次世代を担う若者を支援 ──「田中孝奨学金」

元トヨフレックス株式会社代表取締役、立教学院功労賞受賞者 田中 孝 さん

2016/05/27

トピックス

VOL.6

OVERVIEW

2015年度より給付を始めた「立教大学コミュニティ福祉学部『田中孝奨学金(震災)および(児童養護)』」は、世界トップレベルのミニチュア・ロープ専門メーカー、トヨフレックス株式会社の創業者である田中孝氏のご寄付によるものです。本学コミュニティ福祉学部に在籍する東日本大震災で被災した学生の学びを支え、児童養護施設出身の生徒に大学進学への扉を開いてくださいました。
この度、ご寄付を賜った田中氏をお訪ねし、自ら起業し、会社経営の成功から会社の売却により得たお金のすべてを社会貢献に活用しようと思われた経緯と生き方、立教大学の学生への思いと期待を伺いました。

聞き手/松尾 哲矢 コミュニティ福祉学部教授

「世の中の役に立つ人になれ」という教えを胸に起業

田中 孝 さん(写真右)と松尾 哲矢教授

松尾 田中様には立教大学に2億円という多額のご寄付を賜りました。立教大学のご卒業ではないにもかかわらず、このようなご支援をいただいたことに改めてお礼を申し上げるとともに、本日は田中様が、ご両親から受けられた教育や、お仕事を通して培われてきた価値観を伺い、立教大学の学生をはじめ、現代の若者たちが、これから社会で生きていくための心構えについてご教示いただければ幸いです。まず、田中様が会社経営に至った経緯について伺えますか。

田中 96歳の母は私が小さなころから、いつも「世の中の役に立つ人になりなさい。そしてたくさん本を読みなさい」と言っていました。そのため、たくさんの本を所有していた隣人から、子ども向けの文学全集を借りて読み、読書への関心を高めていきました。こうした母の教えは、いまの私が生きる指針の原点になっています。もう一つ私の人生に大きな影響を与えてくれた方がいます。それは、本を貸してくれた隣の家のお兄さんで、小学生当時、同級生の間でリーダー的存在だった私に、「お前は自分と同じか下のレベルの人間の上に立って偉そうにしているけど、それじゃあダメだ。自分よりレベルが高い人、つまり年上の人と付き合え」と、助言してくれたのです。それ以後、その言葉を胸に、目上の人との関わりを大切にしながらひたすら難しい本を読み続けていました。高校生の時にはモーパッサンにはまるという風変わりな生徒で、将来は学校の先生か新聞記者になりたいと考えるようになったのです。

松尾 高校卒業後はどのように進まれたのでしょうか。

田中 教師になりたいという夢がありましたが、兄妹3人の家庭に育ち、決して豊かではなく、大学は働きながら夜学へ通おうと親戚の会社に入社しました。学費を蓄えた上でいざ入学したのですが、現実は甘くありませんでした。朝6時に起きて会社に行き、授業が終わって帰るのは夜中。そこから家事などをこなすという生活を続けることは、体力的に厳しかった。よく考えた後、退学という選択をしました。

松尾 将来の夢を自ら断ったことで、不安などはありませんでしたか。

田中 不安はもちろん、焦燥感と挫折感に打ちのめされました。背中から冷や汗が流れ、夜も眠れない。裕福な家庭に生まれ、大学に通う人たちを横目に見ながら、必死で自分の将来を考えました。そんな時、支えとなったのは「大学に行かなくても、本を読んで身に付けた教養がある」という自負でした。そして、「学歴に左右されず、人として誰にも負けない人生を送るためには、営業という結果がすべての仕事しかない」という考えに辿り着きました。そのころ、トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏から販売の全権を任された神谷正太郎氏の営業理念のおかげでトヨタオート多摩に採用され、セールスの仕事に就くことができました。

松尾 神谷正太郎氏は、私ども立教学院の神谷昭男理事長のお父様です。田中様のお仕事の原点がそこにあったとお聞きし、何かご縁を感じます。

田中 実際に営業という仕事は、自分の実力次第で成果を上げられ、わずかな期間でトップセールスを記録することができました。すると今度は、もっと大きな仕事をしたいと考えるようになり、法人営業を行う会社に転職しました。さらに、後に私が起業した会社の主力製品となるステンレス・ミニロープという商材を扱う会社に移り、上場企業20数社に購買口座を開くなど、実績を挙げることができました。

松尾 順調に成果を挙げ、評価を得ながらもリスクのある起業という道を選ばれたのはどうしてですか。

田中 実は積極的に起業したわけではありません。当時、会社の将来性に不安を感じ退社を決断したところ、そこで扱っていた商材を製造する大阪のメーカーの社長から、「全面的に応援するので独立しないか。何とかこの業界で頑張ってほしい」とエールを送っていただき、「私のような若造をそこまで信用してくれるのなら、やってみよう」と決意したのです。とはいうものの、手元にはわずかな資金しかなく借金をして、6畳一間の事務所から商社「東洋産業株式会社」を27歳で起業しました。

グローバル社会でこそ必要な「誠実・謙虚・勇気」

東日本大震災の被災地への寄付に対し、 在フィリピン日本国大使館から感謝状が 贈られた(2012年3月11日)。左から当時 のセブ日本人会会長 落合正次氏、セブ市 市長 MICHAELL. RAMA氏、田中氏。 田中氏はToyoflex Foundation名で、 セブ市を通してフィリピン赤十字 (Philippine Red Cross)に多額の寄付を されました

松尾 27歳で起業し、2013年に会社を譲渡されるまで一度も赤字を出すことなく商社からメーカーに業態を深化させ、フィリピン、中国へと拠点を拡大されてきました。働く上で大切にされてきたことは何でしょうか。

田中 私は両親とこれまでお世話になった恩師をたいへん尊敬しており、小学校の担任の先生ともいまでも交流があるのですが、そうした方々に褒めていただけるのが何より嬉しいと感じます。「世の中の役に立つ人になりなさい」と幼いころから教えを受けてきたため、常に「目配り・気配り・心配り」の3つを心掛けています。また、当時の社訓であり、いまなお私の人生訓であることは「誠実・謙虚・勇気」。人や物事に対して誠実で謙虚に、そして自分の信念を伝える勇気を持って、社員の皆さんと力を合わせ、日々全力で仕事をしてきました。何度か経営の危機にも遭いましたが、その都度トップセールスで営業活動の先頭に立ち、売り上げを増やすことで危機を乗り越えることができました。40年間赤字決算を出さずにすんだのは、こうした信念を持ってお客様に接してきたからだと思います。

松尾 海外に進出されたのはどういう転機からですか。

田中 日本だけに拠点を置いていては、中小企業はこれから厳しくなると判断したからです。1996年にフィリピン、2004年には中国で工場を稼働させました。日本と比べると人件費を大きく抑えられるメリットはもちろん、何より若者たちからエネルギーを感じました。皆、熱心で多くのスタッフは3カ月ほどで立派に成長します。

松尾 いま大学教育の現場では、グローバル化に対応した人材教育に力を入れ、さまざまな取り組みを行っています。2014年にスーパーグローバル大学に採択された立教大学も例外ではありません。田中様が海外とのビジネスを経験されて、日本の若者はどのような心構えをすべきとお考えでしょうか。

田中 グローバル人材以前に、まずは最低限の礼儀や教養を身に付けていただきたいと願っています。フィリピンや中国の若者と比較すると、日本の若者にはエネルギーや覇気が感じられないように思います。かつての日本人は「正直で約束を守る」という日本人本来の特質の上に、仕事に対し熱くエネルギッシュだったことから世界中で「特別な信用」がありました。残念ながら最近の若者には、多くの先達が持っていらした「日本人の良きオリジナリティ」が希薄になっているように感じています。そのことで日本人の評価が落ちることが心配です。そうならないためにも、ぜひ、在学中から、仕事の実務体験にとどまらず、仕事をする気構え、心構えを学んでほしいと思います。礼儀作法を身に付け、節度を持ち、けじめある態度で人と接する。さらに、テキパキ・キビキビ・ハキハキと話し、行動してほしいですね。スポーツの世界ですが、最近、テニスの錦織くんが試合後に海外メディアと流ちょうな英語で堂々とやりとりをする姿を見て、私は感動しております。試合の勝ち負けよりも彼のインタビューが待ち遠しいくらいです。これからはどんな職業に就くにしても、英語が話せる自信を若者が持つことができれば、それだけでも素晴らしい未来が開けると考えています。立教大学のすべての学生が、レベルの高い英会話能力を身に付けるべく頑張ってほしいと願っております。

「お金やモノよりも大切なこと」があることを知ってほしい

Cebu City Medical Center(CCMC看護 大学)に日本語教室を開設。オープニング セレモニーで看護学生にお話をされる田中氏

松尾 田中様はビジネスでの貢献に加え、立教大学へのご支援のほか、フィリピンの大学生を支援されたり、最近も、幼いころ過ごされた東京都昭島市に多額の寄付をされたりと、多くの社会貢献をされています。

田中 40年間会社を経営してこられたのは、多くの方からの支えがあったからです。そして、子どものころ教えらえた「年長者に学び、そして尽くす」という姿勢を徹底して貫いてきたつもりです。「お金や物ばかりではなく、もっと大切なことがある」ということを、自らの行動をもって示したいという思いで、寄付などの社会貢献活動をさせていただいています。根底にあるのは両親からの「世の中の役に立つ人になりなさい」という教えです。

松尾 フィリピンでは、セブ市に「TOYOFLEX CEBU CORPORATION」を設立され、Toyoflex Foundation名でセブ市の高校への教材寄付や国立フィリピン大学学生の学費援助、OCMC看護大学の学生に日本語を学ぶ教室を準備し、その受講生の学費を半額援助するといった支援を、個人の資金で続けていらっしゃいますね。田中様の生き方に武士道のようなものを感じます。

田中 新渡戸稲造の『武士道』の英訳版をセブの友人たちに配ったこともありますよ。私自身が本に助けられていますから、セブに図書館をつくろうとしたこともありました。台風などの影響で現在は計画が止まっていますが、実現できればという思いはいまもあります。

松尾 立教大学へのご支援はどのようなお気持ちからだったのでしょうか。

田中 もともとは、フィリピンで看護を学ぶ大学生を受け入れ、将来、日本の社会で活躍できる人材を育ててくださる大学を対象に寄付をさせていただきたいと考えていました。看護を学んだ学生に日本でも活躍できる場をつくりたかったのです。ところがなかなかうまくいかず、そんな時、松尾先生にお会いする機会があり、先生がおっしゃった「立教大学にも東日本大震災で被害を受け、苦労しながらも頑張っている学生が何人もいる」ということばがずっと耳に残っていました。まだまだ苦労している子たちがいるのかと。被災地へは、震災後すぐにフィリピンの赤十字を通して寄付をしていましたが、コミュニティ福祉学部の理念や松尾先生の学生に対する熱意と感性豊かな熱い思いに共感いたしまして、支援を決めました。

松尾 本当にありがたいチャンスをいただきました。田中様のように、「世の中の役に立つ人材」の育成に努めたいと思っています。最後に、われわれ立教大学に期待することやアドバイスをいただけますか。

田中 いま多くの方が、自分の価値観の中だけで満足して生きていると感じています。自分の価値観に固執する人は、他人の声や意見を聴こうとしません。大切なことは、素直に礼儀正しく人の話を聞くという気持ち。そういう感性を身に付けるには子どものうちから本をたくさん読むことが大切です。インターネットで検索すればすぐに見つかる知識より、そうした知識を実際に使える知恵を身に付け、問題解決する力を付けてほしいですね。
コミュニティ福祉学部は、高齢化社会に伴う介護や被災地復興といった、現在、日本の社会が抱えている社会問題に挑む学部です。少子高齢化という問題を抱えた日本では、介護などの福祉の現場で外国人の労働力に期待が集まっています。そのリーダーとなるケアマネージャーなどソーシャルワーカーは、当然、英語を身に付ける必要があります。彼ら外国人とコミュニケーションがとれる英語力を身に付け、知識ではなく知恵につながる勉強をしっかりとして、福祉の現場におけるリーダーとなれる人物を育んでいただきたいと切望しています。

松尾 ありがとうございます。お話をお伺いしていて、田中様の生き方そのものが立教大学の建学の精神にもつながる「真理を探究して、人に仕える人になりなさい」という教えをまさに体現されていることを実感いたしました。立教大学の学生をはじめ、現代の若者が進むべき道、生き方を考える上での貴重な指針を与えてくださいました。これからも田中様のご期待に応え、社会のお役に立てる人材を育てるべく精一杯努力してまいります。
本日は本当にありがとうございました。

(2016年1月14日 東京都八王子市・田中氏ご自宅にて)
◆◆◆
「立教大学コミュニティ福祉学部『田中孝奨学金』」は、震災および児童養護の2つの制度を設け、2015年度より支給を開始しています。

震  災: 東日本大震災で被災したコミュニティ福祉学部に在籍する学部生を対象とした給付型奨学金。年額60万円を支給(単年度)。
児童養護: 児童養護施設で暮らす高校生を対象とした入学前予約型の奨学金。学費相当額、また、特に支援が必要と認められた者には年額80万円の学修奨励金を4年間支給(継続審査有)。
◆◆◆
松尾 哲矢(まつお てつや)教授
立教大学コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科教授
博士(教育学)。専攻はスポーツ社会学。立教大学コミュニティ福祉学部助教授を経て、2002年4月同教授。2006年4月~2010年3月、立教大学学生部長。2010年4月~2014年3月、コミュニティ福祉学部学部長。著書に『アスリートを育てる〈場〉の社会学─民間クラブがスポーツを変えた』(青弓社、2015年)など。

プロフィール

PROFILE

田中 孝(たなか たかし)さん

【略歴】
1945(昭和20)年  中国天津市生まれ。翌年、日本へ帰国
1958(昭和33)年  昭島市立拝島第一小学校卒業
1961(昭和36)年  昭島市立拝島中学校卒業
1964(昭和39)年  東京都立第五商業高等学校卒業後、東京港湾運送事業協同組合に入社
1965(昭和40)年  トヨタオート多摩入社
1966(昭和41)年  常盤化学工業株式会社入社
1969(昭和44)年  株式会社新洋入社
1973(昭和48)年  トヨフレックス株式会社の前身となる東洋産業株式会社設立
2013(平成25)年  全株式を朝日インテック株式会社へ譲渡。売却費の一部を返還不要の奨学金へと、立教大学(立教学院)へ2億円を寄付
2015(平成27)年  東京都昭島市へ「ふるさと納税」として1億円を寄付。昭島市長より感謝状を授与される

【受賞歴】
フィリピン共和国 セブ市長表彰/セブ市市立高校全校に各種教材を寄付。セブ市CCMC看護大学学生に日本語の無料指導と学費半額援助。現在も継続中。
国立フィリピン大学 学長表彰/当大学の学生で親の年収が20万円以下の学生約50名への学費半額援助に対して。
日本商工会議所会頭より表彰並びに感謝状/永年に亘る役員議員としての功績・功労に対して。
府中市長より 府中市長表彰/府中商工会議所推薦によるもので上記理由と同様。
立教学院より 立教学院功績賞/コミュニティ福祉学部への多額の寄付による多大な貢献に対して。
昭島市長より 感謝状/昭島市の母校である小学校、中学校の教育のためとして多額の寄付をされたことに対して。

※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合がありますのでご注意ください。

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