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WEB法学周辺は、立教大学法学部発行の冊子『法学周辺』掲載の教員自己紹介、学生へのメッセージ、法学部で学ぶためのアドバイス、学部の新しい取り組みなどのコンテンツを中心に、本学部からさまざまな発信を行うスペースです。

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法学周辺

海外研究エッセイ

ライデン大学とケンブリッジ大学での研究

法学部政治学科教授
松田 宏一郎 Matsuda Koichiro

2015年度秋学期から2016年度春学期まで、一年間の海外研究の機会をいただき、一ヶ月をオランダのライデン大学で、その後の期間を英国のケンブリッジ大学で研究をおこないました。以前の長期海外研究でもほとんどの期間をケンブリッジで過ごしましたし、ライデンにも二ケ月程度滞在したことがあります。またどちらの大学にも、短期で訪問したことが何度かあるので、その点では、なじみのある場所です。知人も何人かいます。

私の専門領域は、近世、近代の日本政治思想です。ライデンやケンブリッジにいかなければ利用できない史料があるわけではありません。私にとって、これらの大学で研究させてもらう意味は、まず第一にそこに集まる優秀な研究者との交流の機会が多いこと、第二に、図書館、特に近年ではオンラインデータベースが充実していて、時間や手間をかけずに必要な史料や研究書、論文などが読めること、第三に居住の場所と大学施設が近接していることにあります。

第一についていえば、ライデン大学でもケンブリッジ大学でも、学期中に数多くの研究会(通常は seminar と呼ぶ)が開かれていて、私の場合ですと、政治思想、日本研究、中国研究の研究会を中心にあちこち参加していました。また、日本でいうシンポジウムにあたるのでしょうか、通常はただconference と呼ぶ、複数の発表者を招聘し2日程度でおこなう、やや大きめの規模の研究会も頻繁にあります。招聘された研究者がおこなう特別講義もあります。日本でも近年は学際的かつ国際的な共同研究会が盛んになりましたが、ライデンやケンブリッジでは、それが日常的にあります。

ライデン大学はヨーロッパでもアジア研究の分野で優れた成果をあげていることがよく知られていますが、以前から親しくしているキリ・パラモア先生や W. ボート先生といった、私の専門領域と重なる近世日本儒学の研究者の方々と、気軽に会ってアイデア交換をしていました。ケンブリッジ大学では、ヨーロッパ政治思想や政治理論、また日本史、中国史の研究者と会っていることが多かったかと思います。

インプットだけでなくアウトプットの機会もあります。ライデンにある国立民族学博物館の学芸員の方と一緒に特別講義をし、ちょうど徳川政権の宗教政策をテーマにしましたので、博物館が所蔵しているキリシタン関連の史料も用いて、ヴィジュアル的にも興味をひきやすい講義ができたかと思います。それからヨーロッパにいれば気軽に移動できるということから、プラハのカレル大学に招かれて5日間の特別講義をおこなう機会をいただきました。プラハの時は、近代中国で society を「群」と訳す例があることについて説明していたら、カレル大学の学生に先回りされてそれは『荀子』から採ったのではないかといわれ、チェコの学生の熱心さに感心したのが印象として残っています。

今回の長期海外研究の主目的は、著作を一つまとめることと、執筆の約束をしているいくつかの論文を仕上げることでしたので、上記のようなイベントや交流以外の時間は、ほとんど図書館で原稿を書いていました。ライデン大学はオンラインデータベースが多数契約されていて、特に中国語、英語の必要な研究書、論文の多くは自分のラップトップで読むことができ、それらを利用した執筆作業も簡単でした。またケンブリッジは、オンラインも相当なものですが、やはり蔵書が膨大ですので、ちょっと気になることがあれば書架に本をとりにいって、自分の作業机に積み上げておきました。ただし、ケンブリッジでは、19世紀後半から20世紀前半の法学理論分野のドイツ語とフランス語の蔵書が少なく、この分野については立教大学の方がずっと上です。日本の法学・政治学が伝統的に独仏の影響が強かったこと、英国では、独仏の法学・政治学がそれほど研究されていないことをあらためて実感しました。

ケンブリッジ大学図書館の利用システムは独特で、ほとんどの20世紀以降の図書は開架書庫にあり、取り出して、リザーブ用のしおりをはさんでおくと、そのまま自分が作業している机においておけます。必要がなくなれば、しおりをとって机の隅にでもつんでおけば、片付けてくれます。また最近、コピーのシステムが新しくなり、ネット上のアカウントにあらかじめコピー料金を必要な額だけ預けておくと、それを使って、館内のコピー機から直接 pdf に変換したファイルを自分宛にe メールで送ることができます(しかも紙にプリントするより安い)。このpdfをメールするシステムはライデン大学図書館も同じでした。以前はケンブリッジにいくと、けっこうな分量のコピーを郵便で日本に送りましたが、その手間が不要になりました。

職住接近についていえば、多くの研究者が大学から遠くないところに住んでいるので、お互いの家に食事やお茶に家族で招いたり、またケンブリッジの場合はいわゆるカレッジ(コレジの方が音が近い気がします)で一緒に食事をしたりということが簡単にできます。私は1998年に Clare Hall というカレッジの visiting fellow になって以来、そのカレッジの施設を使ったり、大学のメンバーとしてのいろいろな手続きをしてもらう終身権利を与えられています(life member という)。1960年代にできたいわゆる modern なカレッジですので、中世からある有名なカレッジのような風格はありませんが、気軽に人を招待して食事もできます。このような空間的近さから生まれる心理的近さ、研究者仲間という感覚は、他の場所では得がたいものです。カレッジの食事は、すでに人がいる場所の隣の席にすわる、つまり知らない人とわざわざ隣に座って食べるという慣例のようなものがあり(近年、それが失われたと嘆く人もいます)、それが思わぬ興味深い学問的会話のきっかけになることもあります。コーパス・クリスティ・カレッジ に、B.クシュナー先生(現代日本史)に招かれていったときに、対面側にいた人と何となく話し始めたら、ケンブリッジ大学の霊長類研究者で、京都大学に何度もいったことがあるという話題から、日本語の「レイチョールイ」という語の語源は何かという話になり、私が「万物之霊」といった言い方なら『書経』にあるのは知っているが、primatology の訳語が近代日本でどうできたのかは調べるといって、食後にすぐ図書館で中国・台湾や日本の書誌のデータベースなどを調べて(これもケンブリッジの図書館ですぐできます)、ざっとした説明をメールで送ったら、さらに入り組んだ質問がでて、しばらくこの話題でやりとりが続いたことがあります。

このような環境のおかげで、だいたい予定通り、『擬制の論理 自由の不安』(慶應義塾大学出版会)を英国滞在中に刊行、それから書き下ろしの原稿から韓国語訳された福澤諭吉の政治思想についての単著の完成原稿を編集者に送り(2017年1月刊行)、イギリスとアメリカで出版されるいくつかの研究論文集に載せる担当章として、徳川政権の宗教政策、近世近代の思想統制と言論空間、明治知識人のマキャベリ理解、といったテーマの論文を仕上げ(出版は2017年中の予定)、そして近世の法思想に対する荻生徂徠の思想の果たした役割についての日本語の雑誌論文をだいたい書き終った(『思想』2016年12月)というところで、長期海外研究の期間が終わりになりました。たとえ講義や会議がなくても、日本にいたらこれほど集中して執筆はできなかったと思います。この場を借りて、ライデンのパラモア先生、ケンブリッジのクシュナー先生に感謝したいと思います。

次はこの研究で得たものを立教大学での講義にどう組み込んでいくかが課題です。

グローバルなわらしべ
――アメリカ海外研究記

法学部国際ビジネス法学科 教授
溜箭 将之 Tamaruya Masayuki

はじまりは、立教大学法学部のオックスフォード・サマープログラムと、立教大学法学部とシンガポール経営大学法学部と交流協定だった。立教大学とハーバード・イェンチン研究所の協定で実現したハーバード大学での海外研究である。ハーバード・イェンチン研究所には、充実した研究環境と資金を調えてもらったが、その研究員プログラムへの応募書類には、オックスフォード・サマープログラムで例年教えてもらい、個人的にも親しい友人となった、ケンブリッジ大学のステリオス・トファリス先生に推薦状を書いてもらった。シンガポール経営大学との交流協定の交渉を通じて知り合ったハンウー・タン先生には、これから紹介するハーバード大学でのワークショップに参加してもらい、その後シンガポールでのシンポジウムにも招待してもらうことになる。

そんな経緯で2016年8月、立教大学のオックスフォード・サマープログラムを終えてから、家族とアメリカ・マサチューセッツ州レキシントンに引っ越した。ケンブリッジにあるハーバード大学で研究生活に入るためである。ありがたいことに、ハーバード・ロースクールの日本法専門家のマーク・ラムザイヤー先生のお宅に住まわせてもらえることになった。ラムザイヤー先生には、私の研究分野である信託法の第一人者、ロバート・シットコフ先生を紹介していただき、お二人には研究から生活まで、あらゆる面でお世話になる。ハーバード・イェンチェン研究所とハーバード・ロースクール東アジア法学研究プログラムでも素晴らしい研究室の同僚や友人に恵まれた。

英米法の研究者を名乗りながら恥ずかしいことだが、私は、10年の研究キャリアで、英語で研究報告をしたのは、それまで5、6回しかなかった。しかし今回は、1年の海外研究で6回と、2か月に1度のペースで研究報告の機会を与えられることになった。

最初の機会も、立教大学の交流協定がきっかけだった。2016年11月にブラジル・サンパウロ大学法学部で行われたシンポジウム。私の報告のテーマは「信託法の伝播と変容 Diffusion and Transformation of Trusts」。信託はイギリスの判例法に由来し、大英帝国の植民地拡大とともに広がり、今日では世界各地の国と地域で使われている。私の研究では、そうした信託の伝播の過程で、信託にかかわる法と実務が変容していくダイナミズムを追った。報告はやや生煮えだったが、質疑応答やディスカッションは、その後の研究に向けて多くの課題とヒントを与えてくれた。ブラジルでは同僚の早川吉尚先生と合流、サンパウロ大学法学部の二宮正人先生にお世話になった。二宮先生には、翌2017年に来日し、立教大学で講演していただいている。シンポジウムの翌日は、サンパウロ立教会の方々と立教からの留学生と一緒に、楽しくおいしい夕食にもなった。

ハーバードも研究員を放っておいてくれない。ブラジルからアメリカに戻ると、1週間後にハーバード・イェンチェン研究所での報告が待っていた。年が明けて2017年3月には、ハーバード大学アジア・センターとハーバード・ロースクール東アジア法学研究プログラム共催のセミナーで報告。ハーバード・イェンチェン研究所の報告では、地域研究を中心に広く社会科学・人文科学の研究者と議論ができたし、ロースクールのセミナーでは、アジアを中心に各国の法律の専門家もコメントをくれた。

なによりハーバード大学の力を感じたのは、2017年5月に信託法の国際比較に関するワークショップを企画した時だった。その力とは、世界中から人を引き付ける磁力ともいえようか。ハーバード・イェンチェン研究所は、私たち研究員に国際ワークショップの企画・開催を奨励している。研究所の資金と事務サポートを利用し、またシットコフ先生の全面的な協力を得て、半年がかりで企画を進めた。

驚いたことに、というか、ある意味当然というか、私がハーバード大学とシットコフの名前を出すと、招待した各国の研究者は、ほぼ二つ返事で参加の意向を返してくれた。アメリカ国内の研究者に限らない。イギリスから参加のトファリス先生は、ケンブリッジ大学で教えているが、キプロス出身のインド法研究者。カナダからは、信託法の世界的権威と、大陸法と英米法の融合するケベック法を研究する若手の2人。台湾からは、韓国でも教えた経験のある若手研究者で、彼はその後シンガポール経営大学に移った。香港からは『中国信託法』『東アジアの信託法』という先駆的な書籍の著者・編者。シンガポールからは、冒頭で触れたシンガポール経営大学からハンウー・タン先生。本や論文で読んでいてぜひ会いたいと思っていた人ばかり、10人が集まってくれた。信託の国際比較の分野で一流の研究者が、異なる国と地域の視点、多様な方法論で、歴史から現代の問題まで、文字通りのブレイン・ストーミングだった。

その後も、6月にカリフォルニア大学ロサンゼルス校でのワークショップ、7月にシンガポールのシンポジウム、8月に立教大学のオックスフォード・サマープログラムとケンブリッジの研究発表、9月にアイオワ州立大学でのシンポジウム、と報告が続いた。11月には、ラムザイヤー先生とシットコフ先生が、ハーバード・ロースクールでのワークショップに呼び戻してくれた。

この間の研究テーマは一貫して「信託法の伝播と変容」。もちろん、シンポジウムのテーマや規模、参加者の専門性によってそれぞれ報告の仕方はおのずと変わってくる。報告するたびに新しい課題や面白い切り口に気づかされ、改めて調査を迫られるから、研究内容はどんどん進化する。真面目に机に向かうのが取り柄の研究者から、ネットワークでつながって研究を発展させる研究者へ。この一年は、私にとって新たな研究スタイルへの挑戦でもあった。

冒頭にも書いたが、これらはすべて、立教大学での研究や仕事を介してのつながりがきっかけになった。そのきっかけが次の人脈や機会につながり、その人脈や機会がさらなるネットワークにつながる、いわばグローバルなわらしべ物語。とはいえ、私はまだ長者を名乗るほど大成はしていない。これからもさらなるつながりを求めてゆこうと考えている。

私は、自慢がしたくてこのエッセーを書いているわけではない。伝えたいのは、立教大学を足掛かりに外へ出ていくと、楽しいことやチャレンジの可能性が無限に広がる、ということなのだ。立教大学が私に何を教えてくれるか、と考えていると、授業も面白いと思えないかもしれない。立教大学をきっかけに大学の外、日本の外へとどうつながってゆけるか。そう考えてみると、大学の外で楽しいことができるだけでなく、そのために立教大学の授業やプログラムをどう利用できるか、考え方もどんどんクリエイティブに、ポジティブになっていく。立教はそうしたとっかかりをたくさん準備しているし、これからも増やしてゆくだろう。これが足りない、ということであれば、ぜひ教員・職員に伝えてほしい。

自己紹介という名の想い出話

法学部政治学科 准教授
安藤 裕介 Ando Yusuke

「新任教員?…あれ、でもこのひと見たことあるよ」という方も多いのではないでしょうか。実は立教大学法学部との関わりをもって早19年、これまでさまざまな立場で本学にはお世話になってまいりました。何を隠そう、私は立教大学法学部の出身で、学部・大学院と、この池袋キャンパスで学んできた身なのです。さらにその後は、助教や非常勤講師として教育活動にも当たらせていただきました。そして、この4月より欧州政治思想史担当の専任教員として再び戻ってまいりました。自己紹介も兼ねつつ、この場を借りて少しばかり私の学部時代や院生時代の想い出を振り返らせて下さい。

学生時代

学生時代は多いに議論して過ごしました(大いに勉強したかどうかは自信がないです)。立教通りにほど近い某ファミレス店で3時間、4時間と友達と延々議論し続けることが日課で、本当に楽しく充実した日々でした。ちょうど私が学部生だった2000年前後は、日本経済はデフレ不況の真っただ中にあり、「構造改革」を叫んだ小泉政権が世間で熱狂的支持を受け、「新しい歴史教科書をつくる会」のような右傾化勢力が台頭したり、9・11のテロ事件を境にアメリカがアフガニスタンへの空爆を開始したりと、まさに政治・経済状況が激動していく論点百出の時代でもあったのです。そのような背景も手伝って、あの頃大いに勉強したかはともかく、大いに議論したことは確かです。サークルも2つ、3つと掛け持ちしていたので、あっという間に4年間が過ぎてゆきました。

なかでも印象深かった経験は、3年生の後期に、沢木耕太郎『深夜特急』や小田実『何でも見てやろう』に影響されて、東南アジア圏を中心にしばらく一人旅に出たことです。ちょうどその時期は同級生たちが就活真っ盛りだったのに対し、大学院進学を心に決めていた私は、就活をしない代わりに「ちょっと世界を見てみたい」と思っていました。そして、まさに『深夜特急』よろしく、飛行機のチケットと到着後1日分のホテルだけを予約して旅立つことに……。その後の宿は行く先々で交渉をして確保し(日本と違って「定価」なんてありませんし、部屋のセキュリティにも気をつけないといけません)、移動には広大なゴム園や農村地帯を走るマレー鉄道、運転手の気まぐれで時折休む高速バスなどを利用し、さらには歩いて国境を越えたりもしました。自分から飛び込んでいく異文化との出会いは貴重な経験になりました。

研究の道へ

そろそろ研究の話をしたいと思います。学部3年次以降、川崎修先生のゼミで学ぶことになった私は、ハンナ・アレントやミシェル・フーコーの著作に触れる絶好の機会を手にし、政治理論の領域に魅了されてゆきました。今となってはお恥ずかしい話ですが、何となく国連職員を目指していた私は英語に加えてフランス語も勉強しており、勢いフランスの思想家であるフーコー関連の著作を手にとることが多くなりました(しかも、背伸びをしたがる年頃か、無理してフランス語の原典を読み続けました)。そして、大学院に進むころにはすっかりフーコーの虜となっていました。しかし、指導教授を引き受けて下さった川崎先生からは突然「フーコーを忘れなさい(Oubliez Foucault)」と言われ、やがて研究対象を別のものに変える道を模索し始めます。その結果、現代政治理論の領域からは徐々に離れ、いつの間にか18世紀フランスの「政治経済学(économie politique)」という思想史的課題に引き寄せられてゆきました。

とはいえ、その具体的な分析対象としてフィジオクラット¹(日本では「重農主義者」と訳される)を選んだことで、長らく出口の見えないトンネルのなかを彷徨うことになりました。伝統的に経済学の分野で扱われてきた彼らの思想を政治学の研究視角からどうやって料理したらいいのか分からず、悶々と悩む日々でした。直感的には面白い「何か」を感じつつも、それをうまく析出できず持て余していた私を見るに見かねて、指導教授の川崎先生からは研究対象を変えることも一時期は勧められました。しかし、度重なる面談の結果、先生も意を決して「よし、君が面白いと思うんなら続けよう」「研究で一番大切なのは、まず誰よりも自分が面白いと思っていることだ」と言われ、結局は折れていただいたのを覚えています(今にして思えば、非常に有り難い一言でした)。

その後、2006-2007年にはフランスに留学する機会にも恵まれ、受入先のエクス・マルセイユ第3大学の先生方やたくさんの仲間に助けられて、自分の選んだ研究対象の妙味がじわじわと自信として感じられるようになってゆきました。そもそもGREQAMという領域横断的な研究環境(フランスではよくあるUMRという混合研究ユニット)で学べたことが大きな前進につながったと思います。また、同じ研究室にいたマルセイユっ子たちのおかげで南仏なまりのフランス語もしっかり身につきました。

1:1760-70年代のフランスで盛んになった思想運動であり、『経済表』で有名なフランソワ・ケネーによって率いられた。フィジオクラットという名称は「自然の支配(physiocratie)」に由来する。

研究を続けてよかったこと

フランスから帰国後、幸運にも、ちょうど海外招聘研究員として立教に滞在されていたパリ第2大学のジルベール・ファッカレロ先生の知遇を得ました。研究者を志す若者にいつも惜しみなく指導の時間をとってくれるファッカレロ先生ですが、いつだったか、ご自分の想い出話とともにこの上なく勇気づけられる言葉をもらったのを覚えています。それはまさに既存の学問分野を横断することの難しさとその先にある魅力というお話でした。経済思想史がご専門のファッカレロ先生が若かりし頃、博士論文の口頭試問の場で、審査員の一人から「きみは(経済学ではなく)神学の学位を取りたいのかね?」と皮肉を言われたそうです。ジャンセニスト²の研究でいまや世界的に知られるファッカレロ先生ですが、駆け出しの頃はそういったご苦労もあったと聞き、「ならば自分も」と(もちろんファッカレロ先生は雲の上の存在ですが)非常に勇気をもらって目の前が明るくなったのを覚えています。あえてホッブズやルソーといった政治思想史の伝統的な人物ではなく、経済思想史とも交錯する微妙な研究対象を選んだ私ですが、現在はそのことが面白くて仕方ありません。

2:17世紀後半のフランスで宗教改革への対抗運動に関わった思想家たちを指す。アダムの堕罪以来、人間本性は徹底的に利己的であると唱えた彼らは、皮肉にもそうした利己性こそが市場社会の秩序という形で人類に平和共存をもたらすと説いた。

とはいえ、昨今、思想史という学問分野そのものが往時と比べると多くの大学で周辺化されつつあります。いわゆる「実学」重視の傾向や国公立大学の財政難が加速するなか、全国の大学で次々とポストが減らされている厳しい状況です。どうもこれは世界的現象らしく、数年前にリヨンの国際会議で知り合ったフランス人の先生は会食の席で「われわれはもはや絶滅危惧種だな」と自嘲気味に表現されていました。

そんな世の風潮と時代の趨勢が強まるなか、こうして自分の母校に戻って政治思想史の講座を担当できることになったのは本当に望外の喜びです。これから数年、十数年が経ったとき、思想史が面白いと思いつつも逡巡している若者に「君が面白いと思うのなら続けたらいいじゃないか」と言える、今の大学の条件と気風が生き残ってゆくよう、この立教法学部の一員としてしっかり働かせてもらいます。

新たな気持ちと懐かしい気持ちを込めまして、どうぞよろしくお願いいたします。

自己紹介

法学部国際ビジネス法学科 准教授
早川 雄一郎 Hayakawa Yuichiro

はじめまして。2017年4月に本学に着任してまいりました早川雄一郎です。本年度は、経済法の講義とゼミ、基礎文献講読を担当しています。

私は、生まれてから30年以上の間、ほぼ、関西の京阪神地域で過ごしてきました。本学に着任して、初めて、非関西圏、しかも東京で生活することになりました。特に引越し直後のころには、環境や文化の違いをいろいろと実感しました。

やはり、東京に住んでいることを最も実感するのは、人口密度の高さです。鉄道混雑率を検索すると、関西で一番混雑しているとされる大阪市営地下鉄の御堂筋線でさえ、全国ランキングだと上位には顔を出していません。全国ランキングでは、東京の様々な路線がずらっと上位を占めています。実際に、混雑時間帯に電車に乗ると、それもうなずけます。他方、人口密度の高さ、人口の多さというのは、私の専門分野に結び付けると、やはり競争の活発さの源でもあります。競争の活発さゆえの商品やサービスの選択肢の多さや品質の高さも、いろいろなところで感じています。

あるいは、文化的な違いについては、例えば食文化に関して、東京に引っ越してきてすぐに、東京には蕎麦屋が多いことに気が付きました。私は、10代のころから夏目漱石の小説が好きでよく読んでいたのですが、東京出身の夏目漱石の小説には、蕎麦の描写がよく出てきます(特に、「吾輩は猫である」で出てくる蕎麦の食べ方はなかなかです)。百聞は一見に如かずで、それも納得でした。いずれにせよ、私は蕎麦が好きなので、蕎麦屋がたくさんあるのはありがたいです。

以上のほかにも東京に引っ越してきて気が付いたことは多数ありますが、挙げていくときりがないので、このくらいにしておきます。

引き続き、私の専門についてお話しておくと、私の専門は、経済法という法分野です。経済法というのは、独占禁止法をその主な対象とし、さらに、最近話題になることの多い景品表示法や下請法などもその対象に含む法分野です。独占禁止法は、市場における公正で自由な競争を促進することを目的とする法律で、合併や株式取得などの企業結合の規制、カルテルや談合などの不当な取引制限の規制、ライバルを排除する行為などの私的独占の規制、再販売価格の拘束や不当廉売、抱き合わせ販売などの不公正な取引方法の規制という4つの主な規制類型を設けています。

独占禁止法という法律は、学部生の方からは、少しとっつきにくい法律だと思われることが多いようです。独占禁止法の規制対象は、基本的には企業がビジネスを行う中で問題となる行為なので、学部生の方にはやはりなかなか想像力を働かせにくいところがあろうかと思います。あるいは、「経済法」と言われるだけあって、やはり経済学と縁の深い法分野の一つでもあり、独特の発想もいろいろと見られます。

もっとも、独占禁止法を勉強する面白さはどこにあるのかと尋ねられると、私は、やはり、経済的な視点に大いに触れることのできる法分野であるという点をまず挙げます。「経済」というと、何か数式を使って難しいことをしているというイメージがあるかもしれませんが、ここでいう「経済的な視点」というのは、数式を使ってどうこうというものではなく、もっと基本的なものです。端的に言うと、何でこの企業はこういう行動をとるのだろう、あるいは、こういう法的ルールを作ると企業の行動はどのように変化するのだろう、といったことへの想像力を働かせることです。

法学を勉強していると、正義や公正さ、自由といった規範的な視点がよく出てきます。もちろん、規範的な視点も重要であることに疑う余地はありませんが、他方、社会科学の一種として、広い意味で人間の行動を扱っている以上、やはり、人間の行動についての洞察も必要であり、その両輪で考えていくことが重要です。その両方の視点が顔を出し、そのバランスを取ることが特に求められるのが、独占禁止法です。

例えば、我が国の抱き合わせ販売での有名な独占禁止法違反事件に、ドラクエ事件という事件があります。ドラクエ(ドラゴンクエスト)というのは、私が子供のころに大流行したゲームソフトですが、この事件は、ドラクエが発売直後には入手困難になるほどの人気ソフトであったことを背景として、ドラクエⅣと不人気の売れ残りソフトとの抱き合わせ販売が行われ、公正取引委員会から独占禁止法違反として摘発された事件です。

このような抱き合わせ販売は、公正さの観点からみると、直観的には非常に不公正で悪いことのように思えるかもしれません。しかし、この事件で問題とされた抱き合わせ販売がなぜ悪いのかを突き詰めて考えると、実は、はっきりと答えるのはそれほど簡単ではありません。実際に、経済学者からは、規制に反対する意見も出ています。

そこで、そもそも企業はなぜ「抱き合わせ販売」をするのだろう、というところから考えていくわけです。そのように考えていくと、いろいろな「発見」があります(ここから先は少し複雑になるので省略します。興味があれば私に聞きに来てください。)。

独占禁止法を勉強するもう一つの面白さとして、社会・経済の最先端の話題に触れることができるという面白みもあります。最近だと、情報技術の高度化によって、「ビッグデータ」、「IoT(Internet of Things,モノのインターネット)」といった様々なキーワードが経済ニュースなどで飛び交っており、実際に、世の中に大きな変化をもたらしています。独占禁止法は、こういった最新の社会・経済的な問題への対応をいち早く求められる分野でもあります。例えば、今年の6月に、公正取引委員会の研究センターから、データと独占禁止政策についての報告書も出ています。独占禁止法を勉強することは、社会・経済の最新の話題についていろいろと知ることのできるきっかけにもなるでしょう。

以上のように、経済法は、とても魅力的な法分野です。他の法分野とは少し異質なところもありますが、関心のある方、あるいは、むしろ少し変わった勉強をしてみたいという方は、ぜひ、講義やゼミでお会いしましょう。

それでは、今後ともよろしくお願いいたします。

自己紹介

法学部国際ビジネス法学科 特任教授
サイモン・ダウンズ Simon R. Downes

はじめに

まず初めに、立教大学で特任教授になる機会を与えられましたことを大変光栄に思います。

2011年より6年間、立教大学のすばらしい教授の方々や、学生の皆さんに励まされながら、教鞭を執ることを楽しんでおります。

私はこれまで、イギリス・米国・日本の三カ国で過ごしております。

1966年にイギリスのコヴェントリーで生まれ、13歳の時にカリフォルニア州のロサンゼルスに移住しました。

私の父は、FBIの指令により、ニューヨーク州とニュージャージー州のマフィアのもとで、労働問題専門の弁護士として働いていた傍ら、CIAの諜報員でした。

この時、私の家族は皆、証人保護プログラム(アメリカ合衆国の法廷または上下両院における証人者を保護する制度)により、安全上の理由で、別の名前を名乗っていました。

父の影響でしょうか、私は自然と法律に関心を持ち、刑事司法行政を専攻するサンディエゴの大学に入学し、大学に通いながら、この時、父が経営していた私立探偵会社を手伝っていました。卒業後は、ロースクールへ。同時に、病院でアルバイトをしていました。

そのような日々を送るなかで、賢明にCPR(心肺蘇生)を行いましたが、亡くなった患者さんに接し、私の人生の方向性が変わり始めました。

私はサンフランシスコに移り、大学院に通いながら、救急医療センターとホスピスで約4年間働きました。

1992年、医師である兄が、世界の国々でボランティアとして働くことになり、兄からの誘いを受け、同行しました。日本には偶然立ち寄りました。ただ、祖父が戦後、羽田空港で交通管制官として勤務していましたし、両親も仕事で日本に来ていたため、日本の文化に触れる機会はありました。また、イギリスや米国にはない魅力を感じ、しばらく日本に滞在することにしました。

日本語学校に通いながら、英語を教え、4年後、化学のセンター試験に臨みました。最終的には、筑波大学大学院に入学し、6年間勉学に励み、発達心理学(バイリンガル教育)修士号と博士号を取得。その後、博士研究員として発達教育相談室で、心身障害児への英語クラスを3年間受け持ちました。大学院卒業後は7年間、文京区で幼稚園を経営しました。

ところで、私はサーフィンが趣味で、米国にいたときは、数々の大会に参加しました。日本に来た当初は、鵠沼海岸でサーフィンをしたり、以前から興味のあった合気道と空手も習っていました。

担当科目について

立教大学では、法政外国語演習(初級・中級)、法学特講〈模擬裁判〉の講義を担当しており、英語で法的・政治的問題を紹介しています。

講義内容はそれぞれ異なりますが、英語で話すことに対する抵抗感を減らし、自信をつけることを目指していますので、すべてのクラスで、ロールプレイングとプレゼンテーションスキルに重点を置いております。

さまざまな難題について英語で討論していますが、私の経験とバイリンガル教育を生かして、学生の皆さんには、講義を楽しみながら、自信をつけていくことを切に願います。

研究テーマ・内容

[1] 筑波大学大学院での私の研究は、バイリンガル教育「イマージョン方式」に焦点を当てました。

イマージョン方式とは、通常授業の大半(50%以上)を第二外国語で教え、第二外国語を教育の目的として使うのではなく、手段として使います。

例えば、数学、科学、地理学を英語で教えます。実際に、日本と米国の学校で研究しました。私の研究によると、一日の50%以上の時間を第二外国語で過ごす学生は、文化的なアイデンティティーの意識(例えば日本人であるという意識)が高まるだけでなく、より高い学力と言語能力を持っていました。これは、日本・米国ともに同じ結果でした。

私が経営していた幼稚園では、この方式をモデルにし、お母さま方には、自宅でも日本語と英語で子供たちに接するようお願いしました。この時に、「子育て英語フレーズ」という本も書きました。

[2] 藤沢で日本語学校に通いながら、英語を教えていた時、日本の皆さんは、英文法は得意なのに、英語を話せませんでした。これは私には奇妙に映りました。ただ、彼らと接しているうちに、大学受験のための英語を勉強しているからだと気づきました。

そして、「外国人による日本語弁論大会」に応募しました。私の題目は「文部省に物申す。」(現:文部科学省) 日本の英語教育は間違っているという主旨でした。

故小渕元総理の時に「英語を第二公用語にすべきか否か」が議論されました。

小学三年生から英語が必修化されるようですが、幼稚園からスタートするべきだと私は思っています。なぜなら言語は早く始めれば、それだけナチュラルに身につくからです。

最後に

私は人生を、ある特定分野だけに限定する必要はないと思っていますし、生涯、夢や目標を追い続けることは大切だと信じています。

私たちが成長し続け、自己改革すれば、豊かな人生が送れ、他の人たちは、私たちの経験から恩恵を受けることでしょう。

この自分の信念に従い、諦めきれない夢(目標)医師になることを、現在、立教大学で勤務する傍ら、医学生でもあります。

私のゴールは、学生の皆さんが、自信を持って英語で討論でき、就職面接でも、臆することなく、能力を発揮できるよう導いてまいります。

良いね。そうだ、○○行こう。

法学部法学科 特任准教授
小川 和茂 Ogawa Kazushige

2017年4月から特任准教授として着任した小川和茂です。専門は、「国際私法です!」といいたいところだが、最近はよく分からない。国際私法の一分野である国際商事仲裁という裁判所を使わない紛争解決制度の研究をしていたら、いつの間にかスポーツ法の分野にも足をつっこんでしまった。とはいえ、新任スタッフの紹介ということで、以下少しお付き合い頂きたい。

・立教との出会い?

自宅の最寄りのバス停には「立教グラウンド」行のバス路線があった。立教グラウンドとは富士見総合グラウンドのことである。しかし、当時は、グラウンドの意味は分かるけど、「立教」ってどういう意味なのだろう?というのが正直なところであった。

・そうだ、立教高校の入試も行こう

地元の公立中学校に通っていたが中学2年生になるとどこの高校に行くかを考えることになる。面倒くさがりな自分は、近所にあり、かつ付属高で!ということになった。

ところが、私の親友は「最寄りの付属はなかなか難関校だから、もう1校近所に付属あるから願書取りに行かないか?自転車を漕いで20分だよ」と。「良いねぇ。そうだなぁ、立教高校の入試も行こう」と願書を取りに行った。結局彼のおかげで立教高校に入ることになった。今思えば一つ目の転機だ。

・そうだ、法学部行こう!

話は進んで高校3年の1月。学部を決める日だ。事前に説明会にも行き教授の話を聞き実験機材や研究室を見せてもらっていた理学部数学科か物理学科のどちらかを選ぶつもりだった。

3年間の総合成績順に呼び出され集められる。残枠が少ない順に学部・学科が並べられた。理学部数学科・物理学科は枠が埋まることがないので、聞かれるのは最後の方だった。

法学部国際・比較法学科(以下、国比という。国ビとはちょっとコンセプトが違う。)は残枠が少なく、先に回ってくる。○○限定とかそういう雰囲気と、理学部よりはずっと言葉的には華やかな国際的な感じの雰囲気に惹かれ、そうだ、法学部行こう!で、国比の希望者として手を上げた。二つ目の転機だ。

・そうだ、あのゼミに行こう!からそうだ、大学院行こう!へ

だいたいは、そうだ○○してみよう!という思いつきで履修を組んでいた。2年生の春も、そんな感じで外国語文献講読(今でいう法政外国語演習)の申込みをした。ゼミ担当教員の専門領域が何であるかを全く知らずに(笑)。アメリカの損害賠償制度(懲罰的損害賠償)を英語論文で勉強できるというのは、国比としては一石二鳥だという理由で履修した。今振り返ってみれば3つ目の転機となった。

その後、指導教員の専門が「国際私法」だと知る。3年次配当だったので履修できないと知り余計に気になった。3・4年次演習では国際商事仲裁がテーマと聞いた。国際商事仲裁と懲罰的損害賠償と国際私法のつながりもよく分からず、さらに気になった。

国際私法は、すごく大雑把に言うと、国際的な私的法律関係に適用される法を決めるためだけの法律ということは、教科書を読んで分かった。ふーん、そんなもんか、というのが感想だった。ところが、国際私法の世界では、私的法律関係のみならず公法の国際的適用関係も取り扱われるし、実体法のみならず手続法も取り扱われるし、様々な国境を越える最先端の問題が論じられる。そんなことを指導教員から聞くにつけ、国際私法の世界の広さに興味を持った。そうだ大学院行こう!と。

・そうだ、スポーツ仲裁!

次第に国際商事仲裁が主な研究分野となった。基本的には国家の力を借りずに(むしろ国家の介入を巧みに避け)、ただ時には国家権力をうまく利用し、様々な分野の紛争解決に資する、そんな仲裁に惹かれた。国内での先行研究少なかったことは、邦語の文献も少ないということで、苦痛はあったが、反面、比較的自由に研究を行えた。

博士後期課程進学の頃、スポーツ仲裁との出会いはやってきた。「電話番をしないか?」という師匠からの電話だった。スポーツ仲裁機関の事務局で電話番をしながら勉強をしていれば良いとのことだった。4つ目の転機である。

仲裁は裁判とは異なり、審理過程も判決に代わる仲裁判断も公開されない。そのため、仲裁実務を機関の中から経験できるという、願ってもみないチャンスに二つ返事で引き受けた。

日本スポーツ仲裁機構はこれから設立される組織のため、まさに何もないという状況で、仲裁規則から作ることになった。正直電話番ではなかった。とはいえ楽しかったし、民間機関での就職経験もなかったので、いろいろな失敗もしたが、鍛えられた。上司は、政府系金融機関の国際部長、競技団体元会長、海運会社社長、JOC副会長、国際競技連盟役員、アジア連盟副会長を全部歴任したという方で、そのような方にめぐり会えたこともスポーツ仲裁の仕事が楽しかった理由である。

スポーツ仲裁機関にいると、様々な紛争がやってくる。それらの原因を分析すると日本のスポーツ界の問題が良く分かるようになった。このことが、研究テーマの一つであるスポーツ法への関心にもつながった。

・その後

スポーツ仲裁の仕事も楽しかったので、この仕事を続けて行くものだろうと思っていたが、また転機がきた。研究者としての転機である。上智大学法科大学院で仲裁・ADR・交渉に関するプログラムを担当する助手として採用された。交渉術のワークショップを開催し、実践の場として渉外弁護士事務所の先生方を仲裁人・調停人とした模擬仲裁・交渉のワークショップを開催した。これらに関連する法科大学院生への指導・助言などが業務だったが、間近で経験豊富な実務家の手の内を見せてもらえたことが何よりの財産となった。

加えて、私の受け入れ教員のゼミが大学対抗交渉コンペティション(http://www.negocom.jp/)という模擬交渉・模擬仲裁大会に参加していたため、このコンペティションに関わるようになった。学んだ法的知識を国内外15以上の大学から集まる学生達の前で実践し活かす!そして国内外の渉外弁護士、商社等の法務部員の審査を受け順位が決まる。熱心に取り組む学生達には何度も心を動かされ、共に考えるうちに、交渉学にも興味を持った。

上智大学は1年しかいなかったが、その後も研究をしつつ実務もしつつ、である。今後もどんなバランスで進んでいくのかは分からないけど、おそらく変わらないだろう。

・エピローグ

ところで、なんでそうだ、○○行こうなのかって? 名古屋往復の東海道新幹線の車内で締切も迫ってきており、なにを書こうかと頭を悩ませていたときにふと耳にしたメロディがモチーフだからだ。そのメロディとは山口百恵「いい日旅立ち」。JR西日本の車両に乗っていたようだ。ちなみに、TOKIO「Ambitious Japan」をベースにしたものがJR東海の車両では流れる。タイトルの付け方も、まさにというか、「そうだ、○○にしよう!」だったという訳である。皆さんどうぞよろしくお願いします。ゼミや授業で会えることを楽しみにしています。

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