2008年度
連続公開シンポジウム
未来の声を聴こう

映像身体学科第一期生の映像作品をいくつか観せていただきました。思わぬ結びつきによって「映像身体」というキーワードが生まれたそうですが、それは偶然であると同時に必然であったと思います。僕も「映像身体」という言葉に強く惹かれ、ここで一体何が起きるのだろう、と興味を持っていましたが、非常に真摯な取り組みが成されているということが分かりました。
2009年、東京大学で行われたフランスの批評家アンドレ・バザンのシンポジウムで、自分のやっていることについて考える機会がありました。『ユキとニナ』という映画にその象徴的な場面があります。
非常に深刻な話をしながら泣いているお母さんの隣で、ユキという女の子が笑っています。映像を見直してみると、その笑いも一通りでなく、非常に複雑な感情の動きが表れていることが分かりました。ここに表れているユキは、おそらくわれわれには簡単に説明のつかない、概念化できない存在としてそこにいるのではないか。他者というものが表れてるんじゃないか。そう考えた時、アンドレ・バザンの「ロッセリーニの擁護のために」という文章、イタリア・ネオリアリズモのロベルト・ロッセリーニ監督の作品を擁護する文章を思い出しました。
川の上流から流れてきたいくつかの石が、流れの中にゴロゴロと転がっている。それは誰かがしたことではなく自然に起きたことで、しかもその石の一個一個の形は自然です。しかし、ある人がその転がっている石をぴょんぴょんと伝って川の向こうに渡れたとしたら、その時その石は自然ではなく、川の向こうに渡る橋として意味を持つ。ロッセリーニの映画は、そのように一個一個がレンガとして全体に奉仕するものではない。一個一個の単位は自然でゴツゴツした偶然の産物で、放っておけば単なる自然でしかない。しかし、たまたまそれを伝って川を渡れたら、そこには別の役割が生まれてくる。自分の映画の創り方もそのようなことを目指しているのかもしれない、と感じたのです。
2009年開催された「世界美術大学学長サミット」(主催:武蔵野美術大学)でも発言したのですが、今、大学は文部科学省を中心とした中央から「教育目的を明確にして目に見える成果を挙げ、それを数値化して示せ」というプレッシャーを負わされている。しかし、このようなクリエイティブにかかわっていると、クリエイティブな活動とは一体何なのか、何の目的でやっているのかは分からない。分からないことをやる自由がなければ、大学という場所はおそらく死んでしまいます。わけが分からない、ということは希望なのではないかと思います。
今後もこの映像身体学科とかかわり続け、何か面白いことが起きる手助けになればいいなとワクワクしています。

今日は、僕が今演出の現場で考えていることをお話ししたいと思います。以前、宇野邦一教授に「『肉体』と『身体』の違いは何ですか?」と伺ったことがあります。その時、「どっちだっていいじゃない」と言われました。演劇の世界では、40年ほど前から「肉体」を好んで使っていました。いわゆるアンダーグラウンドシアター、唐十郎さんの特権的肉体論です。90年代ぐらいからは「身体性」や「舞台における身体の行方」が流行しました。身体論というものが舞台には要求されるようですが、僕は肉体や身体など区別するのは面倒くさくて嫌だな、と直感的に思っていたので、宇野教授の答えに「なるほど」と納得しました。しかし、僕なりに考えると「肉体」には鍛える、運動神経を見せる、舞台で飛躍的にすごい肉体性を見せる、という感じがあります。漠然としたイメージですが、俳優がよく言う「熱演」という言葉には「肉体」がふさわしいのではないか、と思っています。僕の直感では、内側に張りついているものを外側に発信する、それが「肉体」です。一方で、「身体」は客席から見ている俳優の体です。体を見ている客席からの矢印が「身体」と名付けたがっているのではないか。つまり舞台の向こう側にある者は、客席から見ている体のことを問えばいい。「肉体」と「身体」を分けようと思ったのです。
「身体」を考えるヒントになったのは、パリ留学中にピカソ美術館で見たピカソ所蔵のバルテュスの絵『ブランシャール家の子供たち』です。

ピカソの作品が並ぶ中でこの作品を見た時は、衝撃的でした。ほとんどの鑑賞者がエロティシズムを感じるのは、この女の子のいやらしく光るふくらはぎです。やがて、構図について考えていると目線がテーブルの天板のエッジに行く。次に、目線がスッとふくらはぎのほうに降りて、また天板のエッジに戻る。男の子の足と椅子の背もたれを見比べる。そこで気づいたのは、家具のベクトル、矢印、線、人間の足が同等に描かれていることです。バルテュスの計算で、同じような傾き、同じような輝きで描かれていて、だんだんテーブルや椅子のほうがエロティックに感じてくるのです。この時、この感覚は身体に流用できるのではないかと感じました。描かれている女の子と男の子は、いわゆる肉体論で言うと頑張っていたり、内側から何か発していたりするわけではありません。つまり身体、体の部品と家具を空間的に配置していくことにより、この子たちは何を考えているんだろう、なぜいやらしいと感じたのだろう、と考えさせる。鑑賞者である客席側からの想像で成り立つような身体性を部品として考えてみよう、と思ったのです。
僕は、この考え方をチェーホフの『三人姉妹』で流用しました。俳優を家具の上に配置し、そこからほとんど降りずに1時間以上の芝居を続けました。肉体から逃れ、人間の主体性から逃れるため、装置として機能するような表現として考えたものです。これで今まで見てきた演劇のうっとうしさから逃れられるのではないか、と思いました。

私は大学時代、文学部演劇学専攻の学生として、座学でチェーホフなど近代市民劇を学びました。非常に面白かった反面、演劇の中にある物語性を一種の枠だと感じていました。その時、私が通ったのは映画館でした。ルイス・ブニュエル、ゴダールなど実験的な試みを行っている映画監督の作品は、ある意味で物語からも時間からも解放されていて、非常に魅力的だったのです。また、モダンダンスも観るようになりました。当時モダンダンスはバレエよりも物語に拘束されていて、バレエのほうが物語の飛躍があったのです。モダンダンスは自分たちの生活の中で起こる真理を表現しなければいけない、と言われましたが、これが私には最もうさん臭いものに思えました。そのように説明される真理など一体存在するのだろうか、と感じたのです。
そして19歳で出会ったのが舞踏です。言葉は無いのに非常に演劇的で、まさしく体が何かを発信している。最初に観たのは土方巽の作品でしたが、あまりにもおどろおどろしくて私には無理だな、と感じていました。その時に笠井叡という舞踏家に出会ったのです。きっかけは、彼が雑誌『現代詩手帖』で発表した文章の中の「舞踏とは理性と感性の戦いである」という言葉でした。物語も無く体と向かい合いながら、どんな表現の形があるのか、どんな舞台の可能性があるのか探している時にこの言葉に出会い、自分の精神や身体など限定せずに混沌としたものの中に何かを丸ごと投げ込んでいけるような場所があるのではないか、と直感しました。そんな場所に行きたくなったのは、触覚や聴覚、視覚といった「知覚」に絶望していたからではないかと思います。演劇をやろうと思っても、モダンダンスを観ても、知覚が働いているというような感覚は自分にはやってこなかった。ただ映画を観ている時だけは、自分の知覚が全開する体験がありました。眼球が動く、意識の中で時間が外れる。自分の中のあらゆる知覚が作動し始める、という体験があったのです。
即興で踊った時に、同じことが体の中で起こりました。一切の物語も指示もなく、放っておかれる中で自分のムーブメント一つひとつに対して知覚を働かせ、それと対話し続けるという体験でした。最初の稽古場では、それを自分の言葉にフィードバックできる時間がありました。体験そのものではなく、体験を外側から見て突出化していく人間になりたい、と思った時、必要だったのは書くという作業だったのです。家に帰って、稽古したことを言葉にしてひたすら書く。その往復を何年か続けているうちに、自分にとっての“踊る方法”が見つかりました。私のダンスはそこから生まれ、現在も続いてるのです。
大学で教える時も、私は振り付けはしません。私にとって振り付けは対話です。踊る人と私との対話によってダンスを創り出していく。基本的に動きは伝えますが、言葉を含め、その人の中で起きているさまざまな情報と常に対話し続けることで、ダンスを創っています。