総長スピーチ集 (2010年度~2013年度)総長紹介

2010年度~2013年度に行われた、総長のスピーチやメッセージをご紹介します。

2014年度~2017年度

2013年度

卒業生の皆さんへ(2013年度卒業式[学部])
2014年3月25日
立教大学総長 吉岡 知哉

この春、立教大学は、総計4,228名に学士号を授与し、卒業生として社会に送り出します。
卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。

4年前の春、私は皆さんに向かい、総長就任後初めての入学式の式辞を述べました。東京芸術劇場の広い舞台に立ち、これからの学生生活への期待に満ちた新入生の皆さんの視線を浴びながら、私自身の決意を胸に、声がうわずらないように呼吸を整えたことを覚えています。そのときお話しさせていただいたのは「自由」についてです。「自由とはなにか」という問いに答えることは難しいけれども、「自由である」ために必須の事柄として、私は、「自律性」、「自発性」、「多様性」の3点をあげたのです。

私が総長として過ごしたそれからの4年間は、文字通り皆さんの学生生活の時期と重なっています。
この4年間、グローバリゼーションの急速な進展によって、世界の政治、経済、社会の諸領域はこれまでにない速度で変化しています。情報通信技術の進歩によって膨大な情報が一瞬にして世界中に伝達されますし、iPS細胞の樹立は、生命や人間という存在についての基本認識を揺るがすものです。

しかし何よりも衝撃的であったのは、言うまでもなく2011年3月11日の東日本大震災と、それに続く、東京電力福島第一原子力発電所の事故でした。私たちは、私たちの生、私たちの社会と文明が、いかに危うい基盤の上に立っているのかということを、膨大な犠牲を支払って知ることになりました。

復興庁によれば、現在でも26万人を超える人々が避難生活を余儀なくされています。震災後3年経ってもなお被災地の復興は前途多難です。また、原発事故後5年間を経過しても年間積算放射線量が20ミリシーベルトを超えるとされる「帰還困難区域」、これから何年もあるいは何十年も人間が住むことのできない地域は、東京23区の半分以上の面積を占めています。
大震災と原発災害は今なお進行中の事態であり、私たち自身の現実なのです。私たちがなさなければならないのは、既に過ぎ去った過去の出来事を「忘れないようにする」ことではなく、今ここにある現実を直視することであると言わなければなりません。

自分が置かれている現実を認識するためには、一度この場所から遠いところ、時間的、空間的に離れた点に視点を移し、そこから現在の自分を俯瞰する必要があります。立教大学の教育の中軸となるリベラルアーツは、まさにそのための知的訓練の体系です。真理を追究し、この世界の仕組みを知ることによって、世界の中における自分の位置を知る。これは、既存の思考枠組みや価値の基盤が崩れ、それまで想定したことのない事態に直面したときに、さまざまな思い込みや根拠のない束縛から自由に、自ら考え、自らの力で未来をきりひらくために不可欠な技能にほかなりません。

今から230年前の1784年9月30日、当時のプロイセンの都市ケーニヒスベルク、今のロシア領カリーニングラードで、哲学者イマニュエル・カントが次のような文章を記しました。

「啓蒙とは、人間が、自らに責任がある未成年状態から抜け出ることである。 未成年状態とは、他人の指示なくしては自分自身の思慮分別を用いることができない無能力状態のことである。
自らに責任があるというのは、この未成年状態の原因が、思慮分別が欠けているからではなくて、他人の指示なしに、自分の思慮分別を用いるだけの決意と勇気を欠いている点にあるからなのである。
『Sapere aude! 自分自身の思慮分別を用いる勇気を持て!』、すなわちこれが、啓蒙の標語なのである。」

啓蒙という言葉には、思慮分別のある人間が無知蒙昧な人間を闇から引き出す、というニュアンスが感じられます。もちろんカントはこのような知的な上下関係が持つ危険に十分意識的でした。カントは続けて次のように記しています。

「なぜ大部分の人間は、自然が彼らを他人の指示から解放したあとも、なお好んで一生のあいだ未成年であり続けようとするのか。そして他の人間があつかましくも、彼らの後見人に収まることがかくも容易になっているのか。その原因は怠惰と臆病にある。未成年でいることは何とも気楽なことなのである。私の代わりに思慮分別を持った書物があり、私の代わりに良心を持つ牧師がいてくれて、私の代わりに食餌療法に配慮してくれる医師がいる。そうであるならば、私は私自身で苦労する必要はない。お金を支払うことさえできれば、私は考えることすら必要ではない。」

カントはこのような状態に人々をとどめているのは、後見人たちの仕業であると言います。

「後見人たちは、彼らの家畜をまず愚かにして、これらのおとなしい生き物たちが、彼らが入れた歩行器から一歩でも出ようなどと考えることがないように注意深く配慮しておき、そのうえで、もしも一人で外に出ようとするならば身に降りかかる危険を見せつけるのである。」

後見人たちは、外の世界がいかに危険であるかを示して人々を飼いならし、未成年状態にとどめます。一方、人々のほうも、未成年状態のほうが楽で居心地がよいから、自ら進んで後見人の庇護下に入ることで未成年状態にとどまろうとするのです。

このような未成年状態から脱するために必要なものはなにか。
それは「自由」である、とカントは言います。
自由こそが人々を未成年状態から抜け出させるのです。

カントは、この自由は、「自らの理性をあらゆる点で公共的に用いる自由」であると言います。自分自身のため、あるいは自分の組織に与えられた仕事のために用いるのではなく、人類社会の一員、世界市民の一人として考えること。
そのことによって初めて人は他人の庇護下にある未成年状態から抜け出すことができる、とカントは考えるのです。

立教大学が自由の学府である、というとき、そこには2つの意味があります。
ひとつは、立教大学がその時々の権威や権力、世論や風潮から自由であるという意味。そしてもう一つは、立教大学が自由について学ぶ場所、自由を身につけるための訓練の場であるという意味です。

立教大学の学生として、みなさんは未成年状態を脱して自由な存在となる力と技法、すなわちリベラルアーツを身につけてきました。
きょう、「自由の学府」を卒業して、自信と誇りを胸に新たな門出をするみなさんを心から祝福いたします。

卒業おめでとうございます。
卒業生の皆さんへ(2013年度大学院学位授与式)
2014年3月25日
立教大学総長 吉岡 知哉

立教大学はこの春、378名に修士号、18名に博士号、そして41名に法務博士号を授与いたしました。
学位を授与された皆さん、おめでとうございます。

現在、私たちは急速に進展するグローバリゼーションの波に巻き込まれています。ご存じのように、大学もまた、「グローバル人材」を育成するとともに、大学自体がグローバル化する社会に適したものとなるよう、自己改革を進めることを繰り返し求められています。では、グローバリゼーションの波の中にあって人間的知性はいかにあるべきなのか。

そのことを考える手がかりとして、今から600年ほど前のヨーロッパを思い出してみたいと思います。
当時のヨーロッパは大航海時代、ヨーロッパ中心主義的な表現を使えば、「発見と探検の時代」であり、拡大の時代でもありました。当時グローバリゼーションと言う言葉はまだ存在していませんでしたが、「第一次グローバリゼーションの時代」という言い方をされることもあります。

1492年、コロンブスがアメリカ大陸を、(カッコ付きですが)「発見」した年、イベリア半島においては、レコンキスタが終結し、イスラム教徒とユダヤ教徒の追放がなされています。さらに、マキャヴェッリが『君主論』を書いたのが1513年、ルターが『95ヶ条のテーゼ』をヴィッテンベルク大学の扉に張り出したとされるのが1517年、レオナルド・ダヴィンチが没したのが1519年、と年代を連ねていくと、この時代が、ルネサンスから宗教改革、宗教戦争へと展開する激動の時代であったこともよくわかると思います。

この時期、大学はかつて有していた知的な活力を失っていました。当時は領域的主権国家が徐々に姿を現してきた時期でもあり、大学はしだいにそれぞれの政治権力との結びつきを強め、王や領邦君主の官僚や顧問といった人材を輩出するようになります。やがて、宗教戦争が激化すると、宗派間対立に巻き込まれていくことにもなるのです。

一方、グーテンベルクが発明した活版印刷によって、出版文化がヨーロッパ全体に拡大し、新たな読者層を大量に生み出していきます。このような読者層を背景にしてルネサンスの文学と思想を担ったのが、ユマニスト(humaniste)と呼ばれる知識人たちです。ユマニストは人文主義者、その思想ユマニスム(humanisme)は人文主義と訳されます。ユマニストはフランス語、英語ではhumanistで、ユマン(humain)、すなわち人間という存在そのものについての深い洞察に基づいて著述を行った人々です。彼らは当時の知識人たちの国際語であったラテン語を用い、書簡と、時に旅行を通じてネットワークを作り出していきました。

Republica litteraria。ネットワークが生む仮想の国は、ラテン語でそう呼ばれます。フランス語ではla République des Lettres、英語の場合はRepublic of Letters です。日本語ではふつう、「文芸共和国」と訳されますが、「手紙の共和国」、あるいは「文学の国」、「文字の国」と訳すこともできます。ユマニストたちは、自分たちは、個々の国家、地域権力の枠を超えた、この仮想の国の市民であると考えたのです。その代表的存在がロッテルダムのエラスムスであり、その友人のトマス・モアです。

ユマニストたちは、深い古典の教養を持ち、人間の偉大さと弱さ、善性と邪悪さを知り抜いた人々でした。彼らは権力の横暴、宗教的熱狂の危険について皮肉や風刺を用いながら論じ、何よりも宗教的寛容を訴えたのでした。
けれども、現実には宗教戦争を通じて不寛容の嵐が吹き荒れ、ユマニストたちは宗教対立の狭間にあって急速に影響力を失っていくことになります。そしてヨーロッパには主権国家ごとにそれぞれの国家宗教を持つという体制、やがて国際的に、ウエストファーリア体制と呼ばれる体制が成立することになるのです。

17世紀後半、「文芸共和国」は、今度は、迫害されてフランスから逃れ、ロッテルダムに移り住んだカルヴァン派の思想家、ピエール・ベールを中心とする人々によって再建されることになります。
さらに18世紀には、その理念と運動はヴォルテールや百科全書派と呼ばれる知識人のネットワークとして生き続けることになります。

「文芸共和国」はドイツ語ではGelehrtenrepublikと言います。Gelehrteは「学識あるもの」、「識者」という意味ですから、文字通りには「識者の共和国」という意味になります。

カントは、1784年9月30日の日付のある文章、『啓蒙とは何か』において、「識者」とは自分の理性を公共的に用いる人であると言っています。
「自らを公共体全体の一員と見なす場合、いやそれどころか、世界市民社会の一員であると見なす場合、すなわち、著述を通じて本来の意味における公衆に向かいあう識者の資格において」は、誰であれ自由なのであり、自由でなければならないとカントは言います。つまり「識者」とは、自らを人類社会全体の構成員とみなし、世界市民の立場からものごとを考える存在のことなのです。生涯のほとんどをケーニヒスベルクの街で過ごしたカントもまた、自らを「文芸共和国」の一員であり、世界市民の一人であると考えたのでした。
この「文芸共和国」の伝統は、フランス革命を経て、主権と領土を持つ国民国家が確立する19世紀にいたって最終的に消滅することになります。

それから2世紀が過ぎました。国民国家の衰退が指摘されるようになってからも、既に四半世紀が経っています。
この間の情報通信技術の発達によって、膨大な情報が一瞬のうちに地球上の至る所に伝達されるようになりましたし、地球上のあらゆる場所にいる人々と瞬時にコミュニケートできるようにもなりました。私たちの前に、これまで見ることも知ることもできなかった多様な世界が開かれているのです。

私は、このことをもって、人類が文字通りグローバルな視点でものごとを考えることができるようになると期待するほど楽天的にはなれません。事実、グローバル化を通じてむしろ国家間、地域間の対立は深まっているようにも見えますし、ネット上でも偏狭なナショナリズムが醸成されているようにも思えます。
しかし、インターネットの発達や移動手段の高速化によって、ネットワークを構築する手段と機会は明らかに増しています。グローバル化する世界の中で、均質化と平準化に抗し、多様な価値が共生する自由で知性的な、現代の「文芸共和国」を構想することは可能であると思います。

私は、ユマニスムは、グローバリゼーションとそれに伴う矛盾と軋轢に出会ったときにリベラルアーツの伝統がとった一形態であると言える側面があるのではないかと思っています。
その意味でもユマニスムの系譜を記憶しておく必要があると考えるのです。

ところで、立教大学の文学部にフランス文学科ができたのが今から50年前です。その時のメンバーの一人が、日本のユマニスム研究の第一人者であり、大江健三郎氏が恩師と仰ぐ渡辺一夫先生です。渡辺先生の訳で、エラスムスの『痴愚神礼讃』や、やはり偉大なユマニストであるフランソワ・ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』をお読みになった方もおられるだろうと思います。

「自由の学府」立教大学の大学院で学んだ皆さん、
皆さんには、立教におけるユマニスムの伝統を継承し、自分が、カントの言う「識者」の一人、人類社会の一員であることを自覚し続けていただきたいと願っています。

改めてお祝いを申し上げます。
おめでとうございます。
私たち自身の問題として — 3年目の3.11にあたって —
東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原子力発電所事故から3年がたとうとしています。災害で命を落とされた方々、その後の様々な困難が原因となって亡くなられた方々の魂の平安を祈るとともに、ご遺族の皆さまに改めてお悔やみを申し上げます。

復興庁の調査によれば、なお26万人を超える方々が避難生活を送っています。多くの人々の努力によって、被災地では土地の整備、住宅や公共施設、商業施設の再建など、状況は改善されつつあります。けれども、高齢者や、震災によって家族を失った子供たちなど、弱者が負う負担は大きく、なお前途は多難であると言わなければなりません。

また、内閣府原子力被災者生活支援チームの昨年10月の資料によれば、放射能汚染のために人が住める見通しが立たない「帰還困難区域」だけでも東京23区の面積の半分を超える約337平方キロメートル、避難指示区域全体では約1,150平方キロメートルに及びます。原発施設については、廃炉のプロセスはもちろん、汚染水処理問題だけでも今後の見通しは立っていません。

このことから明らかなように、私たちは今なお、東日本大震災と福島原発事故のただ中にいます。被災地と被災者の方々に思いを馳せ、できる限りの支援を続けながら、私たちは、震災を過ぎ去った過去とすることなく、「目の前にある現実をしかと見よ」と自らに言い聞かせなければなりません。

東日本大震災と福島原発事故は、私たち一人一人に、日本という国に、そして人類全体に、大きな傷を負わせました。その傷は癒えていない。このことから目を背けずに生きてゆくことが、私たちの責務だと考えます。

2014年3月11日
立教大学総長 吉岡知哉
卒業生の皆さんへ(2013年度大学院学位授与式・特別卒業式[9月])
2013年9月23日
立教大学総長 吉岡 知哉

立教大学は本日、22名に博士、4名に法務博士、3名に修士、そして、146名に学士の学位を授与致しました。
修了生の皆さん、卒業生の皆さん、おめでとうございます。
心からお祝いを申し上げます。

現在、私たちが直面している喫緊の課題として、急速に進展する「グローバル化」「グローバリゼーション」が挙げられます。「グローバリゼーションのなかで生き残る」とか、「グローバルな競争社会で勝ち抜く」、あるいは、「グローバルな視野に立つ」というフレーズを目にしない日はないと言っても良いでしょう。
大学に対してもまた、「グローバル人材の育成」が強く要請されていることもご存じの通りです。

globeという語は、球体という意味のラテン語のglobusを語源としています。
大地が球体であるという認識は、古代ギリシャにはあったのですが、中世までのキリスト教世界には存在しませんでした。中世末期にイスラム世界経由でギリシャの自然思想が流入し、次第にヨーロッパに地球球体説が浸透したと言われます。

ところで、大地が球体である、という認識を得るためには、日常的な感覚を離れて、空間的に超越的な視座を持つことが必要です。言い換えれば、神ではない人間が、遥か上空から、地上にまなざしを向けることだとも言えるでしょう。地球球体説が広がるこの時期が、大学の成立・発展、そしてルネサンスへと連なる時期であることは、偶然ではありません。

大地をglobeとしてとらえる視線の成立は、主観的な認識を相対化し、人間と環境を総体として全体的に見る認識を生みだします。それと同時に、超越的で権力的な視線によって、地上に存在するさまざまな差異と多様性を覆い隠し、均質で単純な世界像を準備することにもなりました。
これは、近代が、人間を、個性ある個人としてとらえる一方で、人間の均質化を進めてきたことと、ちょうど同じ過程であると言うことができるでしょう。

現在進行中のグローバリゼーションは、近代以来のこのような方向を極端に押し進めつつあります。情報通信技術の急速な発達とあいまって、世界を成り立たせている多様性を顕在化させていますが、しかし同時にその過程で、均質化、単純化を進め、多様性を消滅させつつあると言わざるをえません。

グローバリゼーションは、「人間、物資、資本、情報が、国境を越えて高速で移動する状態」を指すとされ、それ自体としては一方向的、不可逆的な、一種の自己運動として、私たちの意図とは関わりなく圧倒的な速度で進行しているように見えます。

この自己運動に巻き込まれることなく、全体を統合的に把握する視点、その意味での「グローバルな視野」を持つために必要なこと、グローバリゼーションの過程で私たちの前に示されてきた、世界の豊かな多様性、微妙な差異の多彩な存在を擁護するためになすべきことはなんでしょうか。

私は、グローバルな視点から、地上の、日常的な視点に再度立ち戻ること、そして、天上からのグローバルな視点と、日々生きている生身の身体が持つ感覚、実感との間を絶えず往復することであると思います。

堅苦しい表現になりましたが、要するにそれは、日常生活において、友情や家族の愛情を大切にすること、そして、自分とは異なる人々との交流を積極的に進めることです。
もちろん、そのためには、他者を尊重し、それぞれの生活や文化、価値観に敬意を払うことのできる知性と教養、高い志を持ち続けなければなりません。
私は、立教大学での学生生活を通じて、皆さんが、これらの力を養ってきたものと確信しています。

最後に補足をしておきます。
今述べてきたことは、研究という領域においても当てはまることです。 研究はグローバル・スタンダードを前提としていますが、そこにおける評価の問題以前に、そもそも研究と言う営為が成り立つためには、研究対象への強い関心がなければなりません。
そして、研究を深めていく原動力は、研究対象という「他者」に対する、敬意と愛情にほかならないのです。

皆さんの前途を祝して、あらためてお祝いを申し上げます。
おめでとうございます。
国際シンポジウム「アジア女性ビジネスリーダー・ミーティング2013」でのごあいさつ(2013年9月14日)
2013年9月14日
立教大学総長 吉岡 知哉

皆さま、こんばんは。ご紹介いただきました、立教大学総長の吉岡でございます。

本日は、立教大学にお越しくださいましてありがとうございます。心より歓迎致しますとともに、本日の「アジア女性ビジネスリーダー・ミーティング2013」の成功を、皆さまと共に、喜びたいと思います。

今回のシンポジウムは、マスメディアと、企業と、大学という三者の協力によって成り立ちました。シンポジウムを、本学と共に企画・主催してくださった日本経済新聞社様、特別協賛の花王様、協賛のイオン様、東京海上日動火災保険様、三井物産様に厚く御礼申し上げます。

20世紀半ばに生まれた私たちの世代が子供だった頃、21世紀は、輝かしい未来の象徴でした。科学技術は人間の幸福に貢献し、人々は、自由と平等を享受し、平和のうちに暮らすことができる。大人になるにつれ、それほど楽天的ではなくなりましたが、それでも、21世紀は、より良い世界になりうるし、ならなければならないと考えていました。

しかし、今から12年前、21世紀そして3千年紀の最初の年は、9.11アメリカ同時多発テロ事件の年となりました。その後も、さまざまな政治的、社会的な争乱、経済的な危機が連続し、世界は不安定な状態が続いています。さらに数々の自然災害も世界各地で起こっています。科学技術の急速な進歩も、生命科学の展開に見られるように、生命倫理を含む新たな問題を生み出しています。

また、言うまでもなく日本は、2年半前の2011年3月11日に、東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故に見舞われました。現在でも、被災地の復旧は遅れ、原発事故も収束の見込みが立たず、危機的状況が続いています。

文明とは何か。社会とは何か。人間とは何か。生命とは何か。私たちは、これまで人間社会を支えてきた諸前提を覆すような、根本的な問題に直面していると言わなければなりません。

これらの問題に正面から取り組むためには、思考と実践のためのパラダイムの大きな転換が必要です。そしてそのためにも、新しいリーダーシップのあり方を構想しなければなりません。

このような時に、本日のような、アジア女性のリーダーシップに焦点を当てたシンポジウムが開かれたことは、実に時宜を得たものであると考えます。企画段階から関わられた関係者の皆さまに、あらためてお礼を申し上げたいと思います。

現在進展しつつあるグローバリゼーションは、情報通信技術の発達と相まって、世界の豊かな多様性を明らかにしていく側面がある一方で、世界の均質化、単純化を進めていると言わざるをえません。

人類の未来を考えるとき、多様性と、未知の可能性を作り出していくことが大切です。教育と研究を担う、学問の府である大学の社会的な役割はそこにあると思います。私たちは、豊かな想像力と、他者への共感の力を持ち、自分の社会的役割を使命として担うことのできる人を育てていきたいと考えています。

インターネットが発達して、世界中どこにいても、ネット上で会議ができるようになりました。しかし、人間の問題を考えるときには、実際に顔を合わせて話し合うことが不可欠です。それは、人間の痛みや苦しみ、快感や喜びは人間の身体を通して、初めて理解することができるからにほかなりません。本日の討議が、人類の未来の可能性を広げるものであることを確信しています。

宗教や文化、国の違いを超えて、共に食事をとることは、「共に生きること」を確認する、とても大切な営みです。このレセプションを通じて、共に友情を深めたいと思います。

本日はお集まりくださいまして、本当にありがとうございます。
新入生の皆さんへ(2013年度入学式[学部・大学院])
立教大学総長 吉岡 知哉
2013年4月3日

この春、立教大学は、4,631名の学部学生、481名の大学院学生、合わせて5,112名を、本学の新しい構成員として迎え入れます。
新入生の皆さん、入学おめでとうございます。

大学は、毎年4月にその構成員のほぼ4分の1が入れ替わる組織です。大学にとって春は、文字通り「生まれ変わり」の季節、新たな「始まり」の季節なのです。私たちもまた、心地よい緊張と軽い興奮を覚えているのは、皆さんを迎え入れることによって、私たち自身にも生じるであろう変化を予感しているからに他なりません。

大学という組織がヨーロッパで誕生したのは、11世紀末から12世紀にかけての時期です。十字軍やグレゴリウス改革など、当時のヨーロッパは激しい変動の中にありました。中世都市が活発な経済活動を行い、自治権を基礎とする「都市の自由」を獲得していったのもこの時期です。大学"university"の語源はラテン語の"uiversitas"、組合団体という意味です。大学は自治的な組合団体として、都市と深い関係を持ちながら、独自の自由の伝統を作り上げていきました。その中心となったのが知的活動の自由です。
その後、大学は歴史とともに大きく変化していきます。近代以降の大学を中世の大学と同一に論じることは不可能だと言うこともできます。けれども、その変化の歴史を通じて、大学は学問研究の場、「学び問い考える」場所として、自由の伝統を受け継いできたのです。

皆さんのお手元の「式次第」には、立教大学の校歌「栄光の立教」の歌詞が掲載されています。「見よ見よ立教、自由の学府」というリフレインを持つこの校歌が最初に歌われたのは1926年、大正の最後、昭和の最初の年です。それ以来90年近く歌い継がれてきたこの校歌には、大学の自由の伝統を継承する、立教大学の意志が示されていると言うことができるでしょう。

もちろん、自由であるということは簡単なことではありません。自由であるためには、常に自由であろうとし続けなければなりません。大学の自由の根幹が知的活動の自由、「学び問い考える」自由であるならば、常に、学び、問い、考え続けなければならないのです。「学び問い考える」営みを見失ったときに、大学の自由は失われると言わなければなりません。
自由であるための知的技法の体系が、リベラルアーツと呼ばれるものです。立教大学は、チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教によって1874年に創立されて以来、リベラルアーツ教育を理念の中心に据えてきました。
リベラルアーツは、古代ギリシャ・ローマ以来の知的伝統の流れをくむ学問で、中世の大学において、基礎科目として学ばれました。当初、真理の言葉を理解するための語学系科目と、世界の秩序と調和を理解するための数学系科目で成り立っていたリベラルアーツは、大学の歴史的変化とともにその形を変えながら、世界の中における自分の位置、そして自分の行いの意味を知るための知の技法として継承されてきました。
知識の細分化、専門化が進む現代において、知識の総合性を回復するのに不可欠のものとして、リベラルアーツ教育の重要性はますます大きくなっています。立教大学で学ぶ皆さんには、狭い領域に閉じこもることなく、ぜひ広い視野と複眼的な思考を身につけていただきたいと思います。
大学は、「学び問い考える」という営みのための特別な場所です。そこでは「学び問い考える」ことがそれ自体として認められます。真理を求めるという一点において、大学では誰もが平等の資格と権利を持っているのです。

近代以降の社会は最大限の効率を求める社会です。情報通信技術とグローバル化が進む現代社会においては、効率化が極限にまで押し進められつつあります。けれども、人間の社会、人間と人間との関係において、効率性はごく一部に関わるものにすぎません。
そして、「学び問い考える」という、大学において最も基本的な営みは、言うまでもなく、効率性には還元できないものなのです。
現在、社会の変化が加速して行く中で、大学には既存の社会と同様の価値観と効率性が求められるようになってきました。もちろん大学も現代社会の構成要素ですから、社会の動向と無縁ではあり得ません。しかし大学が社会の中に存在している最大の意義は、その時々の価値観や効率から離れて、より大きな時間的・空間的なスパンで、全体を俯瞰する役割を負っているという点にあります。

しばしば大学で学ぶ知識は実社会では役にたたない、という言い方がされることがあります。皆さんも大学を出て外の社会で働くようになったときに、大学で学んだ知識が役に立たないと思うことがあるのではないかと思います。
しかし、皆さんが大学で真剣に学び、考えたのであれば、その知識が役に立たないということが、後悔と結びつくことは決して無いでしょう。そのとき皆さんは、大学で身に付けたものが、個々の知識を超えて、ものの見方、考え方であったことを実感するに違いありません。

さて、皆さんは次のようなイソップ寓話をご存じでしょうか。岩波文庫から引用します。

「国ではいつも、もっと男らしくやれ、とケチをつけられていた五種競技の選手が、ある時海外遠征に出て、暫くぶりで戻ってくると、大言壮語して、あちこちの国で勇名をはせたが、殊にロドス島では、オリンピア競技祭の優勝者でさえ届かぬ程のジャンプをしてやった、と語った。もしもロドスへ出かけることがあれば、競技場に居合わせた人が証人になってくれよう、とつけ加えると、その場の一人が遮って言うには、『おい、そこの兄さん、それが本当なら、証人はいらない。ここがロドスだ、さあ跳んでみろ』」(中務哲郎訳『イソップ寓話集』)

この寓話には、「法螺吹」というタイトルがついていますが、私は、身の程知らずの法螺は吹かない方がいいと言いたいためにこの話を持ち出したのではありません。
また、イソップ寓話はこれに続けて、「事実による証明が手近にあるときは、言葉は要らない、ということをこの話は解き明かしてる。」と解釈をつけ加えていますが、ここではその解釈に従うつもりはありません。
19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルは、『法の哲学』の序文で理性と現実との関係について語るときに、「ここがロドスだ、さあここで跳べ」というこの言葉を引いています。また、マルクスが『資本論』の中でこの言葉を使っていることも知られています。
解釈は色々あるのかもしれませんが、私はよく使われるように、「今この瞬間、この場所こそが、実力を発揮する場所だ」、あるいは、「今ここにある現実に、全力で向かい合え」という意味で用いたいと思います。

長い注釈になりましたが、皆さんが、「自由の学府」であるここ立教大学で全力で飛躍することを期待して、「ここがロドスだ、さあここで跳べ」という言葉を送り、祝福の挨拶といたします。

入学おめでとうございます。

2012年度

卒業生の皆さんへ(2012年度卒業式[学部])
2013年3月25日
立教大学総長 吉岡 知哉

立教大学はこの春、総計4,210名に学士号を授与し、卒業生として送り出します。
卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。

昨年秋に池袋図書館が完成したことによって、立教大学は、2つのキャンパスにそれぞれ先進的な機能を有する図書館を持つことになりました。図書館は卒業生も使えますから、卒業後もぜひ活用していただきたいと思います。

さて、その池袋図書館のエントランスの上方に、ギリシャ語で「ΓΝΩΘΙ ΣEΑΥΤΟΝグノーティ・セアウトン」と書かれているのに気づかれたでしょうか。これは、「汝自身を知れ」という意味で、古代ギリシャのデルポイの神殿に掲げられていたという言葉です。
デルポイの神殿は、パルナッソス山の中腹にあったアポロンの神殿で、ギリシャ全土の信仰の対象でした。そこの巫女たちによる神託は、多義的で謎めいていました。「ソクラテスより賢い人はいない」と言うデルポイの巫女の言葉を友人から聞いたソクラテスが、その意味を理解できなかったのがきっかけで、賢者とされる人々との対話を始めたということを知っている人も多いでしょう。

「自分自身を知ること」は、人間にとって、最も普遍的で本質的な課題であるとされてきました。デルポイの神託を引用するまでもなく、「汝自身を知れ」と言う命題は、さまざまに繰り返されてきたのです。
しかし、それでは「自分自身を知る」とはどういうことなのでしょうか。
自分自身を知るためにはどうしたらよいのでしょうか。
しばしば、自分自身を知るためには、弱点や欠点を含めて自分を正面から見つめることが必要であるとされます。
自分はどういう人間であるのか、自分は何をやりたいのか、自分は何ができるのか、それらをしっかりと把握することが、自分を知ることであるとも言われます。

確かにこれは、わかりやすい説明です。
けれども、この説明を成り立たせている考え方には、一つの前提があります。それは、「自分」というものが、対象として確かに存在しているという前提です。自分という確かなものが存在しているということは自明のことのようですが、果たしてそうでしょうか。

すぐ気付くことですが、自分を知ろうとして自分に向かい合うと、対象としての自分と、それを知ろうとしている自分とが分かれることになり、確固とした単一の自分という前提自体が崩れてしまいます。また、自分自身を知ろうとした結果、かえって「自分はこういう人間である」という自己限定を生むことにもなりかねません。自分を知ろうとすることで、自分を現状に固定し、自分が持っている潜在的な可能性を封じてしまっては何もなりません。
「汝自身を知れ」という命題に対して、自分自身が何者であるかを直接探ろうとすると、どうやら自分探しの迷路に迷い込んだり、行き詰まってしまうことになるようです。

私は、「汝自身を知れ」という命題に答えるためには、大きく迂回路を設定する必要があるのではないかと思います。
その迂回路とは、自分自身に向かうのではなく、反対に自分の外に出て行く道です。
自分とは異なる存在と出会い、異質なものを自らの中に受容し、そのことによって自分が変化して行くこと。それはつまり、「学ぶ」ということにほかなりません。

大学教育の大切な役割の一つは、このような迂回路の道筋をつけることだということができます。正課教育の個々の科目はもちろんですが、ボランティア活動や留学、あるいは部活やサークル活動などの課外活動も、それぞれがこれらの迂回路への入り口なのです。

このような学びの迂回路を歩んでいる時、自分という存在は、決して確固としたものではありません。新しい知識を学んでいるとき、古い知識を持った自分が顧みられているわけではありませんし、興味深い話を聞いているとき、自分の思考は相手の思考に溶け込んでしまいます。書物に没頭しているときには、書物の中の世界と現実世界とは渾然と混じり合っています。
学びの過程はこのように、自分が自分ではなくなる変容の過程を含んでいます。そして、学びが常に楽しみであり喜びでもあるのは、このような過程を経て、自分が繰り返し新たなものとして更新されていくからなのです。
「汝自身を知れ」という言葉が指示しているのは、このように自分が変容し続けることを肯定する、ということではないでしょうか。

卒業生の皆さん。
立教大学で学んだ皆さんは、このような意味での「学びの力」を身につけてきました。
それは、異質なものを受容する柔軟な思考力であり、自分自身を変えて行く勇気です。また、それは、一時的な変化に惑わされない基礎的な知力であり、他者とともに生きる共感の力でもあります。
21世紀の世界、とりわけ「3.11以後」の世界を生きて行くために、この「学びの力」をこれからも鍛え続けてください。

卒業生の皆さん。
これから皆さんは、多くの、そしてさまざまな出会いを経験するでしょう。それらの出会いを通じて、皆さんは「自分が何者であるか」を発見するに違いありません。
どうか、自信と誇りを持って歩みを続けてください。
私たちは、皆さんたち一人一人を心から応援しています。

卒業おめでとうございます。
卒業生の皆さんへ(2012年度大学院学位授与式)
2013年3月24日
立教大学総長 吉岡 知哉

立教大学はこの春、379名に修士号、23名に博士号、64名に法務博士号を授与いたします。
学位を取得された皆さん、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

ご存じのように、立教大学は、チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教による創立以来、リベラルアーツを教育理念の柱に据えてきました。リベラルアーツは、12世紀から13世紀にかけて、ヨーロッパに誕生した大学で学ばれた基礎科目群であり、他の身分や他の人間に従属することのない自由人が身に付けるべき知識とされました。自由七科とも言われ、言語に関わる文法、修辞学、論理学の3科と、数学に関係する算術、幾何学、音楽、天文学の4科から成り立っています。言語系科目は、書物を解読し、真理の言葉を理解するためのものであり、数学系科目は、世界を成り立たせている調和と秩序を理解するためのものです。

もちろん、現代においては、中世ヨーロッパのように世界の秩序の存在を前提することはできません。また、特定の科目や科目群をリベラルアーツ科目として指定することも不可能です。けれども、その本質において、リベラルアーツとは、この世界の成り立ち、仕組みを理解するための知の技法の体系である、ということができるでしょう。

私たちが生きている21世紀の現在、これまでの価値観が大きく崩れ、政治、経済、社会の仕組みが激しく変動しています。
その一方で、文明社会の高度化、学問の進歩に伴って、学問分野は細分化され、それぞれの専門知識は狭く、深くなっていきます。そのように先鋭化を続ける専門領域の中にいると、他の領域との関係は急速に見えにくくなっていきます。また、それぞれの専門領域の独自の言語と価値観にとらわれていると、一歩その領域から外に出た途端に自分を見失うことになりかねません。

リベラルアーツの現代的再構築が重要な課題であるのはこのためです。リベラルアーツは世界認識の方法だと言いましたが、大切なことは、それが世界の中における自分の位置を知るためのものだということだと思います。自分からは遥かに離れた視座を想定し、そこから世界を俯瞰し、世界の中にいる自分を見る技術である、と言ってもよいかもしれません。

リベラルアーツは、従来、学部教育の領域のものであると見なされてきました。けれども、この意味のリベラルアーツは、教育段階が上がれば上がるほど重要になっていきます。学部教育以上に大学院教育の過程において必要であり、大学院を修了して自分の研究成果を社会に還元し、さらに研究を進めていくにつれて、重要度を増していくことになります。

先ほど述べたように、現代においては誰もが共通に認める特定のリベラルアーツ科目があるわけではありません。けれども、指標となり得るものはあるように思います。それは、それぞれの時点において、「有用性」、「役に立つ」ということから最も遠いものであって、しかし自分の関心を強く引くもの、という指標です。そしておそらく、そのような指標によって歴史的に選別されたものが、古典と呼ばれるものなのでしょう。
それに、そもそも「学び問う」ということが、現在の自分に固執することなく、異質なものを受け入れ、それによって自分が新たなものへと変化していくことを肯定する不断の運動であるとするならば、リベラルアーツの再生、再構築は、学問というものに真摯に向かい合うことのなかにこそ、あるはずです。

リベラルアーツは、次のような一連の問いと結びついていると言えるでしょう。
世界の中における私の位置はなにか。私と私以外のものとの関係はいかなるものか。私が行っていることの意味はなにか。私は何をするために今ここにいるのか。
このような問いを発すること、そしてそれに答えようとすること。そのためには自由がなければなりません。それは、社会的・政治的な自由であるのと同時に、自分の現在からの自由でもあります。問いを発することができないのであれば、それはそこに自由が存在していないからです。

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故は、私たちが、このような問いを問うことを忘却してきたこと、あるいは、あえて問わずに来たことを明らかにしました。私たちは自由を忘却してきたのか、放棄してきたのか、あるいはそもそも私たちは自由ではなかったのか。私たちはなお、問い続けなければなりません。

皆さん。
皆さんは、リベラルアーツ教育を掲げる「自由の学府」、立教大学の大学院で学び、修士、博士の学位を取得されました。立教大学のリベラルアーツの伝統は皆さんの研究のなかに受け継がれています。
どうかこれからも、高い志を持ち、真理と世界のために研鑽を続けてください。

あらためてお祝いを申し上げます。
おめでとうございます。
記憶すること、学ぶこと — 2年目の3.11に —
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故から2年が経ちました。復興庁によれば未だに30万人以上の人々が避難生活を送っており、広大な国土が、人間が住むことも作物を作ることもできない状態に置かれています。犠牲となられた方々に改めて哀悼の意を表するとともに、被災者の皆さまに心からお見舞いを申し上げます。

2年前の3月11日のあの地震の瞬間、自分がどこで何をしていたか、だれもがありありと覚えていることでしょう。津波が押し寄せる様子、そしてその後に起こった福島第一原子力発電所爆発の映像も、目に焼き付いているに違いありません。しかし一方では、加速を続ける社会変化の中で、東日本大震災もそれに続く原発事故も、過去の出来事の一つ、ひとまとまりの「教訓」として扱われ始めているようにも思われます。

大学が持っている重要な社会的機能の一つは、記憶装置としての役割です。日々の生活の中で脇に置かざるを得ないさまざまな事柄、あるいは、社会の効率性の名の下に放棄された事実、さらには意図的に消し去られた出来事を集積し、教育・研究という形で繰り返し現在へと呼び戻す。そのような運動を自らの中に含むことによって、大学は社会的な存在であり得ています。その意味で、「3.11」は大学の現在に深く関わっているのです。

立教大学の復興支援活動は、人と人とを改めて結び直すとともに、生成する新たな関係が一人一人の変化を促すという、緩やかで力強い運動を生みだしてきました。被災地の復興支援への関わりは、学生にとっても教職員にとっても、困難な状況を生きるための知恵と力と勇気を学ぶ貴重な機会となっています。人のために何かをすること、何かができることの本質的な喜びを通じて、私たちは人と人との交わり、自然と人間の関係、社会のあり方に関する新たな可能性を見いだしつつあるように思われます。

歴史は、過去から未来に向かう単線的な時間ではなく、重層的な構造を持っています。東日本大震災は過ぎ去った過去ではなく、私たちの現在の世界を構成している基盤そのものです。立教大学は、東日本大震災と原発事故を自らの存在の根底に関わる問題として捉え、これからも考え行動していきます。

2013年3月11日
立教大学総長 吉岡知哉

卒業生の皆さんへ(2012年度大学院学位授与式・特別卒業式[9月])
2012年9月24日
立教大学総長 吉岡 知哉

皆さんの中にも読まれた方がおられると思いますが、プラトンの作品の中に、『メノン』という対話篇があります。いわゆる初期対話篇から中期の著作に移行する時期の作品とされるものです。『ソクラテスの弁明』や『饗宴』、あるいは『国家』ほど有名ではないかもしれませんが、昔から「珠玉の短編」として愛され、翻訳は岩波文庫にも収録されています。(プラトン『メノン』藤沢令夫訳, 1994年)

『メノン』のテーマは「徳」です。古代ギリシャのプラトンの時代、徳という概念は、現在私たちが道徳と結びつけて考えるものとは少し異なっています。原語はアレテーと言いますが、これは、卓越性とか能力を表す語であり、特に、ポリスという当時の政治社会の構成員としての、政治的・社会的な卓越性、政治指導者としての能力を意味するものでした。キリスト教的な信仰と結びついて変化するのはもちろんずっと後のことです。

徳をめぐる対話は、タイトルにもなっているメノンという20歳くらいの青年と、67歳くらいのソクラテスとの間で主に行われます。

「徳は教えることができるか」という問いを、メノンがソクラテスに投げかけるところから対話が始まるのですが、ソクラテスは、自分は徳について全く何も知らないし、徳について知っている人に会ったこともない、と答えます。そして、「徳の性質」を知るためには、「そもそも徳とは何であるか」ということを調べなければならないと言って、メノンを、「徳の本質の探究」へといざなうのです。

メノンは、徳とは何かについてさまざまな答えを提示しますが、ソクラテスとの検証の過程でことごとく破綻してしまいます。行き詰まったメノンは、さらに探求を続けようとするソクラテスに対して、「どうして、それが何であるか全然わかっていないものを探求することができるのか、何を目印にして探求するのか、もしも運良くそのものを探り当てたとしても、どうしてそれが探求しているものなのだとわかるのか」と問いかけます。

ソクラテスは可能だと答えます。なぜか。

「神事に関わる人によれば、魂は不死なるものだからだ」とソクラテスは言うのです。引用します。

「魂は不死なるものであり、すでにいくたびとなく生まれかわってきたものであるから、そして、この世のものたるとハデスの国のものたるとを問わず、いっさいのありとあらゆるものを見てきているのであるから、魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてないのである。だから、徳についても、その他いろいろの事柄についても、いやしくも以前にも知っていたところのものである以上、魂がそれらのものを想い起すことができるのは、何も不思議なことではない。なぜなら、事物の本性というものは、すべて互いに親近なつながりをもっていて、しかも魂はあらゆるものをすでに学んでしまっているのだから、もし人が勇気をもち、探求に倦むことがなければ、ある一つのことを想い起したこと−−−このことを人間たちは「学ぶ」と呼んでいるわけだが−−−その想起がきっかけとなって、おのずから他のすべてのものを発見するということも、充分にありうるのだ。それはつまり、探求するとか学ぶとかいうことは、じつは全体として、想起することにほかならないからだ。」

これが、プラトンの想起説、アナムネーシス説と呼ばれるものであること、そしてそれが、プラトン哲学の中心をなすイデア論と結びついていることをご存じの方もいらっしゃるでしょう。けれども、『メノン』においては、イデアの考え方は明確には出てきていません。徳の本質についての探求を試みながら、「徳のイデア」というものについての言及はないのです。それどころか、「徳とはなにか」という探求は中断され、「徳は教えられるか」という問いに戻ることになります。

この間の細かい展開、特に、メノンの答えに対するソクラテスの「吟味」や、幾何学を全く知らないメノンの召使いに対して、ソクラテスが図形の問題を考えさせていくスリリングなプロセスについては、『メノン』本文に譲ることにしたいと思います。内容的には、徳が知識であるとするならば教えることができるが、果たして徳は知識なのかどうかの検討、知識と「正しい思わく」の働きの違いなどの議論が続くのですが、最終的な結論はペンディングのまま、『メノン』は、やや唐突に終わってしまいます。

このように、『メノン』では、その本来の探求の対象であった「徳」については不十分な結論しか得ることができませんし、プラトンの思想という点から言っても、イデア論の端緒が見えるという程度です。それに、私は皆さんの新たな出立の日である今日、あえて「徳」、それも古代ギリシャの徳について講義したいと考えている訳ではありません。そもそも、私はプラトンについては、一人の読者にすぎません。

また私は、プラトンのイデアの考え方に賛同する者ではありません。まして、イデアを見ることができた真の哲学者が、同時に権力者であることによってのみ、正しい秩序が生み出され、人間の真の幸福が実現するというような考え方には真っ向から反対いたします。

けれども、一読者として『メノン』を読んでいると、そこには、何かを根本的に学び探求するということの意味について、本質的な考察が示されていると思われるのです。

何であれ、あることを学び、考え、一つの結論にたどり着いた時、私たちは、確かにソクラテスが言うように、何か全く新しいものを得たというよりも、それまで既に存在していたのに気づかなかったものを、改めて見いだしたと感じます。探求の末にたどり着いた答えは、新たにそこに据えられたわけではなく、ずっと以前からそこに存在していた、そして見いだされるや否や、それ以降の私たちの世界の一部となるのです。一度何かの本質を知ってしまうと、もはやそれを知らなかった世界には戻れない、と言ってもいいかもしれません。

このことは、何かを教わるということとも関係しています。新しい知識を学んだ場合であっても、私たちは、それが、単に外からもたらされたと言うよりも、何かに覆われていて気づかなかった事柄が、覆いを外されることによって眼前に現れたというように感じる。

しかも知識の獲得は、外在的に何かを付け加えられたというのではなく、自分自身の内的な変化として意識されるのではないでしょうか。

そして確かに、教える側としても、教育は、知識のパッケージを受け渡すというよりも、相手の中の眠っている記憶を、さまざまな手だてによって思い出させるという営みであるというほうが、実際の教育の現場の感覚に近いと感じられるのです。

そのように考えると、ソクラテス自身が「美しい話」と呼ぶ想起説は、深淵な哲学的な議論というよりも、ある事柄の本質を探求した末に、ついに一つの結論に至った時に生じる変化の感覚、何かを知り得たときの驚きと喜びを、きわめて率直に表現したものであるとさえ、言えるように思います。

イデア論として自らの哲学を確立する以前のプラトンは、また、知識と「正しい思わく」の関係について興味深い議論を展開しています。「思わく」の原語はドクサ、英語では通常オピニオンと訳されるもので、真の知識とは峻別されるものです。しかし、『メノン』においては、徳という行為と実践に関わる事柄に関してですが、真理に基づく知識ではなく、「正しい思わく」もまた、人を正しく導くということを強調しています。

ソクラテスは、知識と「正しい思わく」との違いについて、次のように言います。

「正しい思わくは、われわれの中にとどまっているあいだは価値があり、あらゆるよいことを成就させてくれる。だがそれは、長い間じっとしていようとはせず、人間の魂の中から逃げ出してしまうものであるから、それほどたいした価値があるとは言えない。」

けれども、ひとがそうした思わくを「原因もしくは根拠の思考」によって縛りつけるならば、「それまで思わくだったものは、まず第一に知識となり、さらには、永続的なものとなる。」

ソクラテスはここで、個別の経験に基づく限定的な考えにすぎないドクサ、その限りで真理に基づいているとは言えない知であっても、それが「原因や根拠の思考」によって縛られている限りは正しい導き手となるし、さらにそれによって本来の知識、永続的な知へと変わりうると述べているのです。プラトン研究について全く何も知らないままに述べるのはたいへん気が引けるのですが、ここには、イデア論へと収斂していく道筋とは異なる、日常的な知の可能性が含まれているようにも思われます。

本日、立教大学は、9名に博士、3名に法務博士、3名に修士、そして、166名に学士の学位を授与いたしました。

卒業生の皆さん、そして修了生の皆さん。
皆さんは、これまでの日々、それぞれのやり方で、自らの勇気を奮い立たせ、倦むことなき探求を続けてこられました。社会に出て働く人、今後もさらに研究を継続する人など、進路はいろいろでしょう。しかし、学生として、あるいは大学院生として、自らの問題を徹底的に考え抜いたという経験が、誇るに値することだけは確かです。どのような職業を選択するにせよ、せっかくとらえた「正しい思わく」が逃げださないように、「原因もしくは根拠の思考」によって、しっかりと縛り付けておいていただければと思います。

皆さんのこれまでの努力を称えるとともに、新しい門出を心からお祝いいたします。
おめでとうございます。
新入生の皆さんへ(2012年度入学式[学部])
立教大学総長 吉岡 知哉
2012年4月

立教大学はこの春、4,682名の新入生を迎えます。
本日ここに列席している新入生の皆さん、入学おめでとうございます。
立教大学は、皆さんを私たちの新しい構成員として迎え入れるにあたって、心から歓迎の意を表明いたします。

昨年3月11日に発生した東日本大震災と原発事故によって、多くの命が失われ、たくさんの人々が住み慣れた土地を離れて今もなお不自由な避難生活を強いられています。震災発生から1年とひと月。被災地の復旧が進まず、原発事故も収束からほど遠いという現実を深く意識しつつ、本日こうして入学式を行うことができることを感謝し喜びたいと思います。

新入生の皆さん。
4月になって健康診断やガイダンス、英語のプレイスメントテストが実施され、また何よりも新入生歓迎行事が行われているので、皆さんはすでに立教大学の学生の気分を味わっていることと思います。映画の予告編と同じく、そのことがかえって期待と不安を呼び起こしているのかもしれません。昨年、入学式を行うことができなかったためもあるのでしょうか、こうして皆さんの視線を受けて私の気持ちもいつになく高揚しています。

さて、これから大学生活を始めようとしている皆さんに私は何を話すべきでしょうか。
おそらく、大学とは何か、いかに大学生活を送るべきか、ということを話すことが期待されているのではないかと思います。しかし私は、ここでお話ししたことが皆さんのこれからの大学生活の在り方を拘束することになってしまうのではないかと恐れます。皆さんはこれから、自分で自分の大学生活を真新しい経験としてつくりだしていくという不可侵の権利を有しているのです。

そこで、ここでは極めて簡単な事実だけをお話ししておきます。
それは、「大学は何についてであれ、徹底的に考えることができるところだ」ということです。宇宙について、生命について、社会について、人間について、大学について。あるいは考えることについて。対象は何であっても構いません。
考えるというと、椅子に座ってじっと物思いに耽っている人を思い浮かべるかもしれません。けれども、遺伝子について考える時には電子顕微鏡を使うことが必要になるでしょう。バッティングについて考えるときにはやはりバットを振ってみなければなりません。楽器を持たずにメロディを考えることができる人はそう多くはないと思います。実は、考えるという営みは身体的な行動を伴っているのです。

今の例も示すように、考える対象はいわゆる授業や学問に関係することに限られません。自分はラグビーをやるために大学に来たのだという人は、ラグビーについて考えなければなりません。高校までと違って、コーチや監督の指示通りに動いているだけでは試合に勝てないし、自分のポジションすらとれないでしょう。大切なことは、徹底的に考えること、知力の及ぶ限り、これ以上先はないというところまで考えることです。

もちろん、大学の外の社会でも考えることは必要であるに違いありません。けれども、社会の日常を構成している要素自体について誰もが一つ一つ根拠に遡って徹底的に考えるとしたら社会自体が成り立たなくなってしまうでしょう。一方、社会の仕組みが硬直化しないようにシステムを更新していくためには、既存の思考枠組みや価値体系を超えて考える機会がなければなりません。そのために、社会は大学に「考えること」を信託しているのだと言えるだろうと思います。

徹底的に考えること。そのためには自由が必要です。
だからこそ、大学には自由が認められており、外とは異なる時間が流れています。皆さんは学生として、自分が関心を持っていること、興味があることについて、徹底的に考える時間を手にしている。その時間は、皆さんに託された時間なのです。この特権的な時間をぜひ大事に使ってください。

さてもうひとつ、考えるという営みと密接に関連したことがら、考えることの基礎ともなることについてお話ししておきたいと思います。それは「聴く」ということの大切さです。
最近、「コミュニケーション能力」の重要性が強調されています。皆さんも、大学で身に付けたい能力は何かと聞かれたら、「コミュニケーション能力」と答えるのではないでしょうか。
多くの場合、コミュニケーション能力は話す力、自己表現の能力と結びつけて考えられているように思います。確かに自己表現の重要性は言うまでもありませんが、コミュニケーションは相手となる他者を前提とし、他者との関係で成立するものです。コミュニケーションを成立させるには他者との関係を生み出さなければならない。「話す」こと以上に相手の言うことを「聴く」ことが大切なのはそのためです。
なるほど「話す」、あるいは「見る」という行為にくらべて、「聴く」という行為は、受動的であるように思えます。けれども少し考えてみると、「聴く」という行為がいかに意識的で意志的な行為であるかがわかります。例えば、「耳を澄ます」というのは聴き取れるか聴き取れないかのはざまの声や音を聴き取ろうとする行為ですし、「耳を傾ける」というのは人の話や音楽に全神経を集中する行為です。
なによりも、人の話を聴くためには相手を受け入れること、自分という存在を超えて相手の立場に身を置かなければなりません。つまり相手の話を聴くということは相手の存在を理解しようとすることにほかならない。そこには常に、「積極的な謙虚さ」とでも言うべきものが必要なのです。
友情ということを考えてみるとそのことがよくわかります。友情は、友の話を聴くことと切り離すことができません。友情とは友の言葉を聴くことなのです。

「話す技術」とりわけ「プレゼンの技術」にくらべて、「聴く技術」は発達していません。そもそも聴いているのか聴いていないのかが外からは分からない以上、技術として客観化することが困難だと言えるでしょう。しかしそれだからこそ、「聴く」ことは自覚的に訓練することが必要なのです。
「聴く」ことは、震災以後の世界を他者とともに生きていく上で、とても大切です。私は皆さんが、世界の片隅の声にならないつぶやきを聴き取る力、聞き慣れない異国の言葉を受け入れる力、を身に付けて欲しいと願っています。

新入生の皆さん。あらためて皆さんに申し上げます。
大学の自由とは徹底的に考える自由です。ぜひ、この自由を満喫してください。
同時に、自由であるためには考え続けなければならないということを忘れないでください。

入学おめでとうございます。
「自由の学府」へようこそ。
新入生の皆さんへ(2012年度入学式[大学院])
立教大学総長 吉岡 知哉
2012年4月

この春、立教大学は、博士課程前期課程および修士課程407名、博士課程後期課程51名、専門職学位課程50名、総計508名の大学院生を迎え入れます。
新入生の皆さん、おめでとうございます。

今からちょうど300年前の1712年6月28日、当時は独立した都市国家であったジュネーヴで一人の男の子が生まれます。父は時計職人、母は子どもの誕生後、間もなく亡くなります。10歳の時に父が出奔。叔父の手で育てられた少年は、16歳の春、市の閉門に遅れたのをきっかけに一種の放浪生活を始めます。貴族の婦人の庇護を受け、詐欺まがいの仕事を含めて職を転々としながら、やがてパリに出た青年は、社交界に出入りし当時の知識人たちとの交友を深めていきます。
けれどもジャン=ジャック・ルソーが、今年その生誕300年を記念するシンポジウムや研究集会が世界各地で開かれるほどの歴史的存在になったのは、1750年、彼が38歳になった年に発表した論文がきっかけでした。
その前年の秋、ルソーは、ヴァンセンヌの牢獄に囚われていた友人ディドロの面会に行く途中、偶然に雑誌で「学問と芸術の復興は習俗の純化に寄与したかどうか」という懸賞論題を目にし、「突然の霊感」に襲われます。そのときの経験について、後の書簡には、突如としてさまざまな観念が頭の中を駆け巡り、目まいと動悸に見舞われた様子が描かれており、自伝『告白』では「それを読んだ瞬間、私は別の世界を見、別の人間になった」と記されています。この一種の「啓示」をもとに一気に書き上げられた作品は、出題したディジョンのアカデミーで、第一等を獲得します。
他の応募論文の大部分が、学問・芸術の進歩と、それを支えてきたアカデミーの功績をたたえるというものであったのに対して、ルソーの論文はそれを真っ向から否定するものでした。
学問・芸術は、鉄鎖の上に花飾りを広げ、人々に隷属状態を好ませるものであり、文明の進歩とともに、人間はかつて持っていた自由を失ってしまった。
知識人たちの言説は、文化の作り出す虚偽意識を助長しているに過ぎない。
そもそも学問・芸術は、暇とぜいたくとから生じたものであり、その通俗化は社会の退廃を生み出している。
このように批判するルソーは、人間の知力の限界を認識するソクラテス的な無知と徳の実践を主張するのです。
レトリックを駆使したこの論文は、進歩と啓蒙の時代の知識人社会に、大きな反響を引き起こします。ルソーの主張にはいくつもの批判が寄せられ、彼らとの間で交わされた論戦を通じて、ルソーは一気に、いわば<同時代を根底から批判することで時代の寵児となった作家>として名を挙げることになります。

さて、大学院の入学式の席上で、『学問芸術論』、あるいは単に「第一論文」と呼び慣わされているジャン=ジャック・ルソーの作品に触れたのは、この折に、今年がルソー生誕300年であるという事実に注意を喚起し、かつては「近代民主主義の父」とも称された思想家の復権を図ることが目的ではありません。
あるいは、『学問芸術論』で展開される激しい文明批判を手がかりに、東日本大震災と福島第一原発事故によって露呈した、<理性の道具化>と現代文明の隘路について考えようとしているわけでもありません。
また、ルソーの知識人批判や、彼が用いる「無知」と「徳」の概念が、知の根拠と、学問の社会的な意味を問うものであって、現代の反知性主義とは全く異なるものであることを、あえて強調するつもりもありません。
さらに付け加えれば、ルソーの論壇デビューが38歳であったという事実によって、皆さんを勇気づけようという意図もありません。
本日この場で、ルソーの『学問芸術論』の話をしようと思ったのは次の2つの点に関係しています。

第一は、この論文をきっかけに、ルソーがルソーになっていく、ということに注意を向けたかったからなのです。先ほど少し述べたように、ルソーはこの論文とそれをめぐる論戦のなかで急速に有名になるのですが、ルソー自身が、その過程で自分の思想と立場を確立していきます。つまり、この『学問芸術論』を書いたことによってルソーは自分の主張を堅固なものにしていく、あるいはせざるを得なくなっていくのであって、その逆ではない。あらかじめ確立したルソーの思想があってそれが作品として示されるのではなく、作品を書き、それが読者の目にさらされ、議論の俎上に載せられる過程で、思想と呼ばれるものが構築されていくのです。
大学院での研究にも似たようなことが言えるだろうと思います。理系の論文でもそうではないかと思いますが、文系の場合は特に、自分の思考を手探りで言語化していくことで初めて自分が何をしようとしているのかが見えてくることが多い。そして、一度論文の形で考察をまとめ発表すると、そのこと自体が基礎になると同時に拘束にもなって、次の考察へと進んでいくことになるのです。研究はいくつもの選択の積み重ねであり、時には当初の予定・予想とは異なる道へと人を導いて行くものです。

第二点は、この作品の冒頭に掲げられている、「ここでは人々に理解されないから私は異邦人である」というエピグラムに関係しています。ここには、このような徹底的な批判を展開することで、自分が同時代と齟齬を来していくことにルソーが十分自覚的であることが示されていると言えるでしょう。実際ルソーはこれ以後、当時の啓蒙的知識人たちとの対立を深めていき、やがて決定的に決別することになります。

新入生の皆さん。私は、社会と自分との関係についてのルソーの洞察が深く鋭いことを評価しますが、皆さんにルソーのように生きてほしいとはいささかも考えてはいません。むしろ、ルソーのようにはならないでほしいと真剣に願っています。
しかし、既存の価値体系を批判し、それまでとは異なる視座を提起しようとすることは、それが学問の世界の中であっても時に大きな葛藤を生みます。それは、研究という活動が知識や知見を積み重ねて行く一方で、自らの存立基盤自体を不断に掘り崩す運動だからにほかなりません。その意味で、専門的研究を行うのに最も必要な資質は、葛藤を引き受けることのできる「勇気」であると言えるかもしれません。
もちろん、思考の過程が、必然的に孤立を生むというわけではありません。むしろ、新しい思考の誕生のためには他の多様な思考との日常的なやり取りが不可欠です。18世紀ヨーロッパにおいては、カフェやサロンがその役割を果たしました。同様に、大学院という組織の最も大きな現代的意義は、隣接分野はもとより、時には大きく異なる分野の研究者同士が触れ合う機会を保証している点にあります。
立教大学は、学部研究科ごとにキャンパスが分かれることなく、2つのキャンパスにさまざまな研究分野が同居しています。その点で、立教大学の大学院はリベラルアーツを基礎とする総合大学の大学院として、恵まれた研究環境を作り出していると思います。

皆さん。自分の研究によって世界を根底から揺さぶるという気概と勇気を持って、大胆に研究を進めてください。
健闘を祈ります。
入学おめでとうございます。

2011年度

卒業生の皆さんへ(2011年度卒業式[学部])
2012年3月24日
立教大学総長 吉岡 知哉

この春、立教大学は総計4,306名に学士号を授与し、卒業生として送り出します。
卒業生の皆さん、おめでとうございます。

大学は、毎年3月に卒業生を送り出し、4月に新入生を受け入れることによって、1年ごとにその構成員の4分の1を入れ替え、自らを更新していく組織です。卒業式と入学式は、学生の一人ひとりにとって人生の節目であるだけではなく、大学という組織にとっても自らの原点を確認する大切な機会なのです。
しかし昨年は東日本大震災が起こったために、皆さんの1年上の3,895人の先輩たちは春の卒業式を経験することなく大学を卒業することになりました。今年、例年通りの卒業式を行うことができること自体に、私たちは安堵の気持ちと感謝の念を抱くとともに、「いつも通りの日常」というものが生きていく上でいかに大切であるかを実感しています。
しかし言うまでもなく、被災地では地震と津波、行方不明者を含め2万近い方々が犠牲となり、さらに原発事故によって日常生活そのものが破壊されました。現在でもたくさんの人々が、それまで住み慣れた土地を追われて、ディアスポラ(離散して他所に住むこと)とも言うべき生活を送っています。あらためて、亡くなられた方々とそのご遺族に心から哀悼の意を表し、被災された方々、今なお避難生活を強いられている多くの方々に心からお見舞いを申し上げます。

「3月11日の出来事」が引き起こした巨大な悲惨は現在も続いています。この悲惨から私たちは目を背けてはなりません。
けれども1年経った現在、忘却への欲望、さらに言えば大震災とそれに続く原発事故という一連の出来事を、いわばリセットし、なかったことにしようとする力がこの国を覆い始めているように思われます。確かに誰もが「東日本大震災を忘れない」と口を揃えて言います。けれども、今やこの言葉は「3月11日の出来事」を3月11日という一時点に限定するものとして機能し始めているのではないか。私たちは、「3月11日の出来事」を次に地震や津波が起きたときのための「教訓」へとまとめあげ、「危機管理マニュアル」の一項目に落とし込もうとしているのではないでしょうか。
しかし言うまでもなく、「3月11日の出来事」はその規模において過去の自然災害を遥かに凌ぐものであり、1年経った今でも復興への目処が立っていません。しかも、それは地震と津波だけでなく原子力発電所の事故による放射能災害を伴う複合的災害であり、文字通り現在進行形の危機です。
また、拡散した放射性物質は自然界には存在しない物質、われわれ人類の科学技術によって生み出されたものであって、これから何十年も、物質によっては何万年も自然環境の中に留まるものであることを忘れることはできません。3月11日は決して過去ではなく、現在そのものなのです。

もうひとつ、より深刻な問題があります。
それは、「3月11日の出来事」によって私たちに突きつけられたものが、決して私たちの想像力が及ばないものでも思考能力を超えるものでもなかったということです。私たちは見えているものを見ないようにしてきた。聞くべき声を聞こえぬかのように過ごしてきた。知っているのに素知らぬ振りをしてきたのです。「3月11日の出来事」がたいへんな犠牲を伴って白日のもとに曝け出したのは、そのような私たちのあり方にほかなりません。そうであるならば、私たちが忘れてはならないのは、記憶し考え続けなければならないのは、3月11日その日のことだけではなく、それ以上に3月11日以前と以後の、私たちの「日常生活」であると言わなければならないのです。

私たちはいかに生きるべきか。
このあまりにも根本的な問いから私たちはあらためて出発する必要があります。
アリストテレスは、人間のあらゆる行為は「善きこと」を目的としているが、その善きことの中の最上位にある「最高善」とは「幸福」に他ならないと言います。幸福はすべての行為の究極の目的であって、ほかの何かの手段にはならないものだからです。そして、幸福であるために大切なのは、魂に関する善きものによって「善く生きること」であるとアリストテレスは考えます。アリストテレスが生きた社会はもちろん現代の私たちの社会とは著しく異なっていますが、その議論は現在でも生きることの目的と価値について考えるときの示唆に富んでいます。
私たちはこれから社会や文明、学問や科学技術の在り方を考えるときに、それが人間の幸福を目的とするものであるか、それが「善く生きること」と結びついているかを繰り返し問い直す必要があるのではないでしょうか。

卒業生の皆さん。
皆さんは学生生活の最後の年を迎える直前に大震災に遭遇しました。それは皆さんが、ただでさえ悪化を続ける就職状況の中で必死に就職活動を行っている時期でした。また、ゼミやサークル、部活動においても、最高学年として下級生を指導し全体をまとめていく立場になったばかりでもあったでしょう。震災直後はもちろん、この1年間の不安と苦労はいかばかりであったかと推察します。
しかし、刻々と変化する状況の中で、困難な現実に正面から向き合った経験は、今は十分自覚されていなくても、これからの人生でかけがえのないものとして自信の源となるにちがいありません。  
アリストテレスは、「まっとうな分別」の大切さを強調しますが、この1年の危機は、幾多の反面教師をも含め、「まっとうな分別」を学び、状況判断と責任という社会生活でもっとも重要な能力を磨く、格好の機会になりました。立教大学が創立以来教育の柱としてきたリベラルアーツは、まさに「まっとうな分別」を身につけるための教育体系に他なりません。このリベラルアーツ教育の背景となる本学の建学の精神は、人間の傲慢を戒め、個々の存在のかけがえのなさの自覚と、他者に働きかける意志の大切さを教えています。この精神が、単に大学教育だけでなく、人間の生き方、世界のあり方に深く関わるものであることは言うまでもありません。
「震災後」の新しい世界を築いていくときには、権限と情報の集中に基づくトップダウンという20世紀的な組織論では不十分です。これから求められるのは、異質性、多様性を前提とした、自立と恊働の体系による柔軟なネットワークであり、それを生み出し動かして行くことのできる創造的なリーダーシップです。立教大学における様々な学びの中で育んだ知恵と力は、近い将来、皆さんが社会の中で責任ある指導的役割を演じることになったとき、きっと役に立つに違いありません。

卒業生の皆さん。
皆さんは、決して容易ではない「21世紀の航海」に船出することになりました。しかし、航海のための羅針盤は既にこれまでの学生生活で身につけています。
良い航海を祈っています。
立教大学はいつでも帰ってくることのできる母港であり、新しい仲間と立ち寄る寄港地でもあることを忘れないでください。

卒業おめでとうございます。
卒業生の皆さんへ(2011年度大学院学位授与式)
2012年3月24日
立教大学総長 吉岡 知哉

立教大学はこの春、375名に修士号、16名に博士号、55名に法務博士号を授与いたします。
学位を取得された皆さん、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

昨年3月11日に発生した東日本大震災から、1年と2週間が経とうとしています。東日本大震災は、巨大地震と津波、それに続く原発事故によって、人類がこれまで経験したことのない複合的な災害になってしまいました。
地震と津波による広範囲の災害によって、行方不明者も含め2万人近くの人々が犠牲になりました。さらに、福島第一原子力発電所の爆発事故によって、生きていくための基本的な要素が汚染されました。津波によって破壊された地域の人々だけでなく、高濃度の放射能によって汚染された地区の住民もまた、あたかもディアスポラ(離散して他所に住むこと)のように、住み慣れた土地を追われることになったのです。また、拡散した放射性物質のために、復興自体が阻害されていることもご存知の通りです。
大震災によって、多くの人々が、生活の基盤を崩され、日常そのものを喪失しました。現在でも避難を強いられている人々が30万人以上いると言われます。

東日本大震災が崩したのは、日常世界の物質的基盤だけではありません。深刻なのは、水や食料から社会制度まで、日常世界を構成しているさまざまな要素に対する「信用」が失われてしまったことです。
今回の事故では、原子力発電所の安全性の神話が崩れただけでなく、原子力工学や放射線医学など、現代科学の最先端領域の「専門家」たちの事故後の発言が事態の混乱を深めるばかりであったのは、記憶に新しいところです。また、私たちは、既存の政治機構が機能不全を起こし、政治家の言動やマスメディアの報道が、事態をますます悪化させているのを目の当たりにしています。

高度な研究を行っている専門家や、著名な大学の出身者である政治家への不信が広がる中で、大学という研究・教育機関への信頼が失墜していったのは不思議ではありません。いま私たちは、大学の存在根拠自体が問われていることに自覚的であらねばならないのです。

では、大学の存在根拠とはなにか。
一言で言えばそれは、「考えること」ではないかと思います。
大学とは考えるところである。もう少し丁寧に言うと、人間社会が大学の存在を認めてきたのは、大学が物事を徹底的に考えるところであるからだと思うのです。だからこそ、大学での学びについて、単なる知識の獲得ではなく、考え方、思考法を身につけることが大切だ、と言われ続けてきたのでしょう。

現実の社会は、歴史や伝統、あるいはそのときどきの必要や利益によって組み立てられています。日常を生きていく時に、日常世界の諸要素や社会の構造について、各自が深く考えることはありません。考えなくても十分生きていくことができるからです。あるいは、日常性というものをその根拠にまで立ち戻って考えてしまうと、日常が日常ではなくなってしまうからだ、と言ったほうがよいかもしれません。
しかし、マックス・ウェーバーが指摘したように、社会的な諸制度は次第に硬直化し自己目的化していきます。人間社会が健全に機能し存続するためには、既存の価値や疑われることのない諸前提を根本から考え直し、社会を再度価値づけし直す機会を持つ必要があります。

大学は、そのために人間社会が自らの中に埋め込んだ、自らとは異質な制度だと言うことができるのではないでしょうか。大学はあらゆる前提を疑い、知力の及ぶ限り考える、ということにおいて、人間社会からその存在を認知されてきたのです。
既存の価値や思考方法自体を疑い、それを変え、時には壊していくことが「考える」ということであるならば、考えるためには既存の価値や思考方法に拘束されていてはならない。つまり、大学が自由であり得たのは、「考える」という営みのためには自由がなければならないことをだれもが認めていたからに他ならない。大学の自由とは「考える自由」のことなのです。
言葉を換えると、大学は社会から「考える」という人間の営みを「信託」されているということになると思います。

ところが、東日本大震災とその後の原発事故は、大学がそのような「考える」という本来の役割を果たしていないし、これまでも果たしてこなかったことを白日のもとに明らかにしてしまった。少なくとも多くの人々の目にそのように見えたのに違いありません。大学への信頼が崩れたのはそのためではないでしょうか。

しかしさらに考えてみると、大学への不信はもっと以前から存在していたのではないかと思われます。ある時期から、もはや大学には「考える」という役割が期待されなくなったのではないか。
社会が大学に求めるものが、「考える」ことよりもすぐに役立つスキルや技術に特化してきたことはそれを示しているのではないでしょうか。大学について語る場合の語彙も、「人材」、「質保証」、「PDCAサイクル」など、もっぱら社会工学的な概念に変わってきています。
近年、大学の危機が論じられることが多くなりましたが、その際問題になるのは、「グローバル化」と「ユニバーサル化」です。しかし、人間社会が大学に、考える場所であることを期待しなくなっているのであれば、そのことのほうがずっと深刻な危機ではないでしょうか。

また、このような変化の背景に、そもそも「考える」ことの社会的意味を否定するような気分が醸成されてはいないか、という点にも注意しなければなりません。反知性主義が力を得るための条件は東日本大震災以後いっそう強まってきていると思われるからです。

立教大学は創設以来リベラルアーツを重視してきました。リベラルアーツはここで述べてきた意味での「考える」技法を習得するための訓練体系です。
そのような伝統をもつ立教大学の大学院で学んだ皆さんは、「徹底的に考える」経験を積み重ねた結果、本日の学位授与式に臨んでいるのです。

さて、これまで述べてきたことからもお分かりのように、「考える」という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的な行為です。
皆さんの中には、これから社会に出ていく人も、大学院生として後期課程に進む人も、また、大学や研究所で研究者としての歩みを続ける人もおられることでしょう。社会人として働きながら本学に通い、これから次のステージを目指している人もたくさんいるに違いありません。
皆さんがどのような途に進まれるにしても、ひとつ確実なことがあります。
それは皆さんが、「徹底的に考える」という営為において、自分が社会的な「異物」であることを選び取った存在だということです。

どうか、「徹底的に考える」という営みをこれからも続けてください。そして、同時代との齟齬を大切にしてください。

おめでとうございます。
考え続けること、覚えておくこと — 1年目の3.11のために —
立教大学総長 吉岡知哉

東日本大震災と原発災害から1年が経ちました。犠牲となられた方々の魂の平安を祈るとともに、今なお避難生活を強いられている方々に心よりのお見舞いを申し上げます。

2011年3月11日、私たちが生きている日常世界の基礎が文字通り音を立てて崩れました。多くの生命が失われ、水と大地と大気という、私たちが生きていくためのもっとも基本的な諸要素が破壊され汚染されてしまいました。日々の生活を支えていた経済や、社会を運営する政治の仕組みも至る所で綻びを露呈しています。

起きてしまったことの重大性はいうまでもありませんが、私たちがいまはっきりと認めなければならないことは、3月11日が曝け出した事柄が、それまで想像できなかったことでも、考えが及ばないことでもなかったということです。ほんの少し考えればわかることを私たちは考えようとしなかった。目の前にある問題を見ようとせず、知っている事柄を素知らぬ顔で見過ごしてきたのです。このことの深い反省を抜きにして、私たちは一歩も前に進むことはできません。

大学が大学として歴史的に存在し続けてこられたのは、そこが「考える」場所であるからに他なりません。ものごとをどこまで考えることができるか。その徹底性において大学は人間社会のなかに独自の位置を与えられてきたのです。大学の自由とは、何の制限もなく徹底的に考える自由のことです。大学での学習の目的が単なる知識の獲得ではなく、いかに考えるかという技法の習得にあるとされるのもそのためです。3月11日以降、大学の信用が揺らいだと言われるのは、大学が「考える」という最も基本的な働きを怠ったからに違いありません。

大学はまた記憶の集積の場でもあります。時代が求める効率性の中で放棄される記憶が大学の中では繰り返し呼び起こされ更新されていく。そのような運動が学問と呼ばれるのです。この国ではいま、あの日起こった出来事をあたかもなかったかのようにやり過ごそうとする雰囲気があたりを覆い始めています。その中にあって大学は、起きた出来事を人間の歴史として定着させる役割を負っていると言わなければなりません。

震災以後、私たちはこれまで人類が経験したことのない世界に足を踏み入れることになりました。この困難な状況の中で大学はいかにあるべきか。この問いに答えることは容易ではありませんが、それを真摯に問い続けることなくして、大学が自らの存在意義を見いだしえないことは確かです。立教大学は、大学としての使命を、持続的かつ徹底的に追求していきたいと考えています。
新校友を励ます会(2011年10月23日) 奨励の辞
2011年10月23日
立教大学総長 吉岡 知哉

皆さん、こんにちは。
4月からの新しい生活はいかがでしょうか。

この春、卒業式は3月24日、25日に予定されていましたが、震災直後の混乱の中で中止せざるを得ませんでした。インターネットでメッセージの映像配信を行いましたが、皆さんを送り出す式典を行うことができなかったことを、私たちは今でもとても残念に思っています。本日、このような形で皆さんに直接話をする機会を得たことを、大変うれしく思っています。

3月11日の東日本大震災から7ヶ月あまり、4月からの新学期を、ひと月遅らせて開始した立教大学も、夏休みを経て、現在は平常通り、後期の授業を展開しています。

東日本大震災と原発事故、そしてその後の社会の状況は、私たちに、自然と文明の関係、科学技術や情報革命の進歩の意味、政治社会のあり方など、根源的な問題を突きつけました。しかし、実はそれらの問題の多くは、以前から指摘され続けてきたものであり、3.11によって生じたというよりも、既にあったものがあらわになったと言うべきなのです。

このような諸問題に、知性の府である大学がこれまで十分に対応できていなかったことは明らかです。また、3.11以後の多くの学者や専門家、あるいは著名大学出身の政治家たちの言動は、日本の高等教育に対する信頼を深く傷つけました。これまでも述べてきたことですが、このような事態を、私は大学人として、深刻に受け止めなければならないと考えています。

私たちが現在生きている社会は、「3.11以後」であるのと同時に、「9.11以後」、あるいは「リーマンショック以後」でもあります。現在直面している、情報テクノロジーの高度化やグローバリゼーションの進展といった「21世紀的問題」に対して、私たちは、その変化の速度に対応し得るだけの能力と同時に、知識や技術が「人類の現在と未来」に対して持つ意味について、問いを発する力を持たなければなりません。それは、研究者の倫理であると同時に、市民一人ひとりが身につけるべき叡智です。

震災直後からの状況は、さまざまな情報や意見が錯綜する中で、自分で考え判断することの大切さを浮き彫りにしました。近年、特にその重要性が指摘される「教養」あるいは「リベラルアーツ」は、そのための基礎をなす知の体系に他なりません。

立教大学は、創立当初から、この意味での「リベラルアーツ」を大切にしてきました。もちろん、「リベラルアーツ」の内容は時代とともに変わります。現代の「リベラルアーツ」は、専門的な知識と切り離しては存在し得ません。立教大学では「専門性にたつ教養人」という言い方をしていますが、卒業生の皆さんがそれぞれの出身学部で学んだ知識は、教養を支える中心部分を形作っています。皆さん自身がどれだけ自覚されているかはわかりませんが、立教大学で学んだことで、皆さんは現代社会を生きていくための基本的な能力は既に十分身につけているのです。

新しい社会生活を始めて半年。皆さんは今、その新しさに慣れることで懸命だろうと思います。経験したことのない環境の中で、学生時代とは質においても量においても異なるさまざまな知識を、身につける努力をされているに違いありません。そんな今の皆さんにとって、「リベラルアーツ」とか「教養」とかは、あまりピンと来ないでしょうし、それは当然のことだと思います。けれども、立教大学での学生生活の間に、「リベラルアーツ」の思想は、皆さんの思考方法や振る舞い方の中に、深く刻まれていることは間違いありません。

私は初めに、今日このような形でこの3月に卒業された皆さんにお会いできたことの喜びを述べました。しかし同時に、気持ちのどこかで、既に立教大学を後にして、自分の道を歩み始めている皆さんに、いわば背中から声をかけることに対するためらいがあることも事実です。立教大学のことはさらりと忘れてしまっていい。少なくとも今は、自分の現在に集中してほしい。そのようにも思うのです。

それでも皆さんは、いつか何かの時に、自分が立教で身につけた、かけがえのないものを、発見することになるでしょう。そんな時、肩越しに後ろを振り返ってみてください。

皆さんの活躍に心から期待しています。どうぞ凛と胸を張って、自らの歩みを進めてください。
卒業生の皆さんへ(2011年度大学院学位授与式・特別卒業式[9月])
2011年9月26日
立教大学総長 吉岡 知哉

立教大学は、本日、9名に博士、1名に法務博士、2名に修士、そして126名に学士の学位を授与いたしました。新しく博士、法務博士、修士、学士となられた皆さん。皆さんを祝福するために、ここに集っている人々を代表して、お祝いを申し上げます。 おめでとうございます。

今日は、3月11日の大震災発生から199日目に当たります。半年と半月の日々、私たちはこれまで経験したことのない時間を過ごしてきました。

東日本大震災では、多くの人命が失われ、大地と水と空気が、今も放射能に汚染され続けています。この出来事は、私たちの生きる世界の基礎に、大きな亀裂を生じさせました。私たちは今あらためて、自然と人間との関係、文明の意味、科学技術のあり方、そして政治社会の仕組みについて、考えることを迫られています。

大学という組織が誕生したのは11世紀から12世紀にかけてのヨーロッパでした。それからおよそ1000年近くの間、大学は研究と教育の中心的機関として、文明の中で育ち、文明を築いてきました。とりわけ、近代以降の社会の発展、科学技術の進歩は、大学という組織なくしてはあり得なかったでしょう。

その意味でも、東日本大震災があらわにした問題は、現代世界の形成に深く関わってきた大学の根源に関わるものであると言わなければなりません。人間が作り出した問題は人間によってしか解決することはできません。

大学は、これらの諸問題に正面から向かい合い、歴史的に培ってきた叡智を注いで、よりよい未来を切り開く使命を負っているのです。

もとより、大学は、その時代ごとの、短期的な社会的要請に対応してばかりきたわけではありません。むしろ、大学は、大学外の社会とは異なる原理に立つ組織として、近代社会や科学技術の問題を批判的に検討する場でもあったことはご存知のとおりです。けれども学問・研究の進展に伴う専門化、先端化が、常に閉鎖性のリスクを伴い、そのことが閉塞状況を生み出す可能性を持つことも事実です。

「原子力ムラ」という言葉はその端的な表現と言えるでしょう。

「リベラルアーツ教育」を伝統としてきた立教大学は、一貫して専門的な知の閉鎖化という問題点に自覚的でした。その点は、学部教育における「全学共通カリキュラム」の理念によく示されています。

もちろん、高度に分化し、専門化した現在の知的状況にあって、個々の人間が自分の専門領域以外の知識を身に付けることは困難になってきています。

しかし、多様な専門領域が共存していることで、さまざまな知識が偶然に出会い、それによって刺激と運動が生まれる。大学とはまさにそのような場でなければなりません。立教大学はその意味で、大学らしい大学であり得てきたのです。

また、立教大学の建学の精神は、絶対的なるもの、不可知なものに対する畏怖の念と謙虚な心の大切さを教えています。謙虚さは、一人一人の人間、一つ一つのことがらを、掛け替えのない物として捉えるという姿勢とともに、今最も重要な態度です。

始めに述べたように、私たちは現在もなお、極めて困難な状況下にあると言わなければなりません。不信感と無力感が拡大し、ペシミズムが蔓延していくことを私は憂慮しています。人間の知識や技術、さらには人間存在そのものの意味について、私たちは何を手掛かりとしたらよいのでしょうか。困難な状況にあって有効な一つの方法は、シンプルな問いを立ててみることです。例えば、「私たちは何のために生きているのか」という問いがそれです。

アリストテレスは、人間にとっての最高の善、すなわち、他の何かのためではなく、それ自体が目的であるような最上位の目的は「幸福」であるとし、それについてはほとんどの人が同意する、と述べています。確かに私たちは誰もが「幸福」を求めており、金銭や名誉も、幸福が得られないのであれば意味がないと考えていると言えるでしょう。

いまここで、「幸福」という概念について立ち入った考察を行うつもりはありませんし、アリストテレス主義を主張しようとしているわけでもありません。けれども、多くの人が生きる目的として考える「幸福」を、知識や技術、制度を考える場合の基準として、とりあえず立ててみることには意味があるように思います。すなわち、「その知識、技術、制度は幸福のためになるか」、という問いをたてるということです。

この場合、重要であると思われるのは、幸福というものが個人的なものではないこと、別の言い方をすれば、だれか他の人が不幸であった場合には自分が幸福であると考えにくいということ、幸福は他者の幸福と不可分であるということです。確かに私たちは「幸福を手に入れる」という言い方をします。しかし、幸福はゼロサムゲームの対象にはなりえないし、そもそもなにか実体的な物でもないのです。

幸福が個体の所有物ではなく、他者との共同性を含んでいること。それが、「幸福」という概念が、現在の諸問題を考える手掛かりを与えてくれる理由なのです。

立教大学を卒業していく皆さん。立教大学で学位を授与された皆さん。立教大学で学んだ皆さんには、未来を切り開いていく基礎的な力が既に備わっています。このことを十分に自覚してください。

世界から希望を託されていることを忘れず、皆さんが自信と誇りをもって、人間と社会の「幸福のために」力を尽くすことを、私たちは望んでいます。


卒業おめでとうございます。
新入生の皆さんへ(2011年度)
立教大学総長 吉岡 知哉
2011年4月

新入生の皆さん
入学おめでとうございます。

立教大学はこの春、4,617名の学部生と、535名の大学院生を迎え入れました。新しく立教大学の一員となられた皆さんを、私たちは心から歓迎いたします。

毎年4月に、大学は新入生を迎え入れます。学生にとって一生に一度の入学式は、大学という共同体にとっては、年に一度、「始まり」の時を意識し、自分たちの原点を確認する、「再生」の儀式です。この季節は、それゆえに、春という名にふさわしい、軽い興奮を伴ったものとして私には感じられます。
けれども2011年の春を、私たちは、いつもと同じようには迎えることができませんでした。3月11日に発生した東日本大震災と津波、それに伴う福島第一原発事故の深刻化という事態のなかで、立教大学は卒業式と入学式を中止し、新年度の授業開始自体を、ひと月遅らせざるを得なかったのです。
この決定を下すにあたっては、強い余震の多発、計画停電と交通機関の混乱、原発事故の推移等を総合的に判断しました。その際には、学生の安全を第一に考えて、一カ所に多数の人間が同時に集まる事態を避け、電力や燃料、生活必需品が不足している被災地と被災者の方々への負荷をできるだけ軽減するよう配慮しました。
しかし、新しい年度の初めに、新入生の皆さんに直接お話しする機会をもてなかったことを、私は心から残念に思っています。

今回の東日本大震災は、巨大な自然災害であるだけでなく、人間と自然の関係、文明社会と科学技術のあり方を根底から揺るがす出来事です。私たちの社会は、一瞬にして一万数千人の同朋を失い、今なお十数万人の方が、過酷な避難生活を余儀なくされています。現在も終息の展望が見えない原発事故は、人類の文明が生み出した最先端の科学技術が、人間の統御能力を超えるさまを、私たちの眼前に示しています。
大学は、文明社会の発展に大きな役割を果たしてきました。とりわけ19世紀以降の科学技術の進歩は、大学という研究・教育機関の存在なしには成り立たなかったでしょう。
その意味で、今回の大震災と原発事故は、大学にとっても、自らの存在意義にかかわる大きな出来事でした。私自身、研究教育に携わる大学人として、この状況に真摯に向き合わなければならないと考えています。

皆さんが入学された立教大学は、137年前、1874年に、アメリカ聖公会の宣教師であるチャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が、東京の築地に作った、「立教学校」という小さな私塾をその起源としています。当初わずか数人で始められた立教学校では、聖書と英学の勉強がなされたといわれています。

東京六大学を初め、現在まで続くいくつもの大学が、やはり同じ時期にその礎を築いています。この時期は、明治維新を経て、日本が近代国家への歩みを始めた時期にあたります。国家運営のための官僚と、殖産興業を担う技術者の育成を目的として設立された、東京帝国大学はもちろん、福沢諭吉の慶應義塾、大隈重信の東京専門学校、明治法律学校、法政大学の元となる東京法学社、中央大学の前身である英吉利法律学校など、多くの学校が、実学と立身出世を掲げ、近代国家と産業社会の担い手の育成を目指したのです。
その中で、立教大学は、創設のときから、ヨーロッパの伝統に根差すリベラルアーツを中心とする人間教育に力を入れてきました。近代的大学の枠組みに沿ったこれらの大学と並べてみると、立教大学は、やや異質な存在なのです。
近代的な知の体系、近代社会の仕組みの限界は、久しい昔からさまざまに指摘されてきました。グローバル化が進み、インターネットが世界の情報を一瞬に結びつける現代にあって、これまでの思考の枠組みが現実に追いつかなくなっていることは明らかです。近年、「教養」の重要性が強調されるようになっているのも、このような時代状況を反映していると言うことができますが、近代の大学の中にあって、立教大学が教養教育の伝統を保ち続けてきたことを、立教生として知っておいていただきたいと思います。

新入生の皆さん。
皆さんはこの困難な時期に、このような伝統を持つ立教大学に入学されました。立教大学の一員となった皆さんに、私は、ぜひ真剣に勉強してほしいと願っています。
では、勉強する、学ぶとはどういうことでしょうか。
もちろん、これまで知らなかった新しい知識を身につけることが重要であることは言うまでもありません。これから皆さんが大学で学ぶさまざまな知識は、高校までに学んできたことと比べると、確かにずっと高度なものであると言うことができるでしょう。
しかし、大学で学ぶことの意義は、高度で新しい知識の獲得に尽きるものではありません。学ぶ過程で知識の獲得は絶対に必要ですが、知識を獲得したからといって、学んだことにはならないのです。
これまでの学校生活で、面白かった授業、わくわくした授業を思い出してみてください。その時私たちは、授業に取り込まれてしまい、いわば我を忘れるという感覚を持ったのではないでしょうか。
「学ぶ」という言葉は、「真似(まね)ぶ」、まねをするという言葉と同じ語源をもっていると言われます。まねをすることで、「私は、私ではない私」になります。つまり私たちは、学ぶときに、現に今ある私の外に出て、他者のまなざしを持つことになるのです。
あるいはこのように述べた方が正確かもしれません。あらかじめ確固とした私が先にあるのではなくて、私は学ぶことによって、他者のまなざしを持ち、そのまなざしを通じて、私を発見するのです。
学ぶこと、勉強することとは、私が私ではない他者になること、私のなかに他者を育てることです。私の中に他者がいることによって、私は、私以外の人々の、喜びや哀しみに共感することができるようになるのです。

読書が大切だと言われるのも、同じ理由からだと言うことができるでしょう。読まれなければ、書物はただ紙のうえにインクの点と線が書かれているだけのものです。私たちは、文字から文字、ことばからことばへと辿りながら、書物の世界に足を踏み入れていきます。わくわくする授業と同じく、素晴らしい書物を読んでいるとき、私たちは読んでいる自分と書物の世界との区別を忘れてしまいます。読書を通じて、私は私から抜け出してもう一つの世界を経験し、それによって、私の中の他者を育てるのです。

自分の中に他者を持つこと。他者のまなざしで自分を見ること。複数のまなざしで世界を見ること。これらのことができることこそが、「教養」という名で呼ばれるものです。「教養」とは、知識の集積を超えて、他者に深く共感する力なのです。
同時に、このように考えてくると、「学ぶ」という営みは、授業や読書に限られないことがわかります。スポーツであれ音楽であれ、我を忘れるほど何かに熱中することで、私たちは多くのことを学ぶことができるでしょう。

リベラルアーツの伝統をはぐくんできた立教大学は、「学び」のための多様な機会を作り出してきました。立教大学で真剣に学ぶことで、皆さんはこれからの人生を生きていく確かな「自信と誇り」を身につけるに違いありません。

新入生の皆さん。
これからの学生生活を存分に楽しんでください。
改めてお祝いを申し上げます。

入学おめでとうございます。
「自由の学府」へようこそ。

2010年度

卒業生の皆さんへ(2010年度立教大学卒業生・修了生を送る式)
2011年3月23日
立教大学総長 吉岡 知哉

卒業生の皆さん
ご卒業おめでとうございます。

この春、立教大学は、3,905名に学士、362名に修士、19名に博士、52名に法務博士の学位記、140名にセカンドステージ修了証書を授与いたします。
皆さんの出立を心からお祝いいたします。

今年度の卒業式、学位授与式は、3月24日、25日にタッカーホールで行われる予定でした。
しかし、3月11日に発生した東日本大震災と津波は甚大な被害をもたらし、東京都内においても、電力不足による停電とそれに伴う交通機関の混乱が生じています。余震もいまだ続いており、東京電力福島第一原子力発電所の事故は現在もなお予断を許さない状態です。

2010年度立教大学卒業生・修了生を送る式

このような状況のもとで、危険を回避するとともに、現在被害に 苦しんでいる被災地への負荷を最小限にするためには、多数の人間が一カ所に集うのを、できる限り避けることが必要であると考え、私たちは式典の挙行を断念しました。

言うまでもなく、卒業式は、学生生活を締めくくる大切な式典で あり、今回の決断は、私たち教職員にとっても苦渋に満ちたものです。 本日、卒業生が一同に会する例年の卒業式に代えて、「卒業生・修了生を送る式」を行うことにいたしました。
どうかご理解ください。

多くの人々の生命と生活とを奪った今回の大震災は、巨大な自然災害であると同時に、文字通り人間社会の根本を揺るがすものでした。  
昨年4月1日の総長就任式において、私は、人類が現在、20世紀とは大きく異なる環境に置かれていると述べ、現代の諸問題の特徴は、それらが人間と人間社会のあり方に深く関係しており、市民の日常生活にも密接に関わっている点にあると申しました。
しかし、その時点においてはもちろんのこと、ほんの2週間前でさえ、私は、私たちが現在のような状態に置かれることになろうとは、まったく想像していませんでした。

大学という組織は、900年以上前のその成立の時以来、文明の発展に大きな役割を果たしてきました。とりわけ19世紀以降の近代社会の急速な発展は、大学における研究と教育抜きには考えることができません。
私たちが生きているこの現代世界の形成に深く関与してきた大学は、現代の諸問題に真摯に向き合い、培ってきた叡智を注いで、よりよい未来を築く責務を負っているのです。立教大学を代表するものとして、この使命を、深く心に刻みたいと思います。

皆さんの旅立ちは、予想を超えた困難の中で行われることになりました。しかし、忘れないでください。皆さんたち青年の存在自体が、人間社会の未来への希望を生み出しているのです。世界が皆さんに希望を託していることに、どうか自覚的であってください。

もちろんこれから新しい一歩を踏み出す卒業生の皆さんの気持ちの中には、少なからぬ不安があるに違いありません。まして、皆さんが出て行こうとする社会は、大震災からわずか一月も経っておらず、人類が今まで経験したことのない問題をかかえているのです。不安があるのは当然だと言わなければなりません。

なによりも大切なことは、不安をもつことそれ自体を不安に思ってはならない、恐れを感じることそれ自体を恐れてはならない、ということです。
不安を持つことそれ自体に不安を覚えると、人は誰かに頼ったり、何かに依存しようとします。
あるいは、恐れを感じている自分を否定し、恐れなど感じることのない「本当の自分」を探そうという、「自分探し」の迷路に踏み込むことになります。

必要なことは、不安や恐れの原因を見定める冷静な目をもつことです。そのためにはまず、不安や恐れを抱いている自分を素直に受 け入れなければなりません。
同時に、そのことを通じて、私たちは、ほかの人たちの不安や恐れを我が身のこととして受け止めることができるのだと思います。

立教大学で学んだ皆さんは、既に、社会に向けて最初の一歩を歩みだすのに十分な基礎力を身につけています。
この2週間の危機は、改めて、柔軟な知性がいかに重要であるかを私たちに教えています。
立教大学が創立当初から育んできたリベラルアーツ教育とは、まさに、この柔軟な知性を育てる教育にほかなりません。 大学のなかで学んでいるときには必ずしも自覚していなくても、リベラルアーツの伝統は、皆さんの思考法、ふるまいかたのなかに刷り込まれています。
皆さんが、立教大学での学びを基礎に、これからも自らの知性 を鍛え続けていくことを期待しています。

2011年3月、通常の卒業式が行われなかったことは、私たちの記憶と立教大学の歴史に、はっきりと刻まれることになるでしょう。

改めて申し上げます。
皆さんの一人ひとりが、世界の希望です。
そのことを忘れず、「自由の学府」で身につけた自信と誇りをもって、社会のために力を尽くしてください。

ご卒業、おめでとうございます。

(2011年3月23日 卒業生・修了生を送る式より)


※「卒業生・修了生を送る式」の模様を動画配信しています。詳細はこちらをご覧ください。(公開終了)
卒業生の皆さんへ(2010年度大学院学位授与式・特別卒業式[9月])
2010年9月27日
立教大学総長 吉岡 知哉

本日、立教大学は7名の博士、10名の修士、そして144名の学士を世に送り出します。新しい博士の皆さん、修士の皆さん、学部を卒業される皆さん、おめでとうございます。

私たちが皆さんを祝福するために集っているこの場所は、美しい立教大学のキャンパスの中でも美しい場所です。いまこの場を支配している心地よい緊張は、この場所がいわば「絶対的な始まり」の場所であることによるものだと思われます。この神聖な場所で歩み始める新しい第一歩の緊張を、どうか深く心に刻んでいただきたいと思います。

さて、およそ千年前、ヨーロッパで大学が作られ始めました。最古の大学と言われるボローニャ大学が設立されたのが1088年です。大学は英語でuniversityと言いますが、もとのラテン語はuniversitas、同業者組合と同じく人的な組合組織を意味しています。多くの大学は学生団と教授団という組合同士が契約を結んで学問教育を行うという形をとっていました。

この時期はちょうど中世都市が形成される時期であり、大学の自治と自由は都市の自治・自由と結びついていたと言うことができます。ヨーロッパの各地から集まってきた学生・教員の共通語として、ラテン語が使用されたということはご存知の通りです。

大学での学科の基礎となるのが、神の言葉を解読し、自然と宇宙の調和を理解するための「自由七科」、リベラルアーツであり、これを修得した者が神学部、医学部、法学部の専門3学部に進学しました。このような大学は、時代とともに少しずつ姿を変えつつも近代の初めまで続くことになります。

中世から近世にかけて時代とともに緩やかに成長してきた大学が、大きな変容を遂げるのは19世紀です。それが近代国民国家の形成を背景としていることをここで改めて申し上げる必要はないでしょう。19世紀における国民国家形成とともに再編された大学は、高等教育機関として、近代科学技術の進歩と、国家の中核をなす人材育成を担うことになります。

19世紀に西ヨーロッパからの衝撃によって近代国家への歩みを始めた諸国は、この時点で新たに大学を創設しました。国家の経営を担う官僚を養成する法学部、近代科学特にその応用技術を開発する工学部が、その中心部分を形成することになります。日本の帝国大学がその典型的な例として挙げられるでしょう。同時に、市民社会の経済活動、企業活動を担うための人材を、商科大学や私立大学の商学部、法学部が育てることになりました。このような大学が、20世紀までの典型的な大学であったということができるでしょう。

しかし、国民国家と市民社会という構図に見合う形で成立し発展してきた近代の大学は、まさに国民国家体系の変容とともに、変化を迫られることになりました。

いまでは「グローバリゼーション」という言葉でひとくくりにされる、「人間、物資、資本、情報の国境を超えた移動」と「情報技術の急激な進歩」は、それまでの人間社会の枠組みを大きく変えるとともに、当然のことながら学問・研究のあり方、それに基づく高等教育の体系に変化を促してきました。

かつて大学はいささかの揶揄を含めて、「象牙の塔」などと呼ばれたりもしましたが、知識の集積とそれを基礎とした権威に基づく高い塔のイメージはもはや通用しなくなっています。港町のように、あるいは市場の立つ広場のように、種々多様な人々が移動し、結びつきながら組み上げていく、ネットワークの結節点となること。研究においても教育においても、大学の枠や国境を超えて、思いがけない出会いを組織していくこと。21世紀の大学に求められるのはそのような機能ではないでしょうか。

さて、これまでやや図式的に大学の歴史を描いてきました。これから大学から出立していこうとする皆さんを前に、大学の歴史の話をするのはいささか場違いである、という感覚を持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

私の意図は2つあります。
1つは、いま博士号、修士号を取得し、大学を卒業していこうとする皆さんが、まさにこの知の変化を大学生活の過程で生きてきたという事実について、自覚的であっていただきたいということです。もちろん、本日の博士号取得者7名のうち半数以上が留学生であるという事実をみれば、事態はあえて言うまでもないほど明らかではあります。

もう一つの意図は次のようなものです。
2番目にあげた近代的大学の類型に立教大学を当てはめようとすると違和感が生じます。試しに東京の六大学を考えてみましょう。大隈重信の早稲田大学、福沢諭吉の慶應義塾大学、東京法律学校を前身とする明治大学、東京法学社にはじまる法政大学、そして東京帝国大学。これら5大学はまさに第2類型の大学の典型として近代大学史の図柄に収まるものです。

これに対して、立教大学はどうでしょうか。 立教大学はその創成期からリベラルアーツを教育の中心においてきました。確かに1907年、立教大学が大学として発足したときの本科は文科と商科の2つでしたが、いわゆる商科大学としての道を歩んできたわけではありません。法学部が作られたのは1959年ですし、工学部は現在にいたるまでありません。その意味で立教大学は、近代的な第2類型の大学とは異なる要素を伝統として持っているのです。

第2類型の近代的大学が20世紀の文明の発展に大きな寄与をしてきたことは疑うべくもありません。しかし同時に、文明がその胎内から生み出した巨大な問題群に対して、第2類型の大学が責任の一端を負っていること、しかも現在、その深刻化、加速化に対して有効な対応をなし得ていないことも明らかです。新しい知性のあり方が模索されている現在、「教養」の重要性、「リベラルアーツの現代的再構成」の必要が強調されるようになっています。総合大学でありながらリベラルアーツ教育を重視してきた立教大学は、その伝統の中に第2類型の近代的な大学にはない、未来への可能性を育んできたのです。

今日ここに列席されている皆さんも、立教大学で過ごした年月のなかでこの「未来への可能性」を受け継いでいます。今直ちに自覚されてはいないとしても、この可能性はいつか必ず顕在化することでしょう。他の第2類型の近代的大学とは異なる伝統を持つ大学で学んだことに、ぜひ「自信と誇り」を持ちつづけてください。

あらためて申し上げます。
おめでとうございます。
新入生の皆さんへ(2010年度入学式[学部・大学院])
2010年4月5日
立教大学総長 吉岡知哉

新入生の皆さん入学おめでとうございます。
この春、立教大学は、約4600名の学部一年次生と、およそ570名の大学院学生を新入生として迎えます。私たちは皆さんを心から歓迎いたします。

さて、皆さんは、大学は、中学校や高等学校、あるいは一般社会とどこが違うとお考えでしょうか。この問いに対して、多くの人が、「大学は自由だ」と答えるのではないかと思います。

それでは、「自由」とは何でしょうか。これはたいへん難しい問題です。

私は、ヨーロッパにおける政治思想の歴史を研究しています。「自由とは何か」という問いは、まさに私の専門分野の中心的なテーマです。従って、「自由」という観念が、ヨーロッパでどのように考えられてきたのかについて、ある程度お話しすることができますが、では、「自由とは何か」、と正面から問われた場合に、満足のいく答えができるとは思えません。実際、「自由」について書かれた書物は、古代から現代に至るまで無数にあり、さまざまな議論が繰り広げられてきました。

「人間は自由なものとして生まれた、しかも至る所で鉄の鎖につながれている。」

これは、18世紀フランスの思想家、ジャン=ジャック・ルソーの有名な言葉です。皆さんはこの言葉をごく自然なものと受け取るのではないでしょうか。しかし、これは歴史的に見れば、かなり特殊な考えだと言わなければなりません。「自由とは何か」という点についても同様です。ルソーが、著書『社会契約論』の中で述べていることと、19世紀イギリスの思想家、ジョン=スチュアート・ミルが、その著書『自由論』で述べていることは、全く逆と言ってよいほど異なっています。

しかも、何よりも重要なのは、多くの人々の血が、「自由」を求める戦いの中で流されてきたということです。自由の問題は、単に観念的な哲学の問題ではなく、現実に起きた歴史の問題です。人類史は文字通り、自由をめぐる歴史であり、哲学・思想は、自由について2500年にわたって考察してきたと言うことができます。しかしながら、何か一つの正解が見いだされた訳ではありません。

そのような大きな問題をここで論じようとは思いませんが、これは誰もが考えるべき根本的な問いです。自由を享受できていない人は現在も地球上に数限りなく存在し、今この瞬間にも、自由のために戦っている人が多数いることを忘れることはできません。そして学生時代こそ、このような本質的な問題を正面から考えることのできる貴重な時間なのです。

 ここでは、「自由とは何か」という問いに対する、直接の答えではないけれども、今この瞬間に自由であるためには何をしなければならないのか、ということに深く関わる要素として、3つのことを挙げることにします。「自由とは何か」、という問いの答えがなんであれ、この3つの要素が失われれば、自由でなくなることは確かだと考えます。

誰かに従属していない、何ものかに依存していないということが、自由の基本条件であることに、まず異論はないと思います。そのためには、個人でも団体でも、自らを律することができなければなりません。直接誰かに支配されていて、その人の意志のままに動かなければならないというのではなくても、目先の利害やその時々の欲望にとらわれていては、それがたとえ自分自身の利害や欲望であっても、自由であるとは言えないでしょう。

あるいは一般に流布されている考え、社会的通念や世論、流行などを無批判に受け入れるのも、その瞬間には自由と感じられるにしても、果たして自由の名に値するものであるかは疑問です。
個人だけではなく、団体や組織にとっても同様です。団体や組織が、自ら立つという意味での自立性、独立性を維持し、外からの干渉を避けて自治を行なうためには、構成員一人一人がその一員としての自覚を持ち、自分たちが承認した規範を守る必要があります。自らを律することができなければ自治も独立もなりたたないのです。

自分の置かれている状況、課せられた課題に対して、何も働きかけをしないままでは、自由になることはもちろん、自由であり続けることもできません。自由であるためには、自らが自由であろうと、今、ここで努力しなければなりません。自分でよく見、考え、行動すること。自由は不断の働きかけによってしか確保されないのです。そのような自発的な活動こそが自由なのだと言い換えてもいいでしょう。このような自発性は、他の人の自発性を認めることと結びついていなければなりません。他の人を抑圧することによってしか、自分の自発性を発揮できないのであるとすれば、それはもはや自由ではなく、単なる支配への欲望であると言わなければなりません。

何か特定の考えを絶対とすることなく、さまざまな価値や方法が存在することを認めること、それが自由の条件のひとつです。他の人が自分とは異なる価値観を有していること、自分とは違う考え方をする人がいることを認めることができてはじめて、自分の価値観や考え方を他の人に受け入れてもらう可能性が生じます。大切なことは、ここで言う多様な価値観や考え方の中に、自由それ自体も含まれているということです。つまり、自由とは何か、いかにすれば自由でありうるのか、ということ自体についても、さまざまな考え方があり得ることを前提にしなければ、自由そのものが成り立たなくなる。これが自由の持つ特質です。自分が考える自由を他の人に押し付けようとした瞬間、その自由は「自由」という名に値しなくなってしまいます。

今述べてきた、「自律性」、「自発性」、「多様性」という要素を育むための体系が、リベラルアーツにほかなりません。立教大学が創立以来、教育の中心に置いてきたリベラルアーツ教育こそ、文字通り自由を支える教育だと言うことができるのです。

さて、皆さんのお手元にある「式次第」の最後のページをご覧ください。そこに立教大学の校歌が掲載されています。立教大学校歌「栄光の立教」では、「見よ 見よ 立教 自由の学府」という歌詞がリフレインされます。「自由」という言葉を含む校歌はありますが、これほど高らかに自由を歌い上げた歌詞を持つものは見当たりません。この校歌がはじめて歌われたのは1926年、大正15年の春ということですが、その前年である1925年は、普通選挙法と治安維持法の両方が成立した年です。「栄光の立教」は、まさに大正デモクラシーの時代文化が生んだ歌だということができるでしょう。それから80年以上にわたって、「栄光の立教」は歌い継がれてきました。この校歌を私は誇りに思っています。

この春、立教大学は皆さんを構成員として受け入れることができました。私たちはこれから、ともに「自由の学府」の一員として過ごすことになります。わたしたち一人一人が構成員としての自覚を持ち、自由であろうと努めることによって初めて、立教大学は「自由の学府」であり続けることができるのです。

あらためて皆さんに祝福と歓迎の挨拶を述べたいと思います。
<自由の学府>立教大学にようこそ。
総長就任にあたって(第19代)

立教大学総長  吉岡 知哉

21世紀は、20世紀が想定していたのとは異なる巨大な変化を経験しつつ、その最初の10年を終えようとしています。

この間の技術の進歩とグローバリゼーションの急速な進展は、人間の存在条件そのものを大きく変えています。インターネットの発達は、それまで考えられなかったコミュニケーションの様態を作り出し、情報の問題をまったく新しい段階へと導きました。知的能力は、情報処理能力として、スピードと量によって計測可能なものと見なされるようになってきています。

一方、9.11アメリカ同時多発テロ事件が2001年に起こったことを思い出せば、この10年間がいかに激動の10年であったかがよく分かります。アフガニスタン戦争、イラク戦争に加え、中東やアフリカの地域紛争、地球環境問題、世界金融危機に続く世界不況など、多くの問題が解決されないまま現在も続いています。

このように複雑に絡み合った現実の中から可能性を見い出し、人間と人間社会の望ましい未来をどのようなものとして構想するのか。改めて人間の知性が問われています。

知性に対する問いは、「教育・研究機関である大学はいかにあるべきか」という問いと直結しています。今や大学の存在意義が根底から問題にされていることに、私たちは意識的でなければなりません。

現在、私たちの前に姿を現わしている問題は、どれも既存の思考枠組みの根本的な再編成を求めるものばかりです。例えば、環境問題は、生物学や化学、海洋学などの理系の諸学問と、社会学、法律学、あるいは歴史学や経済学の知識を総動員して扱わなければなりません。また、2003年に完了が宣言されたヒトゲノムの解読は、人間とは何かという問題を改めて提起し、生化学、遺伝子工学、医学を超えて哲学、倫理学、政治学などに強いインパクトを与えました。

このような現代の諸問題に対処するためには、多くの異なった分野の協力関係と再編成、さらにそれら既存の学問分野では扱いきれない領域を研究する新しい分野の創出を必要とします。しかし、これらの問題の何よりも大きな特徴は、人間と人間社会のあり方に深くかつ直接に関係しており、従って市民の日常生活にも密接にかかわっているという点にあります。

学術研究機関である大学は、不断に研究を重ね、人間社会のより良いあり方を示していく責務を負っていますが、同時に、高等教育機関として、現代の諸問題に対応できる知性を有する市民を育てていかなければなりません。

一方で高度に専門的な研究を必要としながら、同時に市民一人ひとりがかかわらざるを得ない現代的問題。このような問題を適切に扱い得る能力が、現在必要とされている「教養」の力であると言えるでしょう。その意味で、教養は教える側にも教わる側にも必要とされるものです。単なる知識の伝達ではなく、教員と学生とが問題に向かって共に学び考えるという関係の基礎には、共通の基盤としての教養がなければなりません。

「教養」の問題は近年さまざまな形で論じられるようになりましたが、立教大学は創立以来その重要性を認識し、一貫して「リベラル・アーツ教育」を教育理念の中心に置いてきました。言うまでもなく、「全学共通カリキュラム」はその理念に基づいて組み立てられています。

しかし、現代の学部教育においては、専門教育もリベラル・アーツ教育の一環としてとらえられるべきでしょう。他者の言葉を受け止め、ものごとを深く考え、自分の言葉で論理的に語る力を養うこと。これは学部教育全体を通して行っていく必要がある事柄です。

立教大学は20世紀末から現在に至る10年余りの期間に大きな変化を遂げてきました。これからの課題は、言うまでもなく、この変化を基礎に、立教大学全体の教育・研究をより質の高いものへと変容させていくことにあります。

教育は単なる情報の伝達ではなく、人間同士がお互いの可能性を引き出し、成長を促す人間的営みです。「キリスト教に基づく教育」を建学の精神とする立教大学は、かけがえのない一人ひとりの人間にかかわる姿勢を大切にしています。これは、立教の学生が他者にかかわるときの姿勢として自然に身につけていく特質でもあります。規模が拡大したことによってこの基本的姿勢が失われることがないよう、細心の注意が払われなければなりません。

立教大学の伝統が育んできたもう一つの特質は、「立教らしさ」を重視しつつも閉鎖的になることなく、外に向けて常に開かれていることです。この特質を最大限に生かし、「連携」の環を拡大し充実させていくことで、立教大学の可能性はさらに広がることになるでしょう。

立教学院内の小、中・高、大を結ぶ「一貫連携教育」、新座と池袋という2つの教育・研究の中心を生かした「地域連携・社会連携」、さまざまなレベルの「国際連携」。これらの連携の重層的な組織化を通じて教育と研究の質の向上を図ることが、立教大学の次の飛躍を生むと確信しています。

立教大学の持つ多くの力を顕在化させ、新たな千年紀に「自由の学府」をさらに輝かせるために、努力を重ねてゆく所存です。

(総長就任宣誓式より 2010年4月1日)

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