立教大学 公開講演会 発達しょうがいのある方々が自分らしく主体的に生きるために 講師 岩本友規氏 日時 2019年11月30日(土)13/30~15/30 会場 池袋キャンパス 8号館 3階 8303教室 主催 しょうがい学生支援室 サポート体制 手話通訳、文字通訳等 この講演会は学生スッタフも運営をサポートしています。 開会 司会/皆様、こんにちは。本日はお忙しい中、公開講演会へ足をお運びいただきまして、ありがとうございます。本日司会を務めさせていただきます、立教大学しょうがい学生支援室、発達しょうがい・精神しょうがいの学生支援コーディネーターの中村と申します。どうぞよろしくお願いいたします。ただいまより、2019年度立教大学しょうがい学生支援室公開講演会を開会いたします。 はじめに本学しょうがい学生支援室長の小川先生より開会の挨拶をいたします。 小川/立教大学しょうがい学生支援室長の小川です。本日は公開講演会「発達しょうがいのある方々が自分らしく主体的に生きるために」に、多数の方にご来場いただきましてありがとうございます。本日、講師にお迎えするのは、岩本友規先生です。岩本先生は「発達障害の『生き方』研究所 Hライフラボ」の代表をされており、加えて明星大学発達支援研究センターの研究員でいらっしゃいます。岩本先生は、実は発達しょうがいと診断を受けられたのは30歳を過ぎてからだそうです。大人の発達しょうがいということで、いろいろな啓発活動をされてこられました。それ以前から、外資系商社やベンチャー企業、あるいは有名なコンピューター会社で活躍され、表彰を受けるようなお仕事の成果も出されています。それらのご経験をもとにブログを立ち上げ、また「発達障害の自分の育て方」というご著書も出版されております。 私自身、ブログを拝見しまして、大変惹かれました。例えば、今年の夏、渋谷に新しくできたライブハウスで音楽とトークのライブイベントをされたというようなことが書かれていたからです。さっき岩本先生にお話を伺いましたら、「どこでもお話します」とおっしゃっていました。本日は学内の他、地域の方々、また発達しょうがいの当事者、ご家族の方々など、多数の方々にご来場いただきました。皆様と岩本先生のお話を聞けることを私自身も楽しみにしております。 本日は長時間お付き合いいただきます。どうぞよろしくお願いいたします。 ●写真 マイクを持っている小川支援室長 司会/それでは早速ではございますが、岩本先生からご講演をいただきたいと思います。岩本先生、どうぞよろしくお願いいたします。 第一部 講演 岩本/あらためまして、岩本友規と申します。今日はどうぞよろしくお願いいたします。先ほどご紹介のとおり、30歳を過ぎて発達しょうがいの診断を受けました。診断を受ける前から仕事で困ることが多くあり、これは本当に大きな社会課題なのではないかと思い、研究や啓発といった活動をしています。 前職の在職中、2015年12月に本を出しまして、その本を今の勤め先の明星大学発達支援研究センターの方が読んでくださって、そのご縁で学会の発表や今の研究員の仕事までつなげていただきました。もう4年ほど前の話になります。本(「発達障害の育て方」)はAmazonであれば、まだ紙媒体の本が買えると思います。Kindleでもあります。 Hライフラボの活動では、発達にいろいろな偏りがある人の生活にも何か希望を持てるといいなと。必ずしも正解を投げかけるというわけではなくて、こういう希望があるかもしれないから、ちょっとやってみようかなと思ってもらえるといいな、という思いからやっています。もう行き場がないというか、希望がない状態が自分の中で一番つらかったので、可能性を示せることでそれが少しでも楽になったら良いなと思って活動しております。 ●写真 スクリーンの前に座りマイクを持って講演している岩本氏 今日はしょうがいのある方々が自分らしく主体的に生きるために、というテーマで、大まかに3点について話をしたいと思っています。1点目は、「主体的に生きる」とはそもそもどういうことなのだろう?ということについて、皆さんの間で共通の理解ができるよう話をしたいと思います。2点目に、発達しょうがいのことをお話していこうと考えています。3点目に、では発達しょうがいのある人も本当に主体的になれるのだろうか?ということについて、お話ができればと思います。 ■ 主体性とは? では、そもそも「主体的になる」とはどのようなことだと思いますか?何かイメージはあるでしょうか?私も皆さんがどのような主体性のイメージを持っているのか分からないので、以前に勉強会を開いた時に、「こういうことができる人は主体的なのではないか」という要素を盛り込んだアンケートを取ってみました。「この言葉、この問いかけで人の主体性が計れますか?もしくは、計れると思いますか?」という質問を7名の方にしてみました。 例えば、「自分にしかできないことをしてみたいと思う」こういう人は主体的でしょうか?「決められた仕事の中でも個性を生かしてやりたい。」に当てはまる人は主体的と言えますか?など、このようなことをたくさん聞いてみたら、回答がバラバラになりました。 質問項目の中に、心理学の専門用語なのですが「自己充実的達成動機」というワードで括られた項目群があります。その群の中で「何か小さいことでも自分にしかできないことをしてみたいと思う」という項目では、「計れる」と判断している人が多く、「人に勝つことより、自分なりに一生懸命やることが大事だと思う」という項目では、「計れない」と判断する人が多くなっています。 同じように、次は、「慣れた仕事よりも難しい仕事をしてみたい」など「挑戦性」というワードで括られた項目群があります。他には「その他」の項目群もあり、この中の「新しい仕事を任される機会には、進んでそれに取り組む」というのは何か主体的っぽいですね。でも、それは「自己の希望アピール」とか、そういう別のワードで表現できるものでもあると思うのです。「自主的」や「自主性」と「主体性」は違うとよく言われます。「自分で自主的に動く」のと、「主体的に動く」というのは何か違うのです。「習慣にとらわれず、自分自身の考えに基づいて行動している」とか、「自分の行動は自分で決める」とか。また、「自律性」で括られた項目群では、「他の人の影響を受けずに」とか、「社会の常識にとらわれずに」というワードが含まれています。そのため、自律的に動ける人、主体的に動ける人というのは、「他の状況もちゃんと分かった上で自身の行動を決められる人」だと考えることができるのではないかと思います。 日本は、主体性に比べ協調性が重んじられる文化であったので、主体性を扱った研究はさほど多くないのですが、「自分の感じた、考えたことに基づいてみずから行動していこうとすること」が、主体的な人の態度だと唱えた村上氏という人がいます。村上氏は「さらに主体的な人は、他人の主張もきちんと謙虚に受け取れる人である」と言っています。つまり、「他の人の状態もきちんと慮って行動できる人が主体的な人である」と唱える研究であり、これを意外だとする意見や反応があります。 他にもアメリカの研究ですが、大学生を対象とした研究の中で、「セルフ・オーサーシップ」という言葉が用いられています。セルフは「自分」で、オーサーは「著者」ですので、要するに「自分の人生を自分で表現していけるような態度」のことを指します。そして、それを身につけることに関する研究が盛んに行われています。セルフ・オーサーシップの定義に、「より大きな世界との相互関係の関与を調整する」とあります。他の社会や他者を前提にして、自らの一貫した信念体系とか、アイデンティティ、自分がどういう人間かを定義して動いていく力がセルフ・オーサーシップ、つまりは主体的な人だと言っています。「自分自身を知って、自分の知っていることを知って、それをしっかり考えた上でそれに基づいて行動する」ということが大切であり、単純に社会の常識に反応して動くとか、他の人から言われたことだけやるとかではないということをここではお伝えしたいです。その他にもいろいろと定義はありますが、いずれも他者や社会との関係がポイントになっています。 また、自分が考えていること、まわりの人・社会が考えていることを全て理解している状態が望ましいと言えます。自分のことはなんとなく分かりますけれども、周りがどういう意識なのか、どういう理解なのか、そのあたりまで想像力を働かせて動いていく。そういうところに気づける力がないと、なかなか主体的にはなれないということをお伝えしたいなと思っています。ただ、これがなかなかに難しいことなのです。自己理解に関する研究が盛んであるということがその難しさの証明だと思います。「本当に発達しょうがいがある人は主体的になれるのだろうか?」、ここがまさに課題だと思っています。 続いて、主体性がなぜ今大事なのか?ということについて話したいと思います。最近、文科省が新しい学習指導要領に変えたという話題がありましたね。産業革命の時代、テクノロジーが飛躍的に発展した頃には、教育制度はあまり整備されていませんでした。けれども、学校のようなものができて、みんなが同じような教育を受けて働けるようになる。産業革命を前提にして教育制度が整って、しばらくは繁栄の時代が続くわけですが、それが最近の、デジタルレボリューション、IT革命で、再び社会情勢の大きな変化が起きました。そうするとまた、教育制度が追いつかないわけです。今の教育を受けている社会人、それからお子さんは、なかなかまだ新しい教育制度が整っていません。どういう形にしていくことが望ましいのかは、まだ明らかにはなっていませんが、自身の周囲の環境をきちんと認識して、どのように動いたら良いのかをきちんと納得したうえで、自身が決めていくことだと思います。このことについて、経済協力開発機構(OECD)は「エージェンシー(Agency)」という言葉を打ち出しました。このように主体性の考え方は、徐々に教育に落とし込まれていて、「主体的な学び」が学校現場で行われるようになってきています。 ●写真 会場後方より見た会場の全景。来場者の方々を後ろから撮影。会場前方にあるスクリーン前に立つ岩本友規氏。 ■ VUCA(ブーカ)という時代 日経新聞などによく「VUCA(ブーカ)」という言葉が出てきます。インターネットが発達し、移動も自由になったことで、複雑な時代になっていることを表した言葉です。たまにはLとDが入ってVULCAD(バルカッド)ともいいます。これは、ものすごく先が見通せなかったり、今まで大事だと思っていたもの、大事だと思われた価値が、明日にはもう要らない形になってしまったりするかもしれない変化が早い時代を示しています。なので、自分で乗り切っていかないといけない。このことはしょうがい学生に限らず、一般の社会人、学生にも求められているものだと思います。 特にマイノリティになりがちなしょうがいのある方が、なかなか理解の得られにくい環境で生きていくためには、主体的な行動が、マインドも含めて必要なのではないかなと思っています。 制度と社会のギャップがある状態が続いたままだと、国力が一気に落ちていきます。やはり日本の国民性は主体性とは真逆で、場の力が強いと思います。主語がなくても会話が成立してしまうくらい、場や相手を察することが尊ばれる文化です。そういった文化で育った国民性がありますから、なかなか主体的な社会に対応できなくて、あっという間に世界の競争から置いていかれてしまう。人材教育が追いついていないからですね。クリエイティブなことがなかなか出てこないことが要因だと思います。 「Yahoo!アカデミア」というYahoo!の社員用教育機関の学長が、「自律的に動きなさい」、「自由に働いて、自由に生きるためには、もう主体的になるしかないのだよ」と言っています。この方は、今、Yahoo!やソフトバンクのグループ内で、「自分のやりたいことが見つかったらどんどん出ていきなさい」という社内教育を行っていて、先駆的な制度をつくっています。 最近の働き方を考えるカンファレンスでも、働き方改革を進めるには、もう自律的な人材を育てるしかありません、主体的に動ける人じゃないと、自由な働き方は難しいということをひたすら言っていて、「働き方改革」イコール「生き方改革」だということは、よく偉い方も記事で言っています。 では、どうやったら主体性が育めるのでしょうか?ということが、今回の課題です。■ 主体性クエスト(シュタクエ) 私はドラクエ(ドラゴンクエストの略)世代なので、主体性を獲得するプロセスをゲームに例えて『主体性クエスト』というものを作ってみました。ドラクエの音楽を頭の中で流しながら話を聞いてください(笑)。 私は学生の頃、社会に出たら「人生ゲーム」だと思っていました。働いてお金を稼ぎ、一番お金を持っていた人が優勝だと思っていたのですが、実は主体性を探す旅だったというのが私の理解です。それが『主体性クエスト』でした。 ゲームのボスキャラとして「VUCA」という名のドラゴンのような強大な敵がいるわけです。20年ほど前になりますが、その当時私の武器はバット一本しかなく、それで戦っていました。そうしたら、頭の固い上司がいたり、業務サイクルが早すぎたり、人手も足りません。そんな状況にあっという間にやられてしまいました。やられるとどうなるかというと、うつ病になってしまったのです。けれども、ここで心優しい魔女が出てきて、「VUCAドラゴンを倒すには、3つの宝がないと駄目なの。それで主体的になってVUCAドラゴンを倒すのよ」ということを教えてくれました。 ■ 1つ目の宝(多様な知識と経験) では、それぞれ何が必要なのでしょうか?1つ目は、多様な知識と経験です。これが無いと、なかなか主体的に、どの道を行ったらいいか分かりません。一本道しか知らないのに、主体的になれと言っても難しいでしょう。 やっぱり選択肢を知っていることが大事だと、個人的経験から思いますし、過去の研究でも言われています。岡田敬司先生の『自律者の育成は可能か』という本があるのですが、「たくさん知識をつけなさい。勉強しなさい。この世界がどのようなものなのかを知るために、いろいろな分野をより深く、きちんと学び、関連性を自分の中につくり、そういった知識の柱の上に屋根を置けるようになって初めて、主体的かつ自律的に動けます」ということを言っています。大まかな趣旨で言うとそういう本です。経験値もどんどんためていきなさいと。まさに私もそういうイメージで、主体的な行動ができるようになったので、これはものすごく腑に落ちました。 ここで例題を出したいと思います。例えば、ご自身の家が東京にあるとしましょう。福岡の10人家族のお宅に旅行に行くのでお土産を渡します。その時に、今から出てくる3つのうち皆さんはどれを選びますか?というのが問題です。正解は特にありませんので選んでみてください。①東京タワーの置物10個。1人に1個あげるみたいな感じです。②ニューヨークシティーキャラメルサンド。ご存じの方いますか?東京大丸で2時間とか3時間とか並ぶ有名なおいしいお菓子です。③普通にみんなで分けられる無難なおせんべい。さあどれを持っていきますか?というのが問題です。…では、東京タワーの置物を10個持っていくという人?…いないですね。では、超有名キャラメルサンドが良いのではないかという人?…半分以上挙がりましたね。おせんべいが良いのではないかという人?…これも、同じぐらいかちょっと少ないぐらいですね。ありがとうございます。特に正解はないのですが、皆さん過去の自分の経験とかをもとに選ばれたのではないかなと思います。 では、同じような状況で、次は中国のご家族にお土産を持っていくとします。①東京タワー、②キャラメルサンド、③は日本らしく富士山型の羊かんに変えました。さあ、どれを持っていくのがいいか、選んでいただきたいと思います。では、東京タワーが良いのではないかという人?…何人か増えていますね。ありがとうございます。キャラメルサンドが良いのではないかという人?…減っていますね。富士山型の羊かんが良い方?…富士山が圧倒的ですね。ありがとうございます。 私の前職は、Lenovoという中国資本のパソコンメーカーだったので、同僚や上司は皆、中国やインドの人でした。その方たちが日本へ出張に来る時に私がもらったお土産は立派な置物でした。調べると1万円ぐらいします。調べるなっていう話なのですが(笑)、すごく立派なものを持ってきてくれたのです。2度目の質問で東京タワーに手を挙げてくださった方はご存じだったかもしれないですけれども、中国では、お土産を「部署に1個どうぞ」とか、「ご家族に1個大きなお菓子をどうぞ」とかではなくて、一人一人を大事な人として扱って、個別にお土産を渡すというのが文化なのです。なので、そういうことを知っているか知らないかで、やっぱり行動が変わってくるのではないかなと私は思います。 このようにいくら主体的になろうと思っても、選択肢がないとなかなかできませんよね。選択肢をたくさん持っていればいるほど、主体的になれる可能性が高いということなのです。ですから、知識や経験値を高めることが大事です。ただ毎日同じ職場に行くだけではなくて、退勤後にどこか新しい場所で経験を積むとか、いろいろな学びの場があるので、そういうところに行けると良いですね。私の場合は、昔たまたまたくさんの読書会やワークショップに行っていました。そうすることでだんだんと今の要素は満たしていけたのかなと思っています。 あと、分かりやすい例えとしてご紹介したいダニの話があります。ダニは我々と同じ景色が見えているわけではなくて、動物の汗の匂いや体温を感じるアンテナだけを頼りとしていて、動物にひっついたら毛の中に潜り込んでいって刺す、という単純な動きをしています。つまり、我々と同じ空間にいてもその生物が持つ独自の知覚があり、見えている世界が違います。生物学ではこれを環世界(かんせかい)と呼んでいます。 この環世界が実は人間同士でもあります。私と皆さんの間でも違いがあると知っているか知らないかで、コミュニケーションの仕方が違ってくるはずです。例えば、目の見えない人は足の感覚を頼って動きますから、見える人よりも三次元の世界に生きている、ということをよく言います。「隣町に行くのにどう行ったらいいですか」と聞かれた時に、我々は「そこを右に行って左に行って…」と説明しますが、目の見えない人は「この勾配をどういうふうに上がっていって…」など、そういう表現になりやすいのです。あとは平衡感覚に優れていたりするので、そういった目が見える人とは違った感覚が育っているため、ある意味異なる世界に住んでいると言えるかもしれません。そのため、感じ方が異なるということを知っているか、知らないかで関わり方が大きく変わります。これが多様な知識が必要であると言える一例です。 ●写真 スクリーンの前で立って説明している岩本氏 ■ 2つ目の宝(メタ認知力) 2つ目が、メタ認知力です。これは、何か物事があった時にふっと浮かぶ考えを自動思考と言いますが、その自動思考を掴む力を指します。例えば、我が家は三人家族ですが、洗濯物を畳もうか、畳むまいかっていうのが大問題です。畳めば、私の畳み方がひどいので奥さんから「(結局私が畳み直さなければならないので)ムダなんですけど」と言われるわけです。ただ、「畳まなきゃ畳まないで怒るじゃないか」と私は思うわけです。そのように言われると、何をやっても駄目なんじゃないか、という考えが浮かびます。 この時に、自分がその考え方をしているな、イライラしているなということをメタ認知モードで掴むわけです。「私は今、奥さんのそういう言葉を聞いてイライラしてしまっているのだ」ということに自分が気づけるかどうかがすごく大きなポイントです。これに気づけると、単純にイライラするのではなくて、考え方を変えようっていうきっかけが生まれます。何かイライラしているけど、別にイライラする必要はなくて、奥さんは私に文句言っているのではなく、ただ単にちょっと疲れていて、誰かに当たりたいだけなのかもしれない。つまり、「ムダなんですけど」という言葉にはあまり意味がなくて、誰かにちょっと当たりたい気持ちになっているだけかもしれないなと考え方をスイッチすることができたりするわけです。これを心理学の用語で「再評価」と言います。それには例えば奥さんの体力を知っていることや文脈を想像することなど、いろいろなことが必要なのですが、結果、別に私に対して怒っているわけじゃないかもしれないなというふうに思えた瞬間に、イライラはほぼ消えます。これまでは、イライラしたまま激しいケンカになっていたわけですが、メタ認知力がつくことで、それがだいぶなくなりました。これはもうそのまま、あらゆる人に対するケースで使えます。上司から何か言われたとかですね。メタ認知力があるとないとで、うつ病などの精神疾患になりやすいかどうかが決まってきます。また、メタ認知に類似したものとして、Detached Mindfulness(デタッチドマインドフルネス)という言葉がありますが、これは自分の自動思考と距離を置いた状態のことを指しており、メンタルヘルスと深く関連するという研究結果が出ています。 では適応的なメタ認知力を上げるにはどうしたらいいか、研究に基づいて言えそうなことを挙げてみます。1つ目が「注意の操作力を上げる」ことです。注意というのは、先ほどお話した自分の考えていることに対して意識を向けるというイメージですが、例えば、今ここでプロジェクターのファンの音がしています。聞こえますか。何かそういう方向に気を向けようと思えば意識を向けられますよね。それを例えば、1分間ずっと聞いていてください。また今度は外の車の音に1分間注意を向けてください。そういった注意の使い方をするのですが、その操作力が上げられるかどうかが大きなポイントです。これはトレーニングで育ちます。 2つ目は、「思い直し」のトレーニングです。これはメタ認知として自身の自動思考に気づいた後、どのように気持ちを(違う方向へ)持っていけるかということで、練習でどんどん習熟していきます。その練習のためには、実社会の中で『思い直し』のトレーニングをどのように設定できるかがポイントになります。 3つ目が「適応的メタ認知を持っている人と付き合う」です。社会には自然とそういうことをしている方がたくさんいるわけです。そういう人は、気楽に生きている人というか、メンタルヘルスの状態が良い人だと思うのですが、そういった人とたくさん接していく中で考え方をどんどん取り入れますいろいろな場、会社にいればそれで良いと思いますし、いなければ他の場所に出ていってお付き合いをします。すると、そういった経験値を自然と高めていくことができるでしょう。 具体的にいくつか方法を挙げます。1つ目はアテンショントレーニング(Attention Training)です。これは先ほど「注意の操作力を上げる」ことについて話した内容です。1分間特定のものへ注意を向ける、1分経ったら別のものへ注意を切り替える、というように意識的に注意を切り替えていくことを繰り返していく方法です。 2つ目はマインドフルネス(Mindfulness)です。最近よく耳にする言葉ですが、瞑想の1つです。これをさらに発展させた手法に「ハートフルネス瞑想」というものもあります。最近アメリカで流行り始めているもので、心臓の鼓動に意識を集中させて行う瞑想です。これもアメリカで最近出てきています。 3つ目はニューロフィードバック(Neuro-feedback)です。これは、自分の脳波を画面に映して、注意力が使えている状態に持っていけるように、波形を見ながら訓練するものです。 4つ目はフロー状態(flow)です。これは、何か物事に熱中している時のことで、例えばちょっと難しい内容の読書をしていたら、つい時間が早く経ってしまったとか、そういう時は注意力が上がる条件が整っている、という研究結果が出ています。 ●写真 マイクを持ちわかりやすく説明している岩本氏のアップ 5つ目はリフレクション(reflection)です。「振り返り」という意味です。これは、あの時の自分の考えとか気持ちはどうだったのだろうと、過去の自分の気持ちに注意を向けることの繰り返しが、実は自分の行動を見直すだけでなく、注意力のトレーニングにもなっており、徐々に上達するという作用があるようです。 あとは私の場合ですけれども、「注意欠如・多動性障害(ADHD)」は、ストラテラなどを服用することによって注意力のリソースが改善するということがあります。  続いて、私がこれまでにやったトレーニングを紹介します。皆さん、電車に乗ったらちょうど席が埋まっていたことを想像してみてください。まだ先が長いです。どこかに立てば、途中で停車する駅がありますから、(誰かが電車を降りて)座れるかもしれない。そんな状況で、なぜか自分の前だけ空かない。そういう時に、「もう一歩、二歩こっちに立っていれば座れたのに!」と思うような時に、昔私はすごくイライラしてしまっていました。けれども、「思い直し」が大事だよという本で読んで、「じゃあ、この時に私は練習すれば良いのだ」と思って、それからはイライラした時に、「私はイライラしている」と気づく練習を毎朝毎晩しました。それで、「自分のおかげで幸せな通勤を送れている人がいるなら、自分は座らなくてよかったじゃないか」と思うようにしました。そうすると、イライラしていた通勤が、イライラしない通勤に変わっていくのと同時に、他の場面でもイライラした時に、「また自分イライラしているな」と徐々に気がつけるようになってきました。 そして、その頃は偶然にも短期間で注意力をトレーニングできる日常の機会に恵まれていたのです。その頃は、娘が小さかったので、毎晩絵本を読み聞かせをしていたり、子どもの気持ちを想像して接していたり、あとは、ブログも書いていました。ブログの記事は、1度ざっと書いた後に、読者の気持ちに注意を向けながら読み直していたので、これが良いトレーニングになっていたと思います。このように、なるべく日常的に他者の視点に意識を向けることは良い訓練になると思います。もちろん実利も大きいです。 セルフアウェアネス(Self-awareness)という概念もだいぶ出てきています。自分のイライラしている状態に気がつくということです。「aware(アウェア)」とは気がつくという訳です。昨今、主体性が大事だと言われる時代になり、ビジネス書にも取り上げられている注目の概念です。そういう自分の考えていることに気がつかないと、なかなかクリエイティブなことができないわけです。 そういった自分の状態に気づくことができてくると、だんだんと「(自分は)本当は何を感じているのだろう」とか、「今、自分がやろうとしていることや、就職しようとしている会社は、自分が本心から入りたいと思う会社なのか?何かまわりの人や社会に影響されていないだろうか?」ということの区分けができるようになるわけですね。この区分けができないと、どっちがどうか分からなくなってしまいます。自分の行動が何に基づいているのか、ということに気づけるようになっていきます。自分の感情に気づいている方がエネルギーは出るわけです。クリエイティビティも上がります。その方が望ましい状態なのです。起業家などはほとんどこの状態にあります。自分の意識と行動の方向性を揃えるということが主体的になるとても大きなポイントなのです。 その事例ですが、上司に「仕事が遅い」と言われた時に、その意見をすぐに真に受けてしまってストレスを溜めてしまうという人は、その人の価値が自分にとっても絶対だと思ってしまっています。同じ場面でもきちんと自他の考え方について区分けができていると、「なるほど、この人の世界の中では、自分はそういうふうに見られているのだ。自分としてはただ丁寧にやっているだけだが、そこがずれているのだ」といった整理の仕方ができるわけです。そして、相手が怒っているってことは理解していますから、「すみません」と謝れたりするわけですが、自分の中では、別にその人の意見に従わなくてもいいという理解がありますから、あまりストレスが上がらない。これが、主体的な人がストレスを受けても回復する力(レジリエンス)が高いと言われる理由の1つかなと思っています。 また別の場面では、自宅で使う家電を買う時に、私が「絶対にこちらの方がコスパの点で良いと思っている」と話したにもかかわらず、奥さんに「いや、それじゃなくてこれが良い」と言われるようなシーンがあったとしても、お互い選ぶ感覚が違うと分かるわけですよね。私は理屈で選んでいますけれども、奥さんは直感的に色や形で選んでいますから、いくら理屈をこねても伝わらないのです。この辺の感覚のずれを理解しないと、毎回ケンカになるという事例でした。こういうポジションマップを頭の中でつくっておくと、この人に対してはこういう話し方、この人はこういう仕事をしているし、普段こういう話し方しているし、感覚的かな、などといった相手の情報を戦略的にコミュニケーションに取り入れていけると、私のように「自閉症スペクトラム障害(以下/ASD)」に含まれている「アスペルガー症候群」の特性が優っている人でもやり取りがスムーズになるのかなと思います。 ●写真 スクリーンの前で立ってポインターを使い講演している岩本氏 ■3つ目の宝(ヒト環境) 最後は「ヒト環境」です。一緒に伴走してくれる人がいると、とても主体的になれると思います。パートナーはやはり主体的な人が良いですね。最近、会社の文脈では、人事が「1on1」という、1対1の面談をよくやっています。システムを開発している会社などにたまに呼ばれて話をすると、「やっぱり上司が主体的じゃないと、1on1をやってもほぼ意味がないですよ」という意見をよく耳にします。 それから、自分がすごいと思える人や、自分に似たような人で、自分よりも少し先を進んでいるような人となるべく一緒に過ごす。それもとても大事な条件の1つです。私の場合は、先ほどお話した社外のイベントに参加することでいろいろな経験をしました。 ここまでが主体性を高めるための3つの宝の話でした。 ■ 発達しょうがいについて 次に、発達しょうがいについて簡単に説明していきます。 私が分かりやすいなと思う発達しょうがいの説明に、「脳の高次機能の発達の特異性や遅れがあり、そして、一般的、多数派と異なる発達の仕方をしているため、社会生活、家庭や会社での生活に難しさが出てしまっている状態」というものがあります。あくまでその方の生まれ持った性格的な要素ともつながりがあるので、何か病気のようにどこかで急に治ることがないということです。 発達しょうがいの疑いのある児童生徒の割合として、文科省の調査から6.5%という数値が良く使われます。これは通常学級だけの数値ですから、特別支援学級などを含めるともう少し多いのかなと思います。 また、診断名の分類についてですが、大学の要支援と認識されている人の中で多いのは、アスペルガー症候群の特性を持つ「広汎性発達障害(以下/PDD)」です。その次に「ADHD」という、注意力のコントロールに問題がある人と、知的発達には問題がないのに視覚など諸々の神経の機能しょうがいによって読み書きが難しくなる「学習障害(以下/LD)」の人がいます。私はなんとなくこのあたり(「PDD」と「ADHD」の中間あたりを指さし)ということで診断を受けています。いろいろな症状が重なることがありますので、「ADHD」だけとか、「アスペルガー症候群」だけではなくて、しょうがい特性の傾向が混ざったりすることもあります。原因もさまざまです。 環境とのミスマッチで、どうしても発達しょうがい特有のやりづらさが出てきます。例えば、私と全く同じ特性があったとしても、環境がその人にとってうまくマッチするものであったならば、診断は下りないです。ところが、環境とどうしても合わないケースが出てきます。そうなると二次的なしょうがいがもともとの発達しょうがい的な特性の上に積み重なっていきます。これがうつ病になって現れたり、双極性しょうがいになって現れたりと、いろいろな形で出てくるのです。 ■ 自身の経験から 私は「ADHD」で、(幼い頃は)興味があるものにつられて、すぐに迷子になっていました。オモチャを買ってもらったら嬉しくなってどこかへ行ってしまうということもありました。それから感覚の過敏があって、チクチクするセーターなどを着ていると1日中それが気になってイライラしていました。あとは、エレクトーンを少しだけ習っていた時期がありまして、習っていくと両手で弾く時期が来ますよね。右手だけだったら良いのですが、左手も同じように動いてしまう。右と左で注意を分けることが難しかったので、どうしてもできなくて、かんしゃくを起こしてエレクトーンを辞めてしまったということがありました。同じように、水泳では水を手でかきながら息をするという行動ができないので、最後まで泳げないとか、朝礼が苦手で、すぐにしゃがんでしまうような子でした。「岩本君、おかしいんじゃないの」などと言われて、検査をしたら、脳に影が出て。「もう死ぬのではないか」と親が優しくなった時期もありましたが、結果その時は何もなくて大丈夫でした。 中学校の頃ですが、夏休みに入って臨海学校行く時に、日程を間違えてカレンダーに書いていました。それに気づかず当日に寝ていたら先生から電話かかってきて、親が慌てて起こしに来たということもありました。まさかそんなことがあるとは思わなかったのですが、一人で電車に乗って千葉の海まで行くことになりました。 あとは、「ASD」に含まれる「アスペルガー症候群」の特性がある人は、ルールにどうしても縛られるところがあるので、やんちゃな年頃では、他の子とどうしても合わずに部活でもケンカばかりになりました。私が「おまえら、こうやれって言われたじゃないか」と言うと、「なんだよおまえ、いい子ぶりやがって」と言い返されることがあって、なかなか円満な集団生活がうまく続かない。友達に話しかけるのも、対人緊張があって、どうしても話しかけ方が分からず、すれ違うのさえ緊張する。どう振舞っていいかわからない。そんな感じで大学までは来たのですが、目の前の楽しみに気分が持っていかれますから、語学のテストがある日に好きなことだけやっちゃうとか。それで、ストレスがたまってくると、どんどん現実感がなくなってきたりしました。専門ゼミに入った時も初めての経験でシチュエーションが分からないわけです。どういうふうに振舞っていいかわからないし、教科書もないから、もうパニックですぐに辞めてしまいました。バイトもしていましたが、給料をすぐに使ってしまうのでいつもお金がないとか、結構いろいろありました。 ■ TVの取材と職場での話 (スライドの写真を指しながら)これは3年半ほど前に、『news zero』で又吉さんがキャスターをされている時に取材を受けた時の様子です。1カ月ぐらい密着してくださいました。まだあまり当事者でオープンにしている人が少なかった時に職場を密着取材していただきました。 ●写真 2016年4月28日に岩本氏の自宅を撮影。服や物が部屋の中に散らかり、片付けられない様子が写されている。部屋の中には芸人の又吉直樹さんと岩本氏がいる。 この時期は、「自分のやり方がおかしい」と思っていたわけです。その時は他の人と世界が違う、見え方が違う、感覚が違うなんて思わないから、誰も分かってくれないし、「自分が悪いのではないか」っていうようなことを思っていました。環境は自分に合う場所だけを選べば何とかなったのですが、社会に出るとどんどん人付き合いをしないといけないわけです。仕事場だと複雑な人間関係があります。それが捌けなくて、すぐにうつ状態になってしまいました。 また、具体的な業務内容での困りごとは、電話のメモでした。電話の話を聞きながらメモを書けないわけです。聞き取ろうとして注意を向けると、手が動かない。逆に、ちゃんとメモを取ろうとすると、耳に情報が聞こえているはずなのに、入ってこない。複雑ではない仕事はまあまあうまくいった時もあったのですが、前々職のモバイルの会社では、もう仕事迷子になっていました。システマチックに動く会社だったこともあり、人間関係がうまくいかないところや、先送りをしてしまうようなところが次々と出てきてしまいました。そして、「なんで自分だけうまくいかないのだろう?」とモヤモヤした感情が出てきて、追い詰められて、最後はもう「いのちの電話」にかけて相談するほど行き詰まってしまい、そこから1年間ぐらい休んだというのが当時の経緯です。 発達しょうがいと分かったきっかけは、所属していた会社が犬(がイメージキャラクター)の会社に買収された頃に主治医が変わったことでした。その主治医に発達しょうがいと見抜いてもらい、薬を処方してもらいました。私の場合は、先ほど話した注意力が改善する薬を飲むようになり、もともとミスが多かったのですが、「このタイミングで自分は見直しをしなくてはいけないのだ」と、そのタイミングに気づけるようになりました。そして今は自分が何をしているか分かるようになってきたと感じます。あとは、昔は自分がどんな感覚だったのか思い浮かばなかったのですが、薬を服用してから気づけるようになったのはとても大きく変わったところです。やはり注意力は人間にとって大変重要な機能だと思います。 仕事の話に戻りますが、発達しょうがいと分かってからも「工夫すれば何とかなるかも」と思っていたのですが、犬の会社は激務です。とても仕事が追いつかなくて、考え方を変えるしかないと思い、先ほどお話しした主体性を意識しないといけないと思うようになりました。それで、障害者雇用枠でPCメーカーに転職し、いろいろな配慮をいただきながら仕事をしていました。最終的にはその会社の一般雇用枠で働くことができました。そして、その頃からアフターファイブのイベントにたくさん行って、いろいろな人とコミュニケーションをとって、自分の常識では出会えなかったような人と会う機会に恵まれました。アメリカで7歳の時からギターを自作し、そのままずっとギターだけ作り続けてギター会社の社長になっている人がいて、衝撃を受けたというか、そういう選択肢があるのだと体感的にも知識的にも気づけたことがたくさんありました。多様な生き方との出会いが先ほど話した宝の一つとして、多くの知識や経験となりました。 ■ 主体的になるまでのプロセス ここからはマインドフルネス的な介入をすることによって、感情のコントロールができるようになってくるというアメリカの事例について話します。「アスペルガー症候群」の診断がある通常学級の13歳から18歳の3名が対象となっていて、この生徒たちはすぐにカッとなる癖がありました。その生徒たちに対して、「否定的な感情を思い出して、その思い出した気持ちと一緒に注意を足のほうに持っていってごらん。足の裏は何を感じていますか?床の感覚、靴の感覚を感じていますよね」と話していき、意識をコントロールする練習を1日2回で、4カ月から6カ月行いました。そうすると、最終的には攻撃的な行動のインシデント(事件)というか、アクションがゼロになったというのです。イラッと来た時に注意を外すことができるようになって、その後もその行動が持続したそうです。いろいろな方法の可能性があるかなという事例でした。 私の場合ですが、ある日を境に、他の人が何を考えているのかをスムーズに意識できるようになったという瞬間がありました。それまでのいろいろな積み重ねが何かに達した瞬間で、人の発達というのが一直線じゃなくて、非線形と言われますけれども、訓練を始めてしばらくは、なだらかで変化の無い状態から、突如ふっと上がる時があります。私の本の読者数人からも同様の経験をしたとフィードバックをもらいました。 私はそういった経験を経たことで、人生のゲームモードがやっと「難しい」から「普通」になったと感じました。その時は本当に良かったと思って泣きましたね。この世界だったら何とかなるかもと思えるようになりました。 人の心の発達にはたくさんの多様なプロセスがあるので、発達しょうがいの傾向がある人が他の人の心をイメージできる状態にまで到達するには、ある程度、知識の踏み台がないと難しいと思います。多くの人は、自然にその部分が加齢と共に育ちます。人には他者の意図を直感的に理解するミラーニューロンというシステムがあり、そういった脳の機能が作用することで、「この人はもしかしたらこう感じているかも」という人の心の状態がイメージとして自動的に浮かんできます。こういった脳の働きが発達しょうがいの傾向のある人は弱いので、他の人の状態を知識としてインプットするしかないのです。そして、それを基にシミュレーションすることがどうしても必要になってきます。 いろいろなプロセスを経て、メタ認知ができるようになったことで主体的になれて、ようやくウェルビーイングというか、幸福感のある人生を歩めるようになったと思います。これは特に発達しょうがいのある人、ない人に限らず、ほぼ共通のものだと考えます。発達しょうがいのある方は特別に意識してインプットした方がいいかなと思っています。 ようやく無事に主体性の3つの宝を手に入れて、ドラゴンを倒せて“めでたし、めでたし”、というのが今日のお話でございました。複雑な社会では、一人ひとりがその場その場で主体的にならないと、どうしてもやっていけない社会になりつつあります。自分の子どもたちが育つ環境、孫が育つ環境を整えるために、いろいろな成長の機会をつくっていただけると嬉しいです。 以上で、「主体性クエスト」を終わりにしたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。 司会/岩本先生、ありがとうございました、この後の2部でもまたいろいろなお話を伺えたらと思います。会場の皆様からも質問を挙げていただいて、ざっくばらんにお話ができればと思っておりますので、よろしくお願いいたします。 第二部 トークセッション 司会/ここからは、会場の皆様からいただいた質問の中からピックアップしたものを岩本先生にご質問させていただこうかと思っております。岩本先生、よろしくお願いいたします。 岩本/お願いいたします。 司会/1つ目の質問です。「Q.中学生や高校生の時に困ったことについて何かエピソードはあったでしょうか、もしあったとしたら先生からどんな支援やサポートをもらっていましたか?」というご質問です。もしなかったとしたら、こんなことがあったら良かったということについても、あればお話いただきたいのですがいかがでしょうか。 岩本/大きめの困りごとは、先ほどの講演内でお話した何点かになるのですが、スケジュール管理については(サポートの工夫が)あるといいです。例えば、子どもの行事予定などは紙のプリントでもらいますが、クラスで情報共有ができるような、ウェブサイトなどがありますよね。そういったクラスごとの情報発信ができるような、保護者も確認ができるような場所があると、一人で泣きながら千葉に行くこともないかな(笑)というのが1つ。あとは、部活などの場で生徒同士のコミュニケーション上の衝突があると思います。そういう時に何か、お互いの立場を徹底的に対話できる場があるといいです。今、学校の中でいろいろな立場を肯定的に認めていける場ができてきてはいますが、まだそれほど多くはないのではないかと思います。部活やクラスの中において、1つのことを話し合い、いろいろな意見があるのだという感じ方の多様性を、生徒たちに感じてもらうような機会があると良いですね。 ●写真 トークセッションをしている岩本氏(右)と司会者(中)と手話通訳者(左) 司会/ありがとうございます。まさに1部でお話いただいたような、「主体性クエスト」に必要な宝物にも通じる支援になりますかね。 岩本/そうですね。具体的に、できる範囲で経験を3つ宝に落とし込んでいくような支援があると良いと思います。 司会/わかりました。ありがとうございます。では、続いての質問です。先ほどは学生時代のお話でしたが、今度は社会に出てからのことについてです。「Q.自分に合った環境が見つかるまで転職を繰り返すしかないのでしょうか?」というご質問です。もしそうであるとすると、条件がどんどん下がってしまいそう。転職を繰り返すことで、当然、それまでのキャリアや積み上げたもの、お給料面もそうですけれども、少しリセットされるようなことも十分あり得るかなと一般的には思います。経済の、景気の状況によっても自分の立場というか、失職するリスクも当然あると思いますが、いかがでしょうか。 岩本/会社の状態というか規模などにもよると思うのですが、まずはその会社の中、部署の中で何か業務を変えるとか、ポジションを変えるということが第一の選択肢になってくるかなと思っています。あとは就労形態も今いろいろありまして、発達しょうがいというものが自分では分かっているけれども、オープンにせずに働いているケースと、ある程度オープンにしながら働いているケース、それから手帳を持ちながら働いているケース、いろいろなケースがあって、後者になるにしたがって配慮はしやすくなりますね。その代わり、給料面やいろいろな雇用条件などで大なり小なり見劣りしてしまうことが多いです。しかしながら、いろいろな選択肢があるということを理解したうえで、自分にとってどんな環境がいいのだろうかということを、職場の外でいろいろ試せると良いですね。今はいろいろなポジションがあります。ウェブサイトの管理者をやってほしいNPOなどもありますし、そういったものをいろいろ試しながら、自分に何が合っているのかを見定めつつ、これ良いかもと思ったら、異動願いを出してみるとか、思い切って転職をしてみるとか、自分でリスクの管理ができる範囲でやってみるというのでいかがでしょうか。 司会/多少リスクはあっても仕方ないものとして考えて、ただ、それ以上のメリットももちろんあるよ、ということですかね。 岩本/そうですね。たとえ転職しなくても、いろいろ試す場は今、結構増えてきていると思っていますから、まずそういう場で試せる範囲で試していくということも1つ選択肢があるかと思います。 司会/そのためにはやっぱりいろいろな情報を仕入れることが大事で、体験的に何かそういう場に動いていくようなところが必要なんじゃないかというところですよね。 岩本/そのように思います。 司会/転職というと大きな決断でもあると思うので、なかなか簡単に踏み切れるものではないと思いますし、自分だけの考えではなく、ご家族や他の方のいろいろな考えも踏まえて判断しなければならないものもあると思いますので、非常に難しいところですね。それをするためには、きちんとした状況の理解と、自分の特性や適性に関してもしっかりと“知る”ということをまずやってからでないと選びにくいでしょうし、選んでから後悔しないようにと考えると容易ではありませんね。 岩本/そうですね。家族などの判断があるのは理解しつつ、決めるのはご自身ですから、そこはもう自分の判断でやっていくのだとある程度決めていかないと、なかなか難しいかもしれないですね。 司会/そこが主体性というか、主体的になって自分で決めるということですね。 岩本/主体ですね。もちろん程度の差はあります。どの程度まで相手の意思を尊重するのかも自分の判断なので、そこは自分が決めた範囲で、相手の気持ちを取り入れればいいのかなと思います。 司会/そういう周りの意見も、自分とは違うその人の考え方なのだという認識をするということです。それとは別に自分がやりたいこととか、自分の考えがきちんとあるべきで、そこがちゃんと区別ができていれば大丈夫、という。そういった考え方をできるように練習をしていくことや、自分の考え方について見つめ直していくっていうことが大事なのだと理解しました。 続いての質問ですが、「Q.先生はこれまでいろいろな苦しい思いをされながらやってこられて、その点で今でも生きづらさや不安をお感じになられている点がありますか?」というご質問なのですが、いかがでしょうか。 岩本/そうですね、生きづらさは、あまり今、言われてパッと思い浮かばないので、その時感じてもすぐ忘れているのだろうなと。先ほどのような生きづらさをその時感じたとしても、別の考えにすぐスイッチする習慣がもう完全にできてしまっていて、今は全く残っていない状態なので、ないとは言えないとは思いますが、生きづらさがあるせいで今つらいかと言われると、つらくはないです。 司会/なるほど、わかりました。ただ先生にも何か生きづらさや漠然とした不安などが時折ぶり返す時があるのでしょうか。 岩本/ありますね。 司会/そういう時は、先生はどうされているのですか? 岩本/その不安がどこから来ているのかを自分で見つめます。その不安の原因は過去の自分が経験したことから来る不安ですから、「本当に今不安なんだっけ?」というのを考えると、案外そうでもないことがあって、その場合は「そうでもないよね」というふうにスイッチしながらやり過ごす感じです。 ●写真 質問に答えている岩本氏 司会/そこは考え方を変えていくというか、客観的に捉え直すのですね。 続いての質問です。「Q.周りの人からアドバイスをもらった時に、それをどう受け入れるのが良いのでしょうか?」ということですが、きっと他者からのアドバイスの内容にすぐに納得できず、言われたとおりに動けないことで困っているのだと思いますがいかがでしょうか。アドバイスをどのように受けとめて自分の中で消化していくと良いのでしょうか。 岩本/そうですね。難しいというか、今ちょっとその状態をシミュレーションしているのですが、無理なことは無理だし、どこまでが自分で取り組めるかというのは、自分で判断して良いと思います。私も人から言われたことを受け入れるのはものすごく苦手ですし、それはもうどこまで自分がそれを受け入れられるか、受け入れないといろいろなものが返ってきてしまうかもしれませんね。例えば、「その場のルールを守りなさい」という時にそれを受け入れないと、当然、ルールを守っていないわけですから、何らか自分に返ってくるものがあると思います。その返ってくるものを自分がどこまで受け入れられるのかを考えたり、アドバイスの意図を想像したりしたうえで、「じゃあどこまで頑張ってやってみようか」とか、「別のやり方があるかもしれない」とかを検討すると良いでしょう。そして、別のやり方を探すための相談口をいくつか持っておくと良いのかなと思います。 司会/いろいろ言われることはあるけれども、全部応える必要はなくて、そこを選ぶのも自分だし、どこまでやるのかも自分だから、そこにあまりとらわれ過ぎない方が良いのではないかということですかね。 岩本/そうですね。何が必要かは自分で選んでいきたいのですが、ただその時に言われたことは考える必要があって、相手がそのように思っていることについて、「この人はどういう人だっけ?」「どういう人がどういうふうに表現しているか?」「どのようなことが大事だと言っているのかな?」ということを押さえて捉えるようにする。そして、自分の反応を相手がどう受け取るかを想像する必要があるという気がします。もしかしたら、自分の意図していないことで何か言われている可能性もあります。 司会/そこの分析ができると。 岩本/「ASD」でルールにとらわれる傾向がある人は、本当にいろいろな人がいるということをいろいろな場や書籍で学んでいくといいかなと本当に思います。「ADHD」のある人の中にはとても感覚的な人もいらっしゃるので、その場合は逆に理屈ではなくて、私も理解できないのですが、雰囲気なのかノリなのか、そういうものも大事な判断材料にするという感じです。 ●写真 司会者の方を向いて話している岩本氏 司会/わかりました、ありがとうございます。では、先ほどのお話に関連していることなのですが、身内である親御さんとの関係性について質問が来ています。本人がというよりかは、親御さんと話していて、親御さんのほうが感情的になってしまうため、なかなか関係性がうまくいかなかったり、疎通が図りにくかったりということで困っているとのことなのですが、何かそこで改善方法などはありますか。 岩本/2つポイントがあるかなと思っていて、1つ目は、ご両親がどういう方なのかを考えます。感覚的な方なのか、理屈っぽい方なのか。どこに筋が通らないから感情的になってしまうのかということを把握した上で、コミュニケーションのパターンを少しだけ変えてみる。質問者と感覚的に合わないところからこじれ易くなっているというケースもありますしね。1つ目はそういうケースにおけるアプローチの仕方です。 2つ目は、「家」というもの自体が魔物です。気を遣う場ではなく、そもそもリラックスする場なわけですよ。そういう環境としてずっと過ごし、育ってきているわけです。なので、生まれ育った生家ではなくとも、現在自分が「自宅」と認識してしまっている場では、さっきみたいな注意や認知といった力のコントロールがとてもしづらくなるのです。職場ではとても部下の気持ちを慮る人でも、家に戻るとそういうことをする努力自体ができなくなるというケースが多くあります。なので、例えば職場のような場で話してみるとかはどうでしょうか。文脈を変えてみるというのは非常に有効なのかなと思っています。「家」という文脈の中でご両親と話すと、どうしてもお互いに素でぶつかってしまうことが多いので、それが出にくくなる、例えばファミレスなどの場で話してみると、別の展開、意外な展開があったりするので、この2つのポイントを使ってみるといいかなと思います。 司会/そうですね。家族であることの関係性みたいなものがどうしてもありますし、親御さんには親御さんとしての思いがあって、ご本人にはご本人の思いがあるので、そこが率直にぶつかってしまいやすいという特性が「家」という環境にはあるのかなというところですね。 岩本/「家」の環境ですね。感情的に、理屈や気を抜いてぶつかりやすいです。 司会/親子だからこそ言えるものでもあるのかなとは思うので、少し環境を変えてみたりですとか、第三者が介入したりだとか、何か少し違うものが入ってくるとまた出方が変わってくるかもしれないということです。家の中だけで深めすぎないところが大事ですかね。 岩本/そうですね。 司会/毎回毎回、ケンカしてしまって終わるというような(苦笑)。 岩本/そうですね。「家」の中はそういう環境だと割り切ることが大事かなと。相手を変えようとすると、どうしても難しいですね。 司会/分かりました。ありがとうございます。続いての質問です。「Q.発達しょうがいと診断を受けたのが33歳の時ということでしたが、その時の受け止め方というか、言われた時の感じはいかがだったのでしょうか?」。 岩本/私は診断された時にいろいろと調べましたが、ある程度遺伝的な要素もあるということと、「ADHD」の特性の傾向が書いてあるものを読みました。なので、対処の仕様があるとホッとしたというのが大きなところです。それまでは全部、自分が、または自分の仕事の仕方が悪い、と100%思っていましたから、結構それがきつかったのですが、私のケースはホッとした派です。それと違う受け止め方の人もいて、「しょうがい」だと重く受けとめてしまう人もやっぱりいます。 司会/先生の場合は、意外とそこはスッと納得できたというか、腑に落ちた感じはあったわけですね。 岩本/そうですね。もうしょうがいでも何でも、とりあえず何か抜け道が見えたというホッとした感がありましたね。もう死んでしまおうと思っていましたから、それよりは何とかなったと。 司会/何かしら考えようができるようになって、救われたというのは言いすぎかもしれないですが、そういった気持ちはあったと。 岩本/いや、本当にそれはあったと思います。 司会/なるほど、わかりました。ありがとうございます。あとは少し広い話なのですが、先生のこれまでのお話もいろいろいただきました。今日参加されている人たちの中には、大学生はもちろん、もう少し年齢層の低い小中学生のお子さんがいらっしゃる親御さんや、支援者の方などもいらっしゃると想像できるのですが、そのような方からの質問だと思います。「Q.今関わっている発達しょうがいのある子どもたちとどのように関わっていったら良いのか、どのようなサポートがあると良いでしょうか?」という質問ですがいかがでしょうか。 岩本/そうですね。具体的な介入策については、いろいろな研究から提案が出ています。そこはぜひいろいろな書籍に載っているので見ていただきたいのですが、私の見方から言いますと、第一部の講演で触れましたが、理屈っぽさがある人でも、感覚派の人でも、相手の立場を想像して何らかのうまい抜け道をつくっていく時には、言葉の力がとても重要になります。言葉を自由自在に使えていた方が、大きくなってから、「思い直し」が必要になった時に、とても役立ちます。ですから、そのお子さんが興味のある分野の書籍を徹底的に読み進めてもらったほうがいいのではないかなと思っています。いろいろな場面を想像するとか、そういった力は全部、言語由来だと言われていますが、そのあたりがあるとないとで、かなり成人になっての適用が違います。「ASD」や「アスペルガー症候群」などがある人の社会適応に関しては、言語力が相当に相関していると研究結果として出ていますので、やはりそこはポイントになると思います。 司会/言語の力をつけていくということがいろいろなサポートを引き出すことにもつながるし、自分のことを理解していくことにも影響してくると。あえて興味のないものや難しいものに行かなくても良いということですね。 岩本/全然行かなくて良いです。もう読みたいもので良いと思います。 司会/文章や知識に触れていくような、そういった機会をたくさん与えてあげられると良いのではないかというところです。そして、知識や言語の基盤が培われたうえで、もちろんそれが不十分であってもいいとは思うのですが、自分の中の特性理解について、周囲の人と一緒に話し合いながら気づいたり、整理できたりしていけると良いですよね。 岩本/そうですね。注意力ですとか、メタ認知的な能力っていうのは、一般的にも青年期以降に伸びていく。青年期ごろが一番伸び盛りなのですが、発達しょうがいのある方に関してはそれが遅い可能性があります。大人になってからも、私のケースが34、5歳で診断を受けているので、それぐらいでも伸びていくということを考えると、それが未熟であるうちは、あえてそっちをやらなくとも、まずは言語の力をしっかりつけることが大事かなと思います。 司会/よく分かりました。ありがとうございます。これが最後の質問になってしまいますが、先ほど言語の力についてのお話がありましたが、他者とコミュニケーションを持つことがとても大事なのかなと思っていまして、今その人が周りにどれだけ恵まれるか、などそういうコミュニティに属せるかどうか、みたいなことがご本人にとっては大きな影響を持つのかなとは思うのですが、なかなかそういう場がないのが現状かと思います。自身のしょうがい特性をオープンにして関われたりだとか、自分の悩みごとを何でも言い合えたりするような場はなかなかなく、新たな友人関係がつくれないとお困りの方からのご質問が来ています。「Q.そういう居場所づくりですとか友人づくりをするうえで、何か気をつけるといいことですとか、何かポイントがあれば教えていただきたい」とのことですがいかがでしょうか。 岩本/できるだけやはり子どもの発達ですとか、心理的な知識のある人がベースにある施設というのですかね、放課後デイとか、そういうところが中心にはなるかなとは思っていますし、あとは各分野でも本当に突出した才能を持っている人がいますよね。よくテレビにも出ているような人。そういった人が行っている子ども体験教室など、そういうところに興味があるなら行っても良いと思います。あと、私も関わっているので団体名を出させていただきますが、PIECES(ピーシーズ)というNPO法人があります。これは、地域でひとりぼっちになってしまいがちな特性を持っている子どもに対して居場所をつくり、地域の大人も専門知識を持った大人も育成していくという、まさに私が大人版をつくりたかったようなことをやっている団体があります。また、豊島区や文京区が中心となり、地域の学校や社会福祉協議会などとお子さんの情報を共有し、つながりをつくっていく取り組みをしている団体もありますので、地域でそういうことをやっている団体がないかどうか役所に問い合わせてみると良いと思います。 司会/昨今では、行政機関が若者支援、引きこもり支援、しょうがい者支援、それぞれの事業や団体で「コミュニティをつくろう」と動いている流れがあるので、それを情報発信しているところにうまくアクセスできたら良いと思うのですが、例えば、岩本先生のFacebookやTwitterを見ると、そういった情報などを載せていたりするのでしょうか。 岩本/はい。できるだけ私個人が関われて、確かなところは情報発信をしていますので、ぜひ見ていただけると。最近は忙しすぎてサボり気味ですが(苦笑)、ぜひ見ていただければと思います。 司会/ぜひそういったところに積極的にアクセスしていただいて、必要な支援やコミュニティにアプローチしていただけたらと思います。ぜひそんなところも岩本先生の方で情報発信をお願いしたいと思います。 岩本先生、本日は長時間となりましたが、最後まで誠にありがとうございました。 岩本/どうもありがとうございました。 司会/それでは以上をもちまして、公開講演会を閉会いたします。 最後に、立教大学しょうがいしゃ支援ネットワーク専門教員であります逸見先生より挨拶をいただきます。よろしくお願いします。 閉会 逸見/岩本先生、本日はありがとうございました。今回のお話を伺っていて非常に刺激 激的なお話だったなと思ったのですが、自分や他者にはそれぞれ違った心があり、これをお互いが理解していくということがすごく大事なのだろうなと思いました。特に、日本のようなハイコンテクストな文化ですと、余白の部分を察して分かったつもりになり、自分と同じように相手も分かっていると思い込んでしまうようなところがあります。それが発達しょうがいのある方々にとってはとても分かりづらく、過ごしにくいものであると改めて考えさせられるお話だったかなというふうに思っております。 本当に本日はお忙しいところありがとうございました。またたくさんの方にお集まりいただけたこと、あらためて御礼申し上げます。どうもありがとうございました。 司会/ありがとうございました。それでは以 上をもちまして、2019年度しょうがい学生支援室公開講演会、閉会とさせていただきます。 ●写真 パソコンテイクをしてくれている学生