「見る」ことをめぐって

文学部文学科文芸・思想専修准教授 阿部 賢一

2015/06/01

研究活動と教授陣

OVERVIEW

文学部文学科文芸・思想専修 阿部 賢一 准教授による研究紹介です。

都市とまなざし

池袋西口公園の「ショヒド・ミナール」

池袋西口。東武のエスカレータを昇ると、立ち並ぶ建物のあいだから、芸術劇場前の広場が急に開けていく。そこに広がる風景は見慣れたものであるせいか、広々とした円形のスペースに足を止める人はあまりいないだろう。西口広場の芸術劇場側にちょっとした木立がある。その木立の近くに柵に囲まれたスペースがあるが、そのなかに、鉄のパイプを組み合わせてつくった、けっして小さくはないオブジェが設置されている。「ショヒド・ミナール」と呼ばれるモニュメントのレプリカである。
このモニュメントの経緯を知るには、20世紀半ばのパキスタンのことに触れなければならない。当時、ウルドゥ語を公用語とする政策が推し進められていたが、ベンガル語にも同等の権利を主張するデモが1952年に繰り広げられ、その際、多くの若者が命を落とした。犠牲になった人々を追悼する目的で、ダッカに建設されたのがこのモニュメントであった。その後、バングラデシュの正月のお祭りである「ボイシャキ メラ」が池袋西口公園で行なわれるようになったことを契機にして、2005年、バングラデシュ政府からレプリカが同公園に設置されるようになったというわけである。
だが、西口広場を利用している人々の多くは、ベンガル語の愛を讃えるモニュメントがあることはおろか、そこにモニュメントがあることも知らずに、その前を通っていることだろう(私もそのモニュメントのことを知ったのは、2013年の「フェスティバル/トーキョー」で開催された「東京ヘテロトピア」の折だった。詳細は、『新潮』2014年2月号を参照)。
このモニュメントの例を出すまでもなく、通学路、通勤路の風景に私たちはあまりにも日常的に接しているために、その風景のなかに潜んでいる多くのことを見過ごしている。だが、ふと立ち止まってみると、新たな風景が立ち上がってくるだけではなく、今いる自分の位置というものを考え直す機会になるだろう。このような視点を出発点として、画家アルフォンス・ムハ(ミュシャ)、音楽家レオシュ・ヤナーチェクといった芸術家が中欧の都市プラハに投げかけるまなざしについて論じたのが、拙著『複数形のプラハ』(人文書院、2012年)である。現チェコ共和国の首都でもあるプラハは、かつてはドイツ系住民が多数居住し、町の中心部にユダヤ人居住地を有していたきわめて雑種的な都市であった。今日、プラハの中心部に行くと、作家フランツ・カフカのTシャツが販売されている光景をしばしば目にすることができる。ユダヤ系のドイツ語作家であるカフカは、『変身』『城』といった作品を通して、いわゆる「不条理」的な世界を描いたことで知られている。しかしながら、ドイツ語詩人のライナー・マリア・リルケも学生時代を過ごし、ユダヤ系のチェコ語作家リハルト・ヴァイネルもおり、それぞれが異なるプラハの姿を眺めていた。プラハ城は、チェコ系の人々にしてみれば、ハプスブルク支配の象徴に映り、ボヘミア王を兼ねるオーストリア王はウィーンに滞在することが多かったため、ドイツ系住民にしてみれば、空虚な城と映っていたかもしれない。同じひとつの場を取り上げてみても、捉え方は多様性を帯びている。

一枚の絵、一冊の本から読み取れるもの

プラハの街の様子

町の風景から何を読み取るかということを話題にしたが、同じことは他の領域にも当てはまるだろう。同じ一枚の絵を見ても、感じること、思うことは十人十色だろう。たとえば、ドラクロワの《民衆を導く自由の女神》(1830)というよく知られた絵画がある。1830年のフランス七月革命を題材にした作品であり、女神マリアンヌが三色旗を掲げながら民衆を導く姿といえば、思い浮かべる人も多いはずだ。だが、この一枚にしても、「マリアンヌ」という神話的な存在に目を奪われる人もいれば、その下で足蹴にされ、虚ろのまなざしを浮かべているだけの死者の姿に想いをはせる人もいるだろう。
このようなことは、言語作品においても同じことがいえる。イギリスの作家ダニエル・デフォーが書いた『ロビンソン・クルーソー』(1719)が無人島で生き残る人物を描いた物語であることは誰もが知っているだろう。文明社会から隔絶された無人島での冒険譚という印象が強いかもしれないが、この作品は、いろいろな深みをたたえている。たとえば、それまで敬虔ではなかったロビンソンが、どうにか残っていた聖書をたよりにして、労働という規律を重んじるその姿は、プロテスタントの宗教家にとっては模範であったし、島の資源を開発して生活の基盤を築いていく姿は、マルクスをはじめ多くの経済学者の目に留まり、ロビンソンは「経済人」として位置づけられている。フランスの作家ミシェル・トゥルニエはこの物語に刺激を受けて小説『フライデーあるいは太平洋の冥界』(1967)を執筆し、そのなかで、ロビンソンが出会うフライデーの視点を掘り下げ、植民地住民の側からのまなざしを浮かび上がらせている。このように、一冊の書物から多種多様な読解が可能になるわけだが、興味深いのは、それぞれの論者が同じテクストを読んでいるにもかかわらず、まったく異なる見解を導き出していることだ。そう、同じ対象を見ていても、あるものは「見える」のに、あるものは「見えない」ということだ。

見えるもの、見えないもの

近年、私が研究対象としているのが、チェコの作家、哲学者ミハル・アイヴァスである。1949年、プラハで生まれたアイヴァスは社会主義時代にさまざまな職業を転々としていたが、東欧革命以降、文筆家として活動するようになり、フッサール、デリダに関する著書を発表する傍ら、小説家としても精力的に活動を続けている。アイヴァスが哲学的研究および創作の両面から取り組んでいるテーマのひとつが「見る」ことをめぐる考察である。小説『もうひとつの街』(拙訳、河出書房新社、2013年)は、中世の趣を残す都市プラハを舞台にして、目に見えない、もうひとつの世界への想いをはせた幻想的な小説であるが、慣れ親しんだ都市の風景の陰に潜むもうひとつの世界への想像力がその根底にある。私たちは未知なることに遭遇しても「既知の規律のなかに編入」させようとしているだけであって、異質なものを排除してしまっている。アイヴァスは、別の作品で次のようにも述べている──「たいていの場合、私たちがモノを見るのは、生活のなかに入りこんだときや、それがまだ異質に感じられるときに限られている。もう何年も用いている身近なモノは、自明さという膜でおおわれていて、その膜の下は見えないんだ」と。
日常的な風景は、日常的であるがゆえに、そこに潜むさまざまなメッセージを私たちは見落としてしまっている。それは、毎日通る町の風景もそうであるし、絵画であろうと、小説であろうと同じだろう。そのような「見えないもの」を意識的に「見」て、可視化し、言語化していくこと。おそらくこれは、文学や美術にかぎらず、人文系の学問に共通する使命のひとつだろう。

プロフィール

PROFILE

阿部 賢一

文学部文学科文芸・思想専修、文学研究科比較文明学専攻准教授

【略歴】
1995年3月 東京外国語大学外国語学部卒業
1995年10月~1997年9月  政府給費生としてプラハ・カレル大学に留学
1999年3月 東京外国語大学大学院博士前期課程修了
2002年6月 パリ第4大学スラヴ研究科DEA取得
2003年3月 東京外国語大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)取得。
2004年4月 東京外国語大学大学院国際文化講座助手
2005年4月 武蔵大学人文学部専任講師/ 2008年4月~ 同准教授
2010年4月~ 現在 立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授

【著書】
・ 単著
『イジー・コラーシュの詩学』(成文社、2006年)
『複数形のプラハ』(人文書院、2012年)
・ 共編著
『バッカナリア 酒と文学の饗宴』(成文社、2012年)

【訳書】
ボフミル・フラバル『わたしは英国王に給仕した』(河出書房新社、2010年)
パヴェル・ブリッチ『夜な夜な天使は舞い降りる』(東宣出版、2012年)
ラジスラフ・フクス『火葬人』(松籟社、2012年)
ミハル・アイヴァス『もうひとつの街』(河出書房新社、2013年)
ボフミル・フラバル『剃髪式』(松籟社、2014年)
パトリク・オウジェドニーク『エウロペアナ 20世紀概説史』(共訳、白水社、2014年)
ほか多数

※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合がありますのでご注意ください。

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