

専門ではない英語をなぜ学ぶのか。英語を勉強や試験科目の一つとして考えてしまうと、どうしても英語本来の意味や目的が見失われてしまいます。英語を学ぶ目的は、自分の好きな分野の情報を収集したり、交換したり、人と交流したりして、自分の世界を広げることです。たとえば私の専門分野である数学においても、ここ50年の間に世界中の研究者たちによって新たな知識が次々に積み重ねられ、より専門的になっています。代数学と解析学の違いだけで、時に研究者同士の話が通じなくなることがあるほどです。そうした日進月歩が世界で繰り広げられる中、もし日本語だけしかできないとしたらどうでしょう。自分の研究分野に関するさまざまな論文や資料の蓄積が、ごく限られたものになってしまいますよね。また、英語で論文が書けないと、せっかく研究成果をあげても、それを発表する学会や投稿といった場が限られてしまいます。私たち理学部にとって、英語は自分の好きな研究を進め、知見を広げたり深めたりするために欠かせない道具なのです。
講義では、こまめに机を巡りながら、
一人ひとり丁寧にアドバイスを加えていきます。
数を数えるとき、日本では1から始めますよね。しかしフランスやベルギーなどは、0から始めます。専門的にいえば、0を自然数に含めるかどうかという違いなのですが、数の数え方一つをとっても、国によって微妙に理解のニュアンスが違ってくるのです。私が英語を教える際は、こうした数学にまつわる英語の文化や伝統の理解に役立つ内容にしています。特に歴史的な話はとても役立つと思います。たとえば、19世紀のヨーロッパの数学界にはどのような問題が取り上げられ、理論が組み上げられていったか、などです。その国がどのような歴史を経て、今どのような文化にいたったのか。その文化の中で、人はどのようなものの見方、考え方をするようになったか。海外で学んだり、発表したり、研究者同士で話し合ったりする際、その異文化理解を前提としているかどうかは、意思疎通の速さ、深さに大きく影響してきます。そうした異文化理解を言葉とともに少しずつ身につけさせたいのです。

皆さんは、素晴らしいアイディアがひらめいた!と興奮することはありませんか? しかしそのことを胸に秘めていたり、自分にはすごい才能があるんだと秘かに思っていても、それを外に出してみなければ、本当にそうなのかはわかりませんよね。理学部の研究も同じことです。いくら自分の研究が優れていると思っていても、実際に外へ発表しないと誰にも気づいてもらえない。それはとてももったいないことです。自分の可能性を広げたいなら、自分の力を発揮したいなら、どんどん外へ出るしかない。英語は、それを可能にするとてもベンリな道具なのです。理学部だけでなく、何かをするために何かを学んでいる人にはすべて言えることです。その学びをもっと追い求めようとすれば、その先には必ず世界という名のチャンスが広がっています。だからもっと、外へ、外へ、出ていってほしい。自分がめざす分野でチャンスをつかむためにこそ、英語を自由に使えるようになってほしいと思います。