連携講座「池袋学」|トキワ荘と池袋のマンガ文化

湯本 優希 さん(文学研究科日本文学専攻博士課程後期課程2年次)

2015/06/17

トピックス

OVERVIEW

東京芸術劇場×立教大学 連携講座「池袋学」<春季>

日時 2015年5月26日(火)19:00~21:00
会場 東京芸術劇場 5F シンフォニースペース
講演者 山田夏樹氏(法政大学助教、立教大学兼任講師)
 

レポート

東京芸術劇場と立教大学による連携講座「池袋学」では、昨年、編集者としてトキワ荘に携わっていた丸山昭さんをお招きしました。2年目となる本年は、後続世代の研究者である山田夏樹さんに、トキワ荘とその理念や表現の展開について、実際のマンガ作品を例に見ながらお話しいただきました。

今や世界に誇る日本の文化の一つである「マンガ」。そのマンガ文化を語る上で欠かせないトキワ荘は、豊島区の南長崎三丁目にありました。トキワ荘とは、1953年に手塚治虫が入居し、以降、寺田ヒロオ、藤子不二雄A、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫など現在のマンガ文化の礎を築いたマンガ家たちがかつて住んでいたアパートです。このトキワ荘をはじめ、トキワ荘を中心として結成された「新漫画党」や雑誌『漫画少年』は、それぞれの後の作風にも影響を及ぼしました。

トキワ荘は、入居者たちの顔ぶれから〈偶然にも一流マンガ家ばかりが集った奇跡的な空間〉として、まるでマンガ文化の象徴である神話のように語られがちですが、トキワ荘はマンガに関するいくつもの条件をクリアできた優秀な新人のみが入居を許されたアパートであったため、それは偶然ではなく必然だったと言われています。このようにマンガ家が集団で囲い込まれることは、編集側の利便性のためにトキワ荘以外でも行われていました。トキワ荘は特異な場ではなく、マンガ文化展開の大きな流れの一部分だったのです。
トキワ荘には、マンガを〈子どもたちに向けたもの〉と捉え、残虐性など過激すぎる表現は自主規制するといった表現上の抑止力ともいえる姿勢がありました。一方で、同時代にはトキワ荘とは異なるリアリティーのある「劇画」が興り、広がりを見せていました。この劇画の台頭により、従来のマンガにおける記号表現は古典的表現となっていったのです。これに際して、マンガ家たちはそれまで用いていた自身のマンガ表現と向き合うことを迫られました。トキワ荘の寺田ヒロオが、子どもに向けた良いマンガをという主張を覆さなかった一方で、手塚治虫は、自身のマンガに劇画の表現を取り入れていきました。また、「悲劇」などのストーリー性を持たせました。それまで「マンガの登場人物」として決して傷つくことがないと思われていた〈記号の身体〉を、傷つき得る〈生身の身体〉に近づけようとしたのです。このような〈身体性〉を強める試みに、手塚治虫の革新性がありました。しかし、手塚治虫のこういった試みは、〈記号の身体〉でもあり〈生身の身体〉でもあるというマンガの〈身体〉の流動性から目を背けるものでもありました。

さらに、当時の科学の発展を踏まえた〈科学信仰〉とそれに対する疑義について、作品を例に紹介されました。手塚治虫は「鉄腕アトム」で科学の力によってつくられたロボットを不完全な〈記号の身体〉として描きました。藤子・F・不二雄は「SF短編」において、〈記号の身体〉だったはずの登場人物が科学の力を得て暴力をもたらす存在となったとして、突如傷つく〈生身の身体〉を描きました。〈科学信仰〉がマンガの〈身体〉に与えた影響とともに、マンガが〈科学信仰〉に対する疑いや、人間そのものへの問い直しなどを孕んでいることが示唆されました。
そして、マンガにおいて〈生身の身体〉を追い求めた手塚治虫に対し、石ノ森章太郎は、異なる立場に立っていました。それは、〈記号の身体〉と〈生身の身体〉をどちらも描けることこそ、マンガの豊かさであるという考え方です。例えば、ギャグマンガでは死なない身体がシリアスでは死んでしまうなど、文脈により変化させることができるのです。『サイボーグ009』では、人間が戦いのため科学の力によってサイボーグに変化させられたにもかかわらず、最後にはその敵が実は人間であったことが発覚します。石ノ森章太郎は人間やロボットの完全/不完全という前提や枠組みそのものを壊そうとしました。完全/不完全、〈生身の身体〉/〈記号の身体〉を行き来する流動性にこそマンガならではの自由さや可能性があると認識していたのです。

トキワ荘のマンガ家たちは、マンガに対する共通の理念から出発した後、それぞれが変化していくマンガ文化の中でその理念と向き合いながら、常にマンガという表現に真摯に向き合い、模索していたのだと気付かされます。

かつて南長崎に存在し、当時のマンガ文化を牽引するとともに後世に多大な影響を与えたトキワ荘。そのトキワ荘は特殊な場として独立していたのではなく、そこに住まうマンガ家たちがさまざまな表現とぶつかりあい影響しあっていく創作活動の原点として、マンガ文化そのものの進化・深化を支えたひとつの文化的空間だったのでしょう。

※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合がありますのでご注意ください。

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