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立教大学 社会学部 メディア社会学科

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メデイア社会学科ティーチイン
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メディア社会学科は、本年度より水曜日のお昼休みにティーチインを開催することとしました。

ティーチインとは、大学内で教員・学生が集まり、時事問題などを討論する集会のことを言います。
本年度のテーマは「東日本大震災と原発」です。毎回教員や学生に加え、外部の識者、ジャーナリスト、活動家を講師として迎えます。
ティーチインは、リラックスした雰囲気の中で話を聞き、自由闊達に討論することを目的としています。
学生の皆さんの積極的な参加をお待ちしています。

メディア社会学科長 黄 盛彬
  1. これからのティーチイン
  2. これまでのティーチイン

これからのティーチイン

次回のティーチインは決まり次第お伝えします。

これまでのティーチイン

第4回ティーチイン「原発被災地 福島県双葉郡との対話」

第4回
テーマ 原発被災地 福島県双葉郡との対話
報告者 小野田 洋之さん (南双葉青年会議所 理事長)
齋藤 重宗さん (浪江青年会議所 理事長)
逢坂 巌さん (メディア社会学科 助教)
日時 2011年12月7日(水) 12:15~14:30
会場 11号館3階A301
進行 挨拶、報告、パネルディスカッション、学生との対話
URL http://p.tl/CNmuジャンプ
公開討論会の様子などをまとめています。
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双葉郡は、福島第一原子力発電所が位置する双葉町と大熊町、福島第二原子力発電所が位置する富岡町・楢葉町を含む地域。現在、その大半が警戒区域に指定され、7万人の住民のほとんどが各地で避難生活を続けている。去る11月7日、この双葉郡で県議会選挙の立候補予定者による公開討論会がおこなわれた。主催は地元の若手経済人の集まりである浪江青年会議所と南双葉青年会議所。立候補予定者も選挙民も、そして主催者も、被災者で避難者。選挙区には人がいないという特殊な状況だったが、「このような時だからこそ、公の議論が必要だ」との主催者の気持ちに県内の各青年会議所が応え、各地に散らばった仮設住宅に住む選挙民から質問を集めたりするなどして実行にこぎ着けた。第4回のティーチインでは、公開討論会を主催した両青年会議所から理事長を招き、双葉郡でなにがおこったのか。現地の現状と人々の想いを聞き、公開討論会でコーディネーターを勤めた本学助教の逢坂氏と共に、地域の将来や我々首都圏人の責任などを議論した。

<ティーチインで紹介された双葉郡警戒区域内の現状:11月の「一時帰宅」の際に撮影>

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高い放射線量のために人が入れず「撤去」が進んでいない。無人になった街には「自由」になった家畜たちが被曝しながら彷徨う。
(写真はクリックで拡大します。)

報告記事 :小野太郎(メディア社会学科4年)
「今から津島地区の小学校に避難する」。原発事故直後に両親から送られてきたメールが、小野田洋之さん(南双葉青年会議所•理事長)の携帯電話に残っていた。事故後、福島第1原発から放出された大量の放射性物質は、風にのって浪江町の津島地区の方角に飛散。国はそのことを事前に予測していながら、少しでも原発から離れようと津島地区へ避難する人々には何も伝えなかった。その中に、小野田さんの家族や友人もいた。悔しさを滲ませた声で当時のことを語る小野田さんの姿に、国は何を感じるだろうか。
現在も一部が「警戒区域」に指定されている南相馬市で接骨院を営む斎藤重宗さん(浪江青年会議所•理事長)は、目に涙を浮かべて震災直後のことを思い出す。あの頃、岩手県や宮城県の津波被災地では瓦礫の中からたくさんの人が救出されていた。しかし、福島県の原発周辺地域では事故が全てを阻んでいた。「誰か助けに行けば、まだ生きた命、いっぱいあったんじゃないの」
そんな斎藤さんも、双葉郡と原発の歴史を語る際には「原子力産業にきていただいたおかげで、人口の減少を妨げたり雇用の場を確保したりすることができた」と言う。福島第1原発の立地する大熊町と双葉町、そして福島第2原発の立地する楢葉町と富岡町を含む双葉郡という地域にとって、やはり原子力産業とは「きていただいた」産業だったのだろうか。
日本が高度経済成長に沸く頃、双葉郡では第1次産業以外に目立った産業はなかった。冬には出稼ぎに出る人も多かった。そんな双葉郡にあった大熊町と双葉町が原発の誘致を決めたのは1961年。これが福島第1原発の始まりだった。小野田さんによれば、双葉郡にある発電所(原子力と火力)がこれまで福島県にもたらした経済効果は累計で約70兆円。特に原発が立地する自治体では温泉施設や運動公園が点在するようになり、居住環境や子育て支援の体制も整えられた。現在は警戒区域となっている福島第1原発から20㎞圏内の地域でかつて生活をしていた労働者のほとんどが、原発関連産業に携わっていた。事故前、双葉郡には福島第1原発7号機、8号機の新規建設を望む声もあった(朝日新聞2010年12月17日)。
浪江町で生まれ育った小野田さんは、高校卒業後、東京の大学で野球をやりたかった。だが、父は言った。「野球をやっていてもしょうがない。地元に大きい東電の会社があるんだから東電に入社しろ」。高校の先生からもそう説得された。そんな小野田さんは今、東京電力の社員として双葉郡内の広野火力発電所に勤めている。
「脱原発」について問われた斎藤さんと小野田さんは、それぞれこう言った。「福島の原発というところだけとれば、このまま廃炉の道に行くのかなと」「福島第1、第2(原発)合計10機は、廃炉で仕方ない」。2人の口から出た言葉は「廃炉にするべきだ」という強いものではなかった。地域生活を支える基盤としての原発が失われることへの潜在的な不安や葛藤が、2人の言葉に滲み出ているのを感じた。高齢化が進み、新たな産業が育ちにくい地域を維持していくこと、それらは彼らにとって本当に切実だった。「安全神話」が地域で共有されている以上、原発に頼る以外の選択肢を見出すことは難しかった。
斎藤さんは言う。「全国で原発のある地域は、その地域の雇用•人口を維持するための産業が(原子力産業以外に)なかった地域。その(原発)代わり(になる産業)が必要」。双葉郡は、自立のための産業を模索するという1960年代に突きつけられていた問題と、今改めて向き合わなければならない状況にある。しかし事故後の現在、原発に代わる産業の姿はますます見えてこない。除染や廃炉が「産業」になるという声も一部にはあるが、それらの雇用は「確実に萎んでしまう。発展性はない」(斎藤さん)。それ以前に、警戒区域をはじめとする比較的高濃度の汚染地域に帰還することはできるのか。住民の間でも意見は分かれている。小野田さんは、浪江町などの原発周辺を車で走った時に放射線量を計ったことがある。車の中で80、車の外で140マイクロシーベルト。「20年は住めないのではないか」。
重すぎる現実を前に、「福島県の電気」を使い続けてきた私たち「首都圏人」は何をするべきなのか。そのことを考える時に、ひとつ大切にしたい言葉がある。「福島県民は被害者じゃない。生きていく人なんだ」。今回のこの講演会とは別の講演会で、ある福島県立高校の教師が言っていた。そう、福島県では今も多くの人が不安と闘いながらも、確かに生活をしている。そして、これからも生きていく。私たちは常にこのことを感じていかなければならない。小野田さんや斎藤さんと同じように、福島に生きる人はそれぞれ溢れんばかりの思いを抱えている。それを受け止めて初めて、首都圏人の役割が見えてくるはずだ。


第3回 つながり ー若者とソーシャル・メディアの国際比較からー

第3回
テーマ つながり ー若者とソーシャル・メディアの国際比較からー
報告者 高橋 利枝さん(メディア社会学科准教授)
日時 2011年7月20日(水)12:20~13:05
会場 5号館3階5323
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報告記事 :白川遼太郎(メディア社会学科4年生)
7月20日にティーチインは第3回をむかえた。メディア社会学科の高橋利枝准教授が「つながり~若者とソーシャルメディアの国際比較から~」というテーマで講演を行い、今回も約40名の参加者が集まった。
デジタル・ネィテブとは、1980年以降に生まれ、生まれた時にはすでに現在のようなメディア環境が整っていた世代を指す。彼らは、携帯電話などでtwitterやSNSを駆使し、日常生活のほとんどで誰かとつながっている。たとえ電車やバスのような公共の場であっても、ソーシャルメディアによってプライベートな空間をつくりだしてしまう。その背景には、「絶えずつながっていることが嬉しい」という心理が存在する。こうしたソーシャルメディアの影響力は、「身近な親密性を高めるだけでなく、グローバルな親密性を高める可能性もある」という。一方で、アメリカやイギリスの若者も、日本と同様に政治に関心がうすく、ネットいじめなどの弊害も存在する。若い世代でも、ソーシャルメディアに対して、否定的な感情を示す人もいるそうだ。高橋准教授によれば、「ソーシャルメディアの可能性拡大のために、デジタル・リテラシーとグローバル・リテラシーが必要」となる。
こうした講演と連動し、今回は高橋ゼミの佐々木さんの発表も行われた。佐々木さんは、twitterが東日本大震災に安否確認のインフラとして機能したことに触れ、twitterやSNSが嗜好品から必需品へと変わっていくと主張し、そのうえで、「震災時、twitterやSNSをどのように利用したか、今後どのような可能性が秘められているか」といった質問を参加者投げかけた。出席した学生からは、「今後、初対面の人が連絡先を交換する際、携帯電話のアドレスではなく、twitterのアカウントを交換することが主流になるのでは」などの意見がだされた。また、話題はフェイスブックにも波及し、実名性のSNSが日本で広まるかについても活発な議論も交わされた。
ティーチインは後期も継続して開催される予定。学生からの持ち込み企画も随時受け付けている。


第2回 名誉と栄光のためでなく ー報道写真と<他者の苦しみ>ー

第2回
テーマ 名誉と栄光のためでなく ー報道写真と<他者の苦しみ>ー
報告者 生井英考さん(メディア社会学科 教授)
日時 2011年6月29日(水)12:15~13:05
会場 5号館3階5323
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報告記事 :日高夏希(メディア社会学科2年)
東日本大震災発生後、新聞には被災地の写真が連日掲載され、「悲劇のアルバム」とも呼ぶべき写真集も出版されている―6月29日に開催された時事問題討議集会「ティーチイン」のテーマは報道写真。第2回となる今回はメディア社会学科の生井英考教授が「名誉と栄光のためでなく―報道写真と<他者の苦しみ>」と題して講演を行い、教員・学生約40名が参加した。
阪神淡路大震災が起きた1995年1月、生井教授は米国滞在中だった。新聞の写真で見た被害の甚大さに驚いたことは言うまでもないが、その2ヶ月後の地下鉄サリン事件の報道にもう一つのショックを受けたという。「オウム真理教が日本社会に与えていた恐怖感を知らなかったため、静岡駅前ガス爆発事故の写真と同じように見えた。異なる性質が写真では伝わりにくい。」震災で曲がった道路の様子は「見える悲劇」、テロが起きた背景は「見えない悲劇」だ。見えない悲劇を含んだ出来事をどう可視化するか、ニュースの作り手として考えるべきだと話した。
また、スーダンの飢餓を写した『ハゲワシと少女』で知られる南アフリカの写真家ケビン・カーターについても触れた。瀕死の少女を撮影した彼は、ピューリッツァ賞という名誉を受けた一方で「少女の命を救わず搾取した」と非難も浴びたという。生井教授は「メディア産業を通して悲劇が商品になる。倫理・道徳以前に社会構造が問題を抱えており、写される人の心を共有するために何が必要か考えなくては。」と語った。
講演後、「地元の人と『悲劇』を共有するには何を写すべきなのか」という学生の質問に対して「正解はないが、復興は先が長いこと、目を離してはいけないということを伝えるべき」と答えた。今回のティーチイン参加者は「撮る側」や「被写体となる側」の視点からも報道写真のあり方を考えることができただろう。
次回は7月20日、高橋利枝教授にお話しいただく予定だ。昼休みの短い時間だが、より積極的な学生の発言を期待したい。メディア社会学科では、後期に向けた企画の持ち込みも受け付けている。


第1回 忘れられた<被災地>

第1回
テーマ 忘れられた<被災地>
報告者 多湖 大師さん(メディア社会学科 3年生)
日時 2011年6月1日(水)12:15~13:05
会場 立教大学池袋キャンパス 5号館3階 5323教室
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報告記事 文責:白川遼太郎(メディア社会学科4年生)
メディア社会学科では、今年度から新たな取り組みが始まった。「ティーチイン」と名付けられたこの活動は、昼休みを利用して教員・学生が集まり、時事問題を自由に討議する集会である。第1回目となった6月1日は学生を代表して3年生の多湖大師さんが「忘れられた<被災地>」というテーマで発表を行い、教員・学生あわせて50名近くが参加した。
東日本大震災の発生から間もない3月12日未明、長野県栄村を震度6強の地震が襲った。人口約2000人、高齢化が進むこの村の被害は、東北地方の津波被害や福島原発の事故に注目が集まるなかで忘れ去られてしまった。こうした状況を伝えるため、多湖さんたちは春休みを利用して現地を取材し、被害状況や栄村の村民の声を映像にまとめた。さらに、取材した映像をインターネット上のソーシャルメディアで発信し、被災地支援へとつなげようと考えた。YouTube、ニコニコ動画、twitter、mixiなどを駆使したこの一連の活動は、現在700万円近くの義援金を集めることに成功している。(関連リンク:http://www.youtube.com/watch?v=jUXJpjSQyuY)
出席者のなかで、学生からは「長野県の地域メディアはどのように報じているのか」、「国や県の支援の状況は」といった質問があった。これに対し、多湖さんから、支援が十分ではない状況や、地元の新聞・放送局の報道ですら栄村を忘れている実情が伝えられた。また教員からは、「メディア社会学科で学ぶ学生の専門性はどのようにいかせるのか」といった質問があり、現地の学生と連携した支援活動へと話が広がっていった。短い時間ではあったが、ひとつの発表をきっかけに教員・学生が一体となって忘れられた被災地と向き合った。
そのなかで、少し残念だったことは、学生とくに下級生の発言が少なかったこと。こうした機会を利用して、ゼミと同じく、気軽に、積極的に発言できるとよいと感じた。しかし、ティーチインはまだまだ始まったばかりの取り組みである。次回以降、より活発な議論を期待したい。
 ティーチインはまだまだ始まったばかりの取り組みだが、「討論参加することを学科の特徴に」という黄盛彬学科長の熱意が十分に伝わってくるものだった。
次回は6月29日。今年度からメディア社会学科に加わった、生井英考教授にご登壇いただく。
報告記事 第1回「ティーチイン」 日高夏希(メディア社会学科2年)
6月1日の昼休み、メディア社会学科が主催する討論集会「ティーチイン」が開かれ、教員6名を含む44名が参加した。今年度は「東日本大震災と原発事故」をテーマに設定し、学生・教員が時事問題を討議する新しい場として水曜日に開催される。第1回となった今回は、メディア社会学科3年の多湖大師さんが「忘れられた<被災地>」というタイトルでプレゼンテーションをし、参加者との意見交換が行われた。
3月の大地震後に多くのボランティアが向かった東北ではなく、長野県栄村に注目した多湖さん。地震の影響で約1800人が避難し、村の公民館を含め51棟の家屋が全半壊、道路の損壊など被害は深刻だ。しかしマスコミに報道されることは比較的少なく、過疎化で高齢者が多いため復興が難しいという。多湖さんは映像制作の経験を活かして栄村の現状を伝えようと考え、2度にわたって現地を取材。家屋が倒壊した村の風景、将来を懸念する住民の話、ひび割れた棚田の様子を約8分間の映像に編集した。youtubeを始めとするソーシャルメディアから発信し、インターネットを使って義援金を募った。さらにマスコミに取り上げてもらう、視聴者がすぐに寄付できるようウェブサイトをリンクさせるなど、メディアを駆使して注目を浴び、集まった義援金は約700万円。栄村産の山菜やジュースの販売など具体的な支援活動も行った。「必要な資金は数十億。支援や募金は一時的ではいけない。学生だからこそできることがある。」と話し、長期的な復興支援に向けて新たな案を練っている。
映像と活動の紹介後、多湖さんは参加者に「どう感じましたか。今後どのような支援ができると思いますか。」と問いかけ、質問や意見を受け付けた。多湖さんがネットで注目を集めた工夫や国の対策について質問があり、義援金集めをシステム化してはどうか、観光学部と共に農村ツアーを企画してはどうか、などの提案も出た。最後にメディア社会学科長の黄盛彬先生が「討論を通して学問と社会を結び付けるという文化を定着させたい。」と締めくくった。
1、2年次生には特に、同じ大学生の行動力に刺激を受け、学生の社会貢献について考える機会となったことだろう。「ティーチイン」は学部や学年関係なく参加できるため、今後さらに多くの参加者が有意義な討論をすることを期待したい。

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