「池袋」の変わりゆく姿と変わらない魅力

豊島区長 高野 之夫、東京芸術劇場副館長 高萩 宏、「池袋学」座長 渡辺 憲司

2015/10/08

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OVERVIEW

2014年度にスタートした、東京芸術劇場と立教大学による連携講座「池袋学」。豊島区にもご後援いただき、誰もが参加できる講座として人気を博しています。また、今年は戦後70年という節目の年にあたり、「池袋=自由文化都市プロジェクト」による戦後のヤミ市をテーマとしたイベントが開催されました。
特集では、高野之夫豊島区長(1960年経済学部卒業)、高萩宏東京芸術劇場副館長、「池袋学」座長の渡辺憲司本学名誉教授による鼎談についてご紹介します。

鼎談 「池袋学」を通じて街の未来を考える

自立した文化風土と開放性を持つ池袋

高野 之夫 氏

──新宿、渋谷と並ぶ東京3大副都心の一つ「池袋」。その中心となる「池袋駅」は、一日の平均乗降客数が約259万人(2013年度、豊島区調べ)。その東西口には百貨店や家電量販店などが立ち並び、巨大な繁華街というイメージがあります。
長く、そして深く池袋に親しむ皆さんから見た池袋の印象はいかがでしょうか。

渡辺 高校を卒業して、北海道から上京して立教大学に入学以来、池袋を眺め続けてきた私が一番に思う池袋の魅力を一言でいえば「開放性」です。私のように都会への不安を抱えながら地方から出てくる人間も温かく迎え入れてくれる街という印象は、昔も今も変わりません。

高野 おっしゃるとおり、池袋には、住民以外に対しても「よそ者」という概念がなく、垣根を取り払って何でも受け入れる風潮があります。さらに言えば、私のように地元で暮らす人間はそうした温かさや開放性をより強く感じていると思います。ひと昔前まで、池袋というとドラマや報道の影響もあって、少し怖いというイメージを持つ方もいたかもしれませんが、実際にこの街に暮らしてみるとそうした印象はありません。最近ではさまざまな調査で、住みたい街のランキングに池袋が上位に挙げられるようになり嬉しく感じています。

高萩 私は東京生まれで世田谷で育ったため、小学生のころは、池袋はなかなか縁遠い存在でした。毎日、東京芸術劇場に通っている今の自分が感じているのは、池袋は5年や10年といった周期でどんどん変化していく街だということ。私が学生演劇をやっていた80年代、池袋といえばセゾン美術館やスタジオ200などセゾン文化の全盛期でした。まさに若者にとって憧れの街で、「ここから何かが始まるのではないか」という期待感がありました。そして、1990年に東京芸術劇場が完成し、シアターグリーンや舞台芸術学院など、もともと演劇にゆかりのあった池袋は、いっそう演劇の街としての特徴を色濃くしました。さらに、私が東京芸術劇場の副館長に着任してから7年が経ちましたが、その間も東口の一角がサブカルチャーの発信地になるなど、すごい勢いで変化しています。

渡辺 池袋はとにかく駅を中心に、人が行き交い、交差する街です。ただ、それが決して慌ただしいというだけのものではなく、今でも商店街や飲食店に行くと、昔のままの温かさで迎えてくれますね。池袋は大きな繁華街となりましたが、個人経営のお店も多く、店主自身も池袋に住んでいらっしゃるという方も多くいます。ですから、高萩さんがおっしゃるように街の姿は変わっていますが、人や街としての根本的な魅力は変わっていません。こうしたところが、自立した文化風土と開放性を保ち、さらには住みたい街の一つとして評価された理由ではないでしょうか。

高野 本日お越しいただいているのは5月にオープンしたばかりの豊島区の新庁舎です。旧庁舎跡地には新しい文化施設を建てる予定で、別の場所にもシネコン(シネマコンプレックス/複合型映画館)がオープンする予定があり、今後池袋では街の再開発が次々と行われていきます。高萩さんに若者にとって憧れの街であったと言っていただきましたが、若い人からお年寄りまであらゆる年代にとって優しい街であるということが、住みたい街という評価につながっているのだと考えています。

高萩 演劇の街、マンガの街、家電の街と多面的な顔を持っているのも池袋の特徴ではないでしょうか。そしてそれが急速に変化する。確かに通勤や通学の乗り換えなどで通り過ぎている人が多いから、移り変わりが速いという側面があるのかもしれません。これは新宿や渋谷にはない傾向かもしれません。今後もどう変わっていくか目が離せませんね。

大学と劇場と自治体が連携して取り組む「池袋学」とは

高萩  宏 氏

──東京芸術劇場と立教大学が主催し、豊島区が協力をするかたちで2014年度から始まった「池袋学」は、池袋に居住する人だけではなく、池袋で働く人、学ぶ人、池袋を訪れる全ての人が参加できる講座です。開講の経緯や目的について教えてください。

渡辺 「池袋学」は、歴史や文化などさまざまな視点から池袋という街を考えていこうと、東京芸術劇場と立教大学の連携によりスタートしました。しかしもともと「池袋学」という名称は、立教大学名誉教授で日本近世史を専門とされた故・林英夫先生が、大正時代に創立された児童の村小学校をはじめ、特徴ある学校が池袋およびその周辺に集まっていたことに関心を寄せ、ミクロの地域史の必要性を提唱し、それに「池袋学」と命名したと言われています。

高萩 立教大学と東京芸術劇場にとって、まず地元である池袋のことを知ることが重要だと考え、2014年1月18日に、「『池袋学』への招待~ひと、アート、環境から池袋を考える~」と題した「池袋学」開講記念シンポジウムを、立教大学と東京芸術劇場の共催で開催したことで具体的なスタートとなりました。

高野 キックオフとなったシンポジウムには豊島区長として、私も参加させていただきました。池袋を新宿・渋谷に勝る文化の街として発展させていくためには、立教大学や東京芸術劇場をはじめとした地域社会との連携が不可欠だと考えていますので、「池袋学」には大きな意義を感じています。今後のプロジェクトにも期待を寄せています。

──「池袋学」が目指すところはどのようなものですか。
渡辺 「池袋学」は、池袋に住んでいる人や、池袋で生まれた人だけが興味を持つような内容にはしていません。いわゆる郷土史とは一線を画しています。つまり、池袋で働く人や学ぶ人はもちろん、通過する人、地方や世界からの旅行で訪れた人など、池袋に関わる全ての人のための学問。オンリーワンな多様性、雑多性を特徴とする池袋を支える独特のカルチャーを浮き彫りにすることが目的です。そして「池袋学」が一番大切にしていることは、「未来に向けて池袋をどうするべきか」ということ。そのためには、まず過去にさかのぼることが大切だと考えています。

高萩 第二次世界大戦前、新進芸術家たちが集った芸術の街「池袋モンパルナス」や、戦後都内で最後まで残ったヤミ市、漫画文化の発祥となったトキワ荘から、サンシャインシティ、さらにはセゾン美術館を核としたセゾン文化まで、「池袋学」で扱う話題には事欠きません。こうした池袋の過去を振り返る上で欠かせない要素について検証する講演会を、昨年から開催してきました。
そして戦後70年を迎えた今年は、「池袋=自由文化都市プロジェクト」として、「戦後池袋の検証─ヤミ市から自由文化都市へ─」と題したシンポジウムを皮切りに、当時を振り返るさまざまな展示やイベントを行います。立教大学、東京芸術劇場、豊島区の強い連携のもと、東京芸術劇場の5階のギャラリーをはじめ、豊島区内のギャラリーや池袋西口公園を舞台にする予定です。渡辺先生にはプロジェクトの実行委員長を務めていただいています。

高野 戦後すぐに誕生したヤミ市は、池袋が爆発的に変わるきっかけとなった存在です。昭和30年代まで存続したヤミ市が今の池袋の繁華街の原型をつくったといえるでしょう。今年は戦後70年を迎えましたが、今なお当時のエネルギーが池袋には息づいています。そのヤミ市にスポットを当てたシンポジウムをはじめ、池袋に集う全ての人に開放された各種展示やイベントに、より多くの方々に参加していただき、池袋への関心を高めていただければと考えています。

池袋にとっての東京芸術劇場と立教大学

──池袋西口を代表する存在ともいえる立教大学と東京芸術劇場が、強力なタッグを組んでの取り組みが進化しているのですね。

高野 東京芸術劇場が池袋にできてから今年でちょうど25年が経ちました。すっかり池袋西口のシンボルとしてこの地に根付いていますが、文化的な街を目指す池袋にとって、常に新しい提言をし続ける東京芸術劇場が果たす役割は、とても大きいと思います。

高萩 ここまでターミナル駅から近い場所にある文化施設はとても珍しいと思います。周りには飲食店も多くあり、観劇後の余韻に浸れるというところもよいですね(笑)。立教大学も目と鼻の先にあり、入学式や正課外の活動などで学生の皆さんとも活発に交流しています。

高野 豊島区には6つの大学がキャンパスを擁しています。私自身が立教大学の卒業生だからということを抜きにしても、やはり立教大学の存在感は大きいですね。
キャンパスに足を踏み入れた瞬間、それまでの空気とは明らかに違う感覚を覚えます。ほっとできる都会のオアシス的な役割を担ってくれています。

渡辺 大学と劇場はその中に入ると独立した空間が広がっていて、一歩足を踏み入れた瞬間に日常を忘れさせてくれますね。私も大学在学中からつい最近まで、ほぼ半世紀にわたって立教に関わってきましたが、いまだにほっとする場所です。図書館もリニューアルされて居心地がよく、夜遅くまで開館していることもあって、学生たちも遅くまでキャンパスで過ごすようになりました。都心の大学としては他に類を見ない充実したスポーツ施設も完備されています。

高萩 これからも「池袋学」という連携を軸に、立教大学が知の発信、東京芸術劇場が文化の発信と、それぞれの役割を果たしていければと思います。

池袋を愛する人が地元を守り、訪れる人に安心を与える

渡辺 憲司

──今後の発展がますます期待される一方で、2014年5月、豊島区は「消滅可能性都市」の一つに挙げられました。

高野 昨年、日本創成会議の人口減少問題検討分科会が2010年を起点に30年後の2040年における、20~39歳の女性人口の予想減少率を推計し、減少率が50%を超える全国896の自治体が「消滅可能性都市」としてリストアップされ、豊島区は東京23区で唯一その可能性を指摘されました。
そこで豊島区では早々に、20~30歳代の若年女性を主体とする「としまF1会議」(座長:萩原なつ子立教大学21世紀社会デザイン研究科教授)を立ち上げ、彼女たちにとって住みやすいまちづくりについて、さまざまな意見交換を行いました。早速前向きなアイデアがいくつも生まれています。例えばこの新庁舎にもそのアイデアが生かされています。ここを豊島区の子育て支援の拠点とすべく、「子育てインフォメーション」という相談室を設置し、子育てに関するさまざまな悩みに「子育てナビゲーター」が対応しています。2017年4月には待機児童ゼロを目指し、強気で「消滅可能性都市」というイメージの一新に努めています。今回のことがきっかけとなって、地元の方々が本当に真剣になって取り組んでくださいました。

渡辺 地元の人々が池袋を動かす原動力となっているわけですね。そういった方たちが中心にいる街だからこそ、地域が抱える課題を自分ごととしていち早く認知し、真っ先に動くのでしょう。池袋は、住んでいる人が街をつくっているという印象があります。自分たちの地域に対する愛着がとても強いのですね。だからこそ、地方から上京して一人暮らしをする学生たちも安心して過ごせるのでしょう。ぜひ、立教のキャンパスで安心して学んでいただきたいと思います。

高萩 安心といえば、2011年の東日本大震災の際も、立教大学やホテルなど、池袋西口の主な施設が多くの帰宅困難者を受け入れましたね。東京芸術劇場でも1000人近くを受け入れました。実は池袋は地盤が固いので、東京の中でも安全なエリアなのです。

──これからの池袋はどのように変わっていくのでしょうか。

高野 2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、豊島区では競技は行われない予定ですが、文化の面から関われないかと考えています。オリンピック・パラリンピックはスポーツの祭典であると同時に文化の祭典でもあります。豊島区は文化を軸としてまちづくりを行ってきて、東京で唯一「文化芸術創造都市」として文化庁から表彰されていますので、その強みを生かしたいと考えています。
それと同時に、3月にまとめた「国際アート・カルチャー都市構想」に基づき、豊島区の芸術や文化を世界に向けて発信し、世界各国の人々でにぎわうようなまちづくりを進めていきます。そのためにも、今後、東京芸術劇場、立教大学、そして豊島区が三位一体となって協力していく必要があります。

高萩 立教で学ぶ学生の皆さんには、4年間で池袋がどう変化していくかをしっかりと体感してほしいと思います。私たち東京芸術劇場も変わります。一緒に成長していきたいですね。東京芸術劇場にももっと訪れてもらえるように、今後はさらに交流を深めていきたいと考えています。

渡辺 グローバル人材の育成が急務とされていますが、グローバルという視点はローカリズムに基本を置かなければ決して得られません。立教のグローバル教育もそうした方針で行っています。足元を見つめてはじめて世界へ発信できる。自分たちの地域と歴史を捉えるローカリズムという視点は、「池袋学」にも生かされています。

高野 立教の先生方も池袋をとても愛してくださってとても心強いですね。池袋全体がキャンパスといえるくらい、地域のことを考えて、学生のことを考えています。これからも連携を深めていきましょう。
(2015年7月2日 豊島区役所区長室にて)

【プロフィール】高野 之夫(たかの ゆきお)

豊島区長、公益財団法人としま未来文化財団理事長
1937年豊島区生まれ。立教中学校、立教高等学校を経て、1960年立教大学経済学部卒業。
1983年〜89年豊島区議会議員。1989年〜1999年東京都都議会議員。1999年4月豊島区長に就任。2015年4月、5期目となる豊島区長に就任。

【プロフィール】高萩  宏(たかはぎ ひろし)

東京芸術劇場副館長
1953年生まれ。1977年東京大学卒業。東京大学在学中の1976年、劇団夢の遊眠社の設立に参加。東京グローブ座制作担当支配人、世田谷パブリックシアターゼネラル・プロデューサー等を経て、2008年4月より現職。著書に『僕と演劇と夢の遊眠社』(日本経済新聞出版社、2009年)がある。

【プロフィール】渡辺 憲司(わたなべ けんじ)

「池袋学」座長、立教大学名誉教授、自由学園最高学部長
1944年生まれ。1968年立教大学文学部卒業。文学博士。中学校、高等学校教諭等を経て1990年立教大学文学部教授。同大学文学部長などを歴任し、2010年4月同大学名誉教授。2010年8月より2015年3月まで立教新座中学校・高等学校校長。「池袋=自由文化都市プロジェクト」実行委員長。


【池袋の歴史】
1903(明治36)年 JR「池袋駅」開業
1918(大正7)年 立教大学、池袋に移転
1923(大正12)年 関東大震災
1932(昭和7)年 豊島区誕生
1945(昭和20)年 第二次世界大戦終戦。ヤミ市が徐々に形成されていく
1962(昭和37)年 西口マーケット(ヤミ市)取り壊し
1964(昭和39)年 東京オリンピック開催
1978(昭和53)年 「サンシャイン60」開業
1990(平成2)年 東京芸術劇場開館
2014(平成26)年 「池袋学」開講
2015(平成27)年 豊島区庁舎移転。戦後70年企画「池袋=自由文化都市プロジェクト」発足

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