憲法の役割って何だろう?
担当:原田 一明 教授 Harada Kazuaki
みなさんは、憲法についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。近年では、集団的自衛権や天皇の生前退位の問題などがマスコミで大きく取り上げられ、世間の憲法への関心が高まっているともいわれています。しかし、多くの若い人たちは、憲法問題なんて、自分の生活にはあまりかかわりがない、と冷めた目で眺めているのではないでしょうか。その一方で、学校や職場でのいじめ、差別待遇、過労死問題、さらには、ファミリー・バイオレンスと呼ばれる児童・配偶者・高齢者に対する虐待行為やストーカー行為といった「人権」問題となると俄然興味を示す人も多いようです。
ところが、これまでの憲法学では、これらの現代的な「人権」問題は、あくまでも友達、恋人、家族、企業内などの私人同士の問題で、憲法が対象とする国家(自治体)と個人との関係としての「人権」問題ではないとして、はじめから憲法の土俵から放り出してきたのです。この狭い憲法イメージが、普通の人たちが抱く憲法イメージと合っているのか。人権問題は、国との関係という特別な問題として限定されるのか。むしろ家庭でも学校でも、誰との関係でも主張しうる権利として広く考える必要はないのか。人権とは、社会を構成するすべての人々が幸福な生活を営むための権利であるはずです。憲法(学)の役割も時に柔軟に考え直す必要はないのか、講義を通して、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。
授業計画(憲法)
働く人の命を守るーいま求められる労働法とは
担当:神吉 知郁子 准教授 Kanki Chikako
“Labour is not a commodity”-国際労働機関(ILO)の基本理念を謳った、有名な一節です。労働法の講義は、この宣言からスタートします。「労働は、商品じゃないんだな。」そう思ったあなた。実は違います。この言葉は、労働が商品であることを大前提とした、アンチテーゼなのです。一生遊んで暮らせる大富豪でないかぎり、人生のゴールデンタイムのほとんどは、仕事に費やされます。自分の労働を買ってもらい、その対価で生活を支える。その意味で、労働はまぎれもなく「商品」です。
しかし、労働という商品には、クルマやケーキとは異なる特徴があります。人間の行為だという点です。だからこそ、労働は(単なる)商品ではない、とILOは宣言しました。では、どんな法規制が必要でしょうか。労働が売れなければ生活に困る労働者と、会社とでは、大きな力格差があります。ですから、契約内容を当事者の自由に任せると、弱い労働者に不利になりがちです。そこで労働法が登場します。危険な環境や不当に安い賃金、健康を害する長時間労働、一方的な解雇などから働く人を守るため、日本では、約50もの法律が労働法を形作っています。まずは、その内容を学びましょう。しかし実際、働く人の困難は絶えません。次々と生じる新たな問題に、労働法はどう対処していくべきでしょうか。労働を考えることは、人生を考えること。一緒に追究してみませんか。
授業計画(労働法)
第1部 労働法総論
第2部 個別的労働関係法
第3部 集団的労使関係法
「政治」という人間固有の営み、
その根源的思索の歴史に触れる
担当:安藤 裕介 准教授 Ando Yusuke
政治を考えることは人間を考えることでもあり、人間への理解なくして政治への理解はありえない――こう言うと、皆さん驚かれるかもしれません。たしかに人間以外にも一定の秩序とルールに縛られて集団(群れ)で生活を営む動物たちは存在します。しかも女王がいたり働き手がいたり、蜂やアリのように複雑な分業社会を築いている昆虫だっています。しかし、そのような昆虫や動物も自分たちを縛るルールを自分たちで問いなおすことはできません。人間だけが「言葉」によるはたらきかけを通じて、自分たちを縛るルールや秩序を変えていくことができるのです。そうした営みこそがまさに「政治」ではないでしょうか。
欧州政治思想史の授業では、古代ギリシア以来、このような「政治」をめぐる根源的思索がいかに人間の歴史のなかで積み重ねられ、現代でも読み継がれる「古典」として結晶化してきたのかを学びます。もちろん、それぞれの古典(テクスト)には、それが書かれた独自の歴史的文脈(コンテクスト)があり、そうした歴史の文脈なしに古典を評価することはできません。しかし同時に、古典というものは単に「過去の遺物」として時代とともに色褪せてしまうわけでもないのです。「デモクラシー」「自由」「平等」「公共性」など、現代政治を考えるうえでも不可欠な鍵概念の来歴と含蓄を探究する旅に一緒にでかけましょう。
授業計画(欧州政治思想史)