『執事 松岡和夫・わたしの説教ノート』
       
                    

               表紙                                      内容見本                      
         

 
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                              誤記がありました。この場を借りて、深くお詫び致します。
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本書の性質

 本書は、日本聖公会沖縄教区執事であったアリマタヤのヨセフ松岡和夫氏が、沖縄教区祈りの家教会の伝道師、そして執事として主日礼拝や晩祷の説教、立証(あかし)、そして教会等での講演に際して作成したノートから、そのいくつかを文字おこししたものである。松岡執事は、2014年6月18日、脳梗塞をもとに天に召されたが、彼の聖職者としての足跡は、A5判の大学ノート40冊、B5判大学ノート1冊の中に見ることができる。


JICEと松岡執事の関係について

 本論に入る前に、立教大学キリスト教教育研究所(JICE)が、松岡執事の説教ノートをまとめるまでの経緯について簡単に説明しておきたい。
 本書のなかでも松岡執事が触れられているように、日本のハンセン病救済事業にはその早期から聖公会(Anglican Communion)が関わっていた。立教大学は米国聖公会からの宣教師C.M.ウィリアムズ主教により1874年に建てられた立教学校を起源とし、沖縄愛楽園にある沖縄教区祈りの家教会との交流は1981年2月から行われていた。


JICEのハンセン病資料収集活動

 JICEは2009年度に立教大学全学共通カリキュラムで「『知る』こと・『感じる』ことⅠハンセン病を巡る問題をとおしてⅠ」を開講し、日本におけるハンセン病の歴史や患者・元患者の人権問題を学修する機会を提供した。
 また2010年3月に立教大学学生を対象にした沖縄フィールドトリップを実施するなかで沖縄愛楽園を訪問し、祈りの家教会信徒の方々との交流をおこなった。
 加えて2009年度よりJICEは、ハンセン病関連の文献の収集なども行っていたが、2013年度にハンセン病元患者の聖職者が礼拝の説教としてどのようなメッセージを発していたか、について資料収集を行い、検討をおこなうプロジェクトが原真也所員と逸見を中心に始まった。


歴史資料を後世に伝えていくために

 このプロジェクトの最初の取り組みが、松岡執事であった。2013年、松岡執事は脳梗塞で倒れ、闘病生活に入らざるを得なくなった。ヒアリングなどを行えなかったことが悔やまれる。
 また、2014年12月に太田国男執事のヒアリングの時に言われた「時期が遅すぎる」というひとことが、ハンセン病元患者の高齢化している状況を改めて実感させられ、記録を残すことの難しさを痛感した。




                                                       (「解題」を基に作成。赤字のタイトルは、事務局によるものである。)



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