2008年度
連続公開シンポジウム
未来の声を聴こう
日本社会はセキュリティ社会を乗り越えて、安心社会を実現することができるのか。それが本日のテーマです。まず僕の方からは、このセキュリティ社会を可能にした条件についてお話ししたいと思います。

2002年、刑法犯の認知件数が7年連続で戦後最多を記録しました。危機感を抱いた政府は翌年12月に「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」を発表し、コミュニティをコンセプトに対策を打ち出しました。かつて日本のコミュニティは濃密なコミュニケーションによって、犯罪や少年非行を防いでいた。治安悪化は、都市化や核家族化によってこのコミュニケーション環境が崩壊したためである。だから、かつてのコミュニティを取り戻して防犯機能を再生しよう、という内容です。
これはノスタルジーによって美化されたロジックで、本当にかつてコミュニティが犯罪を抑止していたのか、という検証はされていませんでした。しかし、警察の力ではもう治安を維持できない。国民一人ひとりの防犯意識を向上させて、行政は住民の自発的取り組みを支援するべきだとされたのです。
この方針を正当化したのが「割れ窓理論」でした。割れた窓を放置しておくと、地域に無秩序感覚が作り出される。次々にほかの窓も割られ、他の違反行為を誘発してやがて地域全体が荒廃する。つまり、小さな逸脱行為を摘み取れば治安が維持できるという理論です。
こうしたロジックは突然現れたわけではありません。1994年には警察庁は生活安全局を設置し、翌年から地域安全活動を推進し始めていました。警察の活動方針が、司法警察(事件後に捜査を行い被疑者を逮捕する)から行政警察(公共の秩序を維持する活動により犯罪を抑える)へと転換したのです。また、2001年の大阪教育大学附属池田小学校事件の衝撃により大阪府から全国へと拡大していった生活安全条例も、法的根拠となりました。
94年から95年の警察の動きに対し、危機感を訴えたのが日弁連(日本弁護士連合会)でした。編著作「検証 日本の警察」でも、戦前の隣組を復活させて防犯に役立てようという警察幹部の発言を、時代に逆行するものとして批判しました。しかしこの危機感とは逆に、その後10年ほどで住民たちは警察のアナクロニズムに応え、防犯活動に従事するようになりました。きっかけは95年の地下鉄サリン事件です。
この事件で犯罪被害者問題の重要性が認識され、被害者支援への関心が高まりました。警察庁は96年に被害者対策要綱を策定し、警察白書でも犯罪被害者の視点に立った被害者対策について触れています。
犯罪学者の浜井浩一氏は、同年を警察による“犯罪被害者発見の年”と規定しています。女性の性犯罪被害者への対策として、女性警察官による事情聴取の拡大などが実施されました。警察は性犯罪被害者の精神的被害の深刻さにようやく気づいたのです。当時、世間も社会的弱者への暴力に対する嫌悪感が高まっていき、2000年前後には、かつて民事不介入とされた児童虐待やDV、性犯罪に対し多くの対策や制度が確立されました。安心社会への民主的な流れである犯罪被害者の権利の高まりは、皮肉にもセキュリティ社会の出現を支えてしまいました。

被害者への注目が高まると、その反作用のように犯罪者への厳罰化感情が生まれました。特に少年犯罪の領域では世論の共感やメディアの関心が被害者に向かい、加害者少年は厳罰対象にすべきだという声が高まりました。その象徴的光景が光市母子殺害事件(1999年)です。
附属池田小事件で、モンスター的な犯罪者とその犠牲になった無垢な子どもたちという強烈な図式が作られ、遂にセキュリティ社会出現の条件が揃います。04年の奈良女児誘拐殺人事件、05年の広島女児殺害事件・今市女児殺害事件を経て、日本全国で警察・政府・企業が子どもを守るさまざまな対策を始め、地域住民も自主パトロールに乗り出します。03年には約3千だった防犯ボランティア団体数は06年末には3万と激増し、7割が通学路で子どもの保護や誘導を行っています。
全国各地の通学路で、地域住民が子どもたちを見守り挨拶を交わす……防犯コミュニティという物々しい響きに反し、それは極めて牧歌的な風景です。しかし、一方では刑務所の過剰人員が問題になり、受刑者の多くがセーフティネットからこぼれた老人や知的障害者だということが明らかになりました。地域安全活動に流れる、弱い存在を守ろうという志向は伸ばすべきです。しかし、現在の地域コミュニティや防犯コミュニティの先には、私たちが望むような安心社会は実現しない。僕はそのような確信を持っています。