2009年度 第5回 連続公開シンポジウム 未来の声を聴こう

村上 立教大学の観光教育は、1946年に始まりましたので60年を越える歴史を有しています。当初は、ホテル産業や旅行産業、そして観光地で活躍する産業人の育成を目的としていました。ところが1980年代頃から、旅行をパッケージで買うのでなく、旅行者が自分たちで創り楽しむようになり、旅行者の行動や旅の仕方、あるいはそれを支える観光地づくりについて教えなければならなくなりました。最初は、エコツーリズムや観光を通じた文化の楽しみ方、あるいは観光地の変化の方向などを研究し、教えていたのですが、さらに時代が変わり、今は旅をする人の視点から教えることがとても大切となり、新しい旅の楽しさを創り出す方法を研究し教える必要が出てきました。

ことに、1990年代半ばからは、女性が社会ばかりか旅の主役にもなってきたことから、旅行の経験を自分の生活に取り込むことへの関心が高まってきています。そこで、本日は「旅と小説」をテーマに選びました。誰もが旅をする時代、自分が主人公になって、思い描いた舞台を旅し、その体験を帰ってから人に語り伝えることは人々の、ことに女性にとって大切な生活術になっています。旅の経験をベースに女性を主人公にした小説や紀行文をつづっていらっしゃる角田光代先生に、本学部の一歩先を行く、旅のご経験をお話しいただけたらと思います。

「本質」をとらえて50年後も残る紀行文を


角田 光代氏

角田 24歳の時、ボーイフレンドと2カ月タイを旅して、カルチャーショックを受けました。パッケージ旅行では得られないものがあると知り、翌年、タイからマレーシアを一人旅して、それから完全に旅にとりつかれました。

お金が無かったため、ほとんどバックパッカー方式でした。歴史や地理の知識も無いので、どこで何を見たらいいのか分からず、ただ興味の向くまま漫然と歩き回っていたのですが、次第に自分が何を見たいのかが分かってきました。それは、名所旧跡ではなく、人々の暮らしそのものでした。

そして、人間は「こんなにも違うんだ」ということに、非常に驚きました。私はそれまで、人は皆同じだと教わってきたと、思い込んでいました。今思えば、それは、人間は平等だという意味だったのでしょうが、私はそれを取り違えていて、同じ人間だからどこの国の人とでも分かり合えると思う節があったのです。ところが、世界には寒い国、暖かい国、砂漠の国、緑の国があって、それぞれ暮らしも違う、感じ方も違う、常識も違います。

同時に「こんなにも同じ」ということも分かってきました。お腹が空けば食べるし、夜になれば眠る。面白ければ笑うし、ムカつけば怒る。違いに目を凝らせば凝らすほど、共通点が見えてきました。

生活のほとんどを小説の執筆に割き、趣味が無かった私は、最初、旅行という貴重な趣味についてだけは文章にするまい、と思っていました。しかし、誰ひとり帰国後の私の土産話を聞いてくれないのでつまらなくなり、エッセイに少し書いてみたら初めて人に話を聞いてもらえた気がして、すごくうれしかったのです。すると、今度は書くことが前提となり、ネタになる旅先でのハプニングを願うようになってきました(笑)。

確かにバックパッカーはハプニングが多いんです。知らない土地を自分の足で歩き、自分の手でバスを止め、お金の払い方も分からず、間違えては怒られやり直して……。しかし、そんなふうに自分の手と足と耳と目を全部使うことで、その土地や暮らしに触れられるのではないかと思います。

五感を全開にしてへばりつく旅行者だからこそ分かる、生活者が気づかない「本質」がそれぞれの土地にあると思います。いつまでも新鮮なまま、私たちの記憶に残る旅行記があるとすれば、そうした「本質」をとらえて書かれたものではないでしょうか。しかし私自身を含め、現在、これを書ける人はなかなかいません。だから、50年後の読者が、「あ、私が旅しているのは、この本のこの場所だ」と思っていただけるような紀行文が書けたらいいなと思っています。

市場のにおいがカルチャーショックに


中西 裕二(左)村上 和夫(右)

寺田郁さん(左)ラナワカ・チャトウシカさん(右)

寺田 ではここから、トークセッションに移りたいと思います。

村上 旅をした人が感じた旅のエッセンスをうまく引き出すのはかなり難しいと私自身実感しているのですが、角田先生のおっしゃる「本質」について、先生はどういう時に感じられるのですか。

角田 楽しい経験、孤独な経験、悲惨な体験からとさまざまで、法則はありません。例えばメキシコでは、あるレストランで、おばちゃんたちが大声で話をし、男性たちがテレビのサッカー中継を見ながら大声で応援する騒がしい店内で、さらに、キーボードを持った人がロックを演奏し始め、外の広場では出し物に集まった人々がざわめく。その時、「メキシコって、こうなんだ」と感じたんです。誰も他人に関心を持っていない。だからそれぞれが自分たちのやりたいことを人目を気にせず同時進行できるんだって。政治でも暮らしでも多分同じで、これがその場所の「本質」なんだと理解したんです。もちろん、それは錯覚かもしれませんが。

中西 文化人類学のフィールドワークも、五感を開放して感じながら、文化の核をわしづかみにするようにしないと、異文化に暮らす人々についてうまく記述することはできません。

チャトウシカ タイで受けたカルチャーショックとはどのようなものでしたか。

角田 においですね。バンコクの市場で、切り分けられた肉から滴って、溜まった血のにおいや、腐りかけた食べ物のにおいに驚きました。高度成長期の日本で育った私は、そうしたにおいを嗅いだことがなかったからです。その時、私たちの国では、こうした場面を懸命に隠すようになっていたと気づきました。でも、そこには当たり前のようにあった。生きるってこういうことなのだと、生きることの「本質」を垣間見た気がしました。

寺田 スリランカでの思い出はありますか。

角田 スリーパーダという聖地があって、巡礼の季節に山に登りました。

チャトウシカ スリランカは多民族の国なので、仏教徒だけではなく、イスラム教徒もキリスト教徒も、スリーパーダを自分たちの聖地だと思っているところが面白いですよね。

角田 巡礼の旅は、目的地がはっきりしているので終わりがあります。ところが、ただ何かが見たいと思って出かけるバックパッカーの旅は、最終目的地がないため、いつ終わるんだろうと、その時考えました。

村上 旅の終え時。難しい問題ですよね。旅の記憶を小説化することで、時間を超越した無限の旅はできるかもしれません。

寺田 私も一人旅をするようになって、誰かに伝えたいと思うことによく出会うのですが、素人でもそれをうまく伝えられる方法はありますか? 

角田 今はプロの方が難しいかもしれません。70年代の作家やジャーナリストには、普通の人が行けない場所に代わりに行って、その体験を伝えるという役目がありました。でも今は、誰もがどこへでも行ける時代。なおかつ、インターネットのおかげで、普通の人が自分で発信する手段を得ました。例えばブログは、旅先でこまめに更新していけば、誰が書いても面白いものになります。

こんな時代に、物書きが旅について書く意味はどこにあるのだろうと考えてしまいます。5年くらいは書かずに、発酵させるといったことを考えないといけないのかもしれません。

村上 先生の小説には、行った先の情景に一つひとつ物語があって感動します。どうやって場面設定を考えるんですか。

角田 小説に使うことを目的に、旅したことはありません。例えば『エコノミカル・パレス』では、書き直しの段階で、旅の場面を入れようと思いつき、主人公たちが、青春の終わらせ方が見えずに悩む所とダブらせて、スリランカの巡礼の旅をもってきました。

村上 私たちは写真を頼りに旅の記憶をよみがえらせることがありますが、先生の場合はいかがですか。

角田 私は言葉の人間なので、そのときに記録したメモやお小遣い帳を見たときに光景がよみがえることが多いです。



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