連携講座「池袋学」|柳原白蓮の戦後 — 銃後の母から世界連邦運動へ —

泉屋 咲月(文学研究科日本文学専攻博士課程後期課程1年次)

2015/02/03

イベントレポート

OVERVIEW

東京芸術劇場×立教大学主催 連携講座「池袋学」2014年度<冬季特別講座>

日時 2014年12月14日(日)14:00~16:00
会場 池袋キャンパス 太刀川記念館3階 多目的ホール
講演者 井上洋子 氏(福岡県人権啓発情報センター館長、福岡国際大学名誉教授)
 

講演会レポート

東京芸術劇場と立教大学の連携によりスタートした「池袋学」。本講演は、「池袋学」冬季特別講座として、福岡県人権啓発情報センター館長の井上洋子氏より、著作や歌集、当時の新聞記事などの資料から見る戦後の柳原白蓮について、お話しいただきました。

白蓮は、文学者・平和運動家としてその作品が研究されると同時に、昨年のNHK連続テレビ小説「花子とアン」をはじめ、多くの映画・小説の題材として取り上げられてきました。こうした白蓮を取り扱った文献や作品のほとんどがその核に据えているのは、1921年に起きた「白蓮事件」です。確かに「白蓮事件」は、女性から絶縁状を突き付けるという当時としては前代未聞の事件として世間に大きな衝撃を与え、さらにその絶縁状は女性の人権宣言としての役割を担っていました。そうした点において、単に世間の好奇心を刺激したというばかりでなく、歴史的に見て重大な出来事だったと言えるでしょう。しかしながら、白蓮の生涯を「白蓮事件」以前と以後に分けると、歌集『地平線』の刊行や精力的な平和活動など、社会的により大きな役割を果たしたのは、事件以降の後半生です。このことと、宮崎龍介と結婚後38歳で池袋の宮崎邸へ移り81歳で没する後半生の方がはるかに長いことを合わせて考えると、池袋移住後の白蓮に着目することの必然性がおのずと見えてきます。
本講演ではまず、池袋時代の白蓮の作品群が紹介されました。これらの作品群をたどると、肉親の愛情に恵まれなかった前半生とは対照的に我が子へ愛情を注ぐ母親としての姿、マスコミの寵児としての姿、池袋の宮崎邸に集う生活者、労働者、運動家を支える姿など、白蓮のさまざまな側面が反映されていることがわかります。

次に、歌集『地平線』の刊行、「国際悲母の会」誕生やその後の「世界連邦運動」などの平和活動についてお話しいただきました。歌集『地平線』は、我が子を失った悲しみを詠む歌のほかに、平和活動に際して各地で詠まれた、過去と現在を二重写しにするような歌が収録されています。また、福岡で開催された「国際悲母の会」支部会についての『夕刊フクニチ』の記事や「世界連邦運動」における白蓮に関する記事からは、当時の熱狂的な白蓮人気、平和や労働の問題に対する熱気という、戦後まもなくの日本における時代の息吹を看取できます。そういった時代において、白蓮は世界連邦婦人部の中心的存在でした。

次いで、戦後の白蓮の活動における<母性>の問題について、池袋の宮崎邸の歴史をたどった上で、お話いただきました。白蓮の母性表現の問題に関する先行研究としては、池袋時代の白蓮の作品である白蓮編集『支那事変歌集 塹壕の砂文字』(以下『塹壕の砂文字』と略記)や小説『民族のともしび』を中心に、イデオロギーとしての<母性>と表現の問題について指摘した、菅聡子氏の研究が紹介されました。菅氏は、『塹壕の砂文字』や『民族のともしび』における、宮崎龍介らの日中友好思想とは相反する国粋主義的表現や、それと混在する母子の愛情の描写のなかに、母子の愛情のナショナリズムへの変貌を見出し、戦争における女性の加害責任や<母性>の持つ政治力を指摘しています。本講演では、この指摘を、女性を戦争の被害者としてしか捉えていなかった従来の認識を覆す、示唆に富む妥当な知見であったとしながらも、そうした要素を超越して考えなければならない問題が提起されました。
池袋の宮崎邸は、黄興が宮崎滔天に贈ったもので、言わば日中友好の家として誕生しました。そして、白蓮が夫・龍介らと同じく日中友好をうたう一方で、『塹壕の砂文字』や『民族のともしび』において国粋主義的姿勢や中国蔑視を表現したのは、まさにこの場所でした。『塹壕の砂文字』刊行の前年である1937年、宮崎龍介を使者とした日中和平工作は失敗に終わり、政府は盧溝橋事件発生当初の不拡大方針を翻し、日本は中国との全面戦争に突入します。その後日本が、資本主義の後進性からの脱却への願望により、国粋主義に傾いていく状況において、満州国の利権は肯定されていきます。そうした流れを受け、宮崎龍介を含め、日中友好を唱えていた無産政党員たちもまた、満州国の利権を肯定せざるを得ない状況となりました。満州国の利権肯定への思想転換とその後の太平洋戦争の勃発により、日中友好の家として誕生した宮崎邸はいよいよ困難な時期を迎えました。『塹壕の砂文字』と『民族のともしび』はともに、そういった苦難を背景として描かれたのです。そう考えると、これらの作品における、日中友好に背反する思想、すなわち中国蔑視や国粋主義的姿勢は、池袋の宮崎邸という場所で、戦争の加害者でもあり被害者でもあるという自らの両極性を白蓮が痛感した結果として捉えられるでしょう。また、こうした日本人の中国に関わる論理の矛盾は、宮崎龍介をはじめとする当時の知識人および言論人たちとの思想の乖離ではなく、むしろ彼らに共通した言説でした。白蓮の小説・歌集は、そうした当時の動きを正確に反映していたのです。
『塹壕の砂文字』には、戦争のプロパガンダとして機能するような国粋主義的な歌だけでなく、戦争に苦悩する一般市民の歌も収録されています。『民族のともしび』においても、中国蔑視や軍国賛美の表現とは裏腹に、中国への同情的姿勢や友愛の精神とそれに付随する苦悩が表現されています。こうした作品内における思想の両極性にも、白蓮の抱えた苦悩や矛盾を読み取ることができます。また、『塹壕の砂文字』では、新聞を通じて募集した投稿歌を収めるという編集方針によって、軍事関係者の英雄譚として戦争が語られる際に欠落していた当事者性が獲得されました。このことは、戦争の語り方の転換として、表現における思想の矛盾とは別に再評価されるべきだと言えるでしょう。『民族のともしび』にも、南京攻略に対する批判など、当時としては物議を醸しかねない表現が認められます。
 
「池袋学」としての白蓮研究の今後の展望について、アジア諸国との深い関わりを持つ池袋の宮崎邸の歴史をその基盤として捉え、入手困難な資料も丹念に拾い上げつつ、白蓮の後半生における生き方・表現を研究する必要がある旨をお話しいただきました。

また、竹下夢二と柳原白蓮の関わり、時流とともに軍事主義へと傾倒していく女性誌における「銃後の母」という言葉の普及について、画像資料を用いてお話しいただきました。

時代の寵児・柳原白蓮。従来、「白蓮事件」ばかりが着目されてきたことは冒頭で述べたとおりですが、今回の講演を聴いて、白蓮の後半生について考えることの意義深さを感じました。白蓮の後半生を育んだ土壌として、宮崎邸の歴史を捉えるべきことは言うまでもありません。また、白蓮にことごとく反照される時代の動きをたどることは、白蓮研究に際してだけでなく、池袋について考えていく際にもまた、必要とされるでしょう。「池袋学」も白蓮研究も、両者の相互的な関わりから進められるべきではないでしょうか。

※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合がありますのでご注意ください。

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