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教員紹介

先住民族サーミを伝えること
~伊勢丹クリスマス・キャンペーン2014『Life is a Gift』に協力して~

(3) サーミ文化の<現在>を伝える

 下の【写真4】のウインドウ・ディスプレイへ私が寄せた「サーミのお話 [vol.9]」は、全部で11ある「お話」の中でも異色のものです。

© 2014 ISETAN MITSUKOSHI 写真4:ウィンドウNo.9(全景)

© 2014 ISETAN MITSUKOSHI 【写真4:ウインドウNo.9(全景)】

  「サーミのお話 [vol.9]」
短い夏が大急ぎで過ぎ去ろうとしていた、ある日、
私は小学校1年生のサーミの少女と一緒に、
小さな湖の岸辺へホロムイイチゴの実を摘みに出かけた。
少女はライチョウへ向けて歌い始めた。
「リエッコ、リエッコ、RRRRR~」
(ライチョウさん、ライチョウさん、ルルルルル~)
それはサーミ語ではなくてフィンランド語だったから、
ヨイクとは呼べないのかも知れない。
でも、少女の巻き舌R音が長く長く響きわたるツンドラの湿原は、
その時、たしかにサーミの世界であった。

 この「サーミのお話 [vol.9]」については、「情緒的に過ぎる」との批判が出るだろうことは予め承知の上でした。事実、ディスプレイを見て「お話」を読んだゼミ生たちの中からも、「この1つだけ、先生らしくない」との感想が出ました。

 「小学校1年生のサーミの少女」は、父親がサーミ人、母親はフィンランド人で、日頃から、ほとんどサーミ語は話しません。彼女は、名前もスヴィ(Suvi=夏)というフィンランド語名の方を用いて生活しています(サーミの多くは、サーミ語の名前と、たとえばフィンランド語など国語による名前との、2つの名前を持っています)。このスヴィに限らず、また、若い少女や少年たちに限らず、サーミの生活の中では、国語としてのフィンランド語やノルウェー語、スウェーデン語、ロシア語が頻繁に用いられます。そういった現代の言語状況をさりげなく伝えたかったというのが私の1つ目の本心であり、また、そういった言語状況の中でもスヴィが、フィンランド語ではあったものの、ライチョウへ向けて歌を歌ったのが私には衝撃だったことを伝えたかったというのが、2つ目の、そして、より大きな本心でした。少しばかり大袈裟に聞こえるかも知れませんが、そして、それこそ「情緒的」にも聞こえるのかも知れませんが、私はサーミの<現在>を「聞いた」想いだったのです。

 先に言及した特別展示のパネル「Sápmi【サーミ】:言語と衣裳の多様性」では、「サーミ語は10種類の異なる言語の集合とも言われます」と述べ、これら10種類のサーミ語と、それら1つ1つの中にある方言との分布を地図で示してありますが、実は、その中にはUNESCOが「最後の話者が亡くなった」と報告している「消滅言語」もあります。しかし、私はパネルでそのことに触れることや、各言語や方言の話者の数(UNESCO発表の数値)を示すことを、意図して避けました。現実にスヴィのような子たち、つまりは、サーミ語は話しませんが、それでも確かにサーミである子たちがいっぱいいるサーミ社会・文化の<現在>を伝えたかった私は、「消滅」という言葉やそれを想起させてしまう表現や数値が独り歩きしてしまうことの危うさを考えたからです。

 また、別のパネルでは「Sápmi【サーミ】:Duodji(手仕事)と「SÁMI DUODJI」ブランド」と題し、「サーミの人々は生活に必要な様々な道具類を手作りしてきましたが、今、その手工芸は「SÁMI DUODJI」というブランドへ育ちつつあります」と述べて、サーミの現代手工芸を紹介し、併せて、手工芸作品の現物展示も試みました。

付記
この文章では、(株)三越伊勢丹ホールディングスと(株)日本デザインセンターとが撮影し、ホームページ等で公開した写真を用いています。 今回のキャンペーンへ向けて最大限の努力を傾けてくださった、(株)三越伊勢丹ホールディングスの方々、(株)日本デザインセンターの方々、 ミロコマチコさん等々に、そして協力をしてくださった「シイタ」、北海道立北方民族博物館、野外民族博物館リトルワールド等々に、心か らお礼を申し上げます。ここで、すべてのお名前を挙げることはできませんが、協力者や協力機関の名称はすべて (b) の小冊子や (c) のウ ェブサイトに示されています。

文/交流文化学科教授・葛野 浩昭( くずの ひろあき )

(2015年2月UP)

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