更新履歴 2011/10/28 2011年度 進学相談会のご案内 2011年11月26日(土)13:00〜17:00 ⇒ 詳細はこちら(PDF) 場所:立教大学池袋キャンパス 11号館
TOPICS 2011/09/14 高野教授の「環境コミュニケーション」が大学ウェブサイトで紹介されました。
更新履歴 2011/08/05 東日本大震災で被災した2012年度立教大学入学志願者の方へ 2012年度入学試験における特別措置のお知らせ ―東日本大震災にかかる経済的支援―
更新履歴 2011/07/19 2011年度の公開講演会に情報を追加しました。
更新履歴 2011/06/02 2011年度 進学相談会のご案内 2011年7月30日(土)13:00〜17:00 ⇒ 詳細はこちら(PDF) 場所:立教大学池袋キャンパス 太刀川記念館
更新履歴 2011/05/12 2011年度の公開講演会の情報をアップしました。
更新履歴 2011/04/26 異文化コミュニケーション学会第8回大会の情報をアップしました。
更新履歴 2011/04/12 カリキュラム、教員一覧、学会活動(RICS):異文化コミュニケーション論集をアップしました。
更新履歴 2010/10/15 2010年度 進学相談会のご案内 2010年11月27日(土)13:00〜17:00 ⇒ 詳細はこちら(PDF) 場所:立教大学池袋キャンパス 11号館
更新履歴 2010/06/22 カリキュラム:修士研究題目を更新しました。
更新履歴 2010/04/16 2010年度 進学相談会のご案内 2010年7月31日(土)13:00〜17:00⇒ 詳細はこちら 場所:立教大学池袋キャンパス 太刀川記念館
更新履歴 2010/04/16 公開講演会の情報をアップしました。
更新履歴 2010/04/16 立教・異文化コミュニケーション学会第 7 回大会の情報をアップしました。
TOPICS 2009/12/11 アエラ・イングリッシュ5周年記念イベント「地球語としての英語とは?」 講師:鳥飼 玖美子(本研究科教授) 主催:アエライングリッシュ 共催:立教大学
TOPICS 2009/09/24 博士課程後期課程 2010年度入学者対応AIIC STCS資格審査の申込を開始しました。 AIIC STCS資格審査 URL:http://aiic-rikkyo.org/application/exam/index.html
TOPICS 2009/03/12 異文化コミュニケーション研究科博士前期課程 行森まさみさん、2008年度ELEC賞受賞 >>(ELEC(エレック)英語研修所のWEBページはこちら)
TOPICS 2009/03/04 [asahi.com]異文化コミュニケーション研究科紹介リンク 社会人のための大学院・専門職大学院特集、社会人インタビュー Vol. 7:森本高司さん
TOPICS 2009/03/04 [asahi.com]異文化コミュニケーション研究科紹介リンク 立教ジャーナル Vol. 8 ニュースの視点 「環境問題に文学はどう貢献できるのか―『エコクリティシズム』が提示する新しい視点」
TOPICS 異文化コミュニケーション研究科紹介リンク [週刊STオンライン] 『世界の英語教室 (小学校)』 「日本の小学校英語活動・番外編」
TOPICS 異文化コミュニケーション研究科紹介リンク [asahi.com]VISION立教大学の改革と挑戦
赤坂 憲雄 氏(東北芸術工科大学教授) 高良 勉 氏(詩人)
レポート
灰色の空の雨の日で、雷さえ轟いていた。そんな日に、講演会「環境と文学のあいだ4:歴史への視点」は開催された。 とある場所を一つの空間であると仮定して、天気が人間を取り巻く高さの問題であると捉えるならば、歴史は奥行きの問題であると考えられよう。現在から過去に視点を放り(遡及)、そこから“現在”を見つめなおす(還元)という往来作業を、“環境” と“文学”という俎上で試みたのが本講演会であったように思う。
赤坂氏の講演中、背中の黒板には“”という文字が記されていた。この文字は、『常陸風土記』のある物語の中で、蛇神と人間の居場所を分かつための印として地面にさされた柱をあらわす言葉であるという。うだちと読み、境界線の意味を持つ。自らの “”を背負いながら赤坂氏は静かに言う、「宮沢賢治の童話『狼森と笊森、盗森』は、北の大地における人と森との応答の物語であった」と。 大地と天空が人間に恵みを与え、神的な媒体は人間に呼びかけをはかる、人間はそれらを感知し、返答をしなくてはならない。その具体的な行為とは、食べることであり、住まうことであり、祈りを捧げることであるという。つまりは生きることそれ自体。そのような“生”の有り様はある意味において過酷とも思える。 人間がこの世界に生きることを守られた恩恵に感謝した時、自然・神・人間の関係性は穏やかで温かいものであると捉えられる。しかし、例えば、森林伐採、土壌汚染、海洋汚染、砂漠化現象、酸性雨、など、多様な自然の痛みの現状と、未来の環境問題への不安に目を遣った時、その関係性のシュールさと厳しさを認めずにはいられない。自然と神は、人間にとって、守護と破壊の両方をもたらす荒ぶる存在であるといえよう。その両義性の発見こそが童話『狼森と笊森、盗森』の現場のトポロジーとなりうるのだとすれば、「宮沢賢治の見てきたものは豊かであった」と講演を結んだ赤坂氏が自身の論によって建立した“”は、抽象的な言い方を許されるのであれば、物語の現場である北の森の避雷針となったかのごとくであった。
高良氏は沖縄のシマ言葉で挨拶をして講演を皮切りした。呪文のように流れるその言葉は音楽のようであり会場に緩やかに浸透していった。 奄美列島、沖縄本島、宮古諸島、石垣諸島、与那国、と、琉球弧の地図をさらさらと描き会場に顔を向けて「沖縄の歴史は日本の歴史にはおさまらない」と語る高良氏の歴史観を、どのように受け止めればよいのか、現在、日本という沖縄も含めた一つの国に住まう私はすこし戸惑いを覚えた。というのも、高良氏の強い目のパワーとこの言葉から、琉球弧からヤマトへの拒絶と疎外が放たれているように感じたからである。しかしながら、ここにこそ沖縄に生きる人としてのアイデンティティと威厳が籠められているようにも感じた。この一言に担わされた意味は重く深い。 例えば、言葉の問題。沖縄では、「潮」を「川」と呼ぶという。ここにも沖縄の歴史の一側面が刻まれている。海の向こうの土地へと渡るために船に乗り、潮を交通の道としていた頃の悠久の島国の時間。また、“個人”の観念について、ヤマトでは個の感覚が自己と共同体が乖離した状態であるのに対して、沖縄では自己と共同体の重複部分も個人を形成する一部であるという。沖縄に住まう人々が培ってきた共同体のつながりの濃さがここに窺える。 「自己表現でない文学はない」と断言する高良氏は、三篇の詩を朗読してくださったが、特にそのうちの「かみぐとぅ〈神事〉{…注1}」は、 “沖縄”という場所に生まれた自らの深層を吐露してくれているかのごとくであった。詩に織り成された言葉は、鈍やかに美しく、しなやかに強い。そうして、沖縄の魅力はますます鮮やかに会場を彩った。講演が終わったとき、最初に私が感じた“拒絶”と“疎外”は、詩人である高良氏の沖縄という土地に対する愛情とこだわりであることが判った。
“文学”は人間の営為活動のひとつの結実であるから、そこに“環境”を見ることは、人間を取り巻く世界―過去・現在、そして場所―を改めて問い糺すことなのかもしれない。 その方法が、「環境文学研究〈エコクリティシズム〉」という“文学”への新しいまなざしなのであろうか。 “歴史”という不可視の世界が現出された“文学”に、それぞれのトポスの示唆する豊かさを汲み読むことの意義深さははかりしれない。本講演会での享受を発展的に考え続けていきたい。
(・注1…)『絶対零度の近く』(思潮社 2002年10月)に所収
(報告:照沼 麻衣子)