連携講座「池袋学」|池袋モンパルナスの原風景~野見山暁治氏に聴く~

泉屋 咲月(文学研究科日本文学専攻博士課程後期課程2年次)

2015/06/11

イベントレポート

OVERVIEW

東京芸術劇場×立教大学 連携講座「池袋学」<春季>

日時 2015年5月23日(土)14:00~16:00
会場 池袋キャンパス 太刀川記念館3階 多目的ホール
講演者 野見山 暁治 氏(画家、2014年文化勲章受章)
押見 輝男 氏(立教大学名誉教授)
 

レポート

2年目を迎えた東京芸術劇場と立教大学の連携講座「池袋学」。2015年度春季講座の第一回である本講座は、新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館の10周年記念講演にもあたります。「池袋モンパルナス」とは、詩人・小熊秀雄によって命名され普及した名前で、池袋界隈のアトリエ村を中心とした空間を指し、芸術家たちの創作活動やそれに伴う生活や交流の場として機能しました。

2014年に文化勲章を受章された画家・野見山暁治氏は、1943年11月までの4年間を東京美術学校(現・東京芸術大学)の学生として池袋モンパルナスで過ごしました。本講座では、野見山氏に、池袋モンパルナスで過ごした4年間—「歯ぎしりのユートピア」や、パリ留学時代の自身と周辺人物—「灰色の群れ」における交流の輪についてお話しいただきました。聴き手には、立教大学第17代総長であり、新池袋モンパルナスまちかど回遊美術館を立ち上げた一人である押見輝男氏を迎え、当時の野見山氏の交流関係を「間(あわい)」という視点から捉えていく対談となりました。「間(あわい)」とは、人と人もしくは人と物の間の変化を促す空間およびその機能を指します。こうした視点から捉えると、野見山氏の語る周囲との関わりとはどのようなものなのでしょうか。
1939年、東京美術学校の学生だった野見山氏は、友人と池袋のアトリエ村を見物に行ったことをきっかけに、アトリエ村の貸家のうちの一つであるさくらが丘第二パルテノンに住むことになりました。現地で出会った男性の、貸家を世話してくれるという申し出を断れなかったためだそうです。当時の西洋画家は、画家としては無収入でいわゆる「無頼」の存在でしたが、アトリエ村にはそうした「無頼の絵描き」に憧れる雰囲気がありました。芸術家としての知名度は必ずしも収入に結びつくとは限らず、アトリエ村の住人は常に困窮していました。そうした事情がありながらもアトリエ村は拡大していき、それに伴い古書店や飲食店も増加し、仲間同士の親しみや好ましい隣人関係が形成されていきました。野見山氏が池袋モンパルナスの一角に住んだ理由は偶然によるものでしたが、池袋モンパルナスでの生活—「歯ぎしりのユートピア」での人間関係は築かれるべくして築かれたものだったといえます。

池袋モンパルナスには、芸術家たちの切磋琢磨とともに、文化的かつ人間的で極めて濃密な交流がありました。しかし、野見山氏の池袋モンパルナスでの生活は、1943年11月の入隊により終わりを迎えます。野見山氏が池袋で過ごした時代は、まさに日本の軍国化が進む最中でした。戦争の激化により日本が直面した物資の欠乏は、野見山氏を含めた池袋モンパルナスの住民たちの創作活動に大きな打撃を与えました。また、戦争画が誕生したのもこの頃で、戦争に対する思想の相違や物質的な貧しさは、創作活動のみならず人間関係にも影響しました。貧困の真の恐ろしさとは、こうした他人に対する猜疑心や憎しみを生み出すところにあると野見山氏は語りました。
その後、野見山氏は1952年にフランスに渡り、菅井汲や田淵安一、岡本半三をはじめとした「灰色の群れ」とともに新たな生活を始めました。同氏のパリにおける人間関係において、「灰色の群れ」との関わりは非常に重要ですが、最も重視すべきは椎名其二氏との出会いでしょう。椎名其二氏は、大杉栄とともに『ファーブル昆虫記』を訳出した人物であり、フランス文化研究者として広く認知されています。野見山氏との間には、パリでの出会い以降親密な交流がありました。野見山氏は、椎名氏にまつわるさまざまな思い出を通して、同氏の研究者としての側面ではなく、友情を最も尊重した生き方や思想を語りました。そうした生き方や思想の面において友情の価値を最も評価する姿勢や、「自分で考え決断せよ」という教えは、野見山氏のこれまでの生き方に大きく影響しているそうです。

 最後に、押見氏によって、野見山氏の築いた人間関係の根源には、友情、すなわち適度な「間(あわい)」の保たれた関係があったこと、そうした友情に根ざした生き方は椎名其二氏の思想の実践であったことが指摘されました。同時に、肉親の愛情にとらわれがちな現代において友情の価値を見直していくことの重要性が示唆されました。また、当時池袋モンパルナスの時代において、芸術家たちの成長や折り合いを促す触媒—「間(あわい)」として機能していた池袋の特性を、現代にどのように受け継いでいくかを考える必要性についてお話しいただきました。
野見山氏が池袋モンパルナスやパリで築いた友情の背景には、物質的な貧しさがあるように思われます。そうした貧しさは、戦時下においては人々の猜疑心を煽りもしましたが、それと同時にアトリエ村の住人にとってはある種の「平等性」として機能していたのではないでしょうか。そうした「平等性」こそ、野見山氏をはじめとする「無頼の絵描き」たちの濃密な人間関係の磁場となっていたと考えられるのです。当時の彼らの友情が物質的貧しさの保証する平等性に起因するものであるなら、現在の池袋で池袋モンパルナスを当時のままに再現することは、物質的に豊かな現代を生きる私たちには決してできないことです。私たちに必要とされているのは、野見山氏の語ったような人と人との関係のあり方を通して、現代社会に受け継ぐべき精神を模索していくことではないでしょうか。こうした試みによってこそ、かつて芸術家たちを育んだ池袋という土壌の真価を現代において発揮させることができるでしょう。そうしたところに、新池袋モンパルナスの「新」に託された意味も見出すことができるはずです。

池袋モンパルナスを中心とした友情の世界。西口回遊美術館は池袋のまちおこしを目的に立ち上げられましたが、友情の世界を軸に考えた際にはどのようなまちおこしが期待できるでしょうか。池袋の未来を考える池袋学にとって、今後の展望が示された対談でした。

※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合がありますのでご注意ください。

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