2020/08/04 (TUE)

共生研センター メール・インタビュー(12) 
立教大学共生社会研究センター リサーチ・アシスタント 
縄野響子さん

はじめに

共生社会研究センターのリサーチ・アシスタントのみなさんをご紹介するメール・インタビューも第4弾。
今回は、現在修士論文に取り組んでいる縄野響子さん(立教大学大学院文学研究科史学専攻博士前期課程)を、このインタビュー第2回目に登場した今井麻美梨さんがインタビューしてくださいました。

これまで、このインタビューはおおむね「定型」で行っていただいてきたのですが、このお二人はメールでもついつい話が盛り上がってしまったようで、対談形式に仕上がりました。お二人のはつらつとした声が聞こえてくるようです。

メール・インタビュー センターRA・縄野響子さん ー資料を読むことで、自分のなかに次々新しい視点が増えていくー

- 今井:まず初めに、縄野さんが大学院に入ろうと思ったきっかけを教えていただけますか?

縄野:漠然とですが、学部のはじめから考えていたことには考えていました。両親とも大学院を出ているので、その影響でなんとなく行くものだと思っていた節はあります。実際、教員免許の取得を並行していたことや、体調を崩していたこともあり、満足いくまで研究できたとは言い難い状況で学部時代を終えました。「こんなことで終わりたくない!」と思って大学院進学を決めましたが、まさかこんなことになるとは…!

- 今井:大学院はいい意味で、航海(遭難)体験に似ていますからね…!広大な海へ自ら迷い込んでいって、途中で方角を見失って、でも何とか最後は自分の力で帰還するという。縄野さんは「満足いくまで研究したかった」と仰っていますが、縄野さんの研究テーマと問題関心を教えていただけますか?

縄野:学部時代から継続して日本中世、建武政権期を中心に鎌倉末~室町初期の武士のあり方に関心を持っています。卒論では建武政権における足利尊氏の立ち位置や権限について、国司や守護といった政権の地方支配の観点から探りました。修士論文にあたっては検討する地域を広げ、使う史料も行政史料から軍事史料へと重点を移そうと考えています。

- 今井:興味深い研究ですね。研究では、具体的にどのような一次史料を用いていますか?

縄野:もちろん本来であれば一次史料にあたるのべきなのですが、遠隔地にあったり非公開であったり…現在のような状況ではなおのこと、すべてを原本で見ることは難しいです。「鎌倉遺文」「南北朝遺文」といった時代ごとにまとまった史料集や自治体史の史料編、あるいはネットで画像公開されているものに頼りがちになっています。

- 今井:新型コロナウィルスでアクセスできる史料に限りがあり、対象とする時代や地域によっても一次史料公開の状況が異なるのですね…。では、新型コロナ禍以前には、どのような資料館や文書館や博物館史料を利用していましたか?

縄野:資料館の類は、専門に関係ないものも含めると、数えきれないほど足を運んでいます。家族旅行に行くと、必ずと言っていいほどその地域の資料館などを見ていたので…。専門に近いところでは、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)での史料見学に何度か連れていっていただいています。自分がまさに研究対象としている人物の直筆に初めて触れたのもその際ですが、今でも鮮明に覚えています。手が震えました…!また、歴民は一般向けの展示室が非常に広大で、展示そのものも興味を惹かれるものばかりです。写真撮影が自由なのと、ミュージアムショップが少々マニアックな方向に充実しているのも個人的には好きなポイントです。歴史を学んでいるか否かに関わらず、多くの人にぜひ訪れてほしいと常々思っています。知のテーマパークです。

- 今井:歴博で一次史料に触れて「手が震えた」…興味深いですね!その一次史料に対する知的興奮はどこに起因するものなのか、皆さんで一次史料の魅力について掘り下げたいですね。「現物性や本物性を超えた、情動的な何かを引き起こすものがあるのか」や、「一次史料の字体、体裁、状態からどのような歴史的意義・背景が読み取れるのか」など…!そうした一次史料に携わるRAの仕事をしていて、何か気がついたことや、おもしろかったことはありますか?

縄野:RAの作業では、センターの性質上当然なのですが、自分の専門とはまったく無関係といっていい分野の資料を扱うことになりました。今まで扱った資料群は3つで、脳性麻痺者団体「青い芝」関連資料、北海道伊達市と愛知県渥美地域それぞれの火力発電所建設反対関連資料です。それらのデータを目録に採り、どういった分類・配列にすれば史料として意味を持つか、使いやすいかということを考える作業です。どの資料を読んでいても、自分のなかに次々新しい視点が増えていくようで、とても新鮮な経験でした。自分の専攻は日本中世史ですので、文書の中の世界観と自分の世界観とは隔絶されていると言っても過言ではありません。しかし、作業を通じて読んできた資料はどれも現代のものです。今まさに自分も生きているはずの社会が、どれだけ自分の知らない物事を含有して存在しているのかを思い知らされる日々でした。

現在はこの状況で、資料に触ることがませんが、ふと自分の視野が狭くなっているとき、資料を通じて知った人々に「世の中いろんなことがあるんだぞ」と頬を張られる気持ちがします。この感覚は本当に得て良かったものだと思っています。

- 今井:大変興味深いですね。作業を通して、自身の研究対象とは異なる「世界観」に触れることができると。そして、自身の専門領域との時間的距離感や、史料の中に現れる人々の問題関心との距離感を意識せざるを得ないと。縄野さんはRAの仕事から多くの気づきを得ているとのことですが、これからのセンターを更に活気付けていくために、何か考えていることなどはございますか?

縄野:センター自体がもっと知られてほしいですね…正直なところを申しますと、私がセンターを初めて知ったのは、学部三年生のとき訪れた歴史民俗博物館の企画展示(『「1968年」—無数の問いの噴出の時代』)でのことです。この年代のポスターデザインなどに興味があって、資料の所蔵元を確認したらなんと立教大学ではありませんか!それまで存じ上げなかったのがお恥ずかしい限りなのですが、学部時代ほとんど話題に上ることが無かったのは事実です。学内で教室かホールなどを借りて、企画展示などができれば面白いのと同時に、センターの存在感も出るのではないかと思います。とはいえ史料を扱うための設備ではないので、なかなか難しいとは思いますが…。

- 今井:そうですね。センターでは定期的に「ビラを歌おう♪」など実践型イベントを開催していますが、できれば学部の授業に「史料調査の方法論」のような科目を設けて、資料館・文書館・博物館の利用法や、一次史料の活用法を学べる機会があったらいいですね!それでは最後になりますが、歴史研究やRAの仕事で身に付けた、歴史的思考法や調べもののスキルを、修士課程修了後、どのように活かすことができると考えていますか?

縄野:質問をひっくり返すようで申し訳ないのですが、「歴史的思考」も「調べもののスキル」も、修士修了後を待たずとも、すでに活かせていると考えています。学校でも仕事場でも家庭でも、生活をしていれば必ず何らかの情報に触れます。他人の意見もそのひとつでしょう。それに自分が接したとき、「どうしてそうなのか?」情報の経緯や意図に目を配り、検証することは常に必要です。とくに現代では、ネット上に真偽の不確かな情報が氾濫していますし、価値観の多様化によって、今まで知らなかった様々な視点に出会うことも増えました。どういった発信元の情報(意見)が信用に値するか、どんな意図で情報が取捨選択されているか、取り入れた情報(意見)は何を含み、何を欠いているか…どこを探ればその判断材料が手に入るか、それは「歴史的思考」と「調べもののスキル」の合わせ技に他なりません。正直、ここまで進学してもっとも良かったと思っているのは専門知識より、これらを得たことです。自分も含めてひとりひとりがそういったことを少しずつ意識できるようになれば、もう少しうまく社会が回るのではないかと思う日々です。

- 今井:仰る通り、質問は「今」に訂正ですね。専門分野以外の場面においてどのように応用するか、縄野さんの考えを引き出したく、この質問をしました。縄野さん曰く、過去の事象を対象とするのみならず「今も、常に」実践していると。現代社会を紐解くためには、情報の信用性、取捨選択、選択に影響する歴史的社会的背景などを読み解く歴史学的思考とスキルが必須であるというわけですね。このインタビュー全体を振り返ってみても、歴博で実際に一次史料へ触れた「体験」や、作業中に気が付いた世界観の「ずれ」など、縄野さんが、日常性・現代性・同時代性をもつものとして歴史実践を行ってきた様子が伺えますね。ありがとうございました!



*文中で言及されている伊達火力反対運動の資料については、資料紹介と目録もご覧ください!

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