい『人間豹』の歌舞伎ができるんでしょうね。

3歳で出会ってから、本当に、本当に大好きな作品で、今でも映像をたくさん見ているんです。15年間、ずっとやりたいと思い続けているので、早くやりたいですね。

歌舞伎にするなら『人間豹』以上はない

—— 『人間豹』以外に、お好きな乱歩作品はありますか。

明智が出てくるものや少年探偵団シリーズは小学生のときに読んでいて、どれも好きなんですけど、わりと近年、明智が出てこないものや、短編や中編が気になっていまして。『江戸川乱歩傑作選』と『江戸川乱歩名作選』を買って読んだんです。

—— 新潮文庫の。

ええ。その中では『石榴』がすごく好きになりました。

—— 『石榴』はどういうところが。
まずタイトルに惹かれて読みはじめたんですが、最後まで読んで「石榴ってそういうことなんだ。そういうものに譬えてるんだ」と。ちょっとグロテスクな感じも美しく描くところに、乱歩の美学が表れている作品かなと思いました。

—— 染五郎さんがイメージされる乱歩の美学を、あえて言葉にすると……。

それこそ『人間豹』も、得体の知れない、どうやって生まれたかわからない、どういう目的なのかわからない怪物が突然現れて人を殺していく。そういうグロテスクな部分は大きな魅力で、「乱歩らしさ」のひとつでもあると思うんです。どの作品にも、自分が感じる「乱歩らしさ」が共通してあるのが好きなところですね。

—— 『人間豹』は当然として、芝居にしてみたい乱歩作品はありますか。読んでおもしろいものと芝居にしておもしろいものは違うかもしれませんが。

そうですね……。少なくとも歌舞伎にするなら『人間豹』以上はないなとは、いろいろ読んで思っていて。父が最初に「『人間豹』を歌舞伎にしたらどうか」と提案したそうですが、本当によくぞ『人間豹』を歌舞伎にしたなと、映像を観たり台本を読んだりするたびに毎回思うんです。ちょっとリアルな部分もあるけど、現実ではあり得ないような話は歌舞伎にいっぱいありますし、人間と人間じゃないものが戦う構図も歌舞伎に落とし込みやすい。そういう意味でも、やはり『人間豹』は歌舞伎に合っている作品なのかなと思います。

小説の読後感を舞台で実体化したい

—— 幸四郎さんにお越しいただいたとき、ちょうどその前日に、染五郎さんから「乱歩歌舞伎を再演しないのかと聞かれた」とおっしゃっていたんです。初演から15年近く経っていて、世代も変わってきた中で、あの『江戸宵闇妖鉤爪』を幸四郎さんに再演してほしいという願いだったのか。あるいは今日お話を伺うと、染五郎さんが新しくご自身の『人間豹』を探しているのかなとも思ったんですが。

自分のというよりは、祖父と父の『人間豹』をちょっと手直しするというか。もちろん、恩田という人物をああいうふうに解釈してやるのもおもしろいし、たぶん舞台でやるならああいう人物のほうが物語として深く見えるとは思うんです。でも、先ほどもお話ししましたように、何のために生まれて、何のために人を殺して、どこに行ってしまったのかわからない。そこが『人間豹』という作品全体の重要なところで、小説を読み終わった後の、いい意味での後味の悪さになっている気がしていまして。それを舞台で実体化したい。『人間豹』を読むたびに毎回そう思うので、まったく新しい『人間豹』というよりも、祖父と父が歌舞伎にした『人間豹』を、自分なりの原作の解釈になるべく近づけたい、という感じでしょうか。

—— 時代を幕末に移し替えたところなど、基本的な設定は変えずに。

そうですね。

—— 幸四郎さんにも、芝居にしたい乱歩作品がおありかを伺ったんですが、「短編をやってみたい」とおっしゃっていて。

あ、そうなんですか。

—— そのときは『人間椅子』を挙げられました。

たしかに短編はいいかもしれないですね。乱歩に限らず、ずっと同じセットで、まったく転換がない歌舞伎をいつかつくってみたいと前から思っていたんです。それを乱歩の短編でうまくできたらおもしろいなと、今思いました。

—— それはぜひ、乱歩歌舞伎の新作として実現していただきたいですね。

ええ。乱歩歌舞伎も、まだ『人間豹』しかやっていませんので。そういえば、父は『人間豹』の続編(『京乱噂鉤爪』)をやったので、今度は原作の前日譚をやりたいと言ってましたね。それもおもしろそうですが、違う作品でも絶対歌舞伎に合うものはいっぱいあるはずなので、そういう目でいろいろ探して読んでみたいと思っています。

「市川染五郎」とはどんな役者か

—— 乱歩作品に限らず、今後演じてみたい役や作品はおありですか。

世間の皆さまやお客さまが、自分に対して持たれているイメージは、ちょっと儚げな、線の細い役をやるイメージが強いんだろうなと、当人としても思うんです。でも、むしろ自分はそれとは正反対の、骨太な男らしい悪役が大好きなんです。歌舞伎でいえば、仁木弾正(『伽羅先代萩』)であったり、国を巻き込むような大きなことを企んでいる悪役。高麗屋が代々やってきた役柄でもありますし、そういう意味でも早く挑戦したいですね。歌舞伎座の『花の御所始末』(宇野信夫作)で父がやった足利義教もやりたい。

—— それこそ『人間豹』の恩田なんかぴったりですね。

そう思います。悪役をやりたいですね、早く。

—— 大河ドラマに出演され、歌舞伎座で主演を勤められて、メディアに登場される機会も増えていると思います。そうすると、外から見られている「市川染五郎」という存在と、ご自身がかくありたいと思う「市川染五郎」とのずれなども出てくるのかな、と。そのバランスの取り方は、どうなさっているのでしょうか。現時点で「市川染五郎」という役者は、染五郎さんにとって、どんな役者ですか

もちろん、客観的に自分を見ることも大事だと思うんです。ただ、役者は「見られる」ことで成り立つ職業ですし、お客さまに見ていただいて、お客さまが感じられたことがすべてだとも思う。だから、自分がやったもの、自分のお芝居を自分の主観的な目線だけで評価することは、あまりしなくて。自分で「今の自分がどういう役者か」といったことは考えないですね。それを感じて、評価していただくのはお客さましかいない。言ってみれば、お客さまが「市川染五郎」という役者をつくってくださっているのかなと。自分で自分のイメージをつくるのではなく、見ていただくことで「市川染五郎」という像をつくっていきたいですね。
—— その中でも、見られることで形成される「市川染五郎」という像に対して、染五郎さんとして「いや、そこだけじゃなくて……」というお気持ちもおそらくあっての、悪役への思いですとか、あるいはお家の芸でもある『勧進帳』の弁慶への憧憬もあろうかと想像します。そういったせめぎ合いは、ずっと付きまとうものでしょうけれど、今後もご活躍を拝見したいと思っています。

ありがとうございます。弁慶も高麗屋が代々勤めてきた大切な役ですし、祖父や父の舞台を観て、いつか自分もと強く思い続けてきましたので、そこにたどりつけるように日々精進していきます。

旧江戸川乱歩邸応接間/2023年4月24日
動画撮影・編集:吉田雄一郎(立教大学メディアセンター)
聞き手・文:後藤隆基(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教)


プロフィール

PROFILE

市川染五郎(いちかわ・そめごろう)

2005年東京生まれ。七代目市川染五郎(現・十代目松本幸四郎)の長男。祖父は二代目松本白鸚。2007年6月、歌舞伎座『侠客春雨傘』で初お目見え。2009年6月、歌舞伎座『門出祝寿連獅子』で四代目松本金太郎を名乗り初舞台。2018年1月、歌舞伎座『勧進帳』源義経ほかで八代目市川染五郎を襲名。2020年12月、国立劇場『雪の石橋』獅子の精で歌舞伎興行初主演。2022年6月、歌舞伎座『信康』の徳川信康で歌舞伎座初主演を果たす。同年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の源義高役で注目を集めた。

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