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立教タイムトラベル

第37回 「1923(大正12)年、関東大震災と立教学院」

震災直後の本館の塔

本館中央の塔は3階から上の部分が崩落した。

1923(大正12)年9月1日、日本を突如として襲った関東大震災によって立教もまた、甚大な被害を受けました。

築地の中学校は、地震そのものには耐えたもののその後の火災により全焼し、築地キャンパスは完全に失われることになりました。
他方、池袋の大学においては、築地のような火災の被害はありませんでしたが、レンガ校舎群に大きな被害がでました。

混乱の最中、立教学院は学生に対し、新聞広告などで安否を確認するとともに、社会活動などにも積極的に携わりました。
被害にあわなかった学生たちを集め、被災者救援のためのボランティア活動を行ったり、配給のための場所として体育館を開放したり、他大学に教室を貸与したりしました。

復興への道

大学の講義は10月15日に再開し、築地の校舎を失った中学校も同月18日、大学の校舎を借りて、2学期の授業を開始しました。とはいえ、キャンパスは依然、瓦礫に囲まれており、破損した建物の再建工事が開始されるまでには、なお多くの時日を費やさなければなりませんでした。

学院総理ライフスナイダーは、現状を訴える為渡米し、米国聖公会に再建のための緊急基金の設立を訴えました。
米国聖公会では救援の為、カードや手紙、色刷りポスター、さらにはスライドやフィルムなどを作成し、教会信者や教会学校の生徒などに復興基金への参加を呼びかけました。

こうした活動を経て、ようやく基金が発足し、1924(大正13)年5月、再建計画がまとまりました。
立教を含む聖公会関係施設の再建には、総額にして3,.000,000ドル、立教大学に対しては395,000ドルが必要であると見積もられました。

現存する写真資料から、本館の改築工事は関東大震災翌年の8月頃から始められ、翌月には塔の第三層部分が取り外されたことが確認できます。
そして図書館やチャペルでは屋根を完全に取り除くなどの大掛かりな工事が行われました。

1925(大正14)年11月7日、震災から2年以上を経て修復工事が終了し、大学で感謝礼拝式が挙行されました。
しかし、大学より被害が大きかった中学校を修復するまでには、さらに半年の年月を要し、中学校の新築校舎は、1926(大正15)年5月に落成式を迎え、ようやく震災からの復旧を終えることになりました。

                                

修復中の本館 1924(大正13)年8月


大学の修復工事

本館の塔の取り壊し作業。立っている人物は、米国聖公会から派遣された建築家ウィリアム・ウィルソン。


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