日本のトップ選手から監督へ ゼロからの指導——男子駅伝チーム飛躍の4年!!

陸上競技部男子駅伝チーム 上野裕一郎監督、林英明コーチ

2023/02/24

アスリート&スポーツ

OVERVIEW

創立150年となる2024年に、第100回の記念大会を迎える箱根駅伝に出場することを目標に掲げた「立教箱根駅伝2024」事業。当初の目標よりも1年前倒しで出場を成し遂げた陸上競技部男子駅伝チームの上野裕一郎監督と林英明コーチに、これまでのチーム作りに対する思いを聞きました。

偶然の重なりから始動した箱根駅伝への道のり

——上野さんの立教大駅伝監督就任の経緯を教えてください。

 「立教箱根駅伝2024」事業が始まった際、選手の獲得や寮の整備、資金面の支援などにも増して重要だったのが指導者の獲得です。われわれは箱根駅伝を目指すチーム作りを1から行う必要があり、適任者はなかなか見つかりませんでした。そこで著名な指導者との人脈を多く持っている上野さんに相談してみよう、と思い立ったんです。私と上野さんは偶然同じマンションに住んでいて、時々一緒にジョギングをする仲でした。居酒屋で「どなたかいないですかね」と話を切り出すと、何人か候補を上げた後に、上野さんは「僕じゃだめですか?」と返してきたんです。その時は体に電気が走りました。将来指導者を目指していることはジョギング中の雑談で聞いていましたが、日本のトップレベルの現役選手でしたので「まさか」という想いでした。

上野 「指導者をやるなら、型にはまったチームではなく、ゼロから作り上げられる場所がいいと思っていたんです。個人的に次のキャリアを考えていた時期で、指導者になるには、タイミングも重要だと感じていたので、その時は何も考えずに迷いなく手を挙げていました。そんな僕に林さんは「すぐに大学に持ち帰ります」と言ってくれたのがうれしかったですね。

 上野さんは選手としての成績も素晴らしいですが、以前からコミュニケーション力の高い方だと感じていましたし、人間的な魅力にあふれた方なんです。チームを1から作るには指導経験の有無より、選手と向き合える方というのが大前提で考えていたので「この方なら一緒に大きな目標をやり遂げられる」と当時の総長に上野さんの人間力の高さを力説しました。

——当初チーム作りはどのように進めたのでしょうか。

上野 当初、チームにいた選手は箱根駅伝に出ようと思って入部したわけでもないし「箱根を目指すぞ」と言っても戸惑うだけですよね。最初は「強くなるために、これとこれをやろう」と最低限の練習のルーティーン化を図りました。その際、物事の強制は一切しませんでした。

 突然、箱根を目指すと大学から言われ、日本のトップ選手が来て指導します。となったら当然驚きますよね。当時のキャプテンから「特に1年生が動揺してます。」と電話がかかってきました。でも上野さんは、練習場に行ったら必ず全員に声を掛け、コミュニケーションを取るんです。冗談も言うので、選手もリラックスできる。話を聞いて、自分のキャラも相手に伝えて信頼を得てから、言いたいことをきちんと伝える指導なんです。そこが上野さんの凄さだと思います。

上野 話すことが好きなので、1日1回は全員と話すようにしています。監督を怖いと思いながら陸上をやるよりいいですよね。“監督がすべて”のチームじゃない。常々「4年生がチームを作るんだよ」って言っていますが、それは4年生が偉そうにするという意味じゃない。やりたい事を4年生が考えたら、それを下級生に伝えて意見を出し合ってみんなが納得したらやっていいよと。だからうちの部には縦社会がないし、揉め事もほとんどありません。

 辞めた選手もいないんですよ。上野さんが監督になった時1年生だった学生も、寮生活になるなど生活の変化もあったのに、誰1人辞めずに卒業したんです。それもすごいことだと思います。自身が勧誘した選手だけでなく、もともといた部員のこともしっかりと指導し、育ててくれたから、選手たちもついて行ったと思います。
練習では選手一人ひとりの自主性も重視。意識も4年間で大きく変化

——計画より1年前倒しで箱根駅伝出場を実現、その理由をどう分析しますか?

上野 もともといた選手たちが“将来の立教のためなら”と意識や生活を変革し、ベースを作ってくれたことが1番だと思います。あとはOBや大学側が一体となって事業を支えてくれたり、サポートしてくれたマネジャーたちの力やスカウト活動の際に快く受け入れてくださった高校の先生方のご協力も大きいですね。2年目まではなかなか箱根も見えてこなかったですが、予選会で順位が上がり、学連選抜で出場する選手が出てくると、モチベーションが上がりました。同時に“悔しい”という気持ちを前面に出すようにチーム全体がなっていった。それは、上を狙えると思うからこその感情ですよね。学生自身が考え、取り組みや生活、目標の立て方など行動を大きく変えた。みんなの必死さが、本選出場という実を結んだのだと思います。

 上野さんの一緒に走りながら指導するスタイルも影響が大きかったと思います。日本のトップランナーの走りを間近に見られることも貴重ですし、学生も大きな力の差を実際に感じることで、悔しさやモチベーションにつながったはずです。上野さんはよく“日本一速い監督”と評されますが、いずれは“日本一速いチームの監督”になってもらいたいと思っています。

上野 裕一郎

1985年、長野県佐久市生まれ。佐久長聖高入学と同時に本格的に陸上を始め、3年時には1万メートル走で日本高校記録(当時)をマーク。2004年中央大学に入学。箱根駅伝は1年1区19位、2年3区3位、3年3区1位、4年3区2位。08年に卒業し、エスビー食品入社。09年ベルリン世界陸上5000メートル走に出場。13年、エスビー食品の廃部に伴いDeNAに移籍。18年12月に立教大学体育会陸上競技部の男子駅伝監督に就任。

林 英明

1997年立教高校(現 立教新座高校)卒業。2001年立教大学社会学部産業関係学科卒業。東京海上火災保険(現 東京海上日動火災保険)株式会社を経て05年学校法人立教学院 立教大学に入職。学生部や教務部で勤務し、現在は立教学院財務部財務課。立教学院入職以降、立教大学体育会陸上競技部 長距離コーチを務め、18年度から陸上競技部コーチとして「立教箱根駅伝2024」事業に携わる。

チームを支えるマネジャーから見た駅伝チーム

「夢が目標に。意識が変わり続けました」
体育会陸上競技部男子駅伝チームマネジャー
豊田 桃華さん(社会学部メディア社会学科4年次)


最初はチームのSNSもないただの部活という雰囲気でしたが、注目されるにつれ、選手もマネジャーも意識が変わっていきました。印象的なのは2021年の夏合宿です。それまでは1人で走るタイプだった選手が後輩に声を掛けて一緒に走ったり、チームとしてのまとまりを実感しました。上級生からは自分たちが引っ張らなきゃ、という思い、下級生からも自分たちからやらないと、という意識が出てきたのだと感じます。上野監督との信頼関係が深まるにつれ、箱根駅伝が夢じゃなく目標なんだ、と意識が変化していったのも感じました。駅伝チームは個々の選手の力がバラバラな面がありますが、互いに尊敬しあって練習しているのがすごくわかります。それはマネジャーにも通じる部分ですし、それが立教らしい良さだと思います。後輩にはその精神を忘れず頑張ってほしいです。

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