自治の村・会津檜枝岐の人びとにまなぶ—映画『やるべぇや』と震災後の「福島」

社会学部現代文化学科3年次 清水 千尋

2014/01/23

イベントレポート

OVERVIEW

立教大学ESD研究所、立教SFR重点領域プロジェクト研究主催 公開講演会

日時 2013年12月1日(日)13:30~17:30
会場 池袋キャンパス 太刀川記念館3階 多目的ホール
講演者 安孫子 亘 氏(長編ドキュメンタリー映画『やるべぇや』撮影、監督)
【略歴】
北海道生まれ。映像作家・映画監督。1980年代より国内外で撮影を行い、生態系と野生動物をテーマにした作品を多く撮影。2009年より檜枝岐村に通い始め、「檜枝岐歌舞伎」を受け継ぐ中学生たちを取材・撮影し、映画『やるべぇや』(2011年、76分)を制作。 

藤井 賢誠 氏(福島県双葉郡双葉町 光善寺副住職)
【略歴】
福島県生まれ。福島県双葉郡双葉町にある浄土真宗本願寺派・光善寺副住職。2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故により、自身も門徒(大熊町、双葉町住民)も避難を余儀なくされている。
 

レポート

「持続可能な社会とはなにか」。これは東日本大震災後の日本社会が直面している大きな課題です。本講演会は、福島県両端、尾瀬の入口に位置する檜枝岐村(ひのえまたむら)と、福島県の浜通り、福島第一原発から10キロ圏内に位置する双葉町の姿から、今後の日本社会の方向性を考える機会となりました。

失われていく日本の古き良き心を若者たちに伝承する村、それが檜枝岐村です。人口約630人の小さなこの村には、江戸時代から綿々と続く檜枝岐歌舞伎が存在します。270年ほど前、村人がお伊勢参りの際に見た歌舞伎を村に伝えたのが始まりと言われています。檜枝岐歌舞伎は、県の重要無形民俗文化財に指定されている伝統芸能です。本講演会の第一部では、その伝統を村の子どもたちに伝える千葉之家花駒座の座長と、伝統を受け継ごうと熱心に練習に励む村の中学生たちの姿を、映像作家の安孫子亘氏が3年間に渡って追ったドキュメンタリー映画『檜枝岐歌舞伎 やるべぇや』を鑑賞しました。

映画では、村を、そして村の伝統をこの手で守り抜くという強い意志が人々を突き動かしていることを感じました。全編に渡り、まるでカメラが存在していないかのような村人たちの自然な日常が映し出されてたことが印象的でした。私たち関礼子ゼミナール生も昨年の6月に檜枝岐村を訪れ、民俗調査にご協力いただくなど交流がありましたが、この映画によって私たちの知らない檜枝岐村の一面を垣間見た気がしました。
花駒座の座長を務める星長一氏をはじめ、村人一丸となって子どもたちに歌舞伎を教える場面は、厳しさの中にも子どもたちに対する愛情が溢れていました。約1カ月半の練習を積み、彼らは文化祭の舞台へと上がります。練習を始めた頃は、歌舞伎独特の台詞回しに少し照れがあった生徒たち。しかし練習を重ねていくうちに顔つきが鋭く、そしてその眼差しは真剣になっていきます。伝承するのは歌舞伎の技だけではありません。挨拶などの礼儀作法も共に伝承されます。村の大人たちの自分の持てる限りを伝えたい、という思いをしっかり受け止める土壌が檜枝岐村にはありました。
第一部後半では、本作の監督、安孫子亘氏と花駒座の座長である星長一氏、そして東京檜枝岐会の方々との意見交換でも興味深いお話を聞くことができました。東京檜枝岐会とは、檜枝岐村を出てもなお、村の心を伝える活動をされている東京近郊にお住いの方々の集まりです。今でこそ村の観光資源となっている檜枝岐歌舞伎ですが、一世代前の人々にとって伝承は容易ではなかったと伺いました。現在はこの苦悩の中、技を身に付けてきた今の世代が、次世代の子どもたちに伝統を継承する時代へと突入しています。そして驚くべきことは中学卒業後、村を離れた子どもたちが再び村へ戻って来るという事実です。彼らも先人から受け継いだ歌舞伎と檜枝岐の心を、次世代へとつないでいくことでしょう。このように檜枝岐村は、人が循環する村でもあります。日本が超少子高齢社会となり各地で人口減少が叫ばれる中、この村は現代日本が抱える課題を超えていきます。安孫子監督は、この映画を通じて「村全体が一つの家族となり、子どもを育てているこの姿。日本で失われているこの伝統を感じて、多くの人に、福島は悲惨なだけではないということを知ってほしい。そして、このような美しい暮らしを一瞬で壊す原発の存在を問い直す必要がある」と力強く語られました(※注1)。第一部では伝統を継承するということ、そして伝統文化の持つ、人と人をつなぐことの尊さを感じました。
第二部は東日本大震災により被災した福島県の浜通り、双葉郡双葉町にある浄土真宗本願寺派、光善寺の副住職 藤井賢誠氏をお招きし、現在の双葉町の状況をお話いただきました。40分という限られた時間の中では、決して語り尽くせないとおっしゃった姿が目に焼き付いています。写真に写る地元商店の様子は、無残にもガラスが割られ、金品が強奪されている現実を私たちに突き付けました。先述した檜枝岐村と同じ福島県内に位置する双葉町ですが、その状況は全く異なります。放射能汚染により、多くの住民が日本中に散り散りに移住することになりました。その結果、今まで地域で育まれていた地域住民との絆が断絶され、人々が孤立を深めることが問題となっています。また藤井副住職がいらっしゃる光善寺も震災の被害を受け、さらに原発事故によって二重の被害を受けています。
故郷を守る象徴であるお寺の損壊が、町民に与えた影響は想像に難くありません。実際、避難によって祖先の墓に立ち寄ることは難しくなりました。お墓と疎遠になることは、その地域と疎遠になることも意味します。藤井副住職は、原発事故の最大の罪は「現在の人間関係と、祖先から続いて来た人脈の破壊である」とお話なさいました。人と人の絆は賠償金では決して解決できません。そして一度剥奪された関係性は、容易に取り戻せるものではありません。また、「檜枝岐村は生きがいの伝承であり、双葉町は生きがいの剥奪である」と両地域を比較されました。
討論では、私たちに問われる姿勢は「共感共苦」の姿勢ではないかというお話も出ました。読んで字の如く、共に喜び、共に苦しむというこの言葉は、東日本大震災以後の日本には重く響くのではないでしょうか。藤井副住職は、日本に暮らす私たちには、関心を持つという次元ではなく「明日はわが身である」と物事を自分事と捉える姿勢が求められていると説かれました。震災直後のように物質的な不足を補うための「モノ」の需要は、現在落ち着いています。しかし落ち着いた今だからこそ、見える形のボランティアの一歩先を模索することが日本社会全体に求められているのではないでしょうか。都民が使う電力を「いかによそに頼るのか」という発想自体が破綻していると語られた藤井副住職の目には、諦めでも悲しみでもない、静かな怒りと強い力が込められているように見受けられました。
600人強の村人が厳しい自然条件を生き抜くために、さまざまな知恵と精神を先代から引き継ぎ、守ってきた檜枝岐村。一方、首都機能を維持するため、安全の代償を長年引き受けて来た双葉町。同じ福島県に位置しながら、あまりにも異なる両地域の姿を見たとき、双葉町を含む被災地を今の姿にした責任をわれわれ一人一人が感じざるを得ません。本講演会を終え、これからどう生きるのかを真剣に考える時が来ているとあらためて気付かされました。
※注1:福島第一原発から桧枝岐村役場までは約156km離れており、茨城県庁(約147km)や宮城県庁(約74km)よりも遠い。

※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合がありますのでご注意ください。

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