2009年度 第5回 連続シンポジウム 未来の声を聴こう

第二部 現代心理学部映像身体学科 教員からのコメント

創造が完成する前のプロセスに意味がある
鈴木 理江子(立教大学 現代心理学部特任教授)


この学科で何をどう教えるべきか考えた時、自分がやってきたこと、そこで感じたことを話そうと決めました。必ずしも職業として役者になるわけではない学生たちでも、やはりものを創るプロセスを見ることは何らかの出発になるのではないか、と思います。先ほど諏訪さんが完成されたもの以前のプロセスについて述べられましたが、創るという過程で大事なことはそれ以前にあるという点で、教育の現場のこととしても共感を覚え、勇気づけられました。

劇の行方を問うことは身体を問うことです。自分の思いと響き合うところがあり、このような皆さんのお話を伺える機会を持てて良かったと思っています。

「身体」は無目的でニュートラルなもの
万田 邦敏(立教大学 現代心理学部教授)


「肉体」にはある種の目的を持つ体、目的に沿って使われる体という印象があります。「肉体的な訓練」とは何かをするために肉体を鍛える、という意味です。一方で「身体能力」という言葉があります。肉体的な訓練で身体能力を高めるという一文は成立しますが、ここでも「肉体」と「身体」は使い分けられています。身体能力は、筋肉系の肉体を鍛えないと最終的には出てこない。筋肉系が身体能力になった時には、筋肉系を超えた何かがそこに出現する、体がそこで何かを表現してしまう。つまり「肉体」はある種の意識や目的、意図、意志につながっている。一方で「身体」は目的や意志、意識とは逆のものです。無目的・無意識で非常にニュートラルで、次にどう動くか、何をするか分からない。意志と動きがつながっていない身体の表現、出現の仕方ということではないか、と考えています。

「身体」という言葉に含まれる問題
宇野 邦一(立教大学 現代心理学部教授)


ある時から「身体」という言葉が圧倒的に使われるようになりました。言葉が変わっていくことは問題がそこに含まれているということです。そこに良い問題提起が含まれていたから、僕たちもその言葉を使ってきたのです。「身体」の定義を問われた時、あえて「何年もかけて考えます」と答えたくなるのはそのせいです。ですから、やはり「肉体」ではなく「身体」という言葉を使うことで出てきたラジカルな意味合いをどう持続していけるかということが問題だと思います。真理や物語、映画におけるショットが全体の論理や全体を形作るのに奉仕してしまう、屈服してしまう、ということも現代の表現にとって実に大きな問題です。「身体」は物語を破ってしまうような何かだ、というニュアンスが確かにあると思います。

※2010年3月7日に行われた講演を基に、要約、加筆・訂正の上掲載しています。



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